ユメサガシ 続章「儚雪」

Sepia Factory

第1話 白衣

 日間賀島診療所はその名の通り愛知県南知多町の日間賀島にある島唯一の病院だ。愛知県常滑市にある若葉台総合病院の付属診療所として5年前に開院した。それ以前に診療所がなかったのかと言えばそうではないが、南知多町の財政赤字が長引き民間への委託が決まったのが5年前。公募により引き受け病院が決定したのだが、どこの民間病院もあえて赤字を抱える診療所を引き受ける選択などせず、実際は若葉台総合病院だけが公募に申し込んだと言われている。

 赤字覚悟での引き受けには若葉台総合病院内部からの反発も大きかったが、最大の理由はその当時の院長・波多野剛志の出身が日間賀島であったということが大きかった。自分が生まれ育った故郷から病院をなくしてはいけない。自分の親戚や友人を守りたい、そして島を守りたい。真実は今や墓の中であるが、その一心から決意したと言われている。残念ながら波多野剛志は去年院長の座を降り、その年の秋、持病であった心臓の病で亡くなってしまった。

 後を引き継いだのは波多野剛志の息子であり当時、若葉台総合病院の診療部長であった波多野 涼であった。涼は父・剛志の意志を引き継ぎ、現在においても日間賀島診療所を続けている。また同時に日間賀島診療所を新しい形の診療所として、変えようとしていた。

 今年、日間賀島診療所に助産科を新設した。医師不足な昨今であり、常駐と言うわけにはいかないが、島に隣接する南知多町・師崎にある産婦人科医師と提携することでその問題を解決した。将来的には医師を常駐させ、子供が産みやすい島・日間賀島にすることが涼の夢だ。

 波多野 涼は名古屋市生まれで実は父・剛志が亡くなる日まで剛志の生まれ故郷である日間賀島に足を運んだことはなかった。葬式などの準備で親戚のいる日間賀島を訪れたのが初めてであった。その時に涼が感じた想いが日間賀島診療所の助産科開設へと大きく動いた。島の人々の温かい温もり、ゆっくりと流れる時間。そして、おいしい食べ物。妊婦が子供を産むのにこれまでに整った環境はない、あとは島での生活における安心を提供することが出来れば『ここで産みたい』と思う人が増えるに違いない。

 そう考えたのだった。

 涼の夢『日間賀島、十月とつき十日とうかプロジェクト』はまだ始まったばかりであり、それが軌道にのるにはまだ時間がかかるのかもしれない。


 日間賀島診療所には専門の診療科はなく、特定の臓器・疾患に限定せず多角的に診療を行う総合診療科と、そして唯一の専門科となる助産科がある。

現在、助産科には常駐する産婦人科医師がいないため、診療所の入口には曜日ごとに担当医の名前が書かれた札がかけられている。まだ、島外からの患者はおらず、島内の女性がほとんどだ。妊婦においても同様で、産気づいたときに常駐医がいないことが大きな理由だ。島内の妊婦も時期が迫ると本島にある病院に入院する人が多い。

 ただ、総合診療科においてはそうでもなく、島外から日間賀島診療所の医師を頼り、診察にみえる患者も多い。開院当初はその医者の過去の経歴から悪いうわさが流れたこともあり、敬遠されていたが、その医者の腕は確かなもので、5年たった今では名医として、島内外へその名を知らしめている。

そう、その医師の名は「八神英二」、その人である。


「せんせ~」

 診療所にひとりの男性の声が響いた。

「八神先生~」

 八神英二は診療所の奥にある台所で羊羹を切っていた。患者さんからの好意でもらった羊羹だ。英二は男性の声に気付き、この声は佐々木のじいさんだな、と思いながら返事をした。

「今、行くから」

 佐々木のじいさんは診療所のドアを開き、待合室の椅子にゆっくりと腰かけた。日間賀島診療所はとくに診療時間を設けていない。そのため、昼だろうと夜だろうと時間構わず患者は訪れる。比較的昼の方が患者は多いのだが、今日はガランとした待合室だった。

「やあ、じいさん」

 英二は台所から診察室を通り、待合室にやってきた。右手には羊羹が切られた小皿を持っている。

「いつもタイミング良く来るね。食べる?」

 英二がそう言うと、佐々木のじいさんはしわくちゃな手を横に振って、「いいよ、いいよ」と答えた。

 いつもなら喜んで食べるはずなのに、英二はじいさんの意外な回答に拍子抜けした。

「なんか調子悪いの?」

 意外な回答なだけに健康面を気にしてしまう。佐々木のじいさんも御年90歳。身体にガタがきているのは否めない。毎月定期的に英二が診察してはいるのだが、英二の予測できない事態が起こらないとも限らない。

