第三十八話 夜襲

 才蔵さいぞうは、アズニア城の廊下ろうかを音もなく歩く。城を出ようかとしたが、ふと足を止めた。壁にかけられた時計をると引き返した。その足は、城の地下ちかへと向かう。


 地下牢ちかろうにて看守かんしゅの男が一人ひとり退屈たいくつそうに座っている。痩せた貧相ひんそうな男だ。ネズミに似ている。こしには、彼に似合にあわないみやび朱鞘しゅざやのサーベルを差している。

 その男、マガトである。大きくあくびを一つした。あくびをえて目を開くと、目の前に黒い覆面ふくめん、黒い服装ふくそう長身ちょうしんの男が一人いつの間にやら立っていた。

「……あ!……ぁ!……」

 覆面から覗く目は鋭く、その全身ぜんしんからはただならぬ気が発せられている。マガトは、おどろきと恐れで言葉ことばがでない。だが、なんとか掠れるこえを絞り出す。

「……だ…だれ……だれだ!?」

 腰のサーベルに手をかけると立ち上がる。

 覆面の男の目が笑う。

「マガト、俺だよ」

 覆面の男は、その覆面をみずから外すとう。才蔵である。

 マガトは引きつった笑いを浮かべる。

「……へへ……なんだよ……キリーか……なにしに来たんだよ……へへヘ」

 マガトはサーベルの柄を握ったまま言う。

「ま……まだ金はいらないぜ。ちょっとしたら仲間なかまかえってくる……おまえ、おかしな格好してるな……とにかくここから出て行ってくれよ。金はまた必要ひつようになったら貰いに行くよ……へヘ……へヘ」

 才蔵は、冷たい視線しせんでマガトを見て言う。

「そう言わずに金をもらってくれ」

「え……!?」

右手みぎてを出せ」

 マガトは、サーベルの柄を握りしめていた右手を開き、おずおずと前に出した。才蔵はその右手にアズニア金貨きんかを二十枚ザラリとした。

「こんなに……くれるのか?」

 マガトは上目遣いに才蔵を見る。

「あぁ、やろう。前に金貨三枚じゃたりないって言ってただろ」

「……」

 マガトは不気味ぶきみそうに才蔵を見ている。

「ところでマガト、三途の川って知ってるか?」

「……知らないよ。何だよ、それ……」

「知らんのか。日ノ本では、死ぬとその川を渡ると言われている。その川の渡し賃は六文だ。六文ってのは端金はしたがねよ。金貨がそれだけあれば充分じゅうぶんだろう。釣りがくる」

「何言ってんだよ!……オレを……殺すつもりか?オレが死んだらしたら手紙てがみが届くぞ!ダンジオさまにも、ナウロラさまにも!」

「その手紙は、きっと届かん」

「何でそんなことが言える!」

「この城が、これから戦場せんじょうとなるからよ。おまえには、このいくさを生き延びてもらっては困る。名誉めいよ戦死せんしと伝えてやる」

「ふざけるな!!」

 マガトはサーベルをくと、右足を踏み出す。鋭い突きが風切音をあげながら才蔵の首元に迫る。才蔵はその動きにあわせるように一歩下がる。ギリギリのところでサーベルは届かない。

「チッ!!」

 マガトは、さらに二撃、三撃と突きを出す。

「どうだ、キリー!剣技は得意とくいなんだ!なめた口叩くな!無一文むいちもんでおまえが死ね!」

 大きく踏み込み上体じょうたいを伸ばし、才蔵の後退こうたいする歩幅ほはばをこえてマガトは斬撃ざんげきはなった。

 才蔵は静かに、だが目にも留まらぬ素早すばやさで右に一歩踏み込む。その左すれすれをマガトのサーベルが通過つうかした。腰のナイフを一本ひともと、才蔵は右手で抜く。渾身こんしん一撃いちげきをかわされ体が泳ぐマガトの目と、こおりのように冷たい才蔵の目が合った。短い悲鳴ひめいがあがる。

