054 - hacker.activate(robot);

 翌日、決めていた通りに学校へと向かう。スクイー君に話を聞くためだ。

 『思いつき』を実行するにも準備が必要だし、なによりスクイー君の考え次第では無駄に終わる可能性もある。プログラマたるもの、事前にできる準備は怠ってはならないのだ。


 職員室に入ると挨拶をしながら自分の席へと向かう。まだまだ受け入れてもらっているとは言いがたく、他の教師達は挨拶を返してはくれるものの壁がある。腫れ物に触るというよりも、どう接すれば良いのかわからないという困惑を感じるのだ。


「おう、バンペイの!」

「ご機嫌よう、シライシさん」

「おはようございます、ニシキさん、デルフィさん」


 そんな教師の中でもニシキさん、そしてデルフィさんは僕に遠慮なく接してくれるありがたい存在だった。ニシキさんはいつも通りの陽気な声で、デルフィさんは神経質そうにメガネをクイッとあげて挨拶してくれる。


「ありゃ? 今日はバンペイの授業はありよるのか? 昨日も来とったよな?」

「ええ。今日は授業はないですね。ちょっと用事がありまして」

「ほーん。用事のぉ? 昨日は、例のいびせい怖い母親がいがり怒鳴りにきよったんじゃろ? バンペイもえらい災難じゃったのー」

「ええ、スクイー君は僕の授業に出さないときっぱり宣言されてしまいましたよ……」

「全く、本当にあの方と来たら……今思い出しても不愉快になりますわ!」

「ハッハッハ! あの母親はどうしようもないのー。ありゃあな、われの子供がかわいくってかわいくって仕方ないんじゃろうなぁ」

「え、そうでしょうか? 本当に可愛く思っているなら彼の好きなようにさせてあげるのでは?」


 ニシキさんの言葉が意外だったので思いがけず聞き返してしまう。ニシキさんは豊かな髭を撫でながら、僕の言葉を肯定した。


「ほうじゃのぉ。それも愛の形じゃけぇ。しっかし、相手を縛りたいという気持ちもやっぱり愛の形じゃろ。相手を自分の思い通りにしたいってのは、そうしていつまでも自分の元にいてほしいっていう愛情表現の裏返しじゃ。愛の形ってのは一つじゃないからのぉ」


 ニシキさんの言葉は確かな人生経験に裏付けされているように思える。どうやら見かけ通り、ただ者ではないようだ。野性的で豪快な外見だが、実は細かい気遣いもできる彼は結構モテるのかもしれない。その点、全く恋愛経験のない僕には本当の意味で理解する事はできないだろう。

 意外な視点からの言葉に思わず考えこんでしまうが、デルフィさんは鼻を鳴らして真っ向から否定する。


「相手を無理に従わせるなど愛情ではありませんわ。それは単なる独りよがりですもの。あの母親がいる限り、スクイーさんが本当の意味で自立する事など不可能です。その事は後々に彼を不幸にしますわ」

「ほうは言ってものぉ。本当の意味で自立してる人間なんてそうはおらんじゃろ。みーんな、たいがいは誰かに依存しとるもんじゃ。そうやってお互いに依存しあって、必要としあって生きとるから楽しいんじゃろうが。みんながみんなが一人っきりで生きとったらつまらんよ」

「た、楽しいとかつまらないとか、生徒の未来を何だと思っているのです!」


 デルフィさんはニシキさんの言葉に憤りをみせるが、僕はなるほどと頷いてしまった。確かにヒトは社会で生きる生物だ。社会に属している以上、誰とも関わらずに生きていくのは難しい。そして、関わりがあるとそこには自然と依存関係が生まれるものなのだろう。

 ここで言う依存関係とはなにも愛情の事だけではなく、生きていく上で必要不可欠な存在になるという事だ。プログラミングの世界にも『依存』という用語がある。プログラムが動くのに別のプログラムが必要となる時に『依存している』と表現するのだ。

