第1話 出会い





「あぁ、腹減った」


 大きな風呂敷に包んだガラクタを担ぎながら、少年は腹を抱えるようにして歩く。小さな少年の身体よりもガラクタを包んでいる風呂敷の方が、圧倒的に大きく、成人した大人でも運ぶのは難しいその量を、平然とした足取りで歩く。

 あまりにも大量のガラクタを毎日のごとく運んでいく少年。その異様な光景を、見慣れた街の住人は侮蔑と愛称を込めて、こう呼ぶ。

 

「よお、〈スクラップボーイ〉今日も精が出るじゃねーかよぉ」


 無気力に壁にもたれ掛かって座る中年の男が、しまりの悪い口調で声をかける。


「ん、ああサルータか。腹減った、なんか食いもんくれよ」


 サルータと呼ばれた中年の男は、気味の悪い笑みを浮かべる。


「けけけ、相変わらず遠慮の知らねえガキだな。まあ、そうでもなかったらこの街じゃ、お前みたいなガキは野垂れ死にするだけだがな」

「おお、じゃあ、なんかくれるのか」

「けけけ、やるわけねーだろ」

 

 そう言って何ヶ月と洗っていない、びっしりと詰まったコケのような頭を、無造作に掻き毟る。その度に転がり出てくるホコリや、小虫を見て少年はげんなりする。


「いや、元から食いもんなんか持ってねぇんだろ!」

 

 少年の指摘に、むしろ喜んでいる風にさえ感じさせる笑みを浮かべる。その通りだと言わんばかりに、ポケットを裏返してみせる。そこには食べ物どころか、穴が空いてしまってポケットですら無くなったものが見えるだけだった。


「けけけ、しょうがねぇだろ。最近は客もめっきり減っちまったからなぁ」

「減ったもなにも、客が来てる所、一回も見たことねぇけどな」


 自称〈靴磨き屋〉のサルータが、またその指摘を受けて乾いた声で笑う。なにが楽しいのか、少年には全く理解できなかったが、いつもこんな調子だったと思えば特に気にする事でもなかった。それよりも暴れまわる腹の虫をどうすれば抑えられるのか、そのことで頭がいっぱいだった。


 サルータが客を取っている所を、少年は見かけたことはなかったが、一応、小さな古めかしい台座と、ブラシに小汚い布。仕事をするかしないかは別として、まだ仕事道具を持ち歩いているだけ、稼ごうという心意気が見える。働かない者は、本当に何もしない。ただ、無気力に壁にもたれかかって、空を見上げながら一日を過ごすか、腹の足しにゴミ漁りをするかの二択の者がほとんどだった。


 この街に住む者が全て、無気力にただ日々が過ぎ行くのを待っているだけというわけではない。少ない仕事口になんとかありつけた者は、食い扶持を稼ぐため、もしくは家族を養う為に、必死に働いた。そうした生きるための活力に満ちた者も少なからずいる。だが、どんなに働こうとも雀の涙。明日のことを考えるのに精一杯な程度の稼ぎに、やはり絶望を思わずにはいられない。


 いちはやくこの街を出ようと考える者もいたが、ここは都市から離れた辺境の街〈ブランディア〉。この街から、一番近い都市に行くためには、街を囲むようにしてある、深い森を抜けていかなければならない。街の周辺には小動物程度の生き物しか存在していないが、深く潜るにつれ、恐ろしく鋭い牙や爪を持った〈魔獣〉に出くわす可能性がある。腕の立つ冒険者や傭兵を護衛として雇うならともかく、並みの人間に倒せる相手ではない。


 安全に街を出るためには、月に何度か来る、都市からの〈空飛ぶ商船〉に乗り込む他なかった。だが、空飛ぶ商船は、五十年前の事件以降、空船専用の停留所が浮島に完成してから、下の街に直接降りて来ることは無くなった。もし、商船に乗るのであれば、浮島に上がるための連絡船にまず乗る必要があるのだが、それも当然のごとく費用が発生し、もちろん下の街の住人にとってその費用は莫大なものである。

 まるで逃げ場を閉ざされた閉鎖的な現状も相まって、住民たちは生きる希望を見出すことを忘れつつあった。

 

 サルータが商売所として居座るこの辺りの通りは、廃れてしまった下の街で唯一、屋台や露店が立ち並ぶ市場が展開されている。市場といえど、かなり小規模なものであり、活気溢れ、人が賑わうといった雰囲気は一切ない。それでも、食料品から衣類、生活に必要なものが並ぶ為、この街にしては一番の繁華街と言って間違いない。


 ただ、並ぶ商品のほとんどは、浮島の住人が空飛ぶ商船から仕入れたものであり、選り好みされて残った商品が連絡船で下の街に運ばれる。その為、市場に並ぶ商品は質が悪く、安定した量を仕入れる事ができなかった。

 限られた量の商品を巡って、客同士が殴り合いまで発展することは珍しくもなく、形式上存在する街の自警団も、それを大きなあくびをしながら当たり前に見過ごす。そういった罵声が飛び交うこの場所は、ある意味活気づいている唯一の場所になるのかもしれない。

 

 休憩がてら、サルータと話していた少年の耳に、怒鳴り声が飛び込んでくる。また、始まったか。そう思いつつ、声のした方向に振り返ると、野菜売りの親父と客らしき男が怒鳴りあっている。今にも殴り合いに発展しそうな一触即発の場面を、何食わぬ顔で見ていた少年だったが、そこに一人の少女が間に割り込むようにして、走り抜けていった。


