017 - hacker.has(ambition);

 僕の目の前には、まるで殺虫スプレーを受けたようにピクピクと痙攣する魔物の姿がある。低温、バレットの爪、五十万ボルトの電撃とトリプルコンボを受けて、立っていられるはずがないのだが。

 どうやらスタンガンの効き目は十分に大きかったようだ。バレットの時といい、魔物には電流がよく効くのかもしれない。ベースが生物である以上、生体電気の狂いからは逃れる事ができない。


 近づかずに様子を見ているが、動き出す気配はない。先ほど垣間見せた知能からすると、この状況で気絶したふりをしていてもおかしくない。

 そばに戻ってきていたバレットが尻尾を丸めて少し怯えている。よっぽど出会った時のが大きかったのだろう。申し訳ない事をしてしまった。今後はなるべくスタンガンは控えよう。

 バレットを撫でてなだめつつマギデバイスを構えて地面を操作し、うつ伏せになったままの魔物をひっくり返す。先ほど見た腐食のような現象に用心して皮膚には触れないでおこう。


 黒かった魔核は完全に赤くなり、まるで心臓のように微弱な光が強弱を繰り返して鳴動している。活発に活動している様子はない。


「大丈夫……そうかな」


 再度チタンを用意して、魔核の隔離を実行する。しかし、やはり黒い表皮に触れた途端に腐食が起こり、ボロボロと崩れていく。これでは魔核を取れそうにない。


「困ったな……」

「ガウガウ」


 バレットが俺に任せておけと言わんばかりに前へでる。おもむろに倒れている魔物の胸元に爪をつきたてると、さっさと赤い魔核を引きずりだしてしまった。

 そういえば、さきほども爪で攻撃していたが何ともなかったし、バレットの爪は腐食耐性があるのかもしれない。


「ありがとう、バレット。魔物の攻撃を防いでくれていたし、本当に助かったよ」


 魔物の攻撃を引きつけてくれ、魔核も取り出し、まさに八面六臂の活躍だ。一家に一匹バレットだな。バレットを連れて来ていて本当に良かった。


「クゥーン」


 尻尾を振っているバレットを撫でながら、取り出された魔核を観察する。やはり魔核単体でどうこうする事はできないらしく。鳴動を繰り返していた魔核は、外に出された途端に赤から黒へと光を失っていく。

 それと同じくして黒い魔物の身体がきしみ、肥大化していた部分がドロドロと崩れ始める。中から元の人間の身体があらわになっていく。ボスの言う通りであれば、どうやらこちらも無事に済みそうだ。


「よし、あとは報告しにいくとするか」

「ガウッ」


//----


 それから。壁から出た僕にボスが魔物に負けないタックルをしてきたり、ブライさんから何度もお礼の言葉をもらったり、バレットを小さくするのを忘れていて大騒ぎになったり、シィが嬉しそうにクルクルと空を飛び回って助けだされた人達が目を丸くしたり、とにかく紆余曲折あって僕達は帰路につく事になった。

 ちなみに、魔物になっていた彼はその後無事に意識を取り戻した。魔物と化していた間の事は全く覚えていないらしい。ただ、僕の顔を見ると寒くもないのになぜか震えてしまうとの事だった。


「それで、シィは結局連れて行くことにしたのか?」


 僕の膝の上ですーすーと寝息を立てて寝ているシィを見ながら、ボスが尋ねてきた。はじめは馬車に興奮していたが、馬車の揺れにだんだんと眠くなってしまったようだ。

 なおブライさんは気を使ってくれたのか、壁内に閉じ込められていた馬車の一つに乗っているので、この馬車には御者を除けば僕とボスとシィ、そしてバレットだけだ。


「ええ。やっぱり一人ぼっちというのはかわいそうですし、作業も僕が手伝った方が無駄な犠牲者を減らせそうですしね」

「しかしバンペイ、君には会社もあるんだからな? せっかくブライ氏から支援も受けられる事になったのに、君が抜けたら一からやり直しなんだが……」

「ああ、大丈夫です。バグはたびたび発生するわけではなく数年に一度程度の頻度らしいので、仕事の妨げにはならないと思います。シィはバグが発生する予兆とおおまかな場所がわかるらしいので、事前に準備もできそうですし」

「うむ。なら、あとは君が決めた事だ。とやかく言うつもりはないさ。私もシィの事は気になっていたしな」


 眠りにつくシィの綺麗な金髪を撫でながら、ボスは優しい目をしている。やっぱり子供が好きなんだな。

 シィからは「おねーさん」と呼んでほしかったようだが、僕がボス、ボスと呼んでいたのに影響されて、シィもボスの事をボスと呼ぶようになってしまった。僕は「おにーさん」なので不公平だとぶつぶつつぶやいていた。


「それにしても、シィの『おとーさん』は一体何者だと思う?」

「さあ、僕が聞きたいぐらいですが……少なからず心当たりはあります」

「なに? 一体誰なんだ?」


 僕の思わぬ言葉に身を乗り出すボス。


「マギデバイスの作者ですよ」

「……バンペイ、私をからかっているのか? マギデバイスは百年以上も前に発明されたものだぞ? その作者が生きているわけないだろう。いや、シィの話ではすでに父親も亡くなっているとの話だったが、シィの年齢からすれば最近の話だろうからな」

