028 - hacker.identify(wirepuller);

「その人物は我々にマギフィンガープリントをのです」


 ミミックの言葉は僕達に衝撃をもたらした。僕にとっての驚きはまず、マギフィンガープリントを他人に与えられる人物が存在するという事だ。そんな『管理者権限』のようなものをもっている人物とは、一体何者なのだろうか。

 さらに、マギフィンガープリントを付与できるという事は、マギフィンガープリントが途中で変化する可能性があるという事でもある。永続的に同じだと思っていたIDが変わると知った時の衝撃は、システムを作るプログラマにとっては非常に大きい。


「魔物であるミミックにマギフィンガープリントを与えただと!?」


 どうやらボスは僕とは少し違う観点で驚いていたらしい。確かに魔物にマギサービスを使わせるなど人類に対する敵対行為とも言えるのだろうが、魔物であるはずのバレットが身近にいるためにイマイチ魔物の危険性を実感できない。


「ええ。なんでも『その方が面白いかもしれないから』と言っていたそうです。本人にとっては単なる面白半分でも、私たちにとっては福音とも呼べる行いでした。それから我々ミミックは徐々に知恵を付けて、人間社会に溶け込むようになりました」

「魔物が人間社会に溶けこむ……? そんなことがあり得るのか? と、さっきまでなら聞くところだが……実物が目の前にいるのでは信じるほかないのだろうな」


 目の前のミミックは憔悴しきった表情で、椅子に縛り付けられている。どこからどう見ても人間であり、とても魔物だと言われて信じられるものではない。僕だって自分のプログラムに傲慢なほどの自信がなければ、きっと魔核の存在を信じなかっただろう。


「こんな事を言えた義理ではないかもしれませんが、お願いします。我々の事はそっとしておいてください。代わりに、今回の件を依頼してきた相手についてはきちんとお話いたしますので……」


 そういってミミックは静かに頭を下げた。


「む、むぅ、しかし、魔物が人間社会に潜んでいるなど……」

「ねーねー、バレットだって『まもの』だよ?」


 横で静かに話を聞いていたシィだったが、唐突に口を挟んだ。ボスの魔物に対する知識や思い入れは以前に何かあったのかもしれないが、そんな事はシィに関係ない。

 シィの「バレットはいいのか」と聞こえる純粋な疑問に、ボスは口をつぐむしかない。バレットを認めるならば、ミミック達も認めなければならない。そうでなければダブルスタンダード二重規範だ。公平さを重んじるボスはそれを悟ってしまったのだ。


 それにしてもこれは、どうやら相当に難しい問題だ。ミミックは魔物とはいえ、人間社会に溶け込んでいる以上は人間の定めた法律などのルールに従って暮らしているはずである。目の前のミミックはそれを逸脱したわけだが、それを種族全体にまで拡大して追求するのは果たして正しいのだろうか。

 もし本当にミミックが社会にいるのであれば恐らく大問題になるだろう。まさしく魔女狩りのようにミミック達を迫害する動きが出てもおかしくない。その引き金を僕達が引くべきなのだろうか。

 ミミックたちが人間と変わらない姿形で、人間と変わらない言葉を話し、人間と変わらない価値観を有しているのであれば、それはと呼べてしまうのではないだろうか。


 ここにきて、僕達は「同一性アイデンティティ」の問題にぶつかったのだ。何をもって『同じ』とみなすのか。これがシステムなら、『種族』のようなプロパティを持っているのかもしれないが、僕達の目に見える形では存在しない。

 魔核があるから人間ではないのか。理性的に人間の言葉を話し、人間のようにのに人間ではないのか。


 例えばオブジェクト指向のプログラミング言語では、「オブジェクトが人間かどうか」という問いに対して「オブジェクトが人間のように振る舞えるのであれば、それは人間である」というルールに基いて処理を決定するものがある。

 『ダック・タイピング』と呼ばれるそのルールの語源は、「ある鳥がダックのように見え、鴨のように泳ぎ、鴨のように鳴くならば、それはたぶん鴨である」という英語圏で使われるアナロジー類推である。

 このアナロジーのさらなる語源は米ソ冷戦中の共産主義者の告発に「振る舞いが共産主義的なら共産主義者だ」というロジックが用いられた事であり、共産主義者の疑惑がある人物に対する弾圧は魔女狩りに近いものがあった。


 もし僕達がミミックを人間でないとして迫害するのであれば、似たような状況に陥るだろう。しかしミミック達はミミックとして振る舞うのではなく、人間として振る舞うのだ。見分けるだけなら魔核を確認すれば簡単だが、魔核の有無だけが迫害の基準になるのは果たして正しいことなのだろうか?


