038 - boss.understand(herself);
私を助けようとしてくれるバンペイの言葉が、父の逮捕によって冷えきっていた私の心を暖めてくれたことは間違いない。
もとはといえば、私の方が無理矢理と言っても良い方法で彼を会社に巻き込んだ。マギハッカーに憧れる彼が目に焼き付き、興味をもたざるを得なかったのだ。話しているうちに、この男を何としてでも会社に入れたい、一緒に働いてみたいと思った。
私の強引な勧誘にも関わらず、彼は積極的にアイデアと意見を出し、私以上に新たなマギサービスの開発に熱心になった。私には思いもよらないような斬新で革新的なアイデアを次々と魅せられる内に、いつの間にか私は自分で考える事すらしなくなっていたのかもしれない。バンペイに頼りきりになっていたのだ。
父親が逮捕されたと聞いて、いてもたってもいられなくなった。どうにかしたいと考えた時、真っ先に浮かんだのはやはりバンペイの顔だった。
思わず動転してオフィスに飛び込んで泣きついてしまったが、彼はいつものように冷静な顔で話を聞きだし、解決への筋道を立ててくれる。そして、当たり前のように私の事を助けようとしてくれるのだ。
いつもの私ならそんな彼に甘えっぱなしになるのだが、今日の私はこのままではいけないと考えた。冷静な彼の顔を見ていたら、彼にはやらなくてはならない仕事がある事を思い出したのだ。このままではバンペイの邪魔になってしまう、そう思うとこれ以上彼の力を借りるのはためらわれた。
彼がコードを書いていると、時々ふと本当に彼がそこにいるのかわからなくなる時がある。彼には独り言をぶつぶつとつぶやいたりする時と、本当に無言でコードを書き続けている時があるのだ。
目を離すとどこかへ消えてしまいそうで横顔をじっと眺めていても、彼がその事に気がつくことはない。でも、私はシィと一緒になってその横顔を見るのが好きだ。
そう、好きなのだ。
正直なところ、この自分の想いとはいまだに正面から向き合えないでいる。この感情に名前を付けられないでいる。
私だって年頃の女であるつもりだ。だが、一度意識しはじめると止まらなくなりそうで、引っ込み思案で臆病者の彼をひかせてしまうのを恐れている。普段は偉そうに振る舞っているが、本当は私こそが引っ込み思案で臆病者なのだ。
「やあ、待たせたかい?」
噴水のある中央広場で待ち合わせていた、父様の友人であるオスカー氏と合流する。
いつも通りニコニコとした議員らしい笑みを浮かべている。やや長めの茶髪を後ろに流しているのは普段と同じだが、今日は潜入するだけあって動きやすそうな服装になっている。それでも、議員として最低限の品は失われていない。
父に比べるとやや軽薄そうなイメージがあり、昔から苦手なほうだった。それでも父とは仲が良いらしく、時々私達の屋敷に招かれては父と一緒に晩餐をとり、難しそうな政治の話題や議会の話題で熱く議論していたのを覚えている。
どうやら学生時代からの付き合いだそうで、お互いに大きくなったらこの国を支える議員として共に競いあおうと約束した仲らしい。彼が来た時の父は嬉しそうにしていたので、幼い私は父が取られると思って機嫌を悪くしていた。
「いえ、私も今来たところですから」
「そうか。それじゃあ、今日は目的の男が宿泊していた宿屋に向かうんだったね?」
「はい! よろしくお願いします!」
私が敬語をしゃべると、バンペイが変な顔をしていたのを思い出す。そんなに似合わないだろうか。父の口調をまねしていたのがすっかりと板についてしまって、確かに私自身も敬語をしゃべる自分に違和感を感じる事もある。
オスカー氏と共に目的の宿屋へ向かう途中、そのバンペイの話題になった。
「その、バンペイ君と言ったかな? あの電話マギサービスといい、彼は本当に有能な技術者のようだね」
「ええ! バンペイは、あ、いえ……彼は本当に凄いんです。大きな魔物をあっという間に撃退してしまったり、電話だってあっという間に作り上げてしまったんですから」
「へー、魔物とはまた物騒だね。彼は今日も仕事しているのかい?」
「はい。どうしても彼に頼りっきりになってしまうので……やっぱり父の冤罪を晴らすなら、私の手でやりたいですし……」
そう、この私の手で犯人を捕まえる。いつもバンペイに頼ってばかりでは、呆れられてしまうかもしれない。コードを書く邪魔をしてしまうと、愛想をつかされてしまうかもしれない。それは、それだけは、嫌だった。