「身体はお陰様で」

 じいさんはニコッと笑った。島で長年農業を営んできたじいさん。顔は真っ黒に日焼けして、顔も手もしわくちゃまるけだ。でもニコリと笑った顔には子供のようなあどけなさが残る。

「じゃあ、頂くね」

 英二は爪楊枝で羊羹を口に運んだ。

「あぁ、ええぞ。わしにかまわず食べとくれ…」

 じいさんはそう言って続けた。

「…ほんでも、今日は静かじゃね」

「そうだね~。午前中はちょっと忙しかったけど、昼からはめっきり。そういや、果物屋のリカちゃん、元気になったよ。今日診せに来てくれてさ。すっかり良くなってたよ。じいさんのお蔭だって言ってたよ」

「そうかい。そりゃよかった。たまたま散歩中に通りかかっただけのことじゃよ。礼を言われるほどのことじゃない」

 果物屋のリカちゃん。まだ小学校にあがったばかりの女の子で、学校から帰る途中に気分が悪くなって、そこに佐々木のじいさんが通りかかり、そのまま、この診療所まで連れてきてくれたのだった。診察結果は風邪で、発熱を伴っていたために英二がおんぶして家まで送り届けた。そして今日、3日分の薬がなくなったからリカちゃんと母親と2人で診察に来ていたのだった。

 英二は一切れの羊羹を食べ、お茶をすすった。ふと、じいさんを見ると嬉しそうにニコニコしていた。

「なんかイイことでもあったの?」

 じいさんは顔を上げた。ニコニコと言うよりニヤニヤと言った感じだ。

「孫が来るんじゃと。嬉しゅうて、ついつい先生に話したくなってしまって」

「おぉ、そうかね。そりゃ嬉しいね」

 島民の全員と世間話をする訳ではないが、佐々木のじいさんとはよく世間話をする方で、確かお孫さんが青年海外協力隊として海外に行くとか、言ってたことを、英二はふと思い出した。

「海外から帰ったの?」

「そうじゃ。いつだったか、ボランテアとか言ったかの。とにかく海外に行くって言うてな。人様のお役に立ってくる、ゆうて。行ってしもたんや。早いもんであれからずいぶんと経つなぁ。今は名古屋に帰って来とるらしく、今日は顔出しに来てくれるんじゃと」

 じいさんはそう言うと、英二に気遣うように続けた。

「いや~、孫に会えるのも先生のお蔭。あれから今日まで、生かしてもらえて感謝しとります」

 そう言って、じいさんはペコリと頭を下げた。

 英二は医者である自分への気遣いを忘れないじいさんが、出来た人だな、さすがだな、と思いながら、医者としての喜びを感じた。

 実際、佐々木のじいさんの孫・遊佐 学が青年海外協力隊としてモロッコに派遣されていた期間は約2年、佐々木のじいさんにとって、この2年を生きながらえたことはこの上なく嬉しいことであった。

「命を決めるのは医者じゃありませんよ。佐々木のじいさん自身だから」

 英二は人差し指を診療所の天井に向けて続けた。

「ま、最期を決めるのは神様かもしれませんが…」

 じいさんの目は英二の指先を追いながら天井を見ていた。

「ここの2階かね?」

「アハハ…」

 しばしの間、英二とじいさんの笑い声が待合室に響いた。

 ひと呼吸して、英二が二切れ目の羊羹を口に運ぼうとしたとき、佐々木のじいさんが話を始めた。

「あれ以来、家族には会ってないのかい?」

 佐々木のじいさんは八神英二の素性を少しだけ知っている。島に初めて来たとき、新聞に書かれていた記事の内容を見たり、それからこうやって主治医として診てもらうよういなってから、家族の話を少しだけしたり、その程度だが、ずいぶん昔、事件を起こした以前に離婚をして、息子が2人、娘が1人いることは知っていた。度々、じいさんは敢えてその話をすることもある。年の功、老人のたわごとだと思って聞いてくれればいい、その程度の想いだ。

