009 - hacker.meet(backer);

「デンワ……?」


 ボスが訝しげな表情で、僕の手のひらの上に載ったスマホことスマートフォンを見つめている。日本国内でトップのシェアを誇る、革新的で魔法のようなスマーフォンだが、傍から見ると黒くて薄い板にしか見えないだろう。


「はい。この黒い板ですが、これは僕の故郷で使われていたマギデバイスのようなモノです」

「あれ? 君の故郷にはマギサービスが存在しないと言っていなかったか?」

「その通りです。僕の故郷ではマギサービスどころか、マギのマの字もありません。この黒い板は『スマートフォン』と呼ばれているのですが、これを使うと様々な不思議なが起こせるので、マギデバイスのようなモノと表現しました」

「ほう。それは興味深いな。つまりその不思議な現象とやらは、マギを通さずに実現されているという事だな?」

「ええ。その現象の一つに『電話』があるのです」


 そう言いながら、スマホの電源を入れる。異世界に来てからは、電池の消耗を防ぐために電源を切っていたのだ。お馴染みの企業ロゴが表示された後、しばらくしてロック状態の待ち受け画面が表示される。壁紙は僕が憧れるハッカー達とのオフ会で撮った集合写真だ。


「これは……! 誰かの肖像画か? ああ、ここに君もいるな。随分と精巧なようだが」


 スマホに表示された色鮮やかな明るい画面と、超写実的な肖像画のように見える写真に、ボスは驚きを隠せないでいるようだ。


「これは、僕の故郷では『写真』と呼ばれるものです。見たものをそのまま絵として記録できるマギサービスのようなものと考えてください」

「それは素晴らしいな! これがあれば、街並みの記録を残したり、人物の姿形を簡単に記録できるじゃないか! ああ、バンペイ! 早くこれをマギサービスとして提供しよう!」

「お、落ち着いてください」


 思惑を外れて、写真に過剰反応されてしまった。やはりスマホは異世界人にとって劇薬だったか。こちらには、まだカメラが存在していないようだ。写真の用途としても、思い出を残したり芸術性を見出すのではなく、客観的な記録としての使い方を考えている。


「確かに写真は便利ですが、安易にマギサービスとして普及させてしまうと、画家の仕事が無くなってしまいませんか?」

「む……確かに。そうか、私達が安価なマギサービスを提供するという事は、気をつけないと他の人の仕事を奪う結果につながってしまうのか」


 ボスは唸りながら腕を組んで考え込んでしまった。

 この世界での画家は、芸術的な作品を生み出す事よりも、肖像画や風景画を写実的に記録として描くのを生業としている人が大多数だ。人が描くよりも手軽に正確な模写が可能な写真は、そんな彼ら彼女らの職を奪う事になる。

 地球でもカメラが発明された時に、やはり同様の問題が発生した。しかし、画家達は一時的には困窮したものの、それを乗り越えて印象派やキュビズムといった大きな転換を生み出した。結果的には写真の発明が刺激となり、新たな潮流を生む原動力となったわけだ。

 だが、この世界でもそうなるかはわからない。出来れば、既存の産業にはなるべく刺激を与えないようにソフトランディング軟着陸できるようなサービスが理想だろう。


「そういえば、さっき君は提案として別の名前を挙げていたんだったな。デンワだったか」

「はい。そもそも、このマギデバイスは、その電話をするためだけに作られたものだったんです。電話があまりにも便利で生活に欠かせないものとなったために、人々はこれを常に持ち歩く状態となりました」

「常に……か。まさしくマギデバイスだな。マギデバイスが作られてから百年以上経っているが、もはやマギデバイスが無い生活など考えられない」


 百年以上経っている割には……と思ってしまうのは、僕が地球での技術進歩のスピードに慣れてしまっているからだろう。地球の場合は、地道に積み上げられてきた科学技術の裏付けがあったのと、戦争の影響が大きい。コンピュータもインターネットも、元々は軍用なのだ。