独り立ちしたいという想いも確かにある。社長として公私混同は許されないという考えもある。だが一番大きいのは、バンペイに嫌われたくないという気持ちだった。秘めた想いを悟られたくはなくて、私は必死に社長の仮面をかぶっていた。
「そうだね。僕もデイビッドが汚職をしていたなんて信じられない。僕と二人でこの国を支えると約束していたのに、そんな彼がはした金のために犯罪を犯すわけがない。絶対に冤罪に違いないんだ!」
憤りを隠さない表情で拳を握りしめるオスカー氏を見て、彼を頼ったのは正解だったと確信する。確かこれもバンペイの提案だったはずだ。どうすれば彼のように、物事を筋道立てて上手く考えられるようになるのだろうか。
しばらく無言で歩いていると、ついに目的地が見える位置までやってきた。
「おっと、そろそろ目的地じゃないかな?」
「あ、はい。あそこの宿屋です」
そして私達は、冤罪の通報者が泊まっているという宿屋へと入っていった。そこで私は、人生最大の過ちを犯すことになるとも知らずに。
//----
宿屋の中はいたって普通の中流向け宿泊施設だった。入り口を入ったところには木で作り付けられた受付があり、向かって右側には食事するための食堂が見える。丸い机がいくつか並べられて、数人の男性がお茶を飲んで休憩しているようだ。左側には階段があり、恐らく二階より上が宿泊部屋となっているのだろう。
受付の奥に座っている初老の男性が私達の姿を認めると、愛想よく微笑みながら立ち上がって受付へとやってくる。
「これはこれはオスカー様。いつもご贔屓にして頂いてありがとうございます」
どうやらこの店はオスカーの顔なじみのようだ。疑問に思ってオスカーの顔を見ると「時々奥さんを連れてくるんだ。ここのシチューが旨くてね」と説明してくれた。中流向けの宿屋ではあるが、どうやら食事も出しているらしい。
「それで、本日は……お食事ですか、それともご休憩ですかな?」
人の良さそうな主人はニコニコと笑いながら私の方をチラリと見る。休憩とは一体どういう事だろうか? 宿泊せずとも部屋が利用できるのだろうか。
「いいや、今回は別件でね。この男がここに宿泊しているらしいと耳にしてね」
そう言って、オスカー氏は懐から通報者の人相書きを取り出す。目撃者から聞いた男の特徴から似顔絵として再現したものだ。非常に残念ながら私には絵心がかけらもないため、オスカー氏が代わりに描いた。議員じゃなくて絵描きとしてもやっていけそうな絵心に、正直嫉妬してしまったほどだ。
特徴はしっかりと捉えていたらしく、似顔絵を見た宿屋の主人は「ああ」とひとつ頷く。どうやら心当たりがあるようだ。
「確かに、こちらの男性は当宿に宿泊していらっしゃいます。今もお部屋の方にいらっしゃるはずです」
まさかまだ泊まっているとは。予想していた以上の成果に一気に興奮する。オスカー氏も同様だったらしく、目を合わせると興奮が伝わってくる。これでヤツを捕まえられれば、一気に話が進展する。
「よろしければ、お取り次ぎいたしますが」
「いや、それには及ばないよ。部屋番号だけ教えてくれれば僕達だけで行くから」
「さようでございますか。そちらの男性は6番のお部屋にご宿泊なされております。階段を上がって二階の奥にございます」
部屋番号を聞いた私達は顔を見合わせると一つ頷いて、部屋に飛び込む際の段取りを話し合う。どちらが先に飛び込むかという話になったので、私が先に行くと志願した。待っているのは性に合わないからだ。
私が先に飛び込んで、中にいる人物がマギデバイスを取り出す前に取り押さえる。万が一に私が失敗したら、後からくるオスカー氏がうまくカバーする、という簡単な段取りだ。
方針が決まったので受付の左側にあった階段を音を立てないように上っていく。ここまで来て逃げられたら笑い話にもならない。二階へとたどりついたら、奥の扉を目指してゆっくりと進む。
やがて私達は6番という番号の書かれた扉の前に立った。
扉の鍵はかかっていない。この宿は外からしか鍵を掛ける事ができないらしい。中にヤツがいるなら、扉の鍵は開いているはずとのことだった。
無言で合図を送り合い、1、2、3で部屋へと突入した。
「大人しくしろ!」
マギデバイスを構えて中に突入すると、果たしてそこには追いかけ続けていた男が椅子に腰掛けていた。私を見て慌てて傍らに置いてあるマギデバイスを取り上げようとするが、その前に私は呪文を唱える。
