田中君は宇宙人

 おれの名前は田中たなか永一えいいち、能力は時間停止。

 嘘だろ?って思うかもしれない。「能力」なんて漫画や小説の中にしか存在しないと思われているこの世の中では、こうした能力を自覚している人間はおれ以外にはひとりもいない。

 でも、それでもおれは時を止められる。

 もっとも、時を止めるとおれの時間も止まるので、そのあいだ認識も思考も、もちろん身体を動かすこともできないのだけど。

 そりゃそうだよね。

 時間が止まるってそういうことだもの。

 じゃあどうしてお前は時間を止められると言えるのかって?

 それはとても重要な、しかし難しい質問だね。いろんな人が時を止められるというおれにその質問をしてきたよ。そのたびにおれは世界の成り立ちとか人間の心理とかそういった意味深い問題に踏み込まなくちゃならないから少々疲れるんだけど……いいだろう、答えてみよう。

 もちろん時を止めた瞬間におれの思考も止まるから、おれは時止めに成功したことを自分で知ることはできない。次に意識が戻るのは時が動き始めてからだ。でもそんなことはどうだっていいんだ。おれの能力は時を止めることであって、時を止めたあとに身体を動かす事でも、時を止めたことを知ることでもないんだから。

 ところで能力って一体なんだろうね? どういう条件を満たせばある能力を持ってると言えるんだろうか? こいつ話を逸らしたなとちょっと思ったかもしれないけど、いやいや、全然そんなことはないんだよ。例えば「おれはくしゃみをする能力を持っている」と宣言してから、くしゃみをする。うん。問題ない。その場合まずもって「くしゃみをする能力を持っている」と言えるだろう。ところでこういった検証過程では能力者本人はもちろんのことだけど、検証者も必要だね。そして検証者に一定の条件が課されるような場合もある。例えば「おれは世界一すばらしい絵を描く能力を持っている」と宣言する者が現れたとき、検証者には一定以上の審美眼が求められるのは当然だろう。厳密にいうなら、少なくとも検証者は世界中の絵を知っていて、それぞれの素晴らしさを比較できる能力を持っていないといけない。でないと検証ができないもんね。時間を止める能力の場合も同じで、無能力者を検証者に据えると時間を止めたことに気付けないから、まったく検証が不可能なんだ。

 だからおれの能力の検証には、おれと同じ――いや、おれ以上の――時間停止能力者が必要になる。時間を停止できて、しかも時間を停止した世界の中で認識が可能でないと検証はできない。もちろんこれは、煙に巻こうとして言ってるんじゃないんだよ? じつは――主張を翻すようだが――時間停止の能力者がいなくても、おれの能力を検証することは可能なんだ。思考実験によって。

 仮定してみよう。時間を停止し、そのなかで自由に認識も思考もできる能力者がいると。彼に協力してもらうことにする。具体的に名前を与えた方がいいかな? だったら彼が適任だろう。おれのクラスの田中君、田中たなか美二びいじ君、「もうひとりの田中」というなんだか格好いいニックネームを持つ彼は宇宙人なんだ。時間を止める装置も持ってる。能力者とはすこし違うけどたいした違いじゃない。続けよう。おれが「3,2,1、と言ってから時間を止めるよ」と宣言すると田中君は阿弥陀如来みたいなオッケー!のポーズをする。おれは「3,2,1」と言ってホイヤッ!っと脇腹の奥の奥の腸壁の折り返し地点の右隣り三軒目あたりの直径1センチほどの空間みたいなとこにホイヤッ!っと力を入れて時を止めたような気がする。気がするというのはおれが確認するわけじゃないからだ。ホイヤッ!が終わってからぼーっとした顔でこっちを見てる田中君に尋ねる。「どうだった?」「え?」「いや、だから、時間止まってた?」「なにも起きなかったけど」いや……いやいやいやいやそうじゃないだろう。「さっきその装置のボタン押してなくなかった? それともボタンを押すと時間停止するからおれには見えなかっただけかな?」「あ、ごめん、忘れてた」オーケー、彼は自分のやるべきことを忘れていただけのようだ。気をとり直して、もう一度。「3,2,1」と言ってホイヤッ!その瞬間田中君は右手に持った時間停止装置のボタンを押す。時間が停止する。おれが時間を停止するのと同じタイミングで時間を停止することで、田中君はおれが停止した時間を体験する。彼の場合は停止した時間の中で認識と思考ができる。だから彼は確認する、確かに時間が止まってるな、と。しばらくして、時が動き出す。「どうだった?」「止まってましたよ、時間」ほらね?

