1.02〈邂逅〉

「よおっし! やった!」


 頭上にLV9と表示された野生の猪ワイルドボアを剣で吹き飛ばし、光の渦となって消えるのを確認した萌花もえかは、喜びにまかせてくるりと一回転すると拳を天に突き上げた。

 早苗の影縫シャドー・バインドで身動きが取れなくなっていたもう一匹の猪の眉間をパララッと言う軽快な音と共に打ち抜いた芽衣めいも、満足げに買ったばかりのアサルトライフル、[レアリティ3]MG-33を眺め、ゆっくりと背中に背負う。

 夕日に照らされ、まるで燃えているような草原で、彼女たちは同時にふうっと一息ついた。


「なかなか順調ですねぇ」


「それはそうよ。そもそもこの辺は相手を選んで戦えば苦戦するようエリアじゃないもの。もえが暴走しなければ、ね」


 確かにこのエリアの推奨レベルは10。

 早苗の言うとおり、時々群れで通過する竜騎兵ドラゴン・ライダーや、森との境界線に現れる喰人鬼オーガにさえ気を付けて居れば、11~12レベルの彼女たちにとってちょうど良い難易度の地域なのだ。


「もえちゃんは博愛主義者ですからねぇ」


 芽衣はにっこり笑って擁護するが、擁護された当の本人は肩をすくめて曖昧な表情を返すだけだった。


「ま、それはそれとしてさ。岬の洞窟見えてきたよ! 早く行こ!」


 萌花は勝手に気を取り直して勝手に先へと進みだす。

 小さな背中に武骨な銃を背負い、急ぎ足でその後を追う芽衣が、まるでお姉さんのように萌花の態度をたしなめているのを楽し気に眺めていた早苗は、萌花に「早く行こうよ!」と急かされると、やれやれと言った風に歩き出した。


 やっと追いついた早苗が、ふと足を止める。

 念のためにこのエリアに入った時から張り巡らせていた警報アラートの魔法の網に、警戒の対象となる20レベル以上のモンスターが引っ掛かったのだ。

 全職の中で最も目と感が鋭い[狙撃手]の芽衣も、敵の気配に足を止め、振り返った。


「……さっちゃん! もえちゃん!」


「うん、竜騎兵ドラゴン・ライダーよ」


 幸いなことに、彼女たちの現在地は岬の洞窟の入り口を隠すように生い茂る小さな木々の影だった。

 このまま身を隠して息をひそめていれば、別の氏族クランとの集団戦闘地域へと移動するのが目的の竜騎兵たちは、彼女たちの存在に気付いていても、わざわざ襲い掛かってくることはないはずだ。

 いつかは、そう、例えば彼女たちが40レベルを超える頃には、その高価なドロップアイテムであるレアリティ8の各職向けの装備品、俗に言う『ライダー装備』を求めて戦うこともあるだろう。

 しかし、それは当然今ではない。早苗は自分のレベルを確認して、萌花の頭を木立の陰へと押しやった。


「大丈夫よ、戦ったりしないって」


 早苗に押されながら、不服そうな萌花はそれでも大人しくしゃがみこむ。

 芽衣に「静かに」とまたたしなめられ、萌花は唇をとがらせて目をそらした。


 突然、黒板を爪で掻き毟るような不快な音が鳴り響く。鳥肌を立てて身をすくめる彼女たちが、それが竜騎兵の乗る小型のドラゴンの鳴き声だと理解するのに1秒もいらなかった。


 竜騎兵により鳴き声を上げないように厳しく訓練されているはずのドラゴンは、次々とけたたましく鳴き叫ぶ。

 その声に交じって聞こえてきたのは、雷にも似た空気を裂く衝撃音。

 思わず木立の陰から顔を出した彼女たちの目に映ったのは、次々と竜騎兵を屠ってゆく、黒髪の冒険者の姿だった。


[999,999,999]

[999,999,999]

[999,999,999]


 赤く浮かび上がるダメージの表記。

 その切っ先に触れただけで、まるで蒸発でもするように次々と光の粒子になって消えてゆく竜騎兵。

 本来なら最高レベルである60レベルの冒険者でも、パーティーを組んで戦わねばならないはずの高レベルモンスターである。それがいとも簡単に次々と切り捨てられてゆく姿は異様な光景だった。