「そりゃわかっていますよ。ですが、あの『壁』は明らかにマギデバイスの仕組みを熟知している人にしか作り出せないものです」


 シィがあの壁を作り出せるのは、シィが持つマギデバイスにされているからだ。マギサービスではなく何らかの形でマギデバイス内部に保存されており、呼び出す事ができる。残念ながらエディタースクリーンではソースコードを読む事はできないらしく、その点でもマギデバイス作者説を後押ししている。

 例の壁の他にも宙を浮いての飛行や、バグった魔核の検索など様々なマギがインストールされている。ソースコードが見られないのは残念だが、いつかは自分で再現したいと思う。


「いくら熟知していようといまいと、人間である以上、百年以上も生き永らえるなんて不可能だろう。マギデバイスの作者の弟子だと言った方がまだ納得できるぞ」

「そうですね……、その通りです」

「む、なにかつっかかる言い方だな。まさか、人間でないとでも言うつもりか?」

「ええ。僕はマギデバイスの作者は、マギランゲージの作者と同じ人物だと考えています」


 僕の言葉にボスはあんぐりと口を開いた。意外と信心深いボスにとっては、マギランゲージの作者が誰であるかなんて聞かれるまでもない。宗教の教えでは、マギランゲージは神様が授けたのだ。


「正気か……バンペイ? いや、だが、しかし……確かに、マギデバイスの作者は全く知られていないし、マギランゲージとの親和性を考えればありえなくも……」


 ブツブツと考え事に入り込むボスを尻目に僕も思案する。もし僕の考えが事実だとしたらシィのおとーさまは神様という事になり、シィは神様の子供という事になる。

 シィが言っていた「おとーさんはお空の上にいっちゃった」というのは、実は文字通りのではないか。シィを地上に残して天上に行ってしまった、という事なのではないか。

 シィの幼い言動の一つだとすっかり勘違いをしていたが、それであればシィに母親がいない事も理解できる。この世界の宗教には女神様は存在しないからだ。


「シィちゃん……君は神様の子供なのか?」


 安らかな寝息を立てるシィの頭をそっと撫でる。絹のような光沢のある金髪がさらりと手のひらからこぼれ落ちた。


//----


 無事にオフィスに帰宅した僕達に新しい仲間が増えた。


 人々に害を及ぼし疫病に例えられる凶暴な魔物、黒死狼であるバレット。しかし今や柴犬のサイズまで小さくなり、しつけも完璧な我が愛だ。我が社の招き猫ならぬ招き犬として立派にマスコットキャラを務めてほしい。いざという時の護衛だって出来る。すごいぞバレット。


 人知れず人類に破滅をもたらすバグと戦い続ける金髪の幼女、シィ。今は僕の背中でぐっすりと就寝中だ。大きなパッチリとした目がチャーミングな彼女は、将来性抜群。我が社のエースとしてマスコットキャラを務めてほしい。デバッグに大活躍だ。


「えーと……マスコットキャラばかり増えてますね」

「ははは、バンペイは面白い事を言うな。働かざるもの食うべからずだ。バレットは護衛と門番、シィはお茶くみに掃除などのお手伝い。いくらでも仕事はあるぞ。我が社はまだまだ人手不足だからな」

「クゥーン……ガウッ」


 いつの間にか我が社のガードマン役に決められていたバレットがうなだれながらも、引き受けてくれるようだ。


「ブライ氏から支援も受けられるし、これでバンペイには安心して開発に集中してもらえそうだな。私も肩の荷が下りて万々歳だ」

「はい。がんばります……ボスはこれから何をするんですか?」

「うん、私か? 私はマギサービスを始めるための諸々の準備だ。書類提出してマギサービス登録所に申請しなくてはいけないしな」

「マギサービス登録所、ですか?」

「ああ……って、もしかしてバンペイはマギサービス登録所を知らないのか? 君はそういえば既存のマギサービスを使わずに全部を自作していたな」

「ええ。マギサービスって使った事ないんですよね」


 僕の返答にボスは呆れた様子で返す。


「今時ありえないぞそれは……まあともかく、マギサービス登録所というのはマギサービスを利用するためにマギデバイスを登録したり、利用料を支払うための場所だ。国が各都市に設置している」

「なるほど、役所みたいなものなんですね。新しいマギサービスを始めるのに何か審査などがあったりするんでしょうか?」

「いや、特にないな。あっても、違法なものでないか確かめる程度だ。王民誓言によって国が民の商売に介入するのは禁止されているから、国が行うのは基本的に管理だけだ。昔はマギサービス企業それぞれが登録所を作っていたが、さすがに不便だという事で国が主導して一箇所にまとめたらしい。それでも大分ごたごたがあったらしいがな」