 英二は羊羹を口に頬張りながら、マイッタなといった表情を浮かべる。

「そうだね。会ってないね~」

 ゆっくりモグモグと食べる素振りが羊羹を味わっていると言うより、不思議と何かを思い返しているようなそんな風に見えた。


 最後に息子に会ったのは今から10年程前のことだろうか。

 八神英二が松川総合研究所の主任研究員として「がんの消滅理論」に携わり、理論を確立させたパイオニアとして世界から称賛を受け、そしてその理論確立のために実施された人体実験、いやクローン実験が死体遺棄事件として立件された、そのとき以来だ。英二は今でもその時のことを鮮明に覚えている。

 そう、あれは松川総合研究所・地下2階・セクトAと呼ばれる場所でのことだ。当時の松川総合研究所は松川製薬の付属研究施設で風邪の特効薬を研究するセクト、視力低下予防の目薬を開発しているセクト、医療分野でも1位、2位を競う有望メーカーであった。八神英二はその中でもシークレットセクトと呼ばれていたセクトAで主任研究員として勤務していた。

 研究課題は「がんの消滅理論」であった。

 元々、八神英二は名古屋市立病院の心臓血管外科の医師であった。当時から「がんの消滅理論」確立へ向け日々研究を行っていたが、最後の臨床実験において、なかなか周囲の理解を得ることが出来ず、いつしか孤立した存在となっていた。そして、院内での思い余った行動が医師免許剥奪と言う結果を招き、即日解雇となった。後ろ髪を引かれる思いで病院を後にした。

 そんなある日、英二はひとりの男に声をかけられたのだった。

「八神英二医師ですね」

 男は高価な背広を身にまとったビジネスマンであった。無精ひげを生やした英二とは一見、住む世界の異なる人種にも見えた。

 男は話を続けた。

「がんの消滅理論はどうなりましたか?」

 医療関係に従事している人なのだろうか。だが、病院を解雇された英二に寄って来る製薬会社の営業マンなんているはずもない。突然の解雇ではあったが、営業マンの勘は鋭く、ここ数か月ですっかり誰も寄ってこなくなっていた。堕ちた人間の弱みに付け込み、変な水晶でも買わそうってのか、英二は唖然としながら、男を眺めていた。男は平然とした態度で背広の内ポケットにしまってあった名刺入れから名刺を1枚取り出した。

「申し遅れました。私は松川製薬付属・松川総合研究所・所長の松川啓介と申します。一度は耳にされたこと、ございませんか?松川総合研究所の名前を…」

この松川啓介との出会いにより八神英二の第二の人生は始まった。そして、この日より「がんの消滅理論」確立まで、さほど長い時間を要することはなかった。八神英二の名声と共に松川総合研究所の名も世界へ羽ばたき、一流の階段を共に駆け上がっていくのだった。

 だがそんな折、松川総合研究所の関係者より、警察への内部告発があった。「がんの消滅理論確立の背景には人体実験の影がある」そういった告発であった。まさにそれはセクトAの存在を示唆する内容であり、もしそのことが世間に公表されれば、松川総合研究所の存続すら危ぶまれるものであった。

 実はその内部告発を裏で操っていたのは八神英二、本人であった。消滅理論確立のために人間としての尊厳を捨てた自分自身への戒め。その一心での決断であった。

 人体実験と言ってもそれは実際に人に対して行った行為ではなかった。臨床実験は製薬会社などが新薬の開発過程の最終段階に行う人を使った実験として広く一般的に行われている。ただ、八神英二の唱える消滅理論はあまりにも人にはハイリスクで、人を使った実験の前にマウスによる実験、動物実験などを行うべきだとの意見を持つ医師が大半であった。だが、英二はそれでは実験として意味を持たないと確信していた。遺伝子レベルへ直接作用する英二の理論では人で実験を行わなければ意味がない。

 そこに現れた男、それが松川啓介であり、啓介率いる松川総合研究所であった。人体を人工的に作り出し、クローン人間に対して人体実験を行う。それが八神英二らが行った人体実験の全容だ。そして、そのセクトAを支えるシステムがセピアシステムと呼ばれる、人工知能AIであった。

 そのセピアシステムは驚くべき性能を持った人工知能AIであった。人間の血液が一滴あれば、その人間をこの世に作り出すことが出来る。神と肩を並べるそんな偉大なシステムであった。なぜ、そんな高性能なシステムがセクトAにあったのか、その存在こそが英二を内部告発へと突き動かす原動力となった。


 セピアシステムの背後を調べていくとひとりの研究者の名前が浮かぶ。

 その研究者の名は坂井慶一。「魂の在処ありか」を研究していた松川総合研究所・セクト8の主任研究員である。所内にセクト8の記録は少なく、現在は解散となっている。

 ある日、八神英二はセピアシステム自身からセクト8の過去を知ることになる。セピアシステムはシステム自身の意志で、松川啓介の独り言を録音していた。英二はその録音を聞いたのだった。

