第4話 三馬鹿トリオとエレイン



「……ああ、痛かった」

「ふふ、ヴァンさんがお父様の事を悪く言うからですよ」


 頭をさすりながら不機嫌な顔を浮かべるヴァンを見て、くすりとユウナは笑う。

 暴れ者達の宴亭を出た二人は、トールに会う為ヴァンの家へと向かっていた。

 フィーナから渡された服を着たユウナは、周りの視線がさほど感じなくなったことに気づく。それだけ、先程までの格好はこの街では目立っていたということだろう。

 確かに、今までユウナが来ていた服に比べれば、質素な格好であり、お世辞にも美しさや、華麗とは言えない、労働者の作業着のような服装である。

 ただ、見ず知らずのユウナに対して、ここまで力を貸してくれたフィーナに、胸の奥がじんわりと温かくなる。


 道中、声をかけてくる住人がいた。そのどれもが、スクラップボーイの異名で、ある意味有名なヴァンに対して、冷やかしや、物乞いに近いものだったが、まるで友人や知り合いといった風に話しかけてくる様を見て、ユウナは驚く。一方、ヴァンは面倒くさそうに返事をしていた。


 しばらく、二人は他愛もない話しをしながら歩いていると、次第にあたりの空気は重くなり、日が差し込んでいるはずなのに、幾分か暗くなる。そして、眼に飛び込んでくる一つ一つの光景に、ユウナは驚きを隠せないでいた。

 追われている時は、とにかく逃げることに必死で、周りの景色や状況を眺める事などできず、とにかく走っていたが、いざこうして歩きながらまじまじと確認すれば、衝撃が身体を貫くようだった。

 

 無気力に建物に寄りかかりながら、何をするでもなくただその場に座っている老人。

 誰が盗った、誰も盗っていないなどの、耳を塞ぎたくなるような罵声が飛び交う喧騒。

 狭く暗い路地から聞こえてくる、女性のむせび泣くような声。

 腐臭のするゴミ箱を漁る、ユウナたちよりも歳の若い少年少女。


「……ヴァンさんは、いつもこの道を歩いているんですか」

「ああ、この道が一番近道だからな」


 二人が今、歩いている地域は、〈浮遊魔石の暴走〉以降、一番廃れてしまったこの町の北側。急激に減った働き口に、今までの生活からあぶれてしまった者達が、自然と集まってできたスラムだった。皆が皆、揃えるようにして、絶望の色に顔が染まっている。

 

「私、知りませんでした。浮島に住んでいる大人は誰も教えてくれなかった……」


 そう、漏らすように呟いたユウナは『知らなかった』のではなく『知ろうとしていなかった』自分もいることに気づき、罪悪感に胸が締め付けられそうになる。自分は悪くないと、責任を大人になすりつけようとしているのだ。

 貧富の差がある事は知っていた。この街の住人と比べれば、自分がそれなりに裕福な生活を送れているということは、なんとなくだが知っていた。大人たちが揃って「下の街は危険だから、子供は行こうと思ってはいけないよ」と言っていたのを聞いて、自分とは関係の無い場所なんだろうと勝手に決めつけ、それ以上知ろうとはしなかった。 

 温かい寝床と、毎日三食を問題なく食べる事のできる、そんな当たり前が、ここでは当たり前じゃない。知らなかった愚かな自分が、酷く恥ずかしく思えた。


「んん、なんでそんな気分悪そうな顔してんだ?」


 その言葉を聞いて、はっと我に返るユウナ。どれも背けたくなる光景ばかりで、いつのまにか俯きながら歩いていた事に気づく。

 自然と、また現実から眼を背けて、知らなかったふりをしようとしているのではないかと、また自分自身が嫌になる。


「あぁ、あれか。あそこのゴミ置き場の匂いだろ。あれもくせーけど、スクラップホールの生ゴミエリアはあれの何倍もくせーんだよ。これくらいで気にしてたら多分、気絶しちまうんだろうなぁ」


 平然とした口調で喋り、笑う。

 環境をものともせずに、逞しく生きているヴァン。その顔には絶望の色は見えず、溢れんばかりの希望に満ちてさえ感じる。力強い笑顔が、ユウナにとって眩しく思えた。


「ヴァンさんは……強いんですね」


 自分がここで生まれ育ち、ヴァンのように力強く笑えただろうか。そうは思えない。周りの虚ろな眼をした住人達と同じように絶望に顔を染めていただろう。

 ユウナの言葉に、意味をどう捉えたのか、


「おう、俺は強いぞ! でも、ギルバートはもっと強いからな、まだまだ修行が足りない……ってその変な呼び方やめろよ」

「え、その、どこか変だったでしょうか?」

「なんかむず痒いんだよな、首の後ろのあたりが痒いっていうか。そんな呼ばれ方をしたの初めてだし、普通にヴァンでいいよ」


 そのような会話のやり取りをする事すら初めてだったヴァンは、言った通りに首の後ろを指で適当に掻く。


「それに街の奴らは、ほとんど名前で呼ばないしな」

 

