第三節:山南敬助の介錯


 池田屋事件以降、新選組は隊士が増えた。これは、喜ばしいことではあったが問題も徐々に出始めていた。

「隊士も70人増えて此処もそろそろ手狭になってきた」

「そうだな。平隊士達を見ていると、もう少し広いところで寝かせてやりたいな」

俺がそう言うと近藤さんは俺の意見に賛同してくれた。

「そこで、新しい場所に屯所を引っ越そうと思っている」

「えぇ~、引っ越すんですか? 面倒くさいですね。此処からだったら御所も近いですし、このままで良いんじゃないんですか?」

俺が引っ越しの提案をすると総司はふて腐れた様子でそう言った。それを皮切りに、原田や永倉も花街も近いから此処に留まりたいとか阿呆なことを言い始めた。

「私は屯所の移転は賛成です」

俺が原田や永倉の阿呆をどう大人しくさせるか考えていると、山南さんが静かにそう言った。

「そもそも2ヶ月という約束で此処を借りていましたが、私達は既に2年こちらでお世話になっています。八木さんや前川さん達のことを考えると、隊士も増えたことですし移転は良いんじゃないでしょうか?」

「でも、移転先には宛があるのか?」

山南さんにそう諭され大人しくなった永倉が俺にそう聞いてきた。

「西本願寺に移転しようと思っている」

俺がそう言うと幹部の連中はざわつき始めた。

「あそこには300畳以上の大きなお堂がある。だが、たまに全国の僧侶が集まる儀式の時以外はほとんど使われていない。だから、そこを借り受けようと俺は思っている」

「素晴らしいご判断かと思います、土方さん。西本願寺なら新選組の屯所にもふさわしいと私は思います」

俺の出した移転先に真っ先に賛同したのは伊東甲子太郎だった。伊東から賛同を得られたのは少々複雑な気もしたが俺は話を続けた。

「西本願寺は以前から長州と繋がっている。そこに俺達が乗り込めば、長州封じにもなり一石二鳥だ!」

「申し訳ないですが、屯所の移転先に西本願寺というのは私は賛同できませんね」

俺の考えに反論をしたのは、移転には真っ先に賛同してくれた山南さんだった。

「どうしてですか、山南さん? 今の話を聞いている限り良い案だと僕は思うんですけど?」

山南さんが反対したことを不思議に思った総司がそう質問した。

「今の土方君の話だと武力によって西本願寺を制すると言っているようなもの。親鸞聖人以来の由緒正しい寺院に対して失礼な行動だと思いましてね」

「武力で制することの何が悪いんだ? 由緒正しい寺院かどうか何て関係ないんだよ。長州とつるんでる奴らなんて俺達の敵なんだよ」

礼を重んじる山南さんらしい意見だと俺は思った。だが、これ以上、長州の奴らに好き勝手なことを京でさせるわけにはいかなかった。

「ですが、西本願寺は多くの人々の信仰を集める寺院です。新選組が武力で西本願寺を制したとなれば、私達の風当たりは今以上になるかと思います」

山南さんの回答に総司は「なるほど」と頷いていた。

「長州に対し目を光らせるということは分かりますし、そうしなければならないと私も思います。ですが、由緒ある寺院を血生臭いことで汚すのはどうかと思います」

「おかしなことを仰るんですね、山南さんは」

俺が何か言う前にそう口を挟んだのは伊東だった。

「貴方は今、と仰いましたが、新選組の使命をと考えてのご発言ですか?」

「そう言う意味ではありません」

伊東にそう指摘され山南さんは少しの間、口を閉ざしてしまった。それに気をよくしたのか伊東は話し続けた。

「本願寺は古く戦国の時代から政に深く関わってきた寺院です。そもそも、初代将軍・家康公が太閤秀吉と競っておられた折に太閤に付いていた准如じゅんにょ聖人が西本願寺を継がれた。それに対して家康公が教如きょうにょ聖人を推挙して造られたのが東本願寺です」

