018 - hacker.develop(headache);
マギデバイスを振っただけで焼きたてのパンを出してみせたシィは、得意げな顔をして『モーション』の説明をしてみせる。
通りのど真ん中だったため、人目を避けて脇道に入っている。小脇にパンのカゴを抱えた格好は少々恥ずかしい。
「えっとねー、マギデバイスにねー『ふりかた』をおしえてあげるの」
「どうやって教えてあげるの?」
「んーと、んーと、あ、そうだ! 【オープン・モーション・エディター】!」
すると、マギデバイスから見慣れた白いスクリーンが現れる。しかしいつものスクリーンとは違って、真っ白ではなく何かが書かれている。
「これは……
「そうだよー。あのね、ここにね、こうやっておしえてあげるの」
すると、シィはマギデバイスを使ってスラスラとそこに設定を加えていく。かなり堂に入った動きだ。恐らく何度もやったことがあるのだろう。
手順としては登録したいコマンドを口に出して伝える。そしてマギデバイスを実際に振って動きを教える。面白い事にコマンドは複数指定する事ができるため、一つの動きだけで様々な事ができるようになるだろう。まるでマクロのようだ。
シィが登録したばかりの動きでくるりとマギデバイスを振ると、ヒュルリと暖かい風が吹いた。
「知らなかった……本にも書いてなかったし」
「え? でも、おとーさんがおしえてくれたよ?」
「シィちゃんのおとーさんは何でも知ってそうだからね」
「えへへ、うん!」
そりゃあ神様だったら何でも知ってるだろうからね。
それにしても、モーションが使えれば長いコマンドをいちいち口にしなくてもマギが実行できる。魔物との戦いで痛感した事だが、一秒の差が生死を分ける場ではマギの呪文は長すぎる。モーションを駆使すれば、ずいぶんと有利に戦えるだろう。
どうしてシィの『おとーさん』はマギデバイスを与えておいて、詳しい使い方を伝えなかったのだろう?
「シィちゃんはマギデバイスで他にも何かできるのかな? まだまだ知らない事がたくさんありそうだ」
「うーん、わかんない!」
ガクッとなったけど、きっと抽象的な質問には答えられないのだろう。具体的に「何々みたいな事はできる?」と聞けば教えてくれるだろうが、何ができるかと聞かれても答えられないのかもしれない。
「まあしょうがないか。よし、じゃあ一緒に実験しよっか」
「うんっ! じっけん? するする!」
「マギデバイスで、どこまでマギが届くのか調べたいんだ。広い場所に行かないといけないね。この近くだと広場がいいかなぁ」
「あっ! シィね、広いとこしってるよ! シィのおうちのちかくにあるの!」
「えっ、シィのおうち? それってどこにあるの?」
「あっ! ん、んー……ほんとはナイショだけど、おにーちゃんならいいよ! 一緒にシィのおうちいこ?」
「行くって、そんなに近くにあるの? 遠くには行けないけど大丈夫?」
「うんっ! すぐにいけるよ!」
そう言って、取り出したマギデバイスを地面にトントンとノックするシィ。すると地面がまばゆく輝きだし、水がブクブクと湧きだした。しばらくすると、湧き水は直径1メートルほどの小さな泉になっていた。
「ここからおうちに入るんだよー」
シィは楽しそうに僕の手を引っ張って泉の中にザブリと一気に飛び込んだ。僕も困惑しつつシィに招かれるまま泉へとダイブする。今日はシィに驚かされっぱなしだ。
「こ、これは……」
「えへへ、ここがシィのおうち!」
泉を通り抜けた先には明るい空間が存在していた。見渡す限りの広い草原、さんさんと輝く太陽、そして目の前に見えるのは真っ白で宮殿のような大きな建造物だ。完全に常識はずれの光景に圧倒されて思わず立ちくらみがした。
後ろを振り向くと、通り抜けてきた泉が空中にぽっかりと開いた穴のように浮かんでいる。どうやらワープゲートのように違う空間へとつながっていたらしい。この技術だけでも革命的なのだが、シィのマギデバイスにインストールされた様々な機能を考えると今更な話でもある。
