第4話 冗談は通じない3
月明かりの屋根の上に、少女たちは座り込んでいた。今日は黒マントを着ていない都雅の隣に、化け猫の飼い主の少女がいる。さらにその隣には、六、七才の人間の少年がいる。猫が人に化けていた。真新しい洋服を着ている。きちんと一家の一員として認められているようだった。少年は容赦ない冬の風に、ぶるりと震えた。
「今日は、わざわざ来てくれて、ほんとうにありがとね。都雅ちゃん」
都雅の仏頂面に微笑みかけながら、嬉しそうに美佐子が言った。
「べーつに、ヒマだったからいいけど」
言われた方は、「都雅ちゃん」と親しげに呼ばれて、苦笑する。そんなに軽々しく都雅を呼ぶ者なんて、ほとんどいない。
「仕事の話があるんだって?」
「うん。わたしの親戚の子のまわりで、変なことが起きてるの。何か、変なものに狙われてるんじゃないかって、わたしは思ってて」
「変なものって?」
「実はよく分からないの。その子のおうち、今はお仕事とか別の大きな事件で大変みたいで、みんなそっちにかかりきりだし、親戚って言っても、とても遠い親戚だから、わたしのところまで詳しい話は来ないのよ。でもその狙われてるって子と、わたしたち仲が良くて、ちょっと話を聞きかじってきたんだけど」
「……わたしたち?」
「わたしと菊ちゃん」
ね、と笑みを向けられて、少女の横でごろごろしていた少年が「うにゃん」と返事をした。
呑気な一家だと思っていたが、親戚ぐるみで呑気なのかと、改めて都雅は苦笑した。
「警備は厳重にしているのに、嫌がらせが続いてるみたいなの。わたしつい都雅ちゃんのこと話しちゃって、そしたら是非連れてきてくれって言われちゃったの。……ごめんね」
「いやー、ちゃんと金払ってくれるんなら、かえってありがたいけど。あたしのこと話したって、なんて言ったんだ?」
すまながる相手に対して、都雅はのんびりと、なんでもないことのように言う。
「脅しとか嫌がらせとか、そういうトラブルの解決を専門にしてる人がいるって言ったの。都雅ちゃんはちょっと変わった事態にも慣れてるみたいだから、って」
「ちょっと変わった事態、ね」
「お金なら大丈夫。お金持ちの家だから。全国チェーンのデパートの社長さんの家だったはず」
随分とご立派な親戚だな、と思い、都雅は表情を強張らせた。――冗談ではない。
彼女の表情の変化を見て、美佐子はますますに申し訳なさそうな表情をする。
「あの、本当にごめんね。勝手なことしちゃって。迷惑だったら、きっぱり断ってね」
そんな美佐子に気がついて、都雅は「そうじゃない」とつぶやく。片頬に笑みのようなものを浮かべながら言った。
「仕事の話自体はすごくありがたい。ただあたしは、金持ち連中が苦手なんだ。関わりたくない。悪いけど。これはあたしの都合だ」
本当は、都雅のような仕事をしている者なら、資産家や権力者との繋がりは重要だった。特殊な職業だし、後ろ盾を持っていることは大きな強みになる。顧問弁護士のように、長期の契約を結ぶ者もいる。普通なら文句なしに飛びつくものだったが、都雅は頑なだった。
「そう……ごめんね」
美佐子はますます声を小さくしてしまった。
都雅は、そんな美佐子に困惑した。仕事の話なんかより、落ち込ませてしまって、どうしてやればいいのか分からなくて、落ち着かない。断るにしても、もう少し、言いようがあったかもしれない。都雅は後悔したが、そんなのをうまく気遣えるようなら、苦労していない。
どう返せばいいのか分からなくて、立ち上がる。話を打ち切ることしか思いつかなかった。
「それじゃ、あたし帰る。ご両親によろしくな。ご飯おいしかった」
自分を思って、自分のために何かをしてもらったことが、本当はとても嬉しかった。家族の団欒だなんて、そんな当たり前の空気に触れたのすら、随分と久しぶりのことだった。
――心のどこかで滑稽に思いながら。