「つまり、本願寺は最初から血生臭いってことですか?」

総司の質問に伊東は深く頷いた。

「山南さんはご存じなかったんですか?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・」

伊東の嫌みったらしい質問に対し山南さんは目を逸らし黙り込んでしまった。

「土方さん、私はこの話を是非進めていただきたいです」

勝敗は決したとばかりに伊東は満面の笑みで俺にそう言った。伊東の笑みは居心地が悪かったが、今はこれしか方法がない。

「他に異論のある奴はいないな?」

俺はそう言って幹部連中を見渡したが誰も反対意見を述べなかった。山南さんと一瞬、目が合ったがすぐに視線を逸らされてしまった。

「では、西本願寺に正式に屯所移転の話をしようと思う」

俺が正式にそう言うと会議は終わり、幹部達はそれぞれ自分達の部屋に戻って行った。


                 *


 巡察を終え、土方さんに報告を済ませた僕は中庭で稽古をしていた隊士達が喧嘩している様子をただ、じっと眺めている山南さんを見つけた。

 いつもなら、仲裁に入るはずの山南さんが何も言わないのを不思議に思った僕は山南さんに声をかけた。

「山南さん」

「あぁ、沖田君。巡察ご苦労様です。街はどうでしたか?」

「特に変わった様子はありませんでしたよ」

僕がそう報告すると「そうですか」と言って、また中庭を眺め始めた。

「今日は止めに入らないんですか?」

隊服を脱ぐと僕は山南さんの横に立ってそう聞いた。

「芹沢さんがいた時と変わらないと思いまして」

山南さんは僕の方は見ずに、喧嘩をしている隊士達を見ながらそう言った。

「時代は目の前で動いているというのに私達、新選組は何をやっているんでしょうね?」

「山南さん?」

自嘲気味に山南さんはそう呟くと自分の部屋に戻って行った。


                 *


 それから数日後、山南さんは土方さんに休みが欲しいと申し入れをした。

「休みが欲しいってどういうことだ?」

山南さんの申し入れに土方さんは眉間に皺を寄せた。たまたま、土方さんの部屋に居合わせた僕は「この場にいてくれて構わない」と言った山南さんの言葉でこの場に留まっていた。

「江戸に戻って自分の進むべき道をゆっくり考えてみたいと思ったんです」

朗らかにいつもと変わりない顔で山南さんはそう言った。だけど、その原因は先日の屯所移転問題であることは想像がついた。

「山南さん、あんたが進むべき道は俺はよく知っている。今、隊を離れられては困る」

「・・・・・・・・・・・・・・・では、近藤さんに直接ご相談させていただきます」

「局長が許しても副長である俺は認めないぞ!」

少し困った様子の山南さんに土方さんは追い打ちをかけるようにそう言った。

「土方さん!」

仲裁に入ろうとした僕の言葉を制して土方さんは無理矢理話を続けた。

「言っておくが山南さん。法度にそうある以上、許しなく隊を離れた者は脱走と見なして即刻連れ戻すからな!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

山南さんは自分を睨み付けている土方さんをしばらくの間、黙って見つめていた。

「・・・・・・・・・分かりました。お手間を取らせてしまい申し訳ありませんでした」

山南さんは土方さんにそう言うと静かに部屋を出て行った。

「さすが、鬼副長ですね」

「あぁ?」

僕がそう言うと機嫌が悪そうに僕を睨み付けた。

「山南さんを休ませてあげたらどうですか? 山南さん、こないだの一件で色々悩んでいるみたいですよ」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「僕ですら分かるんですから土方さんが気付かないわけないですよね?」

僕がそう言うと土方さんは深い溜息を吐いた。

「今は、山南さんだけが頼りなんだよ」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「案の定、伊東がしゃしゃり出て来やがった。俺達の中で伊東と理屈で勝負できるのは山南さんだけだ。だから今、山南さんに隊を離れられたら困るんだよ」

土方さんであっても伊東さんを相手にするのは難しいことが今の言葉ではっきりと分かった。

「だったら、素直にそう言ったら良かったじゃないですか。あれじゃ、山南さん思い詰めちゃうと思いますよ?」

「山南さんはお前とは違う。大丈夫だ。分かってくれてるよ」

山南さんを信じ頼りにしている土方さんは、山南さんのことを全く疑っていなかった。僕自身も土方さんの言葉で山南さんなら、きっと立ち直ってくれると思った。 だけど、この時から僕達新選組の歯車は少しずつ狂い始めていたのかもしれない。