「す、すごいおうちだね。こんなに大きいとは思わなかったよ」
「おっきいでしょ! なかもみて! はやくー!」
グイグイと僕を引っ張っていくシィ。もはや当初の目的などそっちのけで、おうちの紹介に夢中になってしまっている。
宮殿の入り口は特に扉などもなく、誰でも入れるようになっている。入り口をくぐるとそこは広いエントランスホールになっていた。壁は真っ白で足元には赤い絨毯が敷かれている。建築様式には詳しくないが、ヨーロッパの神殿か城にありそうな雰囲気だ。まさしく荘厳という表現がしっくりくる。
しかし、大きいだけに誰もいないと寒々しさばかりを感じてしまう。
「シィちゃん、ここに他の誰かは住んでないの?」
「すんでないよ? シィのおうちだもん」
「そ、そうなんだ……シィちゃん一人で住むには大きすぎないかな?」
「だっておっきいほうがいいんだもん。まえはねー、おとーさんといっしょにすんでたんだよ。いっぱいいっぱいあそんだの」
「そっか。シィちゃんにとっては、おとーさんとの思い出のおうちなんだね」
「うん……でもね、いまはおにーちゃんがいるから、さびしくないよ?」
周りを見回していたが、シィの言葉に思わず立ち止まってシィの顔をまじまじと見つめてしまう。やはり寂しさを感じていたんだという納得と、そんな小さな子から頼られる嬉しさがくすぐったい。
シィは僕の顔からそっぽを向いて、ぽつりぽつりと語りはじめた。
「あのね。馬車でいっぱいかんがえたんだ。おにーちゃんが『まかく』をとってなかったら、どうなってたんだろーって」
ぐっすりと寝ていると思っていたが、どうやらシィは考え事をしていたらしい。
「シィね、おとーさんがいってた、バグをとじこめるのだけ、いっぱいがんばればいいって思ってた。おにーちゃんが、どうしてあぶないのに『まかく』をとったのか、よくわかんなかったんだ」
「うん」
「それでね、いっぱいかんがえたの。『まかく』をとらないで、がおーになっちゃったらって。がおーになった人も、いっしょにいた人も、みんなしんじゃうんだね」
「……うん」
「そしたらね、きっとブライおじちゃんたちも、かなしくていっぱい泣いちゃうね? シィのせいで、いっぱい泣いちゃうなんてやだ。やだよぅ……」
こちらに向けたシィの背中が丸くなり、グスグスと鼻をすする音が聞こえてくる。ぽたり、ぽたりと赤い絨毯に染みができた。
「シィわるい子なの? おとーさんはウソをついたの? おにーちゃんがいなかったら、きっとみんな泣いてたよ? わかんない、わかんないよぅ」
「そんなことない、そんなことないんだよ、シィちゃん」
シィの悲痛な叫びに、ギュッと抱擁で答える。シィの小さな身体は恐怖で震えていた。きっと馬車で色々と考えてしまい、それでも無理に明るく振る舞おうとしていたが、おとーさんとの思い出がつまった場所に来て感極まってしまったのだろう。
「いいかい、シィちゃんは悪い事なんかしてない。シィちゃんのおとーさんだって、ウソなんかついてない。だって、シィちゃんがいなかったら、みんなもっと大変なことになってたんだ。シィちゃんは良い事をしたんだ」
「でも! でも! がおーになってたら……」
「でも、ならなかっただろう? がおーにならなかったし、ブライさん達も泣いてなんかいない。泣いていたとしても、嬉しくって泣いていたんだ」
「それは、おにーちゃんがいたから……」
「それでいいじゃないか。僕がいたから、みんな泣かずに済んだ。それなら、これからも僕がいれば、きっとみんな泣かずに済むよ」
「これから……も……?」
「シィちゃんが一人だけでがんばる必要なんかない。これからは、僕やボス、バレットがシィちゃんを助けてあげるから」
「ほん、と?」
「うん。だから泣かないで、シィちゃん」
