第3話 野菜炒め



「あの、どうでしょう……か?」


 質素な格好に着替えたユウナは、照れくさくもヴァンの前に立つ。

 少し全体的に暗めの印象がある色合いのシャツとズボン。それと、目立つ金髪を隠すためのキャップ。幸い、肩にかかる程度の長さだった為、なんとかキャップに隠す事はできた。

 一見、キャップをかぶった少年の様に見えなくもない、その姿を一瞥してから、カウンターの席に力なく座るヴァンは、さも興味のない口調で返事をする。


「ああ、良いんじゃねえの、普通で」

「はん、もう少しまともな返事はできないのかね。まあ、こんなボロくさい格好に褒める所を探すのも大変だろうさ」

「いえ、そんな事ないです。それよりも娘さんの大事な服を着てしまって、本当に良かったのでしょうか」


 よく見ると、あちらこちらにほつれかかっている古びた印象の服。その服はフィーナの娘の服だった。


「良いんだよ。どうせ取っておいてもタンスの中で腐らせてしまうだけなんだからさ。それよりもあんたみたいに上等な女の子に着てもらった方がそのボロ服たちも浮かばれるさね」


 フィーナは豪快に笑って、ユウナの頭を撫でる。ごつごつとしたその手のひらに暖かい優しさを感じさせた。

 

「それよりもさぁ、飯はまだかよぉ」


「混み合ってる時間帯なんだから我慢しな。あんた、そろそろできるかい!」


 大きな声で、奥の厨房に呼びかけると、返事の代わりに、のっそりとフィーナよりも一回り体格の良い男が、険しい顔で料理を運んでくる。


「バンザ! うぅ、待ってましたぁ!」


 フィーナの夫兼、料理長であるバンザは、険しい表情のまま、カウンターに料理の乗った皿を並べる。今にも料理に飛びつかんとするヴァンと、バンザの視線に怯えるユウナを一瞥して、そのまま厨房へと戻っていく。

 カウンターに並ばれた料理の香ばしい匂いが、実に食欲をそそられる。ヴァンに至っては、滝のように流れるヨダレを拭うことすら忘れている。「いただきまーす!」と一声上げたと同時に、大きな皿に山のように乗せられた料理を、ものすごい勢いで食べ始めた。

 

「うちはしがない食堂だ。上品でも趣向を凝らした料理でもないけどね、味には自信があるんだよ」


 勧められるがままに、ユウナは少し大きめな皿に盛り付けられた料理を口にする。シャキシャキとした感触の後に、野菜本来の甘みが後から溢れ出てくる。味付けは少し濃い目ではあったが、くどさの無い塩気に食が進む。香り付け程度に香辛料が入っているのか、ほんの少し辛味を感じるのが後を引く。


「……美味しい、すごく美味しいです!」

「はん、たかが野菜炒めでそんなに喜ばれちゃ、嬉しいったらありゃしないねぇ……なああんた、聞いてたかい! 美味しいってさ」


 その言葉を聞いて、またのっそりとバンザが顔をだす。険しい表情は変わらず、睨みつけるかのように、ユウナを凝視する。何か気に障ることでも言ってしまったのか、バンザの険しい表情につい身体が怖ばる。


「あ、あの……すごく美味しいです、野菜炒め」


 恐ろしさすら感じバンザの視線に、できる限り顔をそらさずに、感想を述べる。すると、バンザはそのしかめっ面を更にシワを深くしたかと思えば、聞き取れないほどに小さく何か呟くと、踵を返して調理に戻っていく。


「……何か、怒らせてしまったのでしょうか?」

 

 不安げな表情のユウナに、また豪快に笑うフィーナ。


「全く違うさね。あんたみたいな上等なお嬢ちゃんに褒められたもんだから、照れくさくて上手く喋れなかったんだろうさね。あの人、顔はおっかないだろうさ、でも子供好きで、腹を空かせたちびっ子見つけると、すぐに飯作りたくなっちまうようなお人好しなんだよ」


 あそこまで恐ろしい顔をした大人を、今まで見た事がなかったユウナだったが、フィーナの話しを聞き、人は見かけによらないものなのだと、少しだけバンザが怖くなくなった気がした。


「本当に美味しい……こんな美味しい野菜炒めを食べたのは、初めてかもしれません」


 数種類の野菜を炒めただけの物が、どうしてここまで美味しくなるのか不思議でたまらないユウナは、首を傾げながら、口を動かす。


「そりゃ、美味いだろうさ。今朝採りにいったばかりの新鮮な野菜を使ってるんだからね」


 まだ陽が顔をだす手前の時間帯に、フィーナとハンザは西の森に真っ直ぐ進んだ後に出てくる小高い山を登る。少し急な傾斜がある山を登るのは、一苦労するが、そこには二人が丹精込めて耕した畑がある。そこから一日分の材料分の野菜を採り、その日に料理する為、毎日歯ごたえのある、新鮮で美味しい野菜を提供する事ができたのである。


 浮島から農作物は採れない。巨大な浮島ではあるが、畑を作るための面積がさすがに足りない。中途半端な事をするのであれば、空飛ぶ商船から仕入れた方が効率が良いと浮島の住人は考える。だが、さすがに仕入れたてであれ、採れたての野菜が空から運ばれてくるわけでもない。そこが、荒くれ者たちの宴亭で出される野菜との大きな違いだった。


