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 賓客用の別館へと姉弟を送り届けたウィルトールはアネッサとともに帰路についていた。

 鬱蒼と生い茂る木々がさわさわ音を立てた。道の左右、等間隔に設えられたランプが辺りをぼんやりと照らし、梢の合間にはちぎられたようにいびつな形をした闇色が点々と覗いている。薄ら明るく見えるのはこれから満ちていこうとする月が天にあるからだろうか。




 アネッサが髪に巻きつけていたラリエットを解いた。頭を左右に振れば豊かな髪が大きく波打ち背中を覆った。赤みを帯びた金の髪が途端に煌めき出す。

 隣を歩いていたウィルトールは瞬く。何度見てもこの違和に慣れない。そんな空気が伝わったのか、アネッサは小首を傾げて彼を覗き込んだ。悪戯っぽく微笑む瞳が「なに?」と尋ねている。束の間言葉を探し、やがてウィルトールは微苦笑を浮かべた。


「〝星屑の粉〟を思い出した」


 それは露店で見かける定番の品である。魔術道具の廉価版といった具合で粉末と液体の二種類があり、どちらも効力は一夜限り。購入を許された幼いウィルトール少年が選ぶのはもっぱら水に溶いたものだったが、女性には粉の方が人気があったはずだ。髪に振りかけて星の瞬きを宿らせ、嬉しそうに歩く姿を何人も目にした覚えがある。

 アネッサはすぐには意味を掴めなかったらしい。きょとんと見返していたが、付け加えられた「夏祭りのだよ」の一言で合点がいったようだった。撫でるような手つきで自身の髪をひとふさ掬う。


「懐かしいね。毎年楽しみにしていたよね」

「そのラリエット、見覚えある気がする。魔術道具だったんだ?」

「頼んで力を籠めてもらったんだよ。ちょっとした目くらましになるように。あんたが変な顔するくらいだもの、初見ならなおさらだろ。楽しんでるときに水をさされたくないからね」


 首にゆったりと巻きつけ、いまやネックレスへと用途を変えたラリエット。銀の鎖に編み込まれた無数の水晶の粒が薄明かりの中できらきら輝いていた。一定間隔で繋ぎ止められた花穂かすいを模した飾りは紫水晶と真珠でかたどられていて、目にしているとなんとはなしに温かな気持ちがわいてくる。


「アデレードはこの髪を見ても何も言わなかったけどさ。可愛いね、あの子」

「見せたの」

「うん、成り行きで。……そういや今日待ち合わせたあそこって恋人たちの丘なんだって?」


 楽しそうに揺れる紫紺の双眸。ウィルトールが訝るように見返せば佳人はぱっと前を向き、指揮者のように人差し指を振った。


「夕陽を一緒に見ると末永く結ばれる、だっけ。かなり有名なジンクスだってアーシェラントが言ってたよ。だから頼んだんだろ? 遅れて来てほしいって」

「そういうわけじゃない。ひとつ確かめたいことがあったんだ。それで、」

「いいよ隠さなくて。待ち合わせ、もう少し遅い時間にすればよかったね。あんたから聞いてたアディちゃんがアデレードのことだって前もって知ってたら」


 まるで注意を引くように強めに吐かれた声にアネッサは口を噤んだ。

 甥は先に足を止めていたらしい。振り向いた先にあった青藍の瞳がまっすぐにアネッサを射抜いた。しばし視線を絡ませたあと、ウィルトールはばつが悪そうに顔を背けた。


「先走り過ぎだよ、理由は全く別の話。アッシュの了承得てるから聞けばわかる。あそこの丘も夕焼けが絶景なのは保証できるけど、わざわざそういう意味を狙って見るほどの価値があるかどうか……。正直疑問だな」

「──そっか、あんたたちは住んでたんだもんね。アデレードが残念そうだったからてっきり見たことないのかと思って」

「……少なくとも初めてではないよ。記憶に残らないものはその程度ってことなんだと思ってるけど。思い出ほど曖昧なものもないから」


 嬉しいことや悲しいこと、胸が潰れそうなほど辛いこと。様々な出来事に遭遇しいろんな感情を覚える中、留意する必要がないと判断された事柄は記憶の隙間からどんどんこぼれて消えていく。それはもはや仕方のないことだと思う。中にはいっそ忘れてしまった方がいいと、〝心〟が判断する場合もあるのだろうが。