「おにー……ちゃん……う、うう、うわああああああん!」
ついに涙腺が
//----
「あーすっきりした!」
「よかったね……」
どうして僕が疲れた声を出しているかというと、シィは止まる事なく延々と泣き続けて、しまいにはトイレに行って泣き止んだかと思ったら、今度はグイグイと頭を僕に押し付けて甘えはじめて、そのまま数時間もべったりくっついて離れなかったのだ。
おかげで僕は身動きも取れず、身体はガチガチだ。せっかく大きな宮殿を訪れたのだが、エントランスホールとトイレしか立ち入っていない。
「あのさ、シィちゃん。だいぶ時間が経っちゃったから、そろそろ帰らないとまずいんだけど。ボス達も心配しているかもよ」
「あ、そっか! じゃあ帰ろうよ、おにーちゃん!」
「うん。あー、そういえば、結局実験できなかったね」
「あ……ごめんね。シィが泣いちゃったから……」
「いいよ。ずっと我慢してたんだからさ」
「うん……あ、そうだ! マギデバイスのこと、もっとしりたいなら、おとーさんがおいてった本があるよ! すっごいむずかしそうだけど、もってく?」
「そ、それは、ぜひ読んでみたいけど、読んではいけない気もするし……」
神様が書いた本だとしたら畏れ多すぎる。でもマギデバイスやマギの事、まだまだ知らない事も多すぎる。まるでゲームの攻略本を見るべきか悩んでいるみたいだ。いや、今どきはネットの攻略サイトか。
しかし、マギデバイスを深く知ることはきっとこれからのマギサービス開発に活かせるだろう。もし人類にとって未知の知識が含まれているなら、いっそ広く公開して共有してしまえばいい。モーション機能ですら全く知られていないのだ。恐らくマギデバイスにはまだまだ隠された機能が存在している。
という建前で自己正当化して、ありがたく読ませて頂く事にした。なんだかんだいって、好奇心には勝てなかった。
「じゃ、じゃあ読ませてもらおうかな……」
「ちょっとまっててー」
トテトテと軽快な動きでエントランスホールから奥の部屋へと走っていくシィを見送り、改めて周囲を観察する。
シィしか住んでいない割には綺麗に掃除されているように見える。赤い絨毯にはホコリ一つ落ちていない。これもなにか不思議な力で実現しているのだろうか。
そういえば、あのマギデバイスから出てきた焼きたてのパンも謎だ。水のように大気から作り出すわけではないだろうから、どこかから転送してきたのだろうか? だとしたら、一体どこから?
なんだか、深く考えるとドツボにはまりそうな気がしたので、シィのマギについてはあるがままに受け止める事に決めた。
「えっしょ、えっしょ」
シィが大きく分厚い本を抱えて戻ってきた。革張りの立派な装丁で、かなり重厚感のある本だ。慌ててシィに近寄って本を受け取る。
「これは……『魔法統一インターフェースと魔法基本システムの仕様書』? マギじゃなくて魔法だって? この文字はマギランゲージみたいだけど」
「あのね、おとーさんがマギデバイスの事いろいろ調べたり書いたりしてたよ。うんうんうなってたの」
「そうなんだ。魔法……たしかに、マギは魔法としか思えないけど、シィちゃんのおとーさんはマギの事を魔法って呼んでたのかな」
「うーん、わかんない」
どちらにせよ間違いなく世界の根幹に関わるような重大な資料に間違いない。神様がうなるような資料ともなれば、かなり難解なのだろう。本腰を入れないと読めそうにない。ありがたく拝借して、あとでじっくり読ませてもらおう。
「ありがとう、シィちゃん。それじゃあ帰ろうか」
「うんっ」
手をつないで二人で外へと出て行く。昼から夕方になるぐらいの時間を過ごしていたはずだが、相変わらず太陽が天高く昇っている。
ここへ来るために通ってきた泉のゲートへと向かう途中、シィがふと立ち止まる。後ろを振り返ると小さく手を振った。
「ばいばい、おとーさん」
//----