「連絡船から運ばれてくる、高くて粗悪な食材を毎日買って商売しようもんなら、二人して早々に首吊った方が話しが早いよ」


 そう言ってまたも豪快に笑ってみせるフィーナの話しを、ぞっとしながら聞いていたユウナの隣から、ふと物音がしなくなった。


「ふぅ……フィーナ、おかわり!」


 ヴァンが、笑顔で皿をフィーナに渡す。山のように盛られた野菜炒めは、あっという間に姿を消してしまっていた。


「あんたもう食べちゃったのかい? 毎度、ちゃんと味わって食べなって言ってるだろうさね」

「いや、野菜もめちゃくちゃ美味いけどよ、やっぱり肉食べなきゃ全然足りねぇよ」

「はん、贅沢言ってるんじゃないよ。肉は貴重なんだ、おいそれと出せる代物じゃないんだよ」

「ちぇっ……ああ、〈肉の日〉はいつなんだよぉ」


 その言葉を聞いた周りの客達は、途端にソワソワし始め、フィーナの様子を伺っている。

 市場から質の悪い肉を高く仕入れる他に、上手くやれば森に生息する小動物を狩ることはできる。だが乱獲すれば、森の奥深くに住む魔獣たちが、食料不足により、街にでてくるかもしれない。そんな憶測から、住人たちは下手に狩りをできないでいた。


 フィーナ夫婦は、山に野菜を採りに行くだけではなく、月に二、三度、狩りに出る。肉を食べたいという客は、ヴァンだけではないからだ。魔獣たちの機嫌を損ねない程度に、野うさぎや、野鳥、運が良ければ鹿を狩り、自分たちが持てる分だけの量を持ち帰る。


 〈肉の日〉というのはつまり、持ち帰った肉を料理して客に出す日である。ただ、量は少ない為、取り合いになることも予測できるので、事前に告知することは一切ない。その為、肉を喰らいたい者は、今日こそはと、足繁く荒くれ者達の宴亭に通い詰めるのだった。


「それを教えちまったら、商売にならないだろうさね」


 周りの客は一斉にため息と共にうな垂れる。どうにか肉汁溢れる料理にありつきたいと、ヴァンと同じように聞きだそうとする客も多くいたが、頑なにフィーナは教えてはくれない。


「ぬぬぬぬぅ、ケチだぞこんちくしょー!」

「はん、人聞きが悪いこと言ってんじゃないよ、店にくるお楽しみを取り入れるのは商売の基本さね」


 意地の悪い笑みを浮かべたフィーナにヴァンが何度か言い返していると、隣から会話に割り込むようにして、


「――あ、あの!」


 二人が同時に顔を向けると、真っ赤な顔をしたユウナが震える手で、皿を両手に持っていた。ヴァン程にではなかったが、それなりの量が盛られていた野菜炒めの姿はなく、一片の欠片すらそこには残っていなかった。


「わ、私もおかわり……したい、です」








 おかわりした二人分の野菜炒めは、待ち構えていたかのようにすぐに運ばれてきた。どうやらヴァンが来たときには、最低でも数人前分の量を作っておかなければ間に合わないと、バンザは推測していたのだろう。今回は、珍しく一人じゃなかった為、ある程度の差異はあったが、問題はない。その分、少しだけヴァンの量が減っただけである。

 満足げな表情のユウナの横で、まだ物足りなそうにしているヴァン。やはり、どうしても肉を食べないと気がすまないようだ。


「……それで、これからどうするんだい」


 フィーナは、カチャカチャと食器を洗いながら聞く。ピークの時間帯は過ぎ、静まり返った店内に二人以外の客はいない為、声を潜めることなく喋る。

 これからどうする。その言葉に、食後のお茶をすすっていたユウナの表情が途端に曇る。フードの男から逃れる為、がむしゃらに下の街まで降りてきてしまったこともあり、これからどうすれば良いのか正直わからなかった。街の自警団に駆け込んだ所で、自分の抱えている問題を、簡単に信じてくれるとは到底思えず、取り合ってくれないかもしれない。かといって、このまま何事もなく帰れば、ユウナを待ち構えている可能性は非常に高い。自ら捕まりに行くようなものだった。

 俯いたまま黙り込んでしまったユウナを、見透かすようにフィーナは思いつく。


「街の自警団も、不抜けた奴らばかりでどうしようもないからね………そうだ、それじゃあ一度、トールさんに相談してみるのが良いかもしれないさね」

「えぇ! なんでそこでトール爺が出てくるんだよ」


 その提案を聞いて、ヴァンがうんざりした表情で反応する。


「トールさんは、あんたが思っているよりも力や見識を持った立派な人なんだよ。まあ、確かに私にもあのガラクタ集めに関してはよくわからないがね」

「ガラクタ集めをしているのは、俺!」

「ああ、そうだったねぇ」

 

 二人のやりとりを聞く限り、どんな人物なのか全く想像できないユウナだったが、すっかり心を許しているフィーナの薦める人物であるならば問題ないだろうと思うも、一応確認する。


「その、トールさん? という方は一体どういう方なんでしょうか」

「どういう方ねぇ、まあこの街が街として出来上がる頃から、この地域に住んでた長老みたいな人さね」

「そう、ただのクソ爺だ」


 フィーナの目が鋭く光る。どこから出したのかわからないおたまを振り下ろし、本日二度目の清々しい高らかな音が店内に響く。


「……痛ってぇえええ!」

「だから、育ての親をそんな風に悪く言うんじゃないよ!」

「え、その、育ての親という事はヴァンさんのお父様なんですか?」

「ああ、そうだよ。ちょっと偏屈で頑固な人だけど、決して悪い人じゃない。あんたの抱える問題がどれだけのもんかわからないけど、ヴァンが案内をして、私の紹介となれば、トールさんのことだ、きっと何かしら力になってくれるだろうさ」

「いーや、ただのクソ爺だ。あんまり期待すん――」


 言い終える前に、電光石火のおたまが更に甲高い音を打ち鳴らし、またも大きな悲鳴が店内に響き渡った。


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