 もちろんこれは思考実験に過ぎない。それでも納得せざるを得ないはずだ。時間停止能力の検証には別の時間停止能力者が必要だし、検証においては検証対象者の時間停止と同じタイミングで検証者も時間停止しなければならない(じゃないと停止した時間を認識できないから)、そして検証者が時間停止したとき、たしかに時間は止まっている。つまり検証対象は時間停止能力を持っていた。――こうした仮定はたとえ時間停止能力を持った検証者がいなくても可能だし、そうして考えてみるとおれに時間停止の能力があると認めざるえないだろう、論理的に考える限り。

 さて、おれの能力については解決したところで、そろそろ田中君のことが気になっている頃かもしれない。前述の通り彼は宇宙人だ。運動会のとき盛大に転んだ彼の膝からは赤い血が痛々しいくらい流れていたし、学校の健康診断やレントゲン検査で医者が騒ぎ出すようなことは一度もなかったけど、そんなことは問題じゃない。どうして宇宙人だったら地球人と違う体構造をしていないといけないのだろうか? そんなものは単なる思い込みに過ぎないよ。地球に来れるくらい発達した科学力を持つ宇宙人がこれから訪れる星を探すとき、もちろん自分達が生きていける環境、過ごしやすい環境の星を探すだろうし、溶け込みやすさという観点で見たとき、なるべく体構造が最初から近しい住民の住む星が好ましいのは言うまでもないだろう。無限に近い宇宙空間の中ではほとんど完璧に同じ環境、同じ体構造の住民が住む星もあるだろうし、科学力さえあればそれを見つけるのもわけはない。だったらむしろ、地球に来る宇宙人が地球人と同じ体構造を持っていることは必然とは言えぬまでもとても自然なことだと言えるだろう。だから田中君が宇宙人でもなんら不自然なことはない。


 というわけで宇宙人である田中君はある日、ある疑惑の渦中にあった。宇宙人疑惑ではない。彼はとてもうまくそのことを周囲に隠していて、おれにだけ宇宙人であることを教えてくれている。では彼の疑惑とは? カンニング疑惑だ。

 実は恥ずかしながら、最初はおれも疑う側だった。算数のテストで田中君のとなりの席の関君とまったく同じ解答をしていたからだ。それだけなら関君も同様に疑うべきだろうけど、国語のテストでは田中君を挟んで関君とは反対側に位置する反町さんとまったく同じ解答だった。そのようなことが全教科であったから、これは大変だ。もちろんこの時点ではどれだけ疑わしくても疑惑でしかない、従ってこの件は教師内だけで慎重に共有された秘密だった。田中君の担任教師であるおれが「もうひとりの田中」であるところの田中君を呼び出し、教師陣を代表してこの件について問いかけてみた。

 「単なる偶然です」それが田中君の答えだった。偶然そういうことがないとは言い切れないはずですし、実際に偶然であることを僕自身が知っています、と。「たしかに」と頷き「偶然そういうことがないとは言い切れない。ただとても確率の低いことだよこれは」とおれは言った。「でも絶対にないとは言い切れないはずです」「疑わしきは罰せず、ではないのですか?」「難しい言葉を知ってるね」とやわらかく笑いつつふたたび、たしかに、と思う。ちょっと切り口を変えるべきだろうと考えて「そういえば算数のテストの時間、随分長いこと寝ていたね」と言ってみる。「悪かったですか?」「いや、テストが解けたあとは自由にしてもらっていいよ。あのときにはもう解けていたの?」「いえ」と短く答えて、知っているくせに、と言いたげな目でこっちを見る。たしかに知っていた。ぐっすり眠る彼の答案用紙は真っ白で、大丈夫かこの子、と思ったことを覚えている。「たしかテストが終わる10分ほど前に起きたよね」「なにが言いたいんですか?」と直截に訊ねてくる。「いや、なにが言いたいということもないよ。ただ、10分であの問題が全部解けるかな、と思ってね。ほら、おれが作ったテストだから、あれ」だから難易度設定を間違えたかな?と心配になったんだよ、と笑うおれをほとんど睨むようにして彼は見ている。もちろん頭の回る彼のことだ、いま自分がどういう嫌疑をかけられているか正確に理解していたのだろう。もし10分で解けると言えば、実験としてもう一度解かされるかもしれないことも含めて。「実は……」彼は話し始めた。「僕、時を止められるんです」と。