「技術の進歩により電話に加えて様々な事が実現できるようになると、万能な道具として人々の生活に役立っています。まさしくマギデバイスだと思いませんか?」

「うんうん。それで、デンワとは一体どのようなものなのだ?」


 ボスが身を乗り出して聞いてくる。興奮しているのか、頬が若干赤い。


「簡単に言えば、遠く離れたところにいる相手にを届けるものです」

「声を……? だがバンペイ、遠くの地に人や物を送り出す転送マギサービスはすでに存在しているぞ?」

「はい。でも、それは人や荷物を一方的に送り出すマギサービスですよね? しかも、あらかじめ決められた場所にしか送れないとか」

「ああ、そうだ。だがな、街道沿いの魔物は定期的に狩られるとはいえ、辺境は相変わらず危険だ。大量の荷物を安全に迅速に送る事ができる手段として重宝されているぞ。利用料はやはり高額だが、商人から王族まで広く利用されているしな。他にも、急いで連絡したい時などは使いや手紙を……そうか!」


 どうやら、ボスは気づいたようだ。ニーズとサービスのミスマッチ。


「確かに転送マギサービスは便利なもので、大量の荷物を送り出すには適しているでしょう。でも、連絡をとるのに使うのは大げさすぎるのではありませんか?」

「ああ! 確かに、どんな量を送っても利用料は一回の転送ごとに一定だからな。通常は手紙を他の荷物と一緒に送っている。そして、結局は転送先から相手のところへ手紙を運ぶ必要があるから、相手の元へ届くのにその分の時間がかかる」

「その点、電話は声を直接相手のところまで届けるので、時間差はほとんどありません。それどころか、遠くの相手がすぐそこにいるかのように会話する事すらできます」

「それは……確かに素晴らしいだろうな。商人や王族だけでなく、一般庶民が使えるとなればなおさらだ。いつでも家族や友人と話す事ができるという事だろう?」

「それだけじゃなく、電話が普及すると日常の生活が一変しますよ。僕の故郷では電話一本掛けるだけで自宅まで三十分以内で食べ物を届けてくれる商売なども登場しました」

「食べ物を三十分以内で!? そこまで行くともはや便利すぎて恐ろしいな…………それにしても」


 言葉を切ったボスが僕の顔を探るようにジッと見つめてくる。


「バンペイの故郷は随分と進歩しているのだな。電話に、写真に、極めつけはマギの使われていないマギデバイスのような多機能な道具。どれも聞いたことも見たこともないような技術だ。私も寡聞にして国外の事にそこまで詳しいわけではないが……」


 しまった。調子に乗って話しすぎたかも。スマホを見せた時点でこうなる事も少なからず覚悟していたけど、やっぱり誤魔化しきれるわけがないか。冷や汗をダラダラとかきつつ話すべきか逡巡していると、フッとボスの威圧感が和らいだ。


「ふっ、そんな怯えた顔をするな。大丈夫だ、こう見えて脛に傷持つ相手との付き合いだっていくらかある。深く事情を聞くつもりはないさ。信頼しているからといって何でも話せるというものでもないからな」


 それに、と言葉を続ける。


「君は気がついていないかもしれないが、声というのは目に見えないものだからな。普通は、そんなものを転送するという発想自体がない。先ほどの水生成の時といい、君の発想や常識はいささかこの国のものとは離れている。そういう人間がどういうものを生み出すのか、私も楽しみになってきた」

「うう……非常識ですみません……」


 がっくりと項垂れる僕と、カラカラと笑うボスが対照的だった。


//----


 会議が終わると、僕は早速電話の開発にとりかかる事にした。会社の方針として、ボスが電話の開発にゴーを出したのだ。期間はとりあえず十日をもらったが、なるべく早く成果を出さないと動くに動けない。さっさとモックアップなり試作品なりを作るべきだ。

 そういえば今まで気にしていなかったけど、予算や資金はどうなっているんだろうか。会議での話題には出てこなかった。聞いておけば良かったな。オフィスはボロ屋だがボスの身なりは常に小奇麗だし、金貨を前払いしてくれるほどだから、お金には困っていないのだろうけど。


 読みかけだったマギランゲージの解説本に目を通していく。流石に地球とは歩んできた歴史や文化が違うので、前提となる常識的な知識がわからなかったり、宗教関連の記述が入り込んでいたりと、普通の技術書を読むのとは勝手が異なる。

 それでも、マギランゲージがオブジェクト指向の考え方に近かったように、奇妙な相似点と言うべきものが散見される。一つ一つを前世で学んできた情報工学やプログラミングの知識に当てはめていくと理解しやすい。