「【コール・バインド・ロープ】!」
男へと向けたマギデバイスの先端から、黒い縄が飛び出して相手の手を縛り付ける。そのまま、グルグルと全身を縛り上げて身動きが取れないようにする。
「な、なんだお前は!?」
「貴様が我が父親を無実の罪で通報した男だな!」
「は、はぁ? 一体なんの話だ?」
「とぼけるな!」
目撃者が多数いるというのにとぼける相手を黒い縄を締めあげると、男はうめき声をあげる。どうだ、まいったか。この、この。
「おいおい、ルビィ君。そんなに締め上げたら可哀想だよ」
「オスカー氏、しかしこいつは……」
そこまで言いかけて、気づく。
「……一体、なんのつもりですか?」
振り向いたところに立っていたのは、オスカー氏だった。そこまでは予想していた通りだ。しかし、その後ろに数人の男達が立っており、ニヤニヤと笑いながら私にマギデバイスを向けている。よく見れば、先ほど食堂にいた男達だとわかる。
「何って、こういう事だよルビィ君。君にはここで不慮の事故にあってもらうってわけさ」
「な、なにを馬鹿な……」
「やれやれ、察しが悪いね。ここまで君がノコノコとやってきたのは、いったい誰のおかげだい?」
「そ、それは……目撃証言が……」
「そうさ。通報したという男の目撃証言。だが、それらを元に似顔絵を描いたのは?」
「それは、オスカー氏が……そ、そんな」
ありえない。だが、今のこの状況が何よりも雄弁に説明している。
「君を誘導するのは本当に疲れたよ。いちいち真正面から突っ込んでいくし、君は本当にデイビッドの娘なのかい? まあいいけど。で、そこに縛り上げられている哀れな男は、加害者役に選ばれた不幸な男だという事だね」
「あ、あんたは、オスカーか! これは一体どういう事だ!」
私が縛り上げた男はオスカー氏の事を知っていたのか、大声を張り上げる。
「やれやれ、静かにしてくれないか。いくら私がこの宿屋に顔が効くとは言え、あまり騒がれると面倒なんだ」
オスカー氏は、いや、オスカーは長めの髪をかきあげて、普段の議員の笑みとは違う、獰猛さを隠さない笑みを浮かべる。
「私を……だましたのか?」
「だました? 人聞きが悪いな。僕は一言も通報した男がここにいるなんて言ってないよ? 『目的の男』がいると言っただけさ」
「な、屁理屈じゃないか!」
「ふふふ、人を簡単に信じる方が悪いのさ」
「じゃ、じゃあこの男は無関係という事か!」
「いいや、それがあながち無関係でもないんだよねぇ。その男が汚職の取引に関わってたのは本当だしね。ま、汚職してた議員ってのは別人だけどさ」
「お、俺をはめるつもりかオスカー! 今まで散々甘い蜜を吸っておいて!」
まさか。
「おっと、さすがに気づいちゃったかな? そういう事だよ。マギサービス会社からお金を受け取っていたのはデイビッドじゃない。僕なんだよね」
「き、貴様……!」
「それがさー、ヘマやっちゃって、デイビッドに汚職の証拠を見られちゃったんだよね。まさかいきなり部屋に入ってくるとは思わなくってさ。どうも無謀な娘の事を相談したかったみたいだけど、ま、見られちゃったもんはしょうがないよね」
このオスカーという男は、父に汚職の事実を知られたからといって、素直に自首するような殊勝な性格であるはずがない。もしかして、父の汚職容疑というのは……。
「そうそう。だからさ、いっその事、汚職の事実ごとデイビッドにかぶせちゃおって思ってさ。ははは、あいつ最後まで『お前が汚職などするわけがない』って僕の事を信じきってたし、笑えるよねー」
「貴様ァ!!」
オスカーの言葉に我慢の限界を振り切った私は、マギデバイスをオスカーへと向けようとする。しかし、その前にオスカーの後ろに控えていた男達によって射出された黒い縄が、私をマギデバイスごと縛り上げる。
「くっ! この縄をはずせぇ!」
「あははは。この縄って便利だよね。僕も女の子とここに来た時はよくお世話になってるよ。あ、そうそう、奥さんとよく来るってのは嘘ね。本当は君みたいな馬鹿な女の子を連れ込んでるんだー」
「げ、ゲスめ……!」
ここまで来ればさすがの私にも理解できる。今の私は貞操の危機にあるという事が。
「ま、君も初めてだろうけど、すぐに……ああ、そういえば、あのバンペイって男がいたんだったね。丸っきりのおぼこってわけじゃないのか。もう彼とは寝てるんだろ?」
「な、何を……言っている……」