                 *


 翌日、山南さんの姿は屯所から消えていた。

「誰も山南さんを見ていないそうです。僕、市中を探してきますよ!」

「いや、その必要はない。・・・・・・・・・・・・山南さんは逃げたんだ」

僕がそう言うと土方さんは静かにそう言った。

「一体、どういうことだトシ?」

「昨日、山南さんは俺の所に来てしばらく暇が欲しいと言ってきた。だが、もちろん俺はその申し入れを断った。だから、――――― 山南さんは出て行ったんだよ」

「!?」

「これは、脱走だ」

驚き動揺を隠せないでいる皆に土方さんは決定的な言葉でそう告げた。

「逃げる理由がどこにあるっていうんだ?」

戸惑いがち土方さんにそう聞き返す近藤さんに斎藤君が代わって答えた。

「西本願寺の屯所移転については、未だに煮え切らない部分があったように思います。それに、近頃の山南さんはどこか思い悩んだようなところがありました」

「だからといって、脱走すればどうなるかは山南さんだって知っているはずだ!」

山南さんが脱走したことを信じられない近藤さんはそう言って、斎藤君の言葉を否定した。

 そして、百聞は一見にしかずだという土方さんの提案で僕達は山南さんの部屋を訪れた。

「――――― やはり、山南さんの持ち物は全てなくなっているようですね」

斎藤君、源さん、僕の三人で山南さんの部屋をくまなく探したけど、必要な持ち物は全て消え去っていた。

「・・・・・・・・・これで分かっただろ、近藤さん? 山南さんは逃げたんだ」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

土方さんが告げたその現実に近藤さんは、ただ黙って山南さんの部屋を見つめていた。

「局長、いかが致しますか?」

「・・・・・・・・・・っく、脱走した者は連れ戻す。それが新選組の隊規だ」

近藤さんは苦しそうに斎藤君にそう言った。隊規に違反した者はいかなる理由、立場であっても一切の例外は認められない。連れ戻されたら、山南さんには『死』しか待っていない。

「では、俺が山南さんを追いかけます。副長のお話ですと、山南さんは東に向かったと思われます。すぐにでも追えば見つかるでしょう」

斎藤君はそう言うと出立しようと立ち上がった。この場合、こういうことに慣れている斎藤君が山南さんを追うのは妥当だろう。

「いや、待て!」

だけど、それを制したのは近藤さんだった。

「総司、お前が行け!」

「!?」

近藤さんに指名され僕は驚いた。

「昨日の夜に出て行ったとなれば、斎藤君の言う通りまだそう遠くには行ってないはずだ。だから、総司一人で山南さんを追ってくれ」

「僕、一人で、ですか?」

動揺を隠しきれないでいる僕に土方さんは続けて言った。

「そうだな。あまり人数が多いと山南さんのことだ、きっと上手く巻かれちまう」

「で、でも、僕は―――――」

できれば僕は、この役目を担いたくなかった。山南さんには試衛館時代からよくしてもらっている。僕の剣さばきの細かいところまで指導してくれて兄のように慕っている。そんな人を連れ戻すなんて僕にはできない。

「斎藤君は和流君の記憶探しの手伝いが控えているだろ? だからお前しかいないんだ、総司」

そんな僕に追い打ちをかけるように言ったのは土方さんじゃなく近藤さんだった。

「・・・・・・・・・・分かり、ました」

「総司、俺の部屋にちょっと来なさい」

僕がそう返事をすると近藤さんは僕に部屋まで来るよう促した。

「あの、馬鹿野郎っ!!」

僕は、近藤さんの後ろについて山南さんの部屋を出ると土方さんの悔しそうな叫び声が屯所に響き渡った。


                  *


 僕は馬を走らせながら山南さんの行方を追った。馬の上から僕は近藤さんの部屋で話したことを思い出していた。

「総司、不満そうな顔だな」

近藤さんと対峙すると僕の顔を見た近藤さんはそう言った。

「どうして、僕なんですか? 僕が山南さんと懇意にしていたからですか? 僕なら山南さんが抵抗しないって思ってるんですか?」

「総司、聞いてくれ。お前にとって辛い役目なのは分かっている。だがな、どうして俺がお前を指名したかその意味をよく考えて欲しい」

「・・・・・・・・・・・・・・」

「新選組の局長である以上、俺は例え山南さんであっても見逃すわけにはいかないんだ」

近藤さんのその言葉から本当は山南さんを助けたいんだということが伝わってきた。

「でもな、見つからない者は仕方がないと俺は思ってる」

「!?」

「総司、草津から先は道が分れている。東海道と中山道だ。どちらに山南さんが進んだか分からなくなる。だから、草津まで行って山南さんに会えなかった時は戻って来い。良いな?」