 いや、それよりも。

 目を細めた早苗は、記憶の中の情報を次々と辿ってゆくが、求めている情報にたどり着くことはなかった。

 やはり、あのダメージの表記は異常だ。


 高レベルパーティーのプレイ動画でも6ケタ以上のダメージを見た記憶が早苗にはなかった。

 あのダメージは普プレーしていたらありえない数値を示している。

 彼女たちはその異様な光景に魅入られたように、身を隠すのも忘れて呆然と立ち尽くしていた。


 その間にも竜騎兵は次々と消えてゆき、ついに10頭以上もいた竜騎兵の最後の一頭が光となって消えたのは、わずか20秒ほど後の事だった。


「なんですか……? あれ……」


 芽衣は無意識に、震える手で背中のMG-33を引き寄せ、抱きしめるように身構えた。


 カチャリ……とガンメタリックの銃が、キーホルダーが揺れた程度のかすかな物音を立てる。


 その物音にぐるんと顔を向けた黒髪の男は周囲に沢山のウィンドウを展開させ、信じられないスピードで装備を入れ替えた。

 武器は竜族へ最大のダメージを与える[レアリティ8]竜殺剣ドラゴンスレイヤーから人間型生物ヒューマノイドを殺すための[レアリティ8]弧月丸こげつまるへ。

 防具は対火、対酸耐性の[レアリティ8]竜鱗鎧りゅうりんがいドラゴンスケイルから、移動速度と物理耐性の[レアリティ7]薄金うすがねへ。


「逃げるわよ! はやく!」


 明らかに人を、自分たちを殺そうと言う意思を持って迫りくる謎のプレイヤーに恐怖以外の感覚は全て麻痺し、早苗はそれだけ叫ぶと萌花と芽衣の背中を引っ張った。


「あんなスピード……無理ですよぉ!」


 そう芽衣が言い終わるより早く、がくがくと膝を折る彼女の目前に黒髪の男は迫っていた。

 芽衣をかばうように萌花が剣をかざして、男の前に立ちふさがる。

 たやすく躱されるであろうと思われたその剣は、しかし、予想に反して男の胴にぶつかり、激しい金属音を立てた。


 クリティカルヒット。

 男のHPバーは凝視しても気づかないほどしか減らなかったが、鎧の継ぎ目を滑るように走った萌花の剣先には、確かに赤い血が滴った。


 男は出血を気にした風もなく、そのままもう半歩ずいっと体を前に進める。

 まっすぐ伸ばされたその腕の先で、緑色の血を吹き出した喰人鬼オーガが、うなり声をあげて光の粒子となり消え去るのが3人から見えた。


 地べたにへたり込む芽衣と早苗を確認し、いまだに体に向かって剣を突き付けている萌花の手をそっと押しやると、男は無言のまま一歩身を引く。

 次々と表示されるウィンドウで、ものすごいスピードで回復やドロップアイテムの整理などが行われるのを呆然と見ていた芽衣は、腰が抜けたように座り込んだまま、やっと現状を理解したように顔を上げた。


「あ……あの……、ありがとうございました」


 すべてのウィンドウを閉じた男は、身軽な普段着に着替えて芽衣の方へ顔を向ける。

 考え込んでいるのか、会話が苦手なのか、巣へ帰る海鳥の鳴き声が何度か聞こえる間、男は言いよどんだ。


「横殴りだったらすまない。それとPKはやらないから安心していい」


 GFOのように、ダメージを与えた割合によってドロップアイテムの取得先が変わるゲームでは、レアなアイテムをドロップするモンスターには、基本的に最初にエンカウントしたプレイヤーの許可がなければ攻撃をしないのがエチケットだ。

 もちろん、ゲームのルール上みんなで攻撃するのは許されているし、それに対する罰則もないが、それはマナー違反として嫌われる行為にあたる。

 それが「横殴り」だ。


 そして、味方同士でも攻撃が当たってしまうリアルなゲームで、本来なら協力すべきプレイヤー同士で戦う行為を「PKプレイヤーキリング」と言う。

 これは、相手の持っている金品を奪うのが目的の場合もあるが、ただ単に「むかついたから」「強さを見せつけたいから」「邪魔をすることに楽しみを見出している」「そういう悪人キャラクターであると言う役割を演じている」など、様々な理由がある。

