027 - hacker.infer(man, "kind");

「あなた、魔核を?」


 それを聞いた男はしばらく黙っていたが、ゆっくりと振り返る。そこには先ほどまでの余裕たっぷりだった憎たらしい笑顔はなりをひそめ、うってかわって焦りを隠せずに何とか作った笑顔を浮かべている。


「な、な、なんの事でしょう。ま、魔核なんて、知りませんねぇ」

「とぼけても無駄です。なんなら、胸を開いてみせてもらってもいいですか? 魔核を持っているなら、胸のあたりに露出しているはずです」

「ぐっ……」


 そう。ブライさんの部下が魔物へと変わる前に、魔核が胸に埋まっているのを確認する事ができた。魔核を持っているならすぐにわかってしまう。


「え、おじちゃんが『まかく』もってるの? おかしいなー、バグのしるしなんてなかったよ? おとーさんのマギでわかるんだよ?」

「バンペイの言う事を疑うわけではないが、魔核を持っているのに魔物化もせず、別に具合が悪いというわけでもなさそうだが、本当なのか?」

「ほ、ほっほほ、ほらシィちゃんもレイルズのお嬢様もこう仰っている事ですし、何かの勘違いではありませんかぁ?」


 確かにバグ入りの魔核だとしたら、シィのマギデバイスにインストールされている『おとーさん』のマギに反応しないのはおかしい。だが、男の反応は明らかに魔核を持っているというものだ。


 僕達の前には数々な『論理的命題』が挙げられた。


 プログラミング言語には様々な種類があるが、『論理プログラミング』というものをテーマにしている言語がある。これは、数学の論理学に基づいて設計された言語で、様々な述語的命題(〜は〜である)を元に論理的な結論を出す事に特化した言語である。

 例えば、『AとBは友達である』『BとCは友達である』『友達の友達は、また友達である』という3つの命題をプログラムとして宣言する事ができる。この時に『Aの友達は誰か?』という問いをプログラム的に行なうと『BとC』が友達として返ってくるのだ。

 こういった論理的な推論を普通のプログラミング言語で行なうのは、なかなかに大変だ。一種の人工知能に近いものなので、命題が複雑化してくると一気に難易度も跳ね上がっていく。例えばCの友達が増えたり、友達の一種である親友がでてきたりするかもしれない。


 こんなごく一部にしか使えなさそうな言語など何の役に立つのかと思うかもしれないが、例えば数学の証明をするだけではなく、数々の定理から新たな定理を作り出したり、エキスパートシステムと呼ばれる人間の専門家が行なう意思決定の過程を模倣した人工知能のエンジンとして利用したり、さらには作られたプログラムのコードが論理的に正しいと証明し、100%バグがない事すら証明できたりする。

 この世界を作ったのが誰なのかは知らないが、そんな神様みたいな存在ですら魔核のような『バグ』を生み出してしまったのだ。100%バグがない事を証明できる事の、なんと偉大なことなのだろうか。


 バグがなくなるほどの偉大で完璧な言語なら、全てのプログラムを論理プログラミングで行えばいいと考えるかもしれない。しかし、残念ながら書く方の人間がそこまで完璧ではなかったというオチがつく。

 証明の方が間違っているという事が多々起こるし、そもそも論理プログラミング言語は普通のプログラミング言語に比べると難解で書くのが難しい。また、言語の機能が抽象化されすぎていて、コンピュータのメモリやCPUといった資源を制御する事ができないため、プログラミング言語の表現力にマシンが追いつかないなんて事もしばしばある。


 それでも、論理プログラミングが有用なことはあるのだ。のように。といっても、実際にコンピュータが手元にあるわけではないので、脳内でのシミュレート仮想計算になるわけだけだが。人間の脳とはなんと素晴らしい万能のマシンなのだろうか。

 ここまでで僕達が得られた論理的な命題は『男は魔核を持っている』『バグのある魔核は人間に感染する』『魔核は魔物に感染する』『シィのマギによるとバグは存在しない』の四つ。