 テスト終了10分前に目を覚まし、時を止めて考えることでテストの問題をすべて解くことができた(もちろんミスはあり、間違えた問題が偶然関君と同じだった)というのが彼の言い分だった。「でも、そもそもなぜ君は時なんか止められるんだ?」とすこし面白がって訊ねてみると「僕は地球よりもっと科学の進んだ星から来ていて、時を止める装置を持っているんです」と言う。おいおい次は宇宙人とか言い出したぞ、とちょっと愉快になりながら「でも君の身体は地球人とまったく同じじゃない?」と聞くと「どうして宇宙人だったら地球人と違う身体をしていないといけないのですか?」と逆に問いかけてきた。そう、前述の宇宙人が地球人と同じ体構造を持っていることの説明を、このとき彼はおれにしてくれたのだ。ふむ、なるほど、筋は通っている、とおれは思う。おれは大学では数学を専攻していたので、論理が通っていることについては敏感なのだ。「じゃあ時を止められることをここで証明できる?」と聞いてみると、彼は例の証明を教えてくれた。ふむ、なるほどこれも理屈は通っている。「ではそもそもなんで君たち宇宙人はこの地球に来たんだい?」と訊ねると予想外の答えが返ってきた。「時間停止をさらに研究するためですよ。地球人はみな、装置なしで時間を停止する能力を持っていますから」そして彼は例の実験によって、地球人であるおれにも時間停止能力がすでに備わっていることを教えてくれたのだった。

 さて、1学期もおわりにさしかかった現在、悩みどころは彼の成績だ。カンニング疑惑が晴れた以上、テストの結果通り「5」を付けるべきかなと考えていたが、職員室でおれの隣の席に座る関先生には「絶対騙されてますよ田中先生」と言われてしまった。いやしかし、理屈は通っているんだ、と言っても彼女は聞く耳を持たない。ふむ、と思う。彼女の勘はよく当たる。もちろん科学的に証明されていない「勘」などといったものをおれは信じていないが、「でも、「勘」なんて絶対ありえないとも、科学的に証明されてないんじゃないですか?」と以前言われて、たしかに、と思ってしまった。あぁ、悩ましいのはおれの常軌を逸した騙されにくさだ。あまりに騙されないため、どんなことも確信することができない。さて、田中君の成績、どうしようか?


 数日後、おれは晴れやかな顔でクラスのみんなに通信簿を渡す。

 生徒たちがわーわー騒ぎながら見せ合う成績欄には「1」~「5」の数字が踊っている。

 「田中君」

 「はい」

 「夏休みの宿題、ちゃんとやるんだぞ」これまでの5年間、なんのかんのとさまざまな理屈を付けて夏休みの宿題を回避してきた彼に、前もって念を押しておく。

 「はい」……たぶん、と小さな声が聞こえたような気がしたが、気のせいだろう。

 つまらなそうな顔で席に戻り、通信簿を見もせずにランドセルに入れる田中君。宇宙人にとって、地球の学校での成績なんてどうでもいいのかもしれない。

 田中君の通信簿の成績欄には、「1」でも「5」でもなく、悩んだ末にこう書いておいた。


 宇宙


 時を止める装置を持つ宇宙人の成績を付けることなど地球人のおれの手にはあまる。かといってそのような装置の存在を加味したルールを新たに作るべきだと教頭に訴えても「なぁにを言っとるんだ君は」ととりあてくれなかった。そのあたりの事情は事細かに通信簿の「生活態度」欄に記しておいたから、ご両親にもわかって頂けるだろう。

 そう思っていたのだが、通信簿にいくつも踊る「宇宙」の2文字を見てご両親は激怒し、田中君はこっぴどく叱られたらしい。

 どうしてだろう? 不思議だな。

 まぁ、宇宙人には宇宙人なりの家庭事情というものがあるのかもしれない。深入りはしないでおこう。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る