オフィスに戻ってきた僕達はボスにこってりと絞られた。泉をくぐった先では、もうとっぷりと日が暮れていたからだ。
僕達の匂いをたどったバレットが泉の辺りで途方に暮れてしまい、ボスは大層心配したらしい。どう考えても僕達が悪いので素直に平謝りした。
夜になっていたので、そのままみんなで社員食堂へと向かい夕食をとる。看板娘の狐獣人キャロルは相変わらず元気いっぱいだったが、シィを見るなり僕とボスを見比べて「もう子供が!?」と勘違いっぷりも相変わらずだった。
シィの家に行っていた事をボスに説明するが、泉の先に別の空間がある事をなかなか理解してもらえない。やはり、この世界の住人にとっても常識外のマギのようだ。
ニコニコと笑いながらデザートの果物をほおばるシィは、僕なんかよりよっぽど非常識ではないだろうか。
いつも通り酔い潰れたボスを背負いながらオフィスに帰ってきた僕は、シィとボスをベッドに寝かせて、すっかり定位置となってしまったリビングのソファで横になった。もはや僕のベッドではなくボスのベッドになっている気がするが、気にしたら負けだ。
眠くなるまで、さわりだけでも読んでみようかとシィから借りた分厚い本を開くと、一気に眠気が覚める。
「神様がうなるほど難解って……そういう事かよ」
そこには見覚えのある表現や文章が並んでいた。しかも、前職でよく見たものだ。
この本のタイトルになっている『仕様書』というものは、書く人や読む人によって大きくその価値を変える。
素晴らしい仕様書とは、ソフトウェアやハードウェアを作るに当たって必要とされる機能やサービス、満たすべき規格などを過不足なく記したものである。エンジニアが仕様書を見れば「何を作るべきか」がわかると言ってもよい。
では素晴らしくない仕様書とは一体どのようなものなのか。例えば難解な表現や回りくどい言い回しを多用し、書いてあるのは抽象的な言葉ばかりで、読んでいてもいっこうに「何を作るべきか」がわからないのはダメだろう。
逆に細かすぎる仕様書というのも困りものだ。何を作るべきか、どう作るべきか、一から十まで全て漏れなく書かれていると、一見すごい仕様書のように見える。なにせ画面に置かれる文字や絵の位置をドット単位まで指定してあるのだ。「何を作るべきか」がこれ以上なく明確に書かれている。
だが、こういった仕様書はもはや仕様書とは呼べない。そこまで細かく書くなら、最初からコードを書いた方が早いからだ。そして細かい仕様が守られているか一つ一つ確認していたら時間がいくらあっても足りない。仕様書に時間をかけすぎて、肝心の製品の品質がお粗末では本末転倒だ。
シィから借りた本は素晴らしくない仕様書の典型のようなものだった。しかも、部分部分で抽象的すぎたり具体的すぎたりと、もはや同じ人物が書いているのか疑いたくなるレベルだ。
『魔法統一インターフェースを振るう事によって登録されたモーションが選ばれて対応する魔法が発動する』
実物が目の前にあればわかりやすい文章だが、まだ何も出来ていない段階でこの文章を見せられて、果たしてみんながみんな同じ物を作るだろうか。
登録されたモーションを選ぶとは具体的にどういう基準で選ぶのか。似たようなモーションが複数あったらどうなるのか。対応する魔法がなかったらどうなるのか。
結局、実物を見ないと正しい挙動がわからないのであれば、仕様書の意味がなくなってしまう。
僕なんかにしてみれば、正直コードが仕様書だと言い張りたいぐらい、こういったペーパーワークが苦手だったのだが、日本の企業では得てしてペーパーワークの方が評価されやすいのだ。これもまた、僕が万年平社員だった原因なのだろう。
読んでいて頭が痛くなってきたので早々にギブアップして、ゆっくりと目を閉じた。
神様、あなたの気持ちが少しだけわかりました。
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