近藤さんにそう言われ僕は深く頷いた。近藤さんは山南さんを殺したくない。だから、僕を選んだんだと漸く理解した。

「それにな、総司。トシもきっと山南さんを逃がしたいんだと思うぞ」

「どうしてですか?」

「トシはああいう性格だから素直に思ってることを言えないが、今まで山南さんと共に過ごしてきたんだ。感じないものがないわけじゃない。だから、トシもお前一人で山南さんを追跡することに賛同してくれたんだ」

近藤さんのその言葉を聞き、確かにそうだと思った。本当なら、新選組幹部の脱走だ。巡察もあるから隊士総動員で捜索とまではいかなくてもある程度の人数での捜索が必要だろう。それが、僕一人でということは土方さんも僕や近藤さんと同じ気持ちということだ。

「本当、土方さんって損な役回りだよね」

そんなことを呟きながら、辺りを見回すと少し向こうの道を早足で歩いている山南さんの後ろ姿を見つけてしまった。


                 *


「それって本当なんですか!?」

いつものように街で記憶探しをしていると、斎藤さんから沖田さんが山南さんを追っているという話を聞いた。

「あぁ、本当だ」

まっすぐ前を見ながら斎藤さんはそう言った。

山南さんは、真面目で博識で、隊の皆のことを大切に想っている穏和の人だと思っていた。だから、そんな山南さんが隊規違反を―――――ううん、隊の皆を裏切るような真似をするなんて思わなかった。

「今回の役目は、 沖田にとって辛いだろうな」

「どういうことですか?」

斎藤さんの口調から、ただ単に昔から共に戦った仲間の脱走を追い、連れ帰るというわけではないらしい。

「隊規違反。―――― つまり、これは処罰の対象だ。それは、和流も知っているな?」

「・・・・・・・えぇ。以前、厳しい隊規で平隊士さん達の統率を取っていると深雪さんから聞きました」

「それは、俺達幹部も同じこと。――――いや、平隊士より上の幹部が犯した隊規違反だからこそ、罪は重い」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

斎藤さんの重々しい口調から私は何も言えなくなった。

「沖田が連れ戻したら、山南さんは即刻処罰されるだろう。それを分かっていて沖田は、兄とも慕う山南さんの行方を追っているんだ。辛くないわけがない」

斎藤さんは拳を強く握りしめていた。

 斎藤さんの様子から、沖田さんのことを心配してるのが伝わってきた。

 今、沖田さんは板挟みになっている。仕事として、沖田さんは山南さんを連れ戻さないといけない。だけど、それは山南さんの死を意味している。山南さんを助けるためには、山南さんが見つからなければ良い。見つかったとしても、見逃せばいいだけのこと。だけど、それは近藤さんを――――近藤さんが率いる新選組の役に立ちたいと思っている沖田さんにとっては、容易に選択できることではなかった。

 どちらを選択しても沖田さんにとっては、辛いことには変わりがなかった。

「沖田さん・・・・・・・・・」

空を見上げて、今何処で何をしているか分からない沖田さんの名前を小さく呟くことしか私にはできなかった。


                 *


――――――――翌日。

 僕が山南さんを連れて屯所に戻ると、近藤さんは複雑そうな表情で僕達を出迎えてくれた。脱走という重い隊規違反を犯したのに、山南さんはいつもの穏やかな表情を浮かべ、近藤さんの前にいた。