「根拠も信憑性もないジンクスなんか、」


 そのあとに続けられた言葉をアネッサはうまく聞き取ることが出来なかった。気にはなったが聞き返せそうな雰囲気ではない。

 何かを振り切るようにウィルトールは再び歩き出した。アネッサも数歩遅れでその背を追う。ふたりの間に会話はなかった。梢のざわめきが降る薄暗い森の道を、ただ黙って進んでいく。





 * *





 宵の風が濃い緑の香りを運んでくる。そっと目を閉じれば虫たちの密やかな合唱が耳朶を打った。メリアントで聞いていたそれより楽しげに賑やかに聞こえるのはどうしてだろう。


「……何をにやけてるんですか」


 怪訝な声にハッと我に返った。着替えを済ませくつろいだ格好のアッシュが数歩離れた場所に佇んでいた。カウチの上で膝を抱え込むアデレードに呆れたような目を向けながら彼はその脇を歩いていく。部屋の奥にある寝室へ向かうらしい。


「まあ、大方想像つきますけどね……」


 半眼になって深い息をつく様は年長者に対する態度にはとても見えない。


「なにが言いたいのよ。変な想像してないで、寝るなら早く寝たらいいじゃない。疲れたんでしょ」

「そのつもりです。では姉さん、おやすみなさい」


 アッシュは欠伸を噛み殺しながら扉の向こうに身を滑らせた。それを見送るとアデレードは再び自身の膝に顔を埋めた。じっとしていたのは十数秒ほど、やおら肩を震わせたかと思うと両つま先を交互にぱたぱた上下させる。

 やがてアデレードは伸びをするように両腕を上に伸ばし、満面の笑みで半身を後ろに倒した。




 めまぐるしくて、素敵な一日だった。何があったか思い出せないほどいろんなことがあったし、思いがけないデートはとても幸せで楽しかった。

 丘でのひとときは脳裏に浮かべるだけでどきどきと胸が高鳴る。昼間であれだけご利益があるのなら夕刻はどんなに強い魔法がかかることか。もしウィルトールと夕陽を見られたらどうなってしまうのか──そこから先はとても考えられなかった。想像がつかない以上に心臓がもたない。

 そして最後の最後で判明した〝想い人と恩人の関係性〟は驚愕以外の何物でもなく、四人で囲んだ夕食はおかげで大いに盛り上がった。

 学生時代の話に花が咲き、アネッサからは喧嘩友だちセイルの弱みを幾つか教えてもらえた。お料理はもちろん期待通りで、デザートに頼んだアップルパイなど頰が落ちる美味しさだった。思わずウィルトールと一緒におかわりを申し出たくらいだ。


『何かの縁とは思ってたけどね、〝ご縁〟ってことだったのかもしれないね』


 耳に蘇ったのは佳人がかけてくれた言葉。店を出てすぐ、そっと近寄った彼女から温かく肩を叩かれた。


『応援してる。あんたならあたしも安心だからさ』


 やさしい声と眼差しを思い返すたび、アデレードの口許が緩む。母代わりの人からの信頼は何にも増して心強い。




 クッションをひとつ抱きかかえる。満面の笑みでくるりと身を反転しうつ伏せたアデレードは次の瞬間ぎくりと息を呑んだ。退室したはずの弟が扉の隙間から顔だけ出している。


「なっななななに!?」

「……まだ起きてるならどうかお静かにお願いします。姉さんのその『うふふふふ』って笑い方、さすがに怖いんですよ。気になって眠れません」

「アッシュが神経質なだけでしょ!」


 思わずクッションを投げつける。が、それがぶつかるより早く扉はきっちり閉められた。

 アデレードは別のクッションを抱きかかえ、弟の消えた扉を上目遣いに睨んだ。

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