23.今すぐ床ペロⅡ
電車は目的地へと到着する――
改札を出る俺たち。
ここは県内で一番大きな街だ。
人、人、人。
人間ホイホイのように魅力的なものがたくさんある。
貿易港としても栄えていたこの街は、洗練された近代的な都会であり、ところどころにあるシンボリックな建物が目を惹く。
海辺にある観覧車はデートスポットとしても有名だ。
インドアな俺がここに来たのは、りぃが今使ってるギターを直してもらいに来たときぐらいか。
そうだ、妹に何か買ってやりたいな。
楽器屋に寄ってみるか――
「こっちよ!」
上原にグイっと襟首を掴まれ方向転換させられる俺。
そうだった、俺は美容院に来たんだ。
当初の目的を忘れてたぜ。
妹よ、必ず生きて帰るから待ってろよ。
情緒溢れる洋館が建て並ぶ道を抜け、個性的なショッピングエリアの一角で、上原は立ち止まる。
「ここよ。話は通してあるわ。言っとくけど、美容師さんに私たちの関係とか聞かれても、あんたは他人。彼氏でもなければなんでもないんだからね! そこんとこ頭に入れときなさいよ」
ショーック!!
何でもいいから他人はヤメテクダサイヨ。
「俺はもう友達だと思ってたんだがなあ」
「そ、それぐらいは許してあげてもいいわよ! むしろペットね! あたしの奴隷よ!」
ほっぺたを赤く染めながら言い放つ上原。
ペットなのか奴隷なのか支離滅裂だが、友達でいいんだよな。
喜んじゃうぞ俺。
カランコロン――
「いらっしゃいませ」
「あ、十一時に予約していた上原ですけど」
「上原様、お待ちしておりました。本日はお連れの方もご一緒ですか?」
受付の人が俺を見てそう言った。
「百瀬です」
「百瀬様ですね……カットでお伺いしております。お待ちしておりました。こちらへどうぞ」
らっしゃいと声が飛ぶ青年誌だらけの床屋とは大違いで、正直ビビる。
俺たちは隣同士の椅子に案内され、俺には『モテる男のヘアスタイル』とか書いてある雑誌をいくつか渡された。
そこへツーブロックにパーマで顎鬚の兄ちゃんがやって来た。
「本日施術を担当させて頂きます新谷です。よろしくお願いします」
「は、はい」
「まずはカウンセリングから――」
自宅でのケアだとか髪質だとか色々聞かれる俺。
希望のヘアスタイルはございますかと雑誌を見せられる。
やべえ、テンパってきた。
初対面の人は苦手なの。
「そ、そうですよね」
それを見兼ねたのか、上原が横から抜群の笑顔で俺に話しかけてくる。
「百瀬くん、あせらないで。あなたのなりたい印象とかを言えばいいのよ」
ももせくん!?
あなた!?
うわあ、こいつ猫かぶってやがる!!!
「お前……だれ?」
「ふふふ、お前ってなにかな? ボケてないで早くしようね。あとでパンあげるからね」
ぶるるっ。
上原の目が笑ってない。
急に背筋が凍りつく。
パンってあれだよな!?
グーのやつだよな!?
とにかくどんなヘアスタイルが良いかなんてわからないが、俺のなりたい希望を言えばいいんだよな。
「お、俺は地毛がこんな色で。生まれつき目つきも悪いんで、とにかく第一印象を良くしたいんです。それが教師相手でもギャル相手でも。万人受けしたいんす!」
「ふむふむ、かしこまりました!」
美容師さんはコクコクと頷いて聞いてくれている。
わかってくれたのかしらん?
「長さはどうされますか?」
「もう、全部まかせます……」
そう言うと笑顔でコクコクと頷いてくれた。
「あはは、かしこまりました! ではお任せください!」
兄さんの笑い声で空気が穏やかに感じられ、居心地が良くなっていく。
上原も俺を見て、顔だけハ○コックポーズをしている。
ほれ見ろ、あたしの言った通りにすればいいのよ。
そう顔に書いてあるのが見て取れる。
切ってもらっている間に、お二人は付き合ってるんですかとか色々聞かれたが、横から上原が全力で否定してくる。
地が出て俺の存在すらペットだとか言うもんだから、むしろ美容師さんは何でもお見通しって感じだった。
本当にカップルだったらいいんだけどなあ。
「――耳周りを短くカットして清潔感を出してみました」
仕上がった状態を説明してくれる美容師さん。
「前髪はシーンによって上げられるように短め、シルエットはひし形でどんなスタイルにも合わせやすいと思います。毛量を取り、少し癖毛なところを活かして長短をつけたカット。スタイリングも簡単なので楽だと思いますよ」
簡単なのはありがたい。
「ワックスで束感を出して、こうするとスパイキーショートなイケイケ兄さんに」
俺は鏡に映る自分を見て驚く。
「す、すげえ」
かっちょいいじゃねーか。
妹のオリジナル聴いたときより衝撃だ。
「でもちょっとチャラくないですか?」
「ビシっとしたいときは、前髪をこう上げてアップバンクショート。爽やかに見えるでしょ?」
まあ!
なんということでしょう!
明らかにモテなさそうな少年が、匠によって変身したではありませんか!
「まじ、すげえ!」
すげえしか言えねえ俺の語彙の少なさが悲しいほど、褒め言葉を出したい気分になる。
喜んでる俺を見て、上原はハンコ○クすぎて後ろに落ちそうになっている。
お前が切ったんじゃねーけどな。
まあでも、調子に乗らせても良いほどの出来だ。
上原、よくやった。
褒めて
こうして二人ともセットが終わり、店を出たのだが――
「会計、五千円!?」
「なによ」
「だって髪切っただけだぜ? 床屋なら何回いけるか!」
バイトもしていない俺には高額なんだよ。
「ふん! あんた髪を切ってもらっただけ? 本当にそう思ってるの?」
「え?」
「あんたの言う床屋さんは技術もあるかもしれないわよ、理容師さんだろうし。でもその床屋さんが価格で勝負してるなら――」
上原は両手を腰に当て、呆れたようなポーズで続ける。
「さっきの美容院は価値で勝負してるってこと! 技術はもちろん、サービス、接遇、満足度、プラスアルファの付加価値、あたしには五千円以上の価値を感じるわよ!」
確かに、思い返してみると……
シャンプーしてるときの膝掛けですら、俺が緊張で汗かいてるのを見てか、『はずしましょうか?』と声かけだ。
ただマニュアル通りやるんじゃない。
本当の意味でその人にあった施術、だったのかもしれない。
ビューティーアドバイザーを目指す上原にとって、そういうところも勉強になるんだろうな。
俺は何も見えていない。
上原の事ももっと知りたい。
「じゃ、あたし用事あるからあんたもう帰っていいわよ」
「へ?」
これからじゃねーのか?
イベントは?
「用事ってなんだよ、俺も付き合うぞ」
「いらないわよ! プレゼント買いに行くだけだから」
プレゼント?
「だれの?」
「あたしの大切な人よ」
大切な人って、まさか……
「彼氏とか……?」
「あんたには関係ないでしょ! ほら帰った帰った」
上原ぁ……彼氏いたのか。
そら、いるわな、こんな可愛い子。
悲しい。
哀しい。
妹よ、『
兄ちゃんショックで床ペロしそうだ。
episode 『今すぐ床ペロ』 end...
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