「・・・・・・・・・どうして、俺の・・・・・・・いや、俺達の意図を汲んでくれなかったんだ?」

「申し訳ありません」

苦しそうにそう問う近藤さんに山南さんは深々と頭を下げた。

「こうなっては、どうなるか分かっていますね?」

「勿論。覚悟の上です」

山南さんは、頭を上げると近藤さんをまっすぐ見つめていた。

「・・・・・・・・・そうか。残念だ」

近藤さんは悔しそうにそう告げると、天を仰ぎ、ゆっくりと目を閉じた。

 山南さんの切腹は今日の六ツ半(午後7時頃)と決まった。

 山南さんを前川邸の一室で最期の時が来るまで過ごしてもらうことになった。勿論、山南さんが再び脱走しないよう監視を付けて。

 山南さんを慕う人達が代わる代わる最期の別れを告げていた。永倉さんや原田さんは、山南さんに再度脱走することを勧めたようだが、頑なに拒んだという噂を耳にした。

 ――――――――このまま時間が止まれば良い。悪夢なら早く目覚めて欲しい。

山南さんを連れ戻した僕が一番、現実だと理解しているのに、そんな馬鹿げたことを思わずにはいられなかった。

「総司!」

部屋の前の縁側で現実逃避をしていた僕は近藤さんに名前を呼ばれ、ゆっくりと近藤さんを見た。

「山南さんがお前に話があると言っている。行ってやってくれないか?」

「・・・・・・・・・山南さんが?」

「あぁ、・・・・・・・・・本当は、俺が直接お前に言おうと思ったが、山南さんが自分の口から直接伝えたいと言ってな」

山南さんが僕に何の用があるのか分からない。だけど、抜け殻状態の僕を気にかけて、自ら伝令役を買って出た近藤さんを敢えて山南さんは断った。山南さんは、頭の良い人だ。今、僕がどんな状態かなんてお見通しのはずだ。それなのに、直接僕に言いたいこととは、一体何だろう?

「最期の願いだ。聞き入れてやってくれ」

立ち上がった僕の肩に近藤さんは優しく手を置くと、そう言い残して自室へと戻って行った。


                 *


「沖田君、申し訳ありません。こんな時にお呼び立てしてしまって」

目の前に座っている山南さんは、これから死が迫っている人とは思えなかった。本当にいつもと変わらない表情で僕を見ていた。

「最期のお願いになりますので、どうしても自分の口から直接お伝えしたかったんです」

「・・・・・・・・・・・・・・・・」

「沖田君、私の介錯を君にお願いしたいと思っています」

「!?!?」

「お願い、できますか?」

「・・・・・・・・・どうして?」

笑顔で残酷な願いを僕にする山南さんに僕は、思わず問いただしてしていた。

「私が試衛館を訪れた日、初めて試合をしたのが君だからです。あの時は、私が勝ちましたが、今試合をしたら、――――――――」

「そんなことありません!!!」

山南さんの言葉を遮って、僕は怒鳴ってそう言った。続きの言葉なんて、聞きたくなかった。

「どうして、一緒に戻って来たんですか!? 僕、あの時、言いましたよね? 自分がどうなるか分かってたはずです!!」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「それに、今試合をしてもそうです! 僕が勝つことなんてありません! 山南さんが・・・・・・・っっ・・・・・また、勝ちます。・・・・・・・・・・山南さんは、新選組に必要な人なんです!」

涙を堪えながら僕はそう山南さんに嘘偽りのない思いを言葉にした。近藤さんが『聞き入れてやってくれ』と言ったのはこのことかと理解した。

 山南さんは、困ったような様子を浮かべながら駄々をこねている子供をあやすように僕に優しく言った。

「いいえ、沖田君。今、試合をすれば君が勝ちますよ。あの時は、まだ君は若くて経験も浅かった。でも、筋は本当に良かった」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「今はどうでしょう? 新選組の一番組隊長として、多くの実戦の経験を積みました。池田屋という大きな経験もし、君はあの頃よりも経験を積んだ。剣筋にも磨きがかかった」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

下を向き黙ったままの僕に山南さんは話題を変えて聞いた。

「今日が何の日か、沖田君は知っていますか?」

僕は、分からず下を向いたまま首を横に振った。

「今日は、私達が京に来てちょうど2年目なんです」

思わす顔を上げてしまった僕を見て、山南さんは優しく微笑んでいた。

「早いですね。もう、2年も経ったんですよ」

閉め切られた障子の向こう側を見ながら山南さんは話を続けた。

「こんなに長く京に居ることになるとは思いませんでした。私は君達に出逢い、君達と同じ夢を見た。新選組のためにこの身を捧げてきました。・・・・・・・・・ですが、新選組は私の手の届かない所まで行ってしまったんです」