 これらの前提条件に間違いがないとすれば、は一つしかない。


「つまり、あなたはなんですね?」

「なっ!!」


 男の反応は劇的だった。冷や汗をだらだらと流し、口元はピクピクとひきつっている。どうやら図星だったようだ。


「なんだと!? どういう事だバンペイ!」

「そうとしか考えられません。論理的に考えるとそういう事になるんです。男は明らかに魔核を持っているのに、バグの気配はない。つまり男の持っている魔核はバグがあるわけではない。バグがない魔核が感染するのは魔物だけ。よって


 それが僕の推論エンジンが導き出した答えだった。


「だが、この男の姿形は明らかに人間だぞ?」

「そうですね……こうは考えられませんか? こいつは魔物のような人間なのではなく、なんです。少なくとも魔核を持っている以上、普通の人間ではありませんからね。そうなってくると、あり得るのは『魔物』か『バグ魔核に感染した人間』か。そう考えてみれば、どっちが可能性が高いのか自明の理でしょう。数年に一度しか発生しないはずのバグ魔核にそう何度も出会う訳がない」

「人の言葉を操る人間のような魔物……しかし、そんな魔物の報告例はないが……」


 やはり信じがたいのか、訝しげな表情を浮かべるボス。僕だってなにも絶対に自分の結論が正しいと思っているわけではない。しかし、『論理的な結論』というのはえてして『人間の直感』から外れている事も多い。

 アナログ的な曖昧な解釈が得意な人間の脳では、違和感を見つけるような曖昧な問題の答えは簡単に出せても、ロジック論理を元にしたデジタル的な結論というのは簡単には出てこないのだ。


「人間のような魔物の報告はない。ですが、人間になりすませる魔物でしたらどうです? です」

「あっ……そうか! ミミックか!」


 そう、存在するのだ。ミミックと聞くとロールプレイングゲームの中で宝箱として現れて、のこのことやってきたプレイヤーの操るキャラクターを即死魔法で一網打尽にする理不尽な敵キャラとしての印象が強い。

 しかし、この異世界では違う。ミミックとはそもそも『ものまねをする』という意味の英単語なのだ。宝箱の敵キャラは、宝箱そのものになりすましている事からミミックと呼ばれているのであって、宝箱の中に潜んでいるわけではない。

 こちらの世界に来てミミックという魔物を本で見た時に、宝箱のイメージが強かったから驚いたのを覚えている。異世界と地球で言葉の違いはあるものの、僕の頭の中ではどうなっているのか、単語のマッピング対応表ができるようになっている。


 このミミックという魔物は、何かに擬態する事で有名な魔物だ。街道近くで行われる魔物狩りでは木や岩といった無生物や、犬や鳥といった一見無害そうな小動物など、様々なものになりすまして突然襲い掛かってくる事から、ハンター達には嫌われている。

 魔物とは動物に魔核が感染することで生まれてくるものだが、ミミックの場合どの動物が元となっているのかは判明していない。ブライさんの部下がそうであったように、魔物への変化は姿形や性質を変える事が多いので、元の動物は判明していない事の方が多いのである。


「しかしミミックが人間に擬態するなんて聞いた事がないぞ。なんでミミックが人間になりすまして、しかもシィに接触していたんだ?」

「そうですね、そればかりは本人、いや本魔物に聞いてみないとわかりませんね」


 そして僕達の視線は自然とガクガクと震える男の方へと向かう。


 すると突然、男は玄関に向かって走りだした。


「ガウッ!」


 横合いから黒い影が男に飛びかかる。小さくなっているにも関わらず、バレットは加速度によって自身の質量を衝突の力ベクトルへと変換し、男へとぶつけた。要するに勢いよくぶつかったのである。

 ぶつかられた男は勢いよく吹き飛ぶと、そのまま壁へと衝突した。一部始終を固まって見ていた僕達は、男が綺麗に床に伸びてしまうまで、アインシュタインの相対性理論を引用するまでもなく引き伸ばされた時間の中でぼんやりと見ていた。


