風、または君。
霜月六花
出逢い
俺は、売れない。いや、昔は売れていた。少し前、俺は確かに売れていたのだ。
28歳、独身。
少し前は若者の間で流行った歌をうたった。
しかし、今はフリーターだ。
インターネット掲示板で「調子乗りすぎだったんだよ」「そこまで良くなかったわ」「所詮その程度か」などとつぶやかれた。正直、ショックだった。
バイトをし始めた時、最初の方はかまってもらえた。「大変だったね」「あの人でしょ」などの言葉は聞き飽きたほどだ。しかし、今は「あぁ。」と言われる程度まで成り下がった。
特に気にしていない。必要以上に人間に関わりたいとも思わない。生きるための金があれば、それでいい。もう手のひらで踊らされるのは懲り懲りだ。
歌も、やめた。嫌いではないが、そこまで興味もそそられない。
耳で聞き流し、今はこんな曲が流行りなのか、と思うでもなく思い、終わる。
「ちょい!
目がキツネのような男が俺に向かって言う。
「…あぁ、ごめん。」
「もういい加減落ち込むなよ。」
「…落ち込んでない。」
目の端に彼を映しながら、ごってりと油を浮かべるラーメンを運ぶ。
こんなのが食べたいのか、と思いながら、身に染み付いた作り笑顔でテーブルにそれを置く。俺の顔も見ずに、子供がそれに手をつけ始める。
店内に鳴り響く、能天気な呼び出し音に足を止め、時計の横にある番号を参考にテーブルに向かう。
✦ ✦ ✦
「お前はさぁ、いつまでこんなとこでバイトすんの。」
休憩室でキツネ顏がつぶやく。
「特に決めてない。」
「さすがに三年ずっとここのバイトはやばいだろ。」
「なにがだよ。」
「いや、なんか見つけろよ。仕事にできる趣味とか。」
「…。」
「あ、すまん…。それには何も言わない方がいいんだな。」
「…お前こそ。なんかねぇのかよ。」
「俺?俺はまぁバイトしないと家族がな。」
「あぁ…。」
キツネ顏の男の名は
彼は多くを語らないが、俺のことを気遣ってくれる、唯一とも言っていいほどの友人だ。それでも、親友とまではいかない。
人は信用してはいけないものだと、四年前ぐらいに悟った。
✦ ✦ ✦
「ねぇ、あんたさぁ、あの
唐突に聞かれたその質問に懐かしさと違和感を感じた。
「え、あぁ、はい。」
「やっぱり?!まぁじで本物なんだぁ…ウケる。」
「すみません、どちらさまでしょうか。」
「誰でもいいでしょ?ちょっと前までは有名人だったのにねー。ダッサ。」
その女はたどたどしい喋り方と赤らんだ顔から見て、酔っ払いだった。体から滲み出ているアルコール臭からもそれがわかった。
「ねぇ!歌いなさいよ!」
「もう…歌やめたので…。」
「いいじゃない!どーせもう一般人でしょ?それくらいやってよ!」
「…。」
「ほら!そこまで上手くもない歌声を聞いてやるって言ってんの!」
「…失礼します。」
女の横をすり抜け、街灯の光が闇に滲む中を早足で歩いた。自分が「上手くもない歌声」という言葉でそこまで傷つくとは思っていなかった。
まだ心の中にある歌への愛を鬱陶しく思った。
家に帰る気にもなれず、自分の足が進むまま、適当に夜道を歩いた。帳がかかったようなその道にぼんやりと光が放たれていた。それは何かへの出口のように見えた。気づくともうとに手をかけ、店の扉を開けていた。
そこはどこにでもあるような居酒屋だった。木のテーブルが十数個配置されていて、その上に調味料が載っていた。客はもう俺を除き、二、三組しかいなかった。とりあえず、酒とつまみを頼んだ。
運ばれてきた酒を手が進むままに飲んでいたら、気づくと四本の瓶を飲み干していた。
勘定を払い、店を後にした。
久しぶりにこんなに飲んだな、と呟きながら、行き先を見失っていた。
家の方向も分からない。本当に思うがままに来たんだな、と思いながらまた足を知らぬ道へと進めた。
いくらか歩き、疲れ、公園のベンチにたどり着いた。派手派手しい色の遊具は夜に紛れ、その活気を失っている。
目を閉じると自分の口が勝手に、昔の歌を口ずさんでいた。まだ覚えていたのか、と思いながら、歌を続けた。もう、何もかもどうでもよくなった。夜に俺の歌声が吸い込まれていった…。
✦ ✦ ✦
歌いきり、今日はここで寝よう、と思い横になると、近づいてくる足音がした。
警察か近所のおっさんか、と思いにも留めずにいると、唐突に声がした。
「あの…、花園…日向さん…ですよね…?」
その声は低く、穏やかで、小さいながらもよく通った。心地よいその声の余韻に心を安らいだ。それが質問だったことを思い出し、目を開き、体制を整えた。
「あ、まぁ、そうだけど。」
「よかったぁ。人違いしてたらどうしようって思ったぁ…。」
彼は小柄で、制服を着ているところを見ると中高生だった。さらさらした黒い髪に少し血色の悪い肌、そして印象的な大きな目を持っていた。
「で、何?」
「あ…えーと。僕その歌すごく好きで…。」
「へぇ…。」
「その歌だけじゃなくて、日向さんの声も好きなんです。」
次は違うパターンできたか、と思った。それが神様のいたずらか、悪魔の悪ふざけかでもあったかのように、俺をどうにかして歌わせようとしているようだった。彼は、いい子に見えて、結局はソーシャルネットワークに「今の花園日向はこんなザマだ。」のように投稿するのではないか。どうせ、昔のあいつじゃない、とか思っているんだろう。…俺の思考回路はひねくれていた。
「…。家に帰んなくていいの。」
「あ…親は…いないんで。」
「…ごめん。」
「いや…謝ることじゃないですよ。でも…その代わり、もうちょっとお話ししてもいいですか?」
彼は俺についていろいろ聞いてきた。
最初のライブの時どう思ったか、ステージの上はどんな感じなのか、テレビに出てる自分はどんな風に写るのか、歌はどういう風に作っていたのか、など。マニアックな質問をするんだな、と言ったら彼は、そうですか、といって空を眺め微笑んだ。
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