037 - hacker.reach(truth);

 そして数日が過ぎた。ボスは慌ただしくオフィスに帰ってきてはまた出て行くという事を繰り返し、それを僕とシィ達が見送るというサイクルになっている。


 事件の方は進展があまり無い状況らしい。問題の焦点は、ボスの父親であるデイビッド氏が汚職をしていたという事を証明する証拠が本物かどうかという点だ。警察隊はこれが本物だと考えたために、デイビッド氏を逮捕した。

 その証拠とは一枚の書類で、デイビッド氏がマギサービス企業から裏金を受け取り、代わりにデイビッド氏が企業に対して便宜をはかると約束する書類だ。匿名の通報によって持ち込まれてきたらしい。書類にはデイビッド氏のものと思われる『マギシグネチャ』が入っている。


 マギシグネチャとは国によって運営、提供されている『署名マギサービス』の別名で、書類に署名シグネチャを入れる事ができるというものだ。

 普通の署名と異なるのは、このマギシグネチャにマギデバイスを向けて呪文を唱えることで、それが本当にそのマギデバイスで書かれたものか調べる事ができるという点だ。本物なら書かれたマギシグネチャが青く発光し、偽物や別のマギデバイスによるものなら発光しない。本人証明にもってこいの便利なサービスだ。

 そして警察隊や他の議員達の見守る前で、デイビッド氏の持つマギデバイスに反応して証拠書類のマギシグネチャが発光してしまった事が事態をややこしくしている。これでは、どんなに無罪を主張しようとも罪は免れないだろう。その時の議会は騒然なんて言葉では言い表せないほどだったという。


 さらに僕達と因縁があるのか、便宜をはかった相手とされるマギサービス企業には、マギ・エクスプレス社の名前が挙げられていた。マギ・エクスプレス社の現社長は容疑を否定しているらしいが、前社長と一緒に取り調べを受けている。息子が逮捕されて社長が交代したばかりだというのに、弱り目に祟り目だ。

 個人的にはボスの父親への容疑が疑わしい以上、こちらへの容疑も同様に疑わしいと思う。こちらは署名などなかったようなので、証拠は不足しているはずだ。早々に解放される事を祈る。


 食事の場でボスに状況説明を求めると、はじめは自立のためだと断られたのだが、状況が動かなくなると焦ってきたのか、ポツリポツリと話すようになってきた。


 すぐにでも助けてあげたい衝動に駆られたが、それはボスとの約束で禁じられている。せめて何かヒントでも出せれば良いのだが……。


「バンペイ、気持ちはありがたいが、私の方は大丈夫だ。オスカー氏と一緒に犯人の影を追っているからな。匿名での通報だったが、その姿は多くの人間に目撃されている。ヤツを捕まえることが事件解決につながるはずだ」

「はい……」


 そうは言っても、ボスが真犯人を探すために駆けずり回っているのに、僕だけオフィスでのうのうとしているのも気が引ける。


「ふ、言っただろう? は社長である私の仕事だと。バンペイも自分のやるべき仕事をしっかりとこなせばいい」

「ええ、そのつもりですが……仮に真犯人を見つけ出したとして、ボスのお父さんの罪を晴らす事ができるのでしょうか?」


 そう聞いてみると、ボスは顔を曇らせてしまう。


「マギシグネチャが問題なんだ。あれが本物だなんて思いたくはない。かといって、その正当性を疑う事は国が運営するマギサービスへの疑惑へとつながる。それは、陛下の権威を疑う事につながってしまうのだ」


 ややこしい話だ。国営のマギサービスというのは、王が民心を安んじるために恵賜されているという位置付けなのだ。それもマギシグネチャともなると、その運営はかなり厳格に行われているはずだ。

 マギシグネチャが偽物ではないか、と疑うのは問題ない。だがマギシグネチャが本物だと判定されるのはマギサービス側の誤りではないか、と疑うのはまずい。それはすなわち王への不敬となってしまう。

 もしこれが誰かの思惑によるものだったら、非常に巧妙だと言わざるをえない。


「幸い、あと少しで通報した犯人にたどり着けそうなんだ。今日はオスカー氏とヤツが残した足跡を追って、ヤツが滞在していたという宿屋に乗り込むつもりだ」


 ボスはあえて明るい口調で話し続ける。どうやら、オフィスからも比較的近い宿屋のようで、何度か前を通った事がある場所だ。ボスは犯人を捕まえてみせると躍起になっている。


「もしヤツを捕まえられれば、ヤツの口から書類の偽造を証明する事ができるだろう。そうすれば、父の冤罪を晴らす事だって……」


 結局その時は何も良い案が出ないまま、ボスは再び外を駆けずり回るために出かけていった。心の中にわだかまりを残したまま、僕はその背中を見送るしかなかった。


//----


 マギシグネチャとは一体どういう仕組みで動いているのだろうか?