 僕には答えは出せなかった。ボスもまた戸惑った顔をしている。しかし、しばらく逡巡していたのか、ボスはゆっくりと頷いた。そして、僕の方に目を向ける。僕もまた静かに頷いた。


「わかった。今回の事を話すのであれば、ミミックの存在はいましばらく私の胸の中にしまっておこう。もし公表すれば大きな混乱を招くだろうから、どうせ公表はできないしな」

「……ありがとうございます」


 ボスの言葉を受けて安心したのか一気にしおらしくなったミミックは、ポツポツと今回のシィの誘拐未遂について話し始めた。


//----


 ミミックの男は完全に人間社会に溶け込んでいて定職も屋敷すら持っている。しかし、だからといって最初から何事も順調というわけではなかった。

 戸籍の問題があったのだ。この国では移民に寛容なために、移民登録をすれば問題なく国籍を得られる。諸外国では戸籍制度を導入していない国も多いため、その国に居住していた事の証明は難しい。なので、来るものは拒まずの精神で運用されている。僕も東国の出身として移民登録したので、その恩恵に預かっている。

 ただし流浪移民としての扱いになるので、何代も経た定住者に比べると信頼や扱いは自然と低くなる。ミミックの男も例に漏れず、この国に流れ着いてしばらくは定職にも就けずに食べるにも困る状況だったらしい。僕の場合はボスに本当にラッキーだったという事だ。


 そんなミミックの男に、僕にとってのボスと同じように手を差し伸べる存在がいた。その気まぐれな存在は、命令に従う事を条件に男に食事と職を与えたのだ。ミミックの男は感謝して、命令に従う事を誓った。そこからは定職について社会的信頼も得られ、徐々に状況は改善していく。

 それからはちょこちょこと救いの神の命令に従っていたが、徐々に要求がエスカレートしはじめたのだ。最初の内は試すような簡単な内容だったのが、徐々に非合法な内容が増え始め、暴力沙汰になることも珍しくなくなった。

 あの人を喰ったような話術や表情はその過程で覚えたものらしい。人に舐められるようでは、こなせない命令もあったのだ。

 そうしていくつもの任務を何とかこなしていたが、ついに今回の「シィと呼ばれる幼女の誘拐」を命じられた。さすがに幼い女の子の誘拐は、と断ろうとしたが、拾った恩を忘れたのかと迫られたらしい。

 ミミックの男は観念して従ったが、なるべく恐怖を与えないように、お菓子を与えて童話を読み聞かせるなどして、できる限り穏便に進めた。


「もう限界だったのです」


 男は疲れきったような表情で自嘲する。


「私を拾ってくれた人は、とある経営者の長男で人当たりもよく好青年と思われている人物です。しかしその裏で私には非合法な裏仕事を命じ続け、恐ろしいほどの冷酷な一面を合わせもっている」

「ふむ、なぜその者は今回シィの誘拐を命じたのだ?」

「詳しい事はわかりません。私のような者にいちいち詳しい事情を説明などしてくれませんので。私が命じられたのは、シィと呼ばれている女の子を数日間監禁して誘拐する事だけでした」

「そうか……それで、その人物とは一体誰なのだ? とある経営者の長男という事だが、その経営している企業が今回の件に関係しているのか?」


 ボスの問いかけに、男はしばらく答える事を迷っている様子だった。やはりひどい扱いを受けたとはいえ、拾ってもらった恩を忘れられないのだろう。だが、ようやく決心がついたのか男はおもむろに口を開いた。


「恐らく関係しているでしょう。なにせ、その企業は。それも、さきほどそちらの方が再現してみせた『転移マギサービス』の運営会社である『マギ・エクスプレス社』ですから」