『もうあれから3年が経つのか。長いようで短い3年だった。キミにとっては地獄の3年であったろう。セクト8での研究失敗で脳にある記憶をすべてコンピュータに取り込まれ、それを探し続ける3年であったろうからな。多分、今でも変化がないと言うことはいまだに自分の記憶は見つかっていないのだろう。そしてそのお蔭で私は新たな自分を見つけることが出来た。これで私は健全な体を手に入れることが出来るかもしれないからな』

 このとき八神英二は悟った。セピアシステムは人工知能AIでもなんでもなく、人そのものであるということを。

 坂井慶一と言うひとりの人間であることを。

 そして全てが終わった後、このセピアシステム、改め坂井慶一の遺体遺棄容疑として八神英二は実刑4年の刑を受けることになるのだった。物理的な遺体が発見された訳もなく、松川総合研究所・セクトAから押収した物品から、これと言った物的証拠が見つかった訳ではなかったのだが、英二自身の自白により裁判は粛々と進められていき、逮捕から1か月と言う短い期間で実刑4年が確定した。


 八神英二が収容された福井刑務所は北陸自動車道・福井ICから西へほどなく走った場所にある。主に初犯で刑期が8年未満の受刑者を収容している。4年という歳月の中、英二は職業訓練などを行うことなく、静かに過ごした。世間では幾度か、今回の一件を再検証する特集が組まれた雑誌やテレビ放映があったようだが、真実は英二のみが知ることであり、実刑4年ということが英二自身にとっては何にも変えがたい事実であった。その事実を受け止めることに必要な時間、それがこの4年なのであると、感じていた。

 歳月は静かに流れた。

1年、1年、新しい事件が起こる度に八神英二と言う人間は世論、世間から離れていく。それとは反比例するかのように英二は自分自身を少しずつ取り戻していく。2年がたった頃、世間の関心と英人の心が半分半分になり、邪心が少しずつ中和され良心となっていくように感じた。やっとスタートラインに立てたような気がした。これから2年かけて社会人として再起する準備を行わなければと思った。

 そんな折、面会の申し出があった。実の娘である須藤真弓だった。英二は20年以上前に離婚した過去がある。真弓と別れたのは真弓がまだ生まれた間もない頃であった。真弓が物心ついた頃には既に父親としての英二はおらず、父親として何もしてやっていないはずだが、須藤真弓は母親である須藤久美子、英二の別れた妻と共にこの福井県まで面会に訪れたのだった。

 真弓は今年で29歳、結婚を控えていた。相手は真弓と同い年で同じ会社に勤める羽奏(はかな)優馬と言う男性であった。そんな真弓が英二に一番伝えたかった言葉、それは「元気?」その言葉であった。何気ない言葉かもしれないが、安否を気遣う優しさに溢れた一言であった。

 これから新しい家族をつくる真弓。今ある家族、母や2人の兄、そして父。綺麗ごとかもしれないが、離婚して離れ離れだった家族だが、不思議と近く感じていた。それは常に母・久美子が英二を父として認め、3人の子供を育てていたからであった。なのになぜに離婚に至ったのか、それは2人にしか分らない事なのかもしれない。

面会の席に同席した久美子はただ静かに2人の会話を聞いていた。とは言っても2人は多くを語るわけではなかった。面会時間は30分とされており、時間は刻一刻と流れていた。看守がちらっと時計をみた。英二が「今日はありがとう」と言った。3人は不思議と笑顔になった。敢えて看守は終わりだと声を出すことはなく、英二を促すようにドアを開けた。久美子が鞄から紙切れと取り出した。

「まだ、ここに住んでるのよ。身体だけには十分気を付けて」

 英二は名刺サイズの紙を久美子から受け取った。そこには懐かしい住所と一行程度のメモが書かれていた。

「出所したら連絡ください」

 英二は込み上げてくる熱いものを押し殺し、笑顔を作った。真弓と久美子は英二を見ていた。

「ありがとう。大丈夫、これでも元医師だよ」

「そうだよね。じゃあ、また」

 真弓と久美子は別の看守に付き添われ、面会室を後にした。英二はその2人の背中を最後まで見送ることは出来なかった。だが、また会えるだろうと思えば辛くなかった。多分、また会える、きっと。

 不思議とそう思った。


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