第4話 傷口は開いたまま2
案内された新藤康平の部屋は、予想以上に想像通りだった。あきれてしまう。
二十畳はありそうな広さに、造りの大きな輸入物の家具が並ぶ。机もベッドも細かな細工が施されていて、それを造るのにどれだけの手間と費用がかかっているのか、考えるだけで気が遠くなる。それから、ハイビジョンの壁面テレビ、大きなスピーカーが並ぶ。映画館みたいだな、とつぶやくと、完全防音のシアタールームが別にあると言われて、さらにあきれる。
都雅はふかふかのベッドに不機嫌な顔で座り、スカートの裾も気にせずあぐらをかいていた。膝の上に肘をおいて、頬杖をつく。
「そもそもお主は何をそんなに気にしておったのじゃ」
問いかけてくる声に、頬杖をはずして顔を向けた。途端に、脱力してしまう。
「……お前なあ」
邪魔だから警備も秘書も追い返し、誰も近寄らせるなと言ってある。だからこの部屋にいる人間は三人のはずなのに、頭数が増えていた。
ベッドの近くに、濡れたような黒髪と、翠の鮮やかな瞳の少年が立っている。美佐子と一緒にいたときのように、人間の姿をした菊だった。
「何やってんだよ」
雅毅も康平もいる場所で人に変化するなど、正気を疑ってしまう。もともと、あまり信用してなかったが。
「じゃから、わしらと康平は親しいのじゃと、美佐子ちゃんが言うておったであろうが」
猫は何故か得意げに言う。菊が着ている服は、少しぶかぶかだった。康平のだろうか。少年たち二人は、少し離れたソファーに座って、大人しく話を聞いている。
「だからって、そこまで知られているとは思わねーよ」
「これは不可抗力じゃ。美佐子ちゃんと話しているところをうっかり見られてしまっての」
「それは間抜けって言うんだよ」
言い捨てた。ばれた相手が子どもだから良かったようなものの。相手が大人なら、大騒ぎだ。下手をすれば、美佐子が病院通いをする羽目になったかもしれない。
「わしが間抜けかどうかはさて置いてじゃな。おぬしは何をそんなに慌てておったのだ」
「知らないんなら黙ってろ。世間知らずめ」
「仕方ないじゃろう。美佐子ちゃんは勉強でほとんどテレビも見ておらんのだから、わしも知らんのじゃ。康平の事情しか知らん」
「それだけじゃないんだよ。別に美佐子のことは責めてないし。これがどれくらいまずいかなんて、そのあたりは新藤のおぼっちゃまのほうが詳しいだろ」
都雅の鋭い眼差しと、菊のきょとんとした目を向けられて、康平はびくりと肩を震わせた。雅毅の影に隠れてしまう。
困惑して、菊は都雅にすがるような視線を戻した。仕方がないので、都雅はまた大きく息を吐いて続ける。
「新藤家は新しいデパートを建てようとしたらしいな。それ自体はどうでもいい。建設予定地の権利者たちから、強引に土地を奪い取ったりなんてことは、この際関係ない。よくあることだ」
けれどもその中に、神社が含まれていたのは良くなかった。
明治のごたごたとか戦後の財政難だとか、人の流出だとか、そういうことで伝承は忘れられ、土地は切り売りされ、ぽつんと残された神社だった。
「敷地に含まれる神社は、心霊スポットだとかで、夏によく騒がれる場所だった。だがまあ、新藤家は気にしなかった。それだけ欲しい土地だったんだろ」
建物に溢れ、土地も人も一杯になってしまった都市の中心部は、もう余裕がない。だから徐々に「街」が移動しつつあった。誰もが、これから発展する土地として認識していた。その一角だった。……だが誰もが、その神社には手を出しかねていた。
よく、工事中に事故が起こって思うように進まない、ということがあるが、この場合もそれだった。今までに何人も、神社を撤廃して家を建てようとしたり、施設を作ろうと試みた者がいた。初めは、形ばかりの儀式を取り行って、鳥居を除こうとして大事故になった。撤廃するための機械が誤動作を起こし、人々の上に倒れて死傷者が出た。もちろん世間は、この話に飛びついた。――やはり、あの場所には何かあるのだと。
好き勝手に騒がれた。神罰だとか、異界へつながる場所なのだとか、何かがとり憑いているのだとか、何かに守られているのだとか。
それも忘れられた頃、またその土地に目をつけた者が現れた。今度はきちんと手順を踏めば大丈夫だからと考えたようだった。それでも、事故は起きた。
儀式を行ったのは、大した力のない人たちだったのだろう。でも普通ならそれで問題ない。こういうときに人が求めるのは形式だ。当事者の気持ちが落ち着けばそれで十分な場合がほとんどだ。でもこの場所は駄目だった。
――その場所は、何があっても触れてはならない場所だった。
そして今回のデパート建築で起きた事故。
人々が粛々と儀式をしている最中、それは起きた。小さな神社そのものが突然決壊した。だが、そんなものは大したことではない。その後に起きたことに比べれば。
「神社を中心に、周辺の民家が吹き飛んだ。四方へ十数世帯、かなりの範囲だ」
地面から突きあがる力に押されて、沸騰するかのように浮き上がり、そして崩壊した。四方へ十数世帯。――町ひとつがすっぽりおさまるような広さ。新藤家がすでに土地を買い取って、残っているのが家のみだったのが、何よりも幸いだった。だが、現場に居たデパートや工事関係者は全滅だった。
聞いていた康平がうなだれて、雅毅の影で更に小さくなる。それを慌てて振り返り、菊は痛ましそうな顔になった。また振り向いて、緑の眼は都雅を責めるように見る。