 あとにはバレットが、名誉挽回とばかりに誇らしげに尻尾を振るばかりだった。


//----


「私は雇われただけなのです」


 目を覚ました男、改めミミックは、椅子に縛り付けられたままそう答えた。往生際悪くしらばっくれていたが、胸元にある魔核を確認するといよいよ観念したのか、ポツポツと話し始めた。


「もともと我々ミミックというのは、小動物に擬態するぐらいしかできない力の弱い魔物です。しかしある時、一匹のミミックが人間に擬態する事を学んだのです」


 魔物だって生物であれば学習するだろう。繁殖行動を曲がりなりにも行なっているので、『生物』のくくりには含まれている。地球でのウィルスは生物に含めるか議論が分かれるところらしいが。

 人間に擬態する事を学んだという一匹のミミックは突然変異だったのかもしれない。ある意味でこれもバグと言えるだろう。生物界の突然変異とは神様が遺伝子にわざと遺したバグであり、進化の源にもなる力である。


 別に宗教的なことを言うつもりはなく、人間が自然発生であれ、誰かに意図的に生み出されたものであれ、遺伝子というものの存在は証明されている。突然変異とは、遺伝子がコピーされる際に起こる『コピーミス』であると考えられている。

 遺伝の仕組みを模倣した『遺伝的アルゴリズム』というものがあるが、そのアルゴリズム手順では、意図的にランダムなコピーミスを繰り返し発生させる事で、目的に合致するパターンへと徐々に近づけていくという仕組みになっている。

 ゴールへの道筋が明確に定まっていない場合、論理的に道筋を考えるよりも、ランダムな総当りで『とにかくやってみる』というある意味で乱暴な手法の方が上手くいく事もあるのだ。もしかしたら、人間が生まれたのも神様が仕組んだ遺伝的アルゴリズムの結果なのかもしれないと考えるとロマンチックだ。いや、プログラマチックか。


 そんなプログラマ的な思考をしている間にも、ミミックの独白は続いている。


「人間に擬態する事を覚えたミミックは、しかし最初の内は人間の前に出る事もなく、隠れて生活していました。ただ、そのミミックが『子ども』を生み出すと、その子どもも人間に擬態できる事がわかったのです」


 突然変異で獲得した性質が遺伝する。もはやと呼べるかもしれない。


「それからは徐々に子ども、そして孫と増えていき、気がつけば人間に擬態できるミミックが一つの村を作れるぐらいまで増えていたのです。ただ、やはり魔物は魔物。社会性もなく群れる事を知らないミミック達は各地へと散らばっていきました」

「そんな馬鹿な……だが、人間を模倣するミミックの報告など聞いたことがないぞ」

「ええ。それはそうでしょう。なにせ人間になりすましても、爪も牙もなく生物闘争は勝ち抜けない。自然の中では人間というのは本当に弱い一固体でしかないのです。人間を模倣できるとはいえ、あえてその形を取るミミックというのはいませんでした」


 ミミックは先ほどまでの憎たらしげで怪しい雰囲気をすっかりなくして、落ち着いた声で語り続けている。どうやら、先ほどまでの態度もまた『なりすまし』だったらしい。


「しかし、ある時、そんなミミックに知恵を付けてくれる人物が現れた。人間に模倣できるなら、言葉を学んで本を読み、マギを使えるようになればいい、と教えてくれたのです」

「マギを使う魔物だと!?」

「はい。我々はマギサービスを使う事ができます」

「ば、ばかな……魔物がマギサービスを使う? 何の冗談だ?」

「ちょ、ちょっと待って下さい。マギサービスの登録には、マギフィンガープリントが必要なはずです。人間それぞれに異なるマギフィンガープリントとはいえ、魔物にそれがあるとは思えませんが」


 ミミックはこくりと頷いて語りだした、次の言葉は僕達に衝撃を与えるものだった。


「その人物は我々にマギフィンガープリントをのです」

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