044 - hacker.start(lesson);
「似合ってるぞ、バンペイ」
「はぁ……今から気が重いですよ」
僕が特別教師として学校へ向かう初めての日の朝、のろのろと顔を洗った僕はボスに言われるがまま、いつも着ていたシャツとズボンを脱ぎ捨てて、真新しい服に身を包んでいた。もちろん、ボスの目の前で着替えたわけではないが。
背広に似ているやや青みがかった黒いジャケットと、その下には真っ白なシャツ。異世界に来てから服装はあまり気にしていなかったのだが、こうして眺めていると地球の現代風デザインに近い気がする。もちろん細かい部分や縫製技術により差はあるものの、大まかな形はそっくりだ。
着替えた僕の姿をしげしげと眺めるボスの顔を、こちらもしげしげと眺めていると、ボスと視線がぶつかった。途端にボスは頬をさっと赤らめて、そっぽを向く。
「ふ、ふむ、これくらいで良いだろう。さ、さぁ、遅れない内に早く出発するんだ」
「はいはい。ボスはちゃんとお留守番できますね?」
「な、馬鹿にするなぁ! 私だって留守番ぐらいできる!」
ボスは別の意味で顔を赤くする。可愛らしい反応に思わず笑みが漏れる。
「ふふ、シィをよろしくお願いしますね。シィも、ボスをよろしく頼むよ」
「うんっ! ボスと一緒におるすばんするっ!」
「うう、私は幼女によろしくお願いされるほど頼りないのか……」
地味にショックを受けているらしいボスに「冗談です。頼りにしてますよ、ボス」と言いながら、僕はオフィスを後にした。ボスの嬉しそうな声が背後から聞こえてくる。
目指すはマギアカデミー。マギエンジニアの卵たちが集まる学校である。
//----
まず最初のハードルは、教師たちからの
朝の職員会議の場で、校長によって「噂のマギハッカー」として紹介されたのだ。しかし、出席していた教師達の反応は、一部を除いてあまり芳しくなかった。職員会議が終わって特別に設けてもらった机の椅子に腰掛けているが、教師たちは遠目でチラチラと見るばかりで話しかけてくる事はない。
いくら「マギハッカーの再来」と呼ばれているからといって、無条件で信じるには値しないという事なのだろう。校長の歓迎っぷりとのギャップに初めは困惑したが、よくよく考えてみればこちらの方が当たり前の反応だと思う。
しかし、そんな中にも一人や二人、変わり者がいるものである。
「あんたがぁ噂のマギハッカー殿ですかいのう!」
「は、はあ、なぜかマギハッカーと呼ばれてますが、僕には過分な呼び名かと……」
「はっはっは! 謙遜するこたぁないよ! わしゃあ今日マギハッカー殿に会えるぅ聞いて、朝から楽しみにしてたけぇ!」
「えーと、これはどうも……。バンペイ=シライシと申します」
「おうおう、わしゃあ『モンティ=ニシキ』いうんじゃ。よろしゅうの!」
ジャイルさんに続いて、またしても日本風の名前の人だ。ちなみに本来は『白石番兵』と名乗るところだが、移民登録もした事だしこの国に馴染むために順番を変えている。恐らくニシキさんも東方からの移民の末裔なのだろう。モンティなんてかわいらしい名前と外見のギャップがすごい。
目につくのはワサワサと毛が生えた太い腕。そして同じようにアゴに真っ黒な髭をぼうぼうと生やしていて、立派なもみあげと結合している。ガッシリとした体格も相まって、なんとも野性味溢れる姿だ。本当にこの人はマギ学校の先生なのかと疑いたくなる。
ジャイルさんといい、なぜか東方出身の人はキャラが濃い傾向にある気がした。口調もなんだか他の人とは違うイントネーションで、異世界語から日本語に脳内翻訳すると何かの方言のようにも聞こえる。先ほどから大口を開けて豪快に笑っていて、いかにも陽気で豪気な男性という感じだ。