――なんだそれ。
だから、事前に調べてこいってんだ。あたしは別に悪くないからな、と菊を睨みつける。
ニュースでは、何が埋まっていたのか調査中だと言っている。
ワイドショーは、新藤デパートの社長を追いまわし、その神社にまつわる怪談話を言いたてる。
コメンテーターや、自称専門家が持論を展開している。曰く、ここは神様の宿る岩が祀られていたのに、それを壊そうとするなんて。曰く、環境破壊をすることがそもそもの間違い。曰く、このデパートはいつもやり方があくどくて黒いうわさが絶えない。神社の前で転んで怪我をしたなんて人を探してきて、祟りだなんだとインタビューする始末だ。
ネットでは神罰だテロだと騒ぎたてる層も多い。
――だが現実に、都雅たちの界隈で聞く噂は違う。
「そこにあったのは結界だろう。あたしらの業界じゃ、そういう認識になってる」
「結界?」
「何かを封じたり守ったり、場を清く保ったりするのに使う」
「どうして幾度も人を傷つけとったんじゃ」
「近寄っちゃいけないからだろ。なりふり構わないで、近づくなと警告しないといけないようなものがあったからだ」
その上、手を出さないよう、社をたてた。それを取り除こうと人が何かを仕掛けるたびに、結界は反発して阻止してきた。
新藤家の雇った術者は、結界に気づいた。余計なことに、取り除けるだけの腕を持っていた。だけど、能力はあっても、考えが足りなかった。分かっていたとしたら、莫大な報酬に目がくらんだのだろう。
――要するに、ただのバカだ。
「新藤家に雇われた術者が結界を排除して、神社が崩壊した。そのせいで、とんでもないものが外に出て来た。そいつはたぶん、
人間は、体を使わなければ筋力が衰える。人外の者だって、閉じ込められていれば、能力は削られる。どれだけ封じられていたのか知らないが、人が忘れるくらい長い間に違いない。なのにそいつは、外に出た途端とんでもないことをしでかした。それだけの力を持った相手だ。そんな奴らが地上に存在していて、人が平和でいられるのは、ひとえに昔の人が彼らを懸命に封印したからだ。それを、わざわざ開放してくれるなんて。
しかしなぜ、康平が狙われるようになったのか。
封じられた怒りが、その場の人間を皆殺しにするだけではおさまらなかったのか。それともただ単に、驚き慌てる人間を見て、おもしろがっているのか。あの事故の責任者を突き止めて、自分を封じた者のかわりに、腹いせで嬲っているだけなのかもしれない。彼らは弱い者をもてあそぶのが大好きだ。猫が獲物をいたぶるように。
何にしたって、人外の考えることなんて分かるわけがない。
やつらの特徴は、人によく似て、人間にしか見えないことだ。それも、美しい見た目の。
「相手がただの妖魔なら、話は簡単だ。あいつらはそう強くない。あたしはだいたい一撃で倒せる。お前には無理だろうけど」
菊は、ふてくされた顔をする。そうであろうよ、とひねくれてつぶやいた。
康平の親たちは、事件の対応に追われていて、家のことにかまっている余裕はないのだろう。協会にも話をせず、隠蔽するつもりなのか。危険なものを野放しにしておきながら。
しかしながら、マスコミがこの家に群がっていないのは、協会が勝手に動いている可能性が強い。あんな荒事をやってのける人外のものが野放しになっているなど、世間に知れたら協会の体面にも関わる大事だ。
事故自体は、いずれ協会が手をまわして、もっともらしい方向で片づくだろう。地盤沈下だとか、そういう話で。
だが、この家のことは、今夜これからのことは、どうなるのか。――協会が見張っているのかもしれないが、確証がない。
「敵は知恵も回るし、力も桁外れだ。お前は絶対に余計なことするなよ」
「なんじゃいちいちうるさいやつじゃな」
「お前の頭が優秀でないからいちいち言ってやってるんだろ。お前はまあ毎度毎度毎度毎度人の邪魔ばっかりしてくれるからな」
カツアゲの件と言い、まとわりついては余計な口を挟む猫に対し、都雅の声にはかなり恨みがこもっている。さすがの菊も口をつぐんだ。反省したのか、攻撃魔法が飛んでくると学習したのか。
「雅毅も。絶対、何かしようとか考えるなよ」
菊が黙ったのを確かめて、都雅は、康平の隣で大人しく話を聞いていた雅毅へ目を向けた。突然声をかけられて、雅毅は戸惑った目を都雅に向けた。言い返したいのと、言うことを聞くべきかを迷っている顔に、都雅は強い声で続ける。
「このバカ猫に言ったのを聞いてただろう。今日しのいだら、何がなんでも援軍をよこさせなきゃならないような相手だ。現実離れした話だしよく分からないかもしれないが」
「でもぼく……」
「あたしが三人もお荷物抱えることくらいは分かるよな。大人しくじっとして、邪魔しないでいること。でないと、今すぐ追い返すぞ」
「でも……」
「お前を傷つけると、あたしがまた文句を言われる。鬱陶しいからそれは避けたい。あたしの言いたいこと分かるか」
雅毅はハッとしたような顔になった。
それに何となく苦笑すると、都雅は目線をそらす。再び頬杖をついて、ため息をつく。
「やっかいだな」
どこか覚悟するような声でつぶやいた。
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