 いくら疑う事が不敬とはいえ、目の前に提示された謎を無視することなど、エンジニアとしての沽券に関わる。盲目的に信じるだけが、敬意を払うという事ではないだろう。そう理論武装しながら、僕は一人でマギシグネチャの検証をしていた。

 もちろん仕事をほっぽっているわけではない。あくまでもこれは、休憩中の空き時間にを満たすための簡単な調査なのである。うん。


 試しにマギシグネチャを書いてみる事にした。実は僕には珍しくマギシグネチャの署名マギサービスに登録している。移民登録などの法的な手続きに必要だったからだ。

 【コール・マギシグネチャ・サインモード】と唱えるとマギデバイスの先端が青く発光しはじめる。これが署名モードと呼ばれる状態だ。この状態でマギデバイスをペンのように持ち、署名を自分の手で書く事ができる。

 紙にさらさらと「白石番兵」と書いてみると、紙をなぞった軌跡が同様に青く発光していく。感覚としては太いマーカーでサインしている感じだ。サインはそのまましばらく発光していたが、徐々に光を失い最後にはただの黒い軌跡だけが残される。

 紙に手で触れてみると、マギシグネチャが書かれた部分はややザラザラとした感触があり、何らかの塗料を紙に塗りつけているのではないかと推測した。この塗料が作られたマギデバイスに反応して発光するのだ。速乾性なのか、書いたばかりでも指に塗料が付くことはないようだ。


 そこでふと思いついて、作っている最中の「スキャナ」マギでマギシグネチャをスキャンしてみる事にした。

 スキャナマギとは、紙や何かの表面に書かれた文書をマギデバイス内に取り込み、文字データとして利用できるようにするというものだ。この異世界の文字は日本語に比べればパターンが多くない表音文字なので、画像として取り込んだ文書の文字をデータ化するのはさほど難しくはない。

 もちろん取り込めるのは文書だけではなく、絵や図なども取り込める。ただし、写真とは違って、スキャンできるのは何かの平らな表面に描かれたものだけだ。裏で台形補正、つまり取り込む際の歪みなどを自動で補正するために、用途を限定している。

 スキャンする際の仕組みだが、マギランゲージでマギデバイスの先端にある『光』に命令して、対象物の表面から反射してきた反射光だけを集めている。要するに人間の目と同じことをしているわけだ。この技術は電話でカメラを作る際にも使ったので、もはや僕の中では当たり前のものだった。


 スキャナマギで解析したマギシグネチャは、いたって何の変哲もないインクに見える。だが、機械の目は人間の目ではわからない微細な世界をとらえる。スキャナマギで取り込んだ画像は、『解像度かいぞうど』を非常に高くする事もできるのだ。


 本来は滑らかに連続している曲線でも、デジタル画像として取り込むには0と1に変換しなければいけない都合上、どうしても直線の集合に変換する必要がある。この時に、どのぐらい元の曲線を再現できるかを指して「解像度」と呼ぶ。

 昔のゲームで「ドット絵」と呼ばれるドットが見えるほどの荒い画像が使われていたが、あれは「解像度が低い」ということだ。曲線を極限まで簡略化していった結果、ガチャガチャが見えるほどになったのがドット絵である。逆にハイビジョンテレビのように実物と大差ないほどになると「解像度が高い」という事になる。


 解像度が十分に高ければ拡大した時に、しっかりと細部まで確認する事ができる。よく刑事もののテレビドラマなどで、監視カメラの荒い映像を見た刑事が「もっと拡大してくれ」と技師に指示すると、くっきりと犯人の顔まで確認できるようになる場面が出てくる。しかしあれは技術的にはありえない。

 映像が荒いのは解像度が低いからであり、その映像をいくら拡大しようと鮮明になる事などありえないのだ。機械的に直線の間を補完して本物の曲線に近づけるという技術も存在するが、それはあくまでも「推測」であって実際のものではない。少なくとも、刑事が犯人を特定するのに使うのは相応しくないだろう。


 スキャナマギでスキャンした高解像度の画像を拡大していくと、黒いインクの中にポツポツとした青い点が含まれている事がわかる。恐らくこれが青く発光しているのだろう。目一杯拡大してみると、ミクロの世界の中で発光体がその正体を表す。

 半透明の殻に青い液体と、小さな核のような丸い物体。まるで青いイクラのような外見に思わず海鮮丼が食べたくなる。

 拡大率からするとかなり微小なサイズ、恐らく0.1ミリほどの極小さであり、これほどの小さい物質をマギランゲージで作りだしている事に驚いた。

 しかし、こんな小さな核に本当に「マギデバイスを識別して発光する機能」がつめられているのだろうか?


 そこでハッと気づく。


 急いで思いついた事を実験してみる。すると、僕が考えた通りのが得られた。こうなるのであれば、ボスの父親の冤罪だって証明できるかもしれない。


 腕を組んで頭の中で考えをまとめていく。これまで聞いていた情報、ボスの話の内容、マギシグネチャと証拠書類。頭の演算装置がうなりをあげて、仮説を組み立てては検証し、可能性をひとつひとつ検討していく。


 なぜ真犯人は、ボスではなくボスの父親であるデイビッド氏を狙ったのか。黒幕がマギサービス企業だというのなら、ボス本人を直接狙った方が手っ取り早いのではないか。ボスを狙えない理由、またはデイビッド氏を狙う理由があるはずだ。


 なぜデイビッド氏のマギデバイスに反応して、書類のマギシグネチャが発光したのか。これは先ほどの実験が仮説を裏付ける。そして、その仮説が正しいとすれば、それが可能な人物はかなり限定されるはずだ。


 なぜマギ・エクスプレス社が裏取引の相手として挙げられているのか。


 なぜ汚職という犯罪が選ばれたのか。


 どうすればデイビッド氏の冤罪を証明できるのか。


 匿名の通報を行なったのは、真犯人は誰なのか。



 ――そうか、そういう事だったのか。しかしそうなると、犯人はもしかして……。


 いてもたってもいられず、僕は慌ててオフィスを飛び出した。


 ボスが、危ない。

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