 人もプログラムも、全てを自分の力でやっていてはいつか限界がくる。他人の力を借りる事は恥ずかしい事ではない。むしろ全体の効率化を目指すなら自分でやる事は極力小さくして、ほとんどを外部に依存するのが一番よい。そうすれば同じ機能を個人ごとに持つ必要がなく、無駄がなくなるからだ。プログラムの世界では確実にそうなりつつあった。


 だが、人とプログラムは違う。人間には『自由意思』があるからだ。


「ニシキさんの仰っている事は一理あるとは思いますが、依存関係がある事と相手を無理に束縛する事は話が別ですね。依存してほしいからといって相手を束縛するのは、やはり間違っていると思います。そして、人間はどれだけ依存関係があっても、『自分の意思』まで相手に委ねるべきではない。あの母親はスクイー君自身の意思を認めようとしない。それが問題です」


 最後の一線である自分の意思まで外部に依存する。外部から指示されて動くロボットのようなものだ。だが、近頃のロボットにだって独自の意思とも言えるAI人工知能が搭載されている。それを無理に封印するのは『ウィルス』のやることである。

 スクイー君は母親というウィルスに侵された哀れなロボットというわけだ。


「ほうじゃのぉ。相手の考えを認めないのは問題じゃのぅ。……じゃけん、そのスクイーとかいう生徒は


 ニシキさんがポツリとつぶやいた不穏な問いかけは、その日のうちに他ならぬスクイー君自身によって答えられる事になる。


//----


「束縛、ですか……?」

「そう。君は母親から、やる事なす事すべてにいちいち命令をされている。知る事学ぶ事に制限を掛けられている。違うかい?」

「そうですけど……」


 昼休みに教室で一人でいたスクイー君を呼びだして、二人きり静かな空き教室で話している。小柄な彼は相変わらずオドオドと自信なさげな態度で僕と向き合っている。


「君はその事を辛いとか嫌だとか思ったりしないの?」


 僕が問いかけるとスクイー君はうつむいてしまう。


「……正直に言えば、少し嫌だと思った事もあります。だけど、母さんは僕の事を考えてやっているのだと思うし、それに……」


 スクイー君はうつむいたまま、ポツリポツリと小さい声で語り続ける。


「僕が小さい頃、母さんの言いつけを破って家の外に出たら、馬車にひかれて死にかけた事があるんです。幸い、治療マギサービスで助かりましたが、その時から母さんは必要以上に僕を構うようになりました。僕も母さんの言いつけを破らないように気をつけています」


 なるほど。彼女の行き過ぎた過保護とコントロール欲の原点はそこか。危ない目に合わせるぐらいなら、多少の不自由には目をつむって、完全にコントロールしてしまえばいいという発想だ。

 ニシキさんの言っていた「束縛も愛情の形だ」という言葉が想起される。確かに彼女は自分の子供の事を愛しているのだろう。そしてスクイー君も、そんな母親の愛情を感じて抵抗できずにいる。


「そうなんだ……。だけど、君はマギランゲージを一生懸命に勉強していたはずだろう? 前の僕の授業の時だって、がんばってコードを書いていたじゃないか。母親にマギランゲージの勉強を禁じられて、嫌じゃないのかい?」

「それは……でも、みんなに比べたら全然ダメです。マギランゲージは……僕には難しいって事だと思います。母さんはそれをわかってるから、最初からダメだと言っているのだと思います」

「そんなことない!」


 思わず立ち上がって大声を出してしまう。スクイー君はビクリと身を縮こまらせる。


「僕が見た限り、君だって立派なコードを書けるはずだ。君のコードには、しっかりと君の努力が感じられる。僕の言った事をしっかり守ろうとしているし、基本に忠実であろうとしている。ただ、ちょっと間違いや勘違いが多いだけなんだ」

「……先生……」

「最初っから完璧にできる人なんていない。どんなにできる人間だって、最初は失敗の連続なんだ。やる前から無理だと言っていたら無理なのは当たり前なんだよ。何度失敗したっていいじゃないか。いくらでも修正してやり直せばいい」