「およしなさい、ニシキさん。困っていらっしゃるじゃないですか」
「おう、デルフィの。なんでじゃ、わしゃあマギハッカー殿に挨拶してただけじゃ!」
僕とニシキさんが話していると、新たな人物が会話の輪に加わってきた。
目をやると、そこには銀縁の細長いメガネを掛けた神経質そうな女性が立っていた。銀髪の髪をきっちりと結い上げていて、真っ白なシャツと黒いロングスカートが見事に対比している。ロングスカートの丈は足が見えないほどに長い。
「あなたの声が無駄に大きいから怯えてらっしゃるのよ。ほら、ご覧なさいな」
「い、いえ、大丈夫ですよ。確かに大きな声なのでちょっと驚きましたが……」
「無理なさらなくてもよろしいのよ? まったく、ニシキさんはいつもこうなんですよ? あなたの見た目は初めての人を怖がらせるとあれほど申し上げましたのに。 っと、わたくしとしたことが、ご挨拶がまだでしたわね。初めまして、わたくし『デルフィ=パスカーラ』と申します。この良き出会いに感謝を」
デルフィさんは一方的にまくし立てるように喋り、最後には背筋をピンと伸ばしたままスカートを左右に持ち上げ、見事なカーテシーを見せてくれる。どうやらずいぶんと礼儀正しい人のようだ。
「こ、これはご丁寧に……僕はバンペイ=シライシと申します」
「あら? シライシさんとおっしゃるのね。シライシさん、シライシさん、ええ、なんだか東方風の響きだわ。ああ、そういえば、陛下も移民だとおっしゃられていたわね。わたくしとした事が失念していたわ」
「は、はい、僕は東方の国からの移民です」
デルフィさんは、かなりのお喋りらしい。一方的に早口でまくし立てるように話されるので、正直ついていくのがやっとだ。まるでプログラムが吐き出すログを一生懸命に追っている気分になる。文字が下から上にどんどんと流れていくように、デルフィさんの口はとどまるところを知らない。
デルフィさんが一方的にぺちゃくちゃと喋っている間に、ニシキさんが横から話しかけてきた。
「はっはっは、デルフィの方が困らせとるじゃないか。すまんのお、バンペイの。こんなぁは喋り初めたら止まらんのじゃ。わしのご先祖さまも東方からの移民じゃ聞いとるよ。ニシキがどういう意味なんかぁ知らんが、わしゃあ気に入っとるけぇ」
「ニシキといえば、織物の一種じゃなかったでしょうか?」
「ほう! ほうか! はっはっは、こりゃあ知らんかったのお! ほうかほうか、織物とはご先祖さまもずいぶんと洒落とる名前をつけるもんじゃのお!」
ニシキさんは嬉しそうに大口を開けて豪快に笑う。しかし、そこからトーンを落として、辺りを見回しながら眉を八の字にして、僕にいかにも申し訳無さそうな表情で話してきた。
「ほれよか、すまんのぉ。みーんな、バンペイが陛下がいっちょったマギハッカーじゃ言うとるのに信じとらんのじゃ。わしゃあ、あんたの噂は色んなところで聞いとるけん、あんたが本人で間違いのうと知っとるが、気分悪くしたろう?」
「あはは、大丈夫ですよ。むしろ、熱く歓迎された方が困っていたと思います。こんな見た目ですから、信じられないのも無理はないと思いますし」
「ふん、外見に惑わされて相手を判断するなんて二流のやる事です。教師たるもの、生徒を見た目で判断するようでは教師失格ですもの」
いつの間にかお喋りモードを終えたデルフィさんが会話に戻ってきた。教育に持論があるようで、生徒の事をしっかりと考えている熱心な先生だと思う。このような先生がいるのに、どうしてパールは授業がつまらないなどと言っていたのだろうか?