 特に気にしてない風に呟く。

 〈スクラップボーイ〉と、街の住人から呼ばれるその理由をまだ聞けていなかった。ひょっとすれば、ヴァンにとってそれは気に障る事なのかもしれない。そんな風に思ってなかなか聞けずにいたユウナだったが、気にしていない様子のヴァンを見て、意を決して聞いてみる。


「あの、ヴァンさんは――」

「おい、スクラップボーイ!」


 大人とさして変わらない程に背の高い少年が、ユウナの声をかき消すように悪意のこもった口調で呼びかける。その少年の両隣には、小太りの同じ顔をした双子の少年がにやにやと笑みを浮かべる。最後に、三人の背に隠れるようにして、小さな少女がひょこりと顔を出しているのが見えた。


「はあ、またお前らか」


 うんざりした表情をヴァンは浮かべながら、何事もなく横を通り過ぎようとするが、三人組は取り囲むようにして行く手を塞ぐ。少女は少し離れた場所で、人形を両手に抱えたままじっと見つめていた。


「またお前らか、とは随分な言い方じゃないかスクラップボーイ」

「そうだ、スクラップボーイの分際で偉そうだぞ」

「ばーか、ばーか」


 そういった決まりがあるのか、順番に悪態をついていく三人組。


「えっと、お知り合いですか?」


 突然の登場に戸惑いながらも、小さな声でヴァンに聞く。


「いや、知らん」


 完全に他人と決め込む態度に、長身の少年は苛立たしげに、鼻を鳴らす。


「……ふん、知らないというのであれば何度でも名乗ってやろうじゃないか」

「そうだ、スクラップボーイは頭の中もスクラップだぞ」

「ばーか、ばーか」


 皆一様にして、ヴァンを罵る。


「目にも止まらぬ動きで圧倒する、まるで疾風の如し……アルガ!」

「気配を消せば誰にも見つからない、まるで森林の如し……イルガ!」

「ばーか、ばーか……あ、えっとー……煮えたぎる情熱、まるで火の如し……ウ、ウルガ!」


 三人はセリフと共にそれぞれの決めポーズを取ってみせる。少し遅れ気味だったウルガを、ひと睨みするアルガ。続けて「練習不足だよ」とイルガは注意する。


「……これ、悔しいけど、ちょっとカッコイイんだよな」


 悔しげに唇を噛み締めるヴァンだったが、キラキラと輝く眼が羨ましそうに光っている。

 一方で、一体なにが起きているのかわからないユウナは、きょとんとした顔で首を傾げるばかりだった。

 一瞬、小さな間ができた後に、アルガと名乗った少年は、背負っていた矢筒から鉄パイプを取り出し、剣を持つように構える。


「さあ、俺の剣の錆になるんだな」

「いや、それただの鉄パイプじゃん、アイウエ兄弟」


 〈アイウエ兄弟〉その言葉を聞いて、アルガの表情が一変する。


「そ、その呼び方はやめろと言ってるだろうがぁ!」 


 わなわなと身体を震わせ、鉄パイプを片手に、ヴァンに向かって全速力で走り寄っていく。ユウナを後ろに下がらせるようにしてから、余裕のある顔で振り下ろされた鉄パイプを躱す。


「いや、だってそうだろ? アルガの〈ア〉、イルガの〈イ〉、ウルガの〈ウ〉、それと……おぉっと」


 激昂するアルガは、がむしゃらに振り回すも、それを全て紙一重に危なげなく躱す。少し距離を取ったヴァンだったが、アルガは息を切らしたまま追いかけてこない。


「ぜぇ……ぜぇ……、ちくしょう生意気じゃないか、スクラップボーイのくせに」

「やめとけって、お前もこりねーよな」

 

 そう言ってヴァンは後ろを振り返る。しょっちゅう今回のように突っかかってくる為、実力の程は知っていた。これ以上やっても無駄、弱いものいじめは好きじゃない。その場を立ち去ろうとすると、後ろで嫌味がかった口調でアルガが喋りかけてくる。


「ふん、いい気になるんじゃないぞスクラップボーイ。ちょっと位、動けるからって、お前みたいな奴が〈冒険者〉になれるわけないだろう!」


 ぴくりと、体が止まる。聞き捨てならないセリフが耳に飛び込んだ。


「所詮、お前なんて井の中の蛙。もっと更に屈強な奴らが街の外の世界にはいっぱいいるだろう。それにお前みたいな貧乏な奴が、まずどうやってこの街から出て行くんだ? 宙船に乗るための金はどこから出てくるんだ? 気が狂ったようにくだらない夢物語を言いふらすのも大概にしろよ、スクラップボーイ。お前には一生ガラクタ集めがお似合いさ、はっはっはっ!」