 この国の憲法にあたる王民誓言は、王が臣民の権利を認めるという重要な誓言だ。これを破ればそれは即ち王の顔に泥を塗った事になるため、不敬罪にも相当する重大な罪に問われる。そこに権力者かどうかは関係がない。

 登録所は国が運営しているとの事で、建前上は会社の大きさに関係なく平等に扱ってくれるだろう。だが、果たしてそこに勤めている人達には大企業の影響力が及んでいないのだろうか。談合のような行為は当然禁止されているが、心配にはなる。


「とにかく、私は私で準備を進めておくから、君もがんばってくれ」

「はい。あ、外に出るならバレットを連れていってはどうですか?」


 なにしろ護衛として働いてもらう事を宣言したばかりだ。


「うーん、しかし行先は堅いところばかりだしを連れていくわけにもな……」

「ペットじゃなくて護衛ですよ。女性ひとりでは何かと危険ですし、ぜひ連れていってください」

「そ、そうか? ふ、ふふ、そうかそうか。わかった、バンペイがそこまで言うのなら仕方ないな。ではバレット、出かけるぞ。私についてこい!」

「クゥーン」


 なぜか嬉しそうなボスと若干ひいた様子のバレットの対比が印象的だった。


//----


「音声の符号化はこれで良し、と」


 電話を作るにあたって考えたのは、アナログ方式とデジタル方式のどちらで実現するかという事だ。

 アナログ方式では音声を波として捉え、その波をそのまま遠くまで波及させる方法を考える。音波のままでは遠くまでは届かないので、例えば電気の強弱に変換して回線を通じて届けたり、電波として携帯電話に届けたりする。

 ひるがえってデジタルは端末の電話機が音声を0と1のデジタル信号に変換する。この変換の事を符号化と呼ぶのだが、符号化された音声は取り回しがしやすく、波ではないため途中の経路で劣化しないし、アナログに比べて効率的だ。

 地球では電話に限らず様々なものがアナログからデジタルへと移行していった。理由は様々だが、大きいのはコンピュータやインターネットの普及だろう。その上で扱うものもデジタル化しようという動機が生まれるのだ。


 コンピュータもインターネットも存在しないこの世界では、どちらの方式を取ってもよかった。確かにデジタル方式の方が利便性が高いが、マギであれば波を劣化なしで届ける事もできるかもしれないのだ。


 ただ、ここで僕のとでもいうべき欲望が顔を出した。


「やっぱ、異世界でもPCとネットがほしいよな……」


 そう、電話でデジタル方式を採用する事によって、その先にある展開を狙っていたのだ。

 音声によるやりとりが可能になれば、その音声を記録したり編集したりしようと思うのは自然な発想だ。デジタル形式の音声であれば、デジタルに特化した端末を作る動機になる。すなわちコンピュータだ。

 電話でデジタル方式の『通信』が再現できれば、他のものもデジタル化して通信しようという発想に至る。インターネットすら再現できるかもしれない。


 実は電話を提案した裏には、こんな目論見が隠れていたのだ。


「あとは通信をどうするかだな……やっぱり、電波を使おうかな? でも、地下や建物の中だと通じないんじゃ片手落ちだよなぁ」


 せっかく地球にはなかったマギというものを使っているのだから、地球の手法の再現にこだわる必要もない。


「そもそも、マギの射程距離ってどのぐらいなんだ?」


 マギデバイスを指し向ければ基本的にマギが発動していたので今まで深く考えていなかったが、遠く離れた対象にマギを発動した事はなかった。

 そこで外に出て実験してみる事にした。座っていたソファから立ち上がって外へ向かおうとすると、小さな影が立ちふさがった。


「はいはい! シィもいく!」


 小さな身体をせいいっぱい伸ばして背伸びしながら手を高く挙げるシィ。いつの間にか目を覚ましていたようだ。


「おはよう、シィちゃん。お腹はすいてない?」

「んー、すこしすいた、かな?」


 このぐらいの歳の子は胃袋が小さいので一度に食べられる量が少ない。その分、おやつなどで頻度を増やす必要がある。


「外で買い食いでもしようか」

「うんっ!」


 シィとはぐれないように手をつないで外へ出る。街の中を歩きながら、ふと気になった事をシィに尋ねてみる。


「そういえば、シィちゃんは今まで食事はどうしてたの?」

「え? あのねー、たべものはマギデバイスでだせるんだよ?」

「え!? マギデバイスで!?」

「うんっ! こうやって、こう!」


 次の瞬間、僕は自分の目を疑う事になる。


 シィが自分のマギデバイスを振るったかと思うと、その場にいきなりパンの入ったカゴが現れたのだ。しかも、ほかほかと湯気が出ており、いかにも焼きたてのようだ。

 しかし、その事よりも気になった事がある。


「し、シィちゃん、今、よね?」

「え? じゅもん? じゅもんってなに?」

「ほら、マギを使う時に【コール】とか【ラン】とか言わないかい?」

「あー、のことかぁ。あのね、いちいちコマンドいうのやーだから、でつかうんだよ?」


 どうやら、マギデバイスはまだまだ知られていない事がたくさんあるようだ。

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