そんな風に少しの間話していると、そろそろ授業が始まる時間となっていた。
「それでは授業が始まりますので、お先に失礼しますね」
「おうよ! あんまり気張らんでがんばりんさい!」
「いいですか、シライシさん。生徒たちにはあまり甘い顔を見せてはなりませんよ。そもそも――」
再びお喋りモードに入ってしまったデルフィさんをニシキさんにお願いして、僕は職員室を後にした。
//----
「初めまして、今日から皆さんに特別授業をする事になった、バンペイ=シライシです。教師をするのは初めてなので至らない点も多いと思いますが、よろしくお願いしますね」
教室に入り、教壇に立って、考えてきた挨拶をする。噛まずに言えたのは僕にしては珍しい事だ。
教師達と違って、僕に対する生徒達の視線は様々だった。好奇の視線もあれば、やはり胡散臭そうな視線もある。そして若干一名ほどは、キラキラと光るような視線を送ってくる。何を隠そう、パールである。
「はいっ、せんせー! よろしくお願いします!」
パールは一人で僕に挨拶を返してくれる。完全なアウェイでないというだけ感謝すべきなのだろうが、露骨に親しげに接されても先生と生徒の関係が崩れるのでよろしくない。僕はゴホンと咳をひとつして、生徒達を見回してみる。
年頃はやはりパールと同じ中学生ぐらいの子どもが多いだろうか。中にはチラホラと高校生ぐらいの年齢だと思われる生徒も混じっている。マギアカデミーは基本的に中学生〜高校生ぐらいの年齢を対象としており、入学時期は特に決っているわけではない。全過程は順調なら3年、少し遅れても4年ほどで終わるようになっていると聞いた。
「今日は初めての授業ということで、自己紹介も兼ねて質問を受け付けたいと思います。あまり個人的な事には答えられませんが、なにか質問があればどうぞ」
「はいはーい! 先生は付き合っている相手はいるんですかー?」
でた、先生がされて困る質問第一位。たぶん。
質問してきたのは活発そうな女子生徒だ。クラスのムードメーカーなのかもしれない。
「いません。しかし、付き合いたいと思っている相手ならいます」
「えーっ! 誰なんですか!?」
「それはナイショです。でも、とっても魅力的な女性ですよ」
「ぶー、先生のい・け・ずー」
生徒達に嘘はつきたくないので、できる限り正直に答えたつもりだ。女子生徒の大好物である色恋話は、教室のざわつきによって迎えられた。どうやら好奇の視線が増えている。
「はい、先生がマギハッカーと呼ばれているのは、本当なんですか?」
別の生徒が手を上げて聞いてくる。こちらは真面目そうな男子学生。服装もきっちりとした、いわゆるガリ勉タイプの生徒かもしれない。
「うーん、僕はあんまりそう呼ばれたくはないんだけどね。本当です」
僕がこう答えると、教室は一層のざわつきと驚きに包まれる。
「なぜ呼ばれたくないのでしょうか? マギハッカーといえば、名誉ある称号だと思います」
「そうですね、マギの賢者に与えられる名誉ある称号です。ですが僕の力は、マギハッカーと呼ばれた賢者の実力にはまだまだ程遠いと思っています」
「なーんだ、やっぱり名前だけなのかよ」
質問していた生徒とは別の声が茶々を入れてくる。そちらにちらりと目を向けると、椅子に斜めに腰掛けてぐったりとした力の抜けた姿勢で座っている生徒がいた。クラスに一人はいる、不真面目なタイプの生徒のようだ。彼はやる気の感じられない格好のまま続ける。
「どうせ王様にほめられてたのも、偶然とかラッキーだっただけなんだろ? あーあ、実力もないのにマギハッカーなんて呼ばれたら、そりゃあ居心地悪いよなー」
その言葉にクラスもざわつきはじめる。さきほどよりも疑惑の視線が増えている。
「あはは、そうだね。確かに居心地が悪いです。王様にほめられたのも、偶然や幸運が重なったというのも確かにあります」
僕の率直な言葉に、いよいよ疑惑と、そして「なんだこいつもか」という諦めの視線が混ざる。どうやら、生徒達の先生に対する不信は根強いらしい。
「でもね」
そう言って、懐から取り出したマギデバイスを一振りする。
「君が思ってるほど、マギランゲージの世界は浅くないんだ。ちょっとやそっと学んだだけで、歴史で語られるような賢者に追いつけると思うのは、単なる思い上がりなんだよ」
僕の言葉と共に、生徒達の間から驚きの声があがる。
生徒達がなぜ驚いているかと言えば、僕の言葉に対してではない。なぜなら、自分の手元に突如として真っ白なスクリーンが現れたからだ。
いや、正確には真っ白ではない。そこにはこう書かれている。
――詳説・マギランゲージ 著・バンペイ=シライシ
「さあ、授業を始めようか」
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