 本を読みながらマギデバイスのエディタ機能で、コードを書いては動かして確認する。疑問に思ったらすぐに検証のコードを書く。新しいプログラミング言語を学ぶ時にいつもやっている事だ。実際に手を動かして覚えた事は忘れづらい。


 書いては消したコードが百を超えた頃、マギランゲージの解説本を読み終えた僕は、凝り固まった肩をほぐしながら立ち上がる。思わず熱中してしまったが、気がつけば空は茜色に染まりつつあり、画像加工ソフトで作られたような見事なグラデーションを描いている。

 途中トイレなどで何度か席を立ったが、会議が終わって外出したボスはまだ帰ってきていない。仕方ないので昼食は一人で摂った。ちょっと出掛けてくる、と軽い調子で出て行ったのですぐに戻ってくると思ったんだけどな。もしかしたら、何かあったのかもしれない。

 まさか既得権益の魔の手が……と青くなったところで、鼻歌を歌いながらボスが脳天気に帰宅を告げた。ズッコケそうになりながらボスを迎え入れると、ボスの後ろに見知らぬ男性が立っている事に気がついた。


「ええと、おかえりなさい。そちらの方はどなたですか?」

「喜べバンペイ! 彼は我々の支援者だ!」


 興奮気味のボスがバッと手を広げて大げさに男性を紹介してくれる。

 よく手入れされた立派な口ひげが印象的な中年男性だ。真っ白な艶のあるシャツと上品な紺色のベストをきっちりと身にまとい、金髪をオールバックに撫で付けて、ニコニコと柔和な笑みを浮かべている。まさしく紳士といった風貌だ。


「やあ、はじめまして。君が噂のバンペイ君かな? 私はブライ=パッチ。しがない商人をやってる者だ。どうぞよろしくね」

「は、はい。白石番兵、です。よろしく、お願いします」


 ギクシャクと震えながら挨拶を口にして頭を下げる。支援者というのがどういう形での支援なのかはわからないが、ボスの態度からすると会社にとって重要な人物なのだろう。失礼のないようにすべきだが、僕にはこれが限界だ。

 ボスは彼を連れて来てからやっと僕のコミュ障を思い出したらしく、失敗したという顔をしている。きっと彼女のことだから、勢い込んで連れてきたのだろう。前もって話してくれていれば、と思ったけど、話されていても大して変わらなかったという情けない自信がある。


「は、ははは、バンペイは頼りないように見えますが、こう見えてやる時はやる男なんです!」


 ボスの珍しい敬語によるフォローが虚しく響くが、ブライさんは別に気を悪くした様子はなく、笑みを崩さない。だが、よくよく見ると笑顔の裏で、しっかりとこちらを観察しているような印象を受ける。まるで不具合を見逃さない『テスター』のような鋭い目だ。

 前の会社ではテスター、つまりソフトウェアの不具合チェックを専門で行う職に就いている存在がほとんどおらず、またその価値も軽んじられていた。しかし、その限られた内の一人がものすごく有能なテスターで、不具合を片っ端から見つけ出してしまうのだ。僕の作った部分も何度か指摘を受けた事がある。ものすごく微妙な再現条件なのに、干し草の山ヘイスタックから針を探しだすようにすくい上げてみせる。

 そのテスターは有能さが仇となって大部分のプログラマ達には嫌われていた。不具合のリストを突きつけられると、「お前のコードはこんなにダメダメだ」と言われているような気がして、それを疎ましく感じるのだろう。結局、他の会社に高待遇で引きぬかれていった。

 目の前の人物も、そんなテスターと同じ目をしている。嫌われる事を恐れない強い目だ。他人に嫌われる事を恐れてばかりの僕には到底真似できない。

 視線を受けて固まっていると、ふいに視線が和らいでブライさんは頷いた。


「うん。なるほどね。確かにルビィ君の言う通り、面白そうな人格をしているようだね」

「えっ」


 驚いた僕に対して、ブライさんが一本指を立てて、こう宣言した。


「君達を支援をするに当たって一つ条件がある。バンペイ君、君の力で一つ問題を解決してほしい」


 どうやら、彼のテストが始まったようだ。

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