 そう、プログラミングの世界ではトライアル・アンド・エラーは当たり前だ。とりあえずコードを書いて動かしてみて、うまく動かなければどこが悪いのかを見つけ出して修正する。最初から完璧なコードを書ける事なんてごく稀だ。

 あまりにも間違えるので、先に「正しく動作するか」を確かめる自動テストを作って、あとからそれに対応したプログラムを作るという、『テスト駆動開発』と呼ばれる手法が存在するほどだ。しかも、現在では主流の開発手法の一つである。石橋を一歩ずつ叩いて渡るような方法だが、結果的にはそれが一番早いという事も多い。


 熱血先生なんて柄ではないのだが、大好きなプログラミングの事なのでついつい熱が入ってしまう。


「ひとつ、提案があるんだ」

「提案……ですか?」

「君の母親は、君が僕の授業に出席する事を禁止したんだよね?」

「はい……残念ですが……」

「だけど、君が禁じられたのは授業への出席であって、僕から指導を受ける事ではない。違うかな?」

「……?? それって、同じ事じゃないんですか?」

「うん。君がもしよければ、空いた時間に僕がしたいと思ってる。授業じゃなくてあくまでも個人的な指導だから、別に禁止されてないよね」


 僕の提案にスクイー君は驚きの表情を見せる。


「えっ……でも、それって他のみんなに悪いような……」

「生徒の中には僕の弟子もいるし、今更の話だよ。それに君はクラスの他の生徒達に比べると今のところビリッケツだし、えこひいきして個人指導する理由は十分にある。君だって、いつまでも他の生徒達に馬鹿にされるのは嫌だろう?」

「それは……でも、母さんがなんていうか……」

「それだよ」


 そう言って、一本指を立てる。


「こう考えてみたらどうだろう。君の母さんがいつまで経っても君を甘やかして束縛しているのは、君が一人でやっていけるわけがないと思い込んでるからだ。だから心配して、あれこれと手助けして、全部代わりに母親が決めている」

「……そう、ですね。僕があんまりダメだから……」

「だけどさ、そんな君がいつの間にか立派にマギを使いこなして、クラスで一番の成績を取ったらどうなるかな? 君の母さんも君の事を少しは認めてくれるんじゃないか?」

「えぇっ!? そんなの無理! 絶対に無理ですよ!」

「はいはい、無理だっていうから無理になるって言ってるだろう。大丈夫、君ならきっとすぐに一番になれるよ。僕が保証する」

「えぇぇ……」


 スクイー君は僕の無茶に聞こえる提案に開いた口がふさがらないようだ。だけど、嘘を言っているわけではない。彼にやる気があれば、クラスで一位を取る事だって不可能じゃないのだ。

 その際に大きな壁となりそうなパールは、マギランゲージ以外の成績が壊滅的らしいので問題ない。いや、師匠としては問題おおありなのだが。


「それとも、このままずっと母親の言いなりでいるつもりかい? 聞けばマギサービス会社へのコネ入社まで用意してくれているみたいだから、それでもいいとは思うけどね」

「はい……。でも、このまま会社に入っても、きっと何もできません……。それに、母さんに心配をかけてばかりいるのも嫌です」


 そう言って、うつむきがちだった顔を上げて僕を見るスクイー君。


「先生にはご迷惑をかけるかもしれませんが、よろしくお願いします!」

「よしっ! じゃあ早速、今日の放課後から始めよう! ビシバシ行くからがんばってね!」

「えぇぇ」


 スクイー君のうめき声が空き教室に響く。


 と、そこで、ガラガラガラと音を立てて教室の扉が開いた。


「話は聞かせてもらいました、師匠! スクイー君だけズルいです! 私にも教えてください!」


 そこに立っていたのは、おなじみの黒縁のメガネを掛けたパール。そして。


「ほらっ、ぺぺ君も一緒にいこっ!」

「なんで俺を引きずり込むんだよっ! はなせぇっ! しかも師匠って先生の事かよっ! くそぉ、この変態師弟コンビめっ!」


 どうやら、僕の課外指導は賑やかな時間になりそうだった。

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