 死んでしまった場合に一部のアイテムや金貨を奪われ、しかもデス・ペナルティでしばらく能力が落ち、現実のお金で課金しないとゲームにならないこのゲームでは、やはりこちらも嫌われる行為だった。


「ううん、それより攻撃しちゃってごめんね。え……と、シュウさん?」


 萌花は男の頭上に浮き上がる[シユウ72]と書かれた名前を見ながら剣を鞘にしまって近づき、もうすでに完全に回復してはいるが、自分が傷つけてしまった脇腹のあたりにそっと手を伸ばした。


「攻撃の事は気にしなくていい」


 伸ばされた萌花の手を自然にふっと避けて、シユウは名前の間違いは指摘せずにくるりと踵を返す。

 そのまま立ち去ろうとした彼を呼び止める声が草原にこだましたのはその時だった。


「見つけたぞ蚩尤しゆうボット72!」


 その声に遮られて詠唱は聞こえなかったが、周囲に何らかの魔法フィールドが張られたのが萌花たちにも分かった。しかしそれは、早苗の記憶には無いフィールドの色と効果範囲だった。


「結構勉強したつもりだったんだけどな」


 思わず愚痴が漏れる。

 ゲームにのめり込んでいる訳ではないが、やるなら効率的にちゃんとやりたいタイプの早苗は、ネットで情報を集めてかなりの知識を持っていると自負していた。

 それなのに彼女の知識の範囲から完全に逸脱した事象に遭遇している。しかも今日だけですでに2回目だ。


「あなたたちー、こっちへ逃げてー」


 重装備の戦士たちの後ろから颯爽と現れたのは、緑色のエプロンドレスを身に着け、武骨なアサルトライフルをその手に構えた大柄な女性。

 その銃を見て、芽衣は[レアリティ9]強襲突撃銃グラン・ガーランドだとすぐに気付いた。


「……グラン・ガーランド?!」


 自分でそう確信していながら、思い当たったその答えに芽衣は思わず大声を出す。

 GFOの世界にまだ9個しか存在しない[レアリティ9]の武器。それは[創世の9英雄]と呼ばれる9人だけが持つアーティファクトのうちの一つだった。

 GFOのメインストーリーのキーとなる最強のNPCであるとも、運営が管理する特別なキャラクターであるとも言われる幻の[創世の9英雄]の一人、[射撃手]ヘンリエッタを目にした芽衣は、よろよろと早苗に寄り掛かった。


「ええー、よく知ってますねー。私たちはー、運営に許可されていない不正なプログラムを捕獲しに来たのー。不正なプログラムと関わると、あなたたちのイマース・コネクターにも悪影響が出るかもしれないからー。すぐに離れてー」


 イマース・コネクターとは、GFOなどの完全没入型フル・イマーシブゲームと人間の五感を繋ぐウェアラブルデバイスだ。

 もちろん彼女たちも、それを使用してこの疑似世界に入り込んでいる。

 首に付けられたこの機械は、脊髄を介して人間の全ての神経に信号を送っているため、悪意のあるプログラムに乗っ取られでもしたら即座に重大な危険があると言うのは、常々言われている事だった。

 もちろん、セキュリティには万全を期しているし、運営の監視も24時間体制で厳しく行われている。

 GFOがフル・イマーシブ化してから今まで、4年半にわたって一度もウィルスや不正プログラムが使われたことがないという事実が、セキュリティの強固さを物語っていた。


 周りを取り囲んでいる戦士たちが、ジリジリと包囲の輪を狭める中、シユウは無表情のまま軽く頭を振った。

 途端にシユウの周囲に雷が走り、彼はスタンガンの直撃でも受けたように崩れ落ちる。


瞬間移動テレポートはー、出来ないのよー」


 笑みを浮かべたまま、落ち着いたヘンリエッタがゆっくりとグラン・ガーランドを構え、シユウの額の中心に狙いをつける。レーザーサイトの赤い光がそこに焦点されたが、彼はそれを避けることも出来なかった。


「私はー、この世界を守らなきゃいけないのー。ごめんねー」


 引き金に指をかけたヘンリエッタの正確な射線を影が遮る。

 その影は、体を投げ出すようにシユウに覆いかぶさる萌花だった。

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