「あ、ねえ都雅ちゃん」
くるりと背を向けた都雅に、美佐子が慌てて声をかける。
「都雅ちゃん、わたしと同い年だったよね。高校、どこ受けるか決めてる?」
急に言われて、やはりどう返せばいいのか分からない。どういう顔をして見せればいいのか、美佐子がどう答えてほしいのか。
「あたしこの仕事を続けていれば、学歴なんて必要ないからなあ。まだ決めてない」
仕方がないので、事実をそのまま言った。
決めていない、などと言っていい時期でない。私立高校の願書の締め切りもさしせまったこの時期に、思い悩むようなことではないのも分かっている。
都雅はよく学校をサボっているし、態度もよくない。ただテストの点だけはしっかり取っている。だから教師の受けは悪くても、担任はやたらと、勿体無いからレベルの高い高校に入れと主張してくる。都雅は上の空だし、保護者は放任主義だ。「本人に一任している」の一点張りで、無駄な苦労だなと思うと、担任が憐れだった。
面倒で仕方がない。人との関わりも、いちいち口を出してくる教師も。とにかく、疲れてしまう。それがようやく終わろうと言うのに、進学して、わざわざ引き延ばす気にもならない。それに進学するなら、どうしても金がいる。誰の世話にもなりたくないから、自分で用意しなければならないし。言えば出してくれる人はいるから、ただの意地でしかなかったけれど。
――それでも、時折学校に行って、テストをうけているのは、あきらめきれないからなのかもしれない。
「あのね、さっきの親戚の親戚……だから、わたしからは本当に遠い親戚になっちゃうんだけど、その人が私立高校の理事やってるの。わたしそこ受けようと思ってるんだ。他人同然だしとても厳しい人だから、普通に受験して、受かったら、入学金とか授業料とか、安くしてくれるって言ってて……。東城学園っていうんだけど」
「学費がバカ高くて、頭のいい奴らばっかりいくとこか。入試が、中学生に出す問題じゃないって、聞いたことがあるな。名門だ」
「そうなの。だから、もし入試に受かることができたら、なんでもしてやるってことみたい。わたし、そこ受けるつもりなの。それでね、お母さんと言ってたの。都雅ちゃんわたしと同い歳なのに仕事してるってことは、お家の方が大変なんじゃないかって。だから、余計なことかもしれないけど、もし良かったら、わたしと同じ条件で進学できるようにかけあってみるから、一緒に同じ学校受けないかなーって」
言われた内容が、あまりにも突拍子のないことで、都雅は驚いた。そう、それも高校がどうとかの話ではなくて。
自分を気遣ってくれているという、この家族の思い。
黙り込んだ都雅に対して、美佐子は続けた。
「わたしの友達、そこ受ける子いないの。寂しいから、都雅ちゃんが一緒だと心強くて」
何を言われているのか、よく分からない。得体の知れない相手を捕まえて、心強いとか、何を考えているのだろう。都雅が美佐子を助けた人形の一件なんて、おかしなことに巻き込まれただけのことだ。奇妙な力で助けた都雅なんて、気味が悪いだけじゃないのか。普通ならもう忘れたいし、関わりたくもないことだろうに。
――友達、か。
どうすればいいのか、分からなかった。どう応えるべきなのか。とにかく、居心地が悪くて逃げ出したかった。
ただ、気づいたら、笑っていた。
「考えておく。――――仕事の方も」
都雅は言い置いて、身をひるがえして屋根を蹴った。軽い体が夜風に舞い上がる。再び美佐子の声が追いすがった。
「また遊びに来てね!」
今度は振り返らなかった。顔を見ることが、出来なかった。
それに対してどうして応えなかったのか。美佐子へ向けた笑みが冷笑なのか自嘲なのか、それとも嬉しかったのか、都雅にも分からない。
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