//----


 マギ・エクスプレス社。

 創立三十年ほどの、マギサービス運営会社の中では中堅どころに位置する企業だ。大量の人や物を決められた場所まで運ぶという『転移マギサービス』を提供する事で広く知られている。

 今まで馬車と船に支えられていた流通に革命を起こし、企業設立当時は各業界に衝撃をもたらした。大量の荷物を時間をかけずに転送できる。それでいて、魔物が狩られているとはいえ安全とは言い切れない街道を通るよりも安全なのである。

 設立から三十年経った今、流通の大部分を支えていると言ってもいい状況にまでなっている。他のマギサービスの例に漏れず利用料は高額だが、何日も掛けて街道を渡り荷を運ぶ旅費と時間に比べればそう高いものでもない。


 僕達が近頃サービス開始した電話マギサービスとも、ほんの一部だけカバー範囲が干渉している。一応の競合他社なわけだ。今まで急ぎの手紙を転送するために使っていた部分である。他にも複数人での通話をサポートしている事から会議のために一か所に集結する必要などもなくなり、人を運ぶ機会も多少減ったかもしれない。

 だが、そこまで大きな損害を与えたとも思えない。手紙の転送は、急ぎでなければまとめて一度で行なっていたし、人の移動だってそう頻繁にあるものではないだろう。


 誘拐なんて短絡的な手段を考える相手の気持ちなんてわかるはずもないが、マギ・エクスプレス社のような手堅い商売を行なっている企業の関係者が、僕達を付け狙う理由がよくわからない。


 そのような事をボスと話し合った。ミミックの男はとっくに解放している。

 ちなみにミミック達にマギフィンガープリントを与えた存在の事もたずねてみたが、言動は伝わっていても風貌は伝わっていなかったようだ。唯一わかっているのは、その人物がだったことである。なぜだか非常に心当たりがある気がするが、きっと気のせいだろう。


 さて、僕達がとるべき行動はいくつか考えられる。なにせシィを取り戻したし、黒幕も判明したのだから、主導権はこちらにあるだろう。

 だが、僕達の中にはそんな選択肢などみじんも考えずに「猪突猛進」な正面突破を選ぼうとする女性がいるのだった。


「よし、バンペイ! 正面から殴りこみに行くぞ!」

「ええええっ!? ど、どういうことですかボス! 追い返されるだけですよ!」

「ふっふっふ、我々の身内に舐めた真似をしてくれた事をしっかりと後悔させてやろうではないか!!」


 僕の言葉がまったく耳に入っていないのか、それとも入っていないフリをしているのか、ボスはガバリと立ち上がると玄関に向かって歩き始めた。


「ちょ、ちょっと待って下さいボス! シィはどうするんですか!? また誘拐されてしまうかもしれませんよ!」


 すると、ピタリと立ち止まった。やったぞ、僕は暴走したプロセスボスを止める事についに成功した。コンテキストスイッチが無理矢理アプリケーションのプロセス処理に割り込むように、僕の声によってボスが思いとどまったのだ。


「シィなら一緒についてくればいいだろう」


 ボスはそれだけ言って、またつかつかと歩き始める。コンテキストスイッチで得た制御は一瞬で取り返されてしまった。スケジューラ調整者の悲哀である。


「おにーちゃん、いこうよ!」

「がうっ」


 くだんのシィとバレットも悲哀にくれる僕を残してボスを追いかけ始めた。こうなると、僕も黙ってボスの後を追うしかない。いつだって、こういう時の男の立場というのは弱いものだ。

 ボスにはああ言ってみたが、実はシィが再び誘拐される危険については対処を済ませてある。先ほどミミックの男がバレットに吹き飛ばされてから目を覚ますまでに、マギランゲージでコードを書いておいたのだ。あとは上手く動けばいいのだが、大丈夫だという自信はある。


 僕達三人と一匹は一緒にマギ・エクスプレス社へと向かう。ボスが早足でずんずんと進んでいくので、僕も自然と早歩き、足の短いシィは途中で僕がおぶっている。


 広場まで出たところで、ボスがピタリと足を止めた。


「で、マギ・エクスプレス社というのはどこにあるんだ?」


 僕がズッコケそうになったのは言うまでもない。

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