先日の伊東さんとのことを言っているのかと思い、反論しようとしたが山南さんの様子を見て何も言えなくなった。

 山南さんは、未だ障子の向こう側を見ており、以前大阪出張の際に怪我をした腕を強く掴んでいた。未だ、完治していないようで時々、腕が痛むと言っていた腕だ。

「だから、ここに私の居るべき場所がないんですよ」

少し淋しげな口調でそう言うと、山南さんは僕を見た。

「あの時、君は私を見逃そうとした。だけど、それは新選組隊長として、やってはいけないことだと私は言いましたね?」

それは、山南さんの後ろ姿を見つけた街道でのやり取りのことを言っていた。


                 *


 僕は、馬に乗り山南さんの後ろ姿を見つけた。見つけたからには、山南さんを連れ帰らないと行けない。命令だから。だけど、近藤さんは山南さんが見つからなかったら、江戸までの別れ道で戻って来いと言った。近藤さんも土方さんも皆、山南さんに死んで欲しくなかったから。別れ道まで目と鼻の先。ここには、僕以外、新選組の誰も居ない。僕が見逃しても咎める人なんて誰も居ない。そう思って、山南さんの後ろ姿を見なかったことにして引き返そうとした時、

「見つかってしまいましたか、沖田君。あと少しだったんですが、残念です」

気付いたら山南さんは、僕に声をかけて歩み寄って来ていた。残念だと言っておきながら、全く残念がった様子もなく、僕の方をまっすぐ見ていた。

 あの時も僕は近藤さんの思いを伝え、このまま逃げて欲しいと伝えた。だけど、それは山南さんに『新選組隊長として一番やってはいけないこと』と諭された。

「沖田君が自責の念に駆られることはありません。これは、私が選んだことですから」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「本当に悔やむことではないんですよ。これが正しいことなんです!」

満面の笑みを浮かべ、誇らしげにそう言った。

「私が脱走したことを許せば、隊の規律が乱れます。私が切腹をすることで、新選組の結束はより強固なものになるんです! ・・・・・・・・・それが総長である私の最期の仕事なんです」

山南さんは自分に居場所がないと言っておきながら、最期の最期まで新選組のために身を捧げようとしている。

「だから、これは私の我が儘です。・・・・・・・最期の我が儘なんです。沖田君、聞き入れてくれますか?」

「・・・・・・・・っっ、ズルいですよ。そんな言い方。断れるわけないじゃないですかっ」

「・・・・・・・・・ありがとう、沖田君」

涙を見せまいと堪えている僕とは対照的に山南さんは目に涙を浮かべながらそう言った。


                  *


 昨夜の感触が残っている掌を見つめながら、僕は山南さんの最期の姿を思い出していた。山南さんは、清々しい表情で定刻通り僕達の目の前で切腹をした。切腹することに悔いがないと言っていたことは、本当だったようだ。だけど―――――――

「沖田さん」

背後から名前を呼ばれ、僕の思考は停止した。

「どうして、君が此処に?」

振り返ると、そこに居たのは、屯所には似つかわしくない彼女だった。

「近藤さんに呼ばれて、これを受け取ったんです」

そう言って、僕の隣に座った彼女が見せてくれたのは彼女が以前、山南さんに渡したお守りだった。

「・・・・・・山南さん、亡くなられたんですね」

「・・・・・・・・・うん」

少し戸惑いながらそう言う彼女に僕は、少しの間を置いて返事をした。彼女の様子から、昨日のことは近藤さん辺りに大まかな話を聞いたのだと推察できた。

「・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・」

暫くの間、僕らは何も言わず、ただ目の前にある同じ光景を見つめているだけだった。きっと、彼女は何て僕に声をかけたら良いのか図りかねているのだと思う。だけど、下手にありきたりの言葉で励まされるより、ずっと良い。

 彼女のぬくもりが感じられるこの距離感が心地良かった。彼女は生きている。自分の身近な人が生きている。今は、この感覚が僕を言葉以上に安心させた。

「・・・・・・・・どうして、僕の大切にしている人は僕の剣で散ってしまったんだろう?」

人のぬくもりを感じて安心したからか、思わず先程思ったことを口走ってしまった。

――― しまった!!

零してしまった言葉をなかったことにすることは出来ず、どうやって彼女に取り繕うかと思案していると、彼女は何も言わず僕の手を握った。

「!?!?」

彼女の行動に驚いて彼女を見ると、彼女は今も尚、ただ前を見つめていた。弱気になった僕を見るでもなく、言葉をかけ慰めるでもなく、ただただ落ち込んで弱っている僕に直に自分のぬくもりを与えてくれた。

――― こういうところ、やっぱり近藤さんに似てるな。

僕が子供の頃、近藤さんもよく何も言わずに僕の側に居てくれたり、肩を抱いてくれたことがあったっけ?