「あ!ぁ!」

「じゃあな。渡し賃はケチるなよ」

 才蔵のナイフが素早くマガトの首の急所きゅうしょを貫いた。

「……!!」

 マガトは断末魔だんまつまさけびも上げることが出来できず、無言むごんで前のめりに倒れた。

「カネを渡すのはこれで最後さいごだ。あの世で大事だいじに使え。さて、これは返してもらおう」

 才蔵は、マガトの握る朱鞘のサーベルをり上げた。

 カツカツと石の廊下を歩く足音あしおとが近づいてくる。人数にんずう二人ふたり。はずしていた看守であろう。才蔵はすばやく、そのをあとにする。

「おい、マガト……!死んでるぞ!」

 足早あしばやに歩く才蔵に、遠くでもどってきた看守たちが声をあげたのが聞こえた。


 城を出ると南へ。アズニア市街しがいの裏通りの、目立たぬ道を音もなく歩く。

 才蔵は城壁じょうへきの門に近づいた。髭の剃りあとの青々とした門番もんばんがひとり、やりをかまえて見張りをしている。

「チッ……何かきんものか。幸村ゆきむらが次に現れれば、かならずこのゲンさまが倒す!そうすれば大出世間違いしよな!フン!」

 門番は、ひとり槍の素振りを始めた。その背後はいごの暗がりから、才蔵は音もなく近づく。しずかに、門番の背中せなかに張り付いた。背中から門番の腕を捻り上げると

「あ!ングゥ!!」

 突然とつぜんのことに、槍をとりおとした。悲鳴をあげかけたが、その口を才蔵が塞いだ。暗闇くらやみからの突然の襲撃しゅうげきに、門番は自体じたい把握はあくできずにいる。

 才蔵は、首筋くびすじに冷たいナイフを突きつけると言う。

「動くな……。あさまで大人だいにんしてしておるなら、生かしてやる。出来ぬなら今、死んでもらうことになる」

 静かに、衛兵えいへいの首筋を一筋の血が流れる。

「ま!またかよ、なんでこの門ばかり破りに来るんだよ!おとなしくする……!たのむ、助けてくれ……!」

 青ヒゲの門番は、濃い眉を吊り上げて引きつった表情ひょうじょうをすると、かすれた声で言った。

「ならばし……」

 言うと才蔵は、手早てばや手足てあしを縛りあげて蹴り転がす。

「そこで、朝までじっとしていよ。動けば殺す」

 才蔵は、観音開かんのんびらきの門をゆっくりと静かに開けた。門の外には、一人の男が立っていた。腰に下げたかたな千子村正せんじむらまさ


(この門、まえにげるときにくぐった門ではないか?)

 幸村は、才蔵が内側うちがわから門を開けるのを見ながらおもう。

「オヤカタさま、お待たせしました」

 才蔵が、頭を下げる。

「才蔵、ご苦労くろう

 幸村は後ろを振り返ると、片手かたてを上げた。

「行くぞ」

 長剣ちょうけんを抜き放ったウェダリア兵百人が、静かに門をくぐる。皆、味方の目印に左腕さわんに白い布をきつけている。才蔵も付き従う。

 深夜しんや人気にんきのないアズニアの中心街ちゅうしんがいを北へ。その先にあるのは、アズニア城。

「オヤカタ様、ダンジオ公の寝所ねどころ二階にかいです」

「わかった」

 城のとびらかぎは才蔵によって、すでに開けられていた。静かに開く。幸村と百人ひゃくにんの兵たちが白刃はくじんを連ねてアズニア城へと駆け込んだ。

「あ!何奴どやつだ!」

 言った当直とうちょく番兵ばんぺいが、ウェダリア兵にすぐさま切り倒された。

「曲者だ!衛兵!衛兵!」

 それを見ていた、アズニア兵が叫ぶ。

 次々つぎつぎと出てくるアズニアの衛兵たちとウェダリア兵が戦い出す。深夜のやみに乗じて、幸村たちは攻め込んでいる。アズニア兵たちは、ウェダリアぐん全容ぜんようがわからず腰が引けている。

 その夜襲やしゅう有利ゆうりさから、今はまだウェダリア兵が押しているが兵力へいりょくはたかだか百人。時間じかんが経てば、アズニアが押し返すだろう。

(今、決着をつけるしかあるまい)

 幸村は城の中へ。素早く鯉口こいぐちを切り千子村正を抜くと、二階へと駆け上がった。


何事なにごとか!」

 城内じょうないさわぎに、ダンジオは飛び起きた。大剣たいけんを手に取ると、廊下へと飛び出す。

 そこにいたのは、闇夜やみよに鈍く光る刀を右手に下げた男であった。

 幸村である。

 幸村はニヤリと笑うと言う。


「これはこれは。お久しぶりですな───

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