 アルガが高笑いすると、それに合わせるようにして弟達も笑い始める。

 耳障りな笑い声に触発され、明らかに眼の色が変わったヴァンは、アルガ達兄弟を睨みつけると、獲物を見つけた獣のごとく、駆ける。

 前傾姿勢で襲いかかってくる獣に、アルガは恐怖を覚えながらもニヤリと笑みを浮かべる。

 

「かかったな……―――やれぇっ!」


 冒険者になろうという夢を侮辱すれば、絶対になりふり構わず突っ込んでくる、そう予測していたアルガは、正にこの時を狙っていた。


 イルガとウルガは、後ろポケットに隠していた、武器を取り出し構える。その武器は、手頃な枝分かれしている丈夫な枝の両はしに、ゴムの紐を結びつけてある。まるで小さな投石器のように、ゴムの反動で石ころを発射させるこの武器は、当たり所が悪ければ大の大人でも失神する可能性もある。


 アルガの号令と共に、ギリギリまで引かれていたゴムを指から離し、石ころを打ち放つ。この日の為にイルガとウルガは何百発も、動く的である野鳥目がけて練習していた。その練習のかいあってか、吸い込まれるかのようにヴァンに向かって飛んでいく。


(これはいける)


 ヴァンの並外れた動体視力は悔しいが認めざるを得ない。だが、多方向からの攻撃にはさすがに対応できないだろう。弟達の弾をもし躱されたとしても、躱した先を狙って攻撃をすれば必ず当たる。

 心の中で勝利を確信したアルガは、着弾に合わせて渾身の突きを放つ。


「――――な、なにぃ!」


 だが、その渾身の突きは当たらなかった。

 弟達の石ころに着弾ぎりぎりで気づいたヴァンは、顔に飛んでくる一発目を、首を仰け反るようにして躱し、二つ目を驚くべき反射神経で左手にキャッチする。そして、最後にアルガの突きを寸前のところで躱すと、カウンター気味にそのまま右手で殴りつける。

  

「ぐはぁっ……!」

 

 地面に叩きつけられ、数メートル後ろに転がっていく。プライドから何とか立ち上がろうとするも意識が朦朧とする。力なく跪き、アルガはそのまま地面に倒れこんだ。

 イルガとウルガはそれを見て、小さな悲鳴をあげながらも瞬時に、少し離れて立っていた自分たちよりも幼い妹の背中に隠れる。

 

「あの、大丈夫ですか?」

  

 アルガの元にすかさず駆け寄るユウナ。手を差し伸べるも、右頬にしっかり拳の跡が残るアルガは首を振るう。


「げほっげほっ、だ、誰がスクラップボーイの連れなんかに……へっ―――」


 初めて間近で見るユウナの顔に、咳き込むのも忘れ、アルガはこの世ならざるモノを見てしまったかのように呆けた表情のまま固まる。数秒、時間が止まったかと思えば、ゆっくりと口を開く。


「……名前は?」

「え、あ、はい、私はユウナって言います」

「ユウナ……さん」

 

 今まで少年だと思っていたユウナが、人形よりも整った美しい少女である事に気がつくと、みるみるうちに顔を紅潮させていくアルガ。また、石化の魔法をかけられたかの如く、今にも爆発しそうな顔のまま固まる。目の前に色とりどりのお花畑が広がっていく。

 

 よほど打ちどころが悪かったのだろうとユウナは戸惑ったが、何事もなく歩いて行こうとするヴァンの背中を急ぎ足で追った。

 ヴァン達が、兄から離れていくのを確認して、弟たちは情けない声をあげながら、急いで兄の元へと向かう。声をかけようとも返事の無い兄を心配する弟たちとは別に、離れた場所で見ていた妹は、まだ十歳にも満たないその短い足を懸命に動かし、走り出す。


「どうしたエレイン?」


 近づいてきた事に気づいたヴァンが聞く。


「……ヴァン、いつもお兄ちゃんたちが、ごめんね」


 小動物みたいに走ってきたエレインは、少し考えた風にして謝る。どうみても幼い表情に間違いはないが、一瞬だけ見せる、申し訳なさそうに顔を歪ませたそれは、大騒ぎしている兄たちよりもよっぽど大人びて見えてしまう。


「別にあんなの気にしてねーよ」


 面倒くせーだけだ、とぶっきらぼうに答えて、また気恥ずかしそうに首の後ろを無造作に掻く。


「あと、いつもお兄ちゃんたちと遊んでくれて、ありがと」


 ぬいぐるみを愛おしそうに両手でぎゅっと抱きしめながらそう言うと、ちらっとユウナを一瞥してから、兄たちのもとへと走っていく。


「ふふ、可愛いですね」

「あいつも大変だよな……というか遊んでるつもりは一切ねえっての!」

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