雪華後宮記~宮女試験とユーレイ公主~

在原小与

第一話 桃源郷

 ああ、なんて美しいのだろう……。


 この世のものとは思えない、清らかで気高いその舞に一瞬にして心を奪われた。

 宮廷の奥に位置する庭園の一角で、闇夜に浮かぶ月の光が淡く照らすなか、一人の女性が舞を披露している。


 今宵の宴のためだけに設えた美しい白亜の石畳に朱の柱が色を添え、宮廷提灯が柱の四隅を照らす。


 その後ろは、昼間なら太陽の光で青く鮮やかな趣向を凝らした池の姿が見えるが、今は赤黒く提灯の光が水面に揺らめいている。


 水面に揺られうつしだされるのは、鮮やかな血のような紅梅。今、まさに見ごろを迎えている紅梅を背に舞っている女性の衣装は、黒地に縁取りは金の刺繍を施された贅沢で品のある吊帯長裙つりおびながもすそ長衣ながぎぬ。金の刺繍がなければ喪に服しているようにも思える。


 だが、その黒と紅梅の赤の対比は、見ている人々の心になにかを刻み込むように心を奪う。


 女性が手を上げる度に、衣がふわりと蝶のように舞い上がり、手に持っている紅梅の枝から花びらが、ひらりと舞い落ちる。

 音もなく歩く度に、厳かな笛の音と清らかな鈴の音が静かな庭園に響き、くるりと回る度に甘い梅の香りが辺りに漂う。

 その舞に目が釘づけになり、呼吸をするのを忘れるくらい胸が苦しくなった。


 正確には、舞にではなく、舞っている女性に目を奪われた。

 似ている……でも、そんなはずはない。そんなはずは……。

 頭の中で何度も「違う」と叫ぶが心が否定した。

 あの人が、あの高貴な身分の御方が、私の母のはずがない。でも、あの舞は、あの面影は……母様そのもの。大好きな母様を見間違える訳がない。

 「……絶対に違う」

 震えながらぼそりと呟くと、ふいに袖を引っ張られた。


 「シュエ――仕事!私達はここに居られるような身分ではないのよ。早く!突っ立っていたら罰が下されるわ……シュエ

 同じ女官見習いの友人に引っ張られるようにその場を離れる。


 もう一度だけ……そう思い振り返ると、女性は舞を終え自分の席へと向かっていた。その位置は、この国の皇帝陛下の隣……舞っていた女性は……貴妃の称号を持つ高貴な女性。

 友人に引っ張られながらも、その女性を見ていると、ふいに女性がこっちを見た気がした。だが、すぐに建物の死角となり姿が見えなくなってしまう。


 ――その時、誓った。もう一度だけ……もう一度だけでいいから、あの女性に会いたいと。

 たとえ……この身を捨ててでも確かめたかった。あの女性が……私の母かどうかを――――。


 そして、その時、もう一つの視線を感じ目をやると、木の影に身を隠すように立っている自分と同じ年頃と思える物静かな印象の少女の姿。

 じっと凝視されるが、友人の力には逆らえず、名残惜し気にその場を去った。

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