「やれやれ、あの男がいるお陰で君達の会社では手が出せないしね。さすがに魔物を一人で撃退しちゃうようなやつを相手にするつもりはないよ。ま、その彼も今は会社で仕事中みたいだし、いやぁ、君が一人で来てくれて本当にラッキーだったよ」
悔しい。バンペイの力を借りずに一人でやろうと思った途端にこれだ。
「ま、このまま放っておいても、あのマギシグネチャがある限りデイビッドの有罪は動かないだろうけど。君が調査するっていうから念には念をってね」
「あ、あのマギシグネチャはやっぱり偽物なんだろう!?」
「ふふふ、それはナイショだよ。じゃ、もういいかな? そろそろ――」
オスカーが何か言いかけた時、突然、部屋の扉が開かれる。
「そこまでだ!!」
その声を聞いた時、私はまたしても彼に助けられた事を悟る。
「な、なぜお前がここにいる!」
「いいから、さっさとボスを解放しろ! 僕のマギの餌食になりたいのか!」
扉の外には、マギデバイスを構えたバンペイが立っていた。これにはさすがのオスカーも大いにうろたえて、油断しきっていた男達もオロオロするばかりだった。
「ちっ……仕方ない。計画は変更だ」
オスカーはそう言うと、縛られた私を盾にしてバンペイと対峙する。どちらも身動きが取れずにいる内に、オスカーが目配せして男達は私が縛り上げた男を担ぎ上げる。
「悪いけど、僕達は退散させてもらうよ。君の大切な上司を傷つけたくないなら、大人しくしていてくれないか。心配しなくても、彼女は解放してあげるからさ」
「バンペイ! 駄目だ! 今やつを逃したら!」
「……わかった」
私の必死の抵抗も虚しく、苦々しい表情で頷くバンペイ。オスカーはニヤリと笑うとバンペイのマギデバイスを警戒しながら、自身のマギデバイスを取り出す。
「ま、無理だと思うけど。できるなら僕を訴えてみてごらん?」
そうニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら、私を突き飛ばすとそのまま転移マギサービスでどこかへと消えていく。もちろん男達も一緒だ。ガランとした部屋の中には、縄に縛られたままの私とバンペイだけが残された。
「あの――」
「バ、バンペイ……すまないが、まず縄を解いてくれないか……」
「あっ、はい、わかりました」
バンペイが私の身体を縛り付ける縄に手を掛ける。オスカーのいやらしさを表すように身体に食い込んだ縄は、なかなか解くことができない。バンペイの手が身体に触れる度に変な声を出してしまって恥ずかしい。
「あ、解けましたよ。それで――」
「ありがとう、バンペイ!」
私は自由になった身体で思わずバンペイに抱きついた。もう我慢の限界だった。もう少しで私はオスカーによって傷物にされるところだったのだ。本当は恐怖でどうにかなりそうだった。震える身体を必死に押さえながら、バンペイにしがみつく。
バンペイが来てくれた時、何よりもまず安心してしまった。ああ、彼が来てくれたらもう大丈夫だと。彼がいれば安心だと。やっぱり私は、どこか弱くなってしまったらしい。だって、彼の顔を見るだけで、こんなに――
「バ、バンペイ……」
彼の顔をジッと見つめる。いつもと変わらない、優柔不断そうな優しい顔。私に抱きつかれているのがそうさせるのか、眉が垂れ下がっていつもよりも困り顔になっている。だが今は何よりもその顔が頼もしく、そして愛おしかった。
「そ、その、な……」
ああ、もうだめだ。私は私の気持ちにこれ以上の嘘はつけそうにない。私の心の底から言葉が溢れだし、もう止められそうになかった。
「私は……バンペイの事が……」
ガチャリ。
「ボス! 大丈夫ですか!!」
またしても扉が開き、外から聞き覚えのある声が聞こえてくる。それも、つい最近耳にした事がある声だ。いや、最近というよりは、ついさっき……?
「な、な、な、バンペイが……二人!?」
私が今抱きついているバンペイと、部屋の外からやってきたバンペイ。私の目がおかしくなったわけでないのなら、二人のバンペイが目の前に存在している。
そして、私が抱きついているほうの『バンペイ』がポリポリと頬をかきながら一言。
「あのー、すみません。私はミミックのディットーなんですが」
恥ずかしさのあまり悲鳴を上げてしまったのは、私のせいではないはずだ。多分。
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