「っくしゅん!」

肌に突き刺さる冷たい一陣の風が吹くと彼女はクシャミをした。立春を大分過ぎたとはいえ、京はまだ寒く、春の訪れを感じることはまだ出来なかった。

「風邪を引くといけないから、そろそろ奥に入ったら?」

僕はそう言って先に立ち上がると、彼女はお守りを見つめたまま座っていた。

「・・・・・・・・・山南さんのお墓にこのお守りを入れることって出来ないんですか?」

――――― ほらね、山南さん。僕の言った通りでしょ?

淋しげな彼女の背中を見ながら、僕は昨日の山南さんとの会話を思い出した。


                  *


 山南さんの最期の頼みで僕が介錯をすること了承すると、徐に山南さんは僕に彼女が山南さんに作ったお守りを取り出した。

「これを和流さんにお返ししてもらえますか?」

「どうしてですか?」

「私が罪人として処罰を受けるからです」

「それって―――――――」

やっぱり、死を覚悟しているとはいえ内心では死にたくないのではないかと思った。

「あぁ、誤解しないで下さいね。別に死を恐れているわけではありません。先程、話した通り私の死は新選組にとって必要なことなんです」

すると山南さんは慌てた様子で僕の考えていることを否定した。

「彼女は私達新選組の身を案じて、これを作ってくれました。しかし、私は隊規違反で処罰される身。新選組に仇をなした存在なんです。そんな人物に最期まで持っていて欲しくないでしょ」

「そんなことないと思いますよ。彼女は、山南さんのためにそのお守りを渡したんです。山南さんが・・・・・・例え、罪人となったとしても最期まで持っていて欲しいと思いますけどね」

彼女は、記憶がないからか少々常識外れな言動をする時がある。だけど、人や立場によって言動を変えるような子ではない。だから、彼女なら最期まで山南さんに持っていて欲しいはずだ。

「・・・・・・・・・和流さんは、良い子ですよね。記憶がなく、心細いでしょうが人を思いやる気持ちを持ち合わせている」

「まぁ、・・・・・・・・・悪い子ではないと思いますけど、ちょっと変わってて意志は強いですよね」

僕がそう彼女のことを評すると山南さんは、ふふっとおかしそうに笑った。

「どうして、笑うんですか?」

「・・・・・・いいえ、何でもありません。良い人を見つけたと思ったんですが、沖田君が気付いていないなら、それで良いんです。和流さんのこと、大切にしてあげて下さいね」

「????」

「話を戻しますが、和流さんのお守りが血で汚れてしまうのは私が忍びないので、やはり和流さんにお返し下さい」

山南さんは再度、僕の前に彼女のお守りを差し出した。だけど、僕は山南さんのお守りを受け取ることは、どうしても出来なかった。

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「・・・・・・・・・分かりました。これは、私から近藤さんに渡しておきましょう。君には、介錯をして欲しいという私の願いを聞き入れてくれたんです。これについては、君の意志を最期に尊重しましょう」

そう言うと、山南さんはお守りを懐に戻した。


                  *


「それ、僕が貰うよ」

「えっ?」

僕が後ろからヒョイッと山南さんのお守りを取ると彼女は驚いた様子でこちらを振り向いた。

「別にお墓に入れられないわけじゃないけど、山南さんには山南さんなりの考えがあって、君に返そうと思ったんだから、あんまりその気持ちを無下にするのは良くないと思うよ」

「・・・・・・・・・・・・・・・」

「別に、君のお守りが御利益がなくて山南さんが死んだわけじゃないよ」

複雑そうな顔をして黙っている彼女に僕はそう言った。

「山南さんは、新選組のために自分の意志で命を差し出したんだよ」

「沖田さん?」

これは真実だ。山南さんと最期にちゃんと話して本人から聞いたのだから。自分でも不思議だけど、今は心の整理が付いたのかストンッと山南さんの死を受け入れられていた。きっと、彼女のぬくもりを感じたからだろう。

「それに、僕は山南さんのおもいも背負わないといけなくなったからね」

悪戯っぽくそう言うと僕は小走りに廊下を走った。

「沖田さん! それってどういうことですか!」

驚いたようで僕に呼びかける彼女には答えず、僕は廊下の角を回った。

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