 場違いにも小奇麗な服装をした金色の髪の少女。そして、そのあとに続く、ギラギラした獲物を追いかける野犬の眼をした大人が二人。仲良く追いかけっこ、というわけではない事が誰の目にもわかる。


 だが、野菜売りの親父と客は、怒鳴り合いを改めて再開し、目撃した周囲の人間も、何事もなかったかのように、買い物を再開する。

 誰も一切関わろうとはしない。この街で生きていくには、面倒事には極力首を突っ込まない事だった。首を突っ込めば、下手をすれば自分自身に、何倍にも膨れ上がった危険が降りかかってくる事になる。他人の心配よりも、まず明日の然り、今日の我が身が心配なのだ。


「けけけ、また首突っ込むのかい、スクラップボーイ」


 走り去っていった方向に視線を向けている少年を見て、サルータは笑いながら警告する。


「やめとけよぉ、あのお嬢ちゃん。恐らくは〈浮島〉の住人だ。どんな理由で追いかけられてるのか知らねえが、ろくな事はねえ、下手すりゃお前、死ぬぜ」

「うるせぇよ……腹減ったし、面倒だからほっとくか」


 面倒事には関わらない。そんな暗黙のルールを少年も、もちろん知っている。だが、少年の性格上、興味が惹かれれば、ついつい首を突っ込んでしまいたくなってしまい、何かとトラブルに巻き込まれる。もしくは引き起こす常習犯だった。

 育ての親から、軽率な行動はするな、と口酸っぱく何度も止められては、自分の行動を自重しようと少しは思ってはいるが、基本的に守ったことはない。


だから今回の様に、あっという間に走り去ってしまった少女を、わざわざ追いかける様な真似をするのは止めておこう、明らかに何かのトラブルに巻き込まれる事は間違いない。そう、心の中で自分を戒めようとする少年。


「………ま、行くか」


 だが、その目には一瞬しか映らなかったはずの、必死に逃げる少女の表情が、残像として色濃く残っていた。









「やぁっと追い詰めたぜ、なあお嬢ちゃん」

「ちょこまか動きやがってぇ……おっと、これ以上変な真似は考えない方がいいぜ」


 下卑た笑みを浮かべた二人組はじりじりと、少女ににじり寄ってくる。当の少女は、全くもって土地勘のない場所を闇雲に走ってしまったせいか、行き止まりの意味する大きな壁の前に立ち往生していた。

 壁に背を向けて、どうにか逃げ出せる隙はないか考えるが、二人組の男たちはそれを許さなかった。


「へっへっ悪あがきはするなよ、傷一つなく持ち帰れと言われてるんだからよ」

「でぇも、まあどうしようもなく暴れちまったっていうんなら、少しくらいの乱暴は正当な理由になるよなぁ……なあ?」


 思慮の浅い言葉を吐いてから二人はまた下品な笑い声をあげる。少女はその言葉を聞き、更に絶望に打ちひしがれる。

 まだ昼頃だというのに、この路地は夜中の様に暗く感じられた。それもそのはず、ちょうどこの時間帯に、この位置は浮島によって太陽の光りが遮られているのだ。人気の無い周りの雰囲気も相まって、少女にとってまるで夜の様に感じられるのも無理はない。

 

 きっと大声を上げて助けを呼んでも、無意味に等しいだろうと力なく膝まづく。人気のない裏通りで、またこの街には少女の見知った人間など皆無であり、助けを乞う相手すら思いつかない。

 だが、無意味だとわかっていても、藁にもすがる思いでつい声を上げてしまう。


「誰か……誰か助けて――――――」

「おうよっ!」


 上空から誰かの声が聞こえて来たと感じた瞬間、少女の目の前に少年が降り立つ。急に現れた少年に驚きを隠せない男たち。反射的に何か喋ろうと口を開けるその前に、少年の身体は獲物を見つけた獣の如く俊敏に動く。

 前傾姿勢のまま駆け出し、一気に速度を上げあっという間に近づく。反応が追いつかない男の顎を蹴り上げて、振り返りざまに廻し蹴りを二人目のみぞおちに打ち込む。

二人組は何もできないまま、小さな呻き声を漏らしてそのまま地面に倒れた。

 

「なんだよ、お前らよえーのな」


 少年の不満げな声を聞きながら、一体なにが起きたのか理解できなかった少女は、口をぽかんと開けたままそのまま固まっていた。

少年は人形の様に固まっている少女(この街の市場で売っている人形よりも小奇麗な格好をしていた)に近づくが、反応がない。


「おい、生きてんのか?」

「……きゃあっ!」

 

 頬をぱん、ぱん、と軽く叩く。その瞬間、少女は壁に張り付くようにして驚愕の表情を浮かべる。今度は少年がぽかんと口を開ける番だったが、ふと少女は状況を思い出したらしく、深々と頭を下げる。


「……ご、ごめんなさい! その、助けてくれて本当に、あ、ありがとうございます」


 しっかりとお礼を言っているつもりだったが、緊張からどうしてもしどろもどろになってしまう。少女は恥ずかしさから、顔を赤らめてゆっくりと下げた頭を上げていく。

 暗い路地裏でもわかる針金のような銀髪の少年を改めてその眼に映した。

 まだ幼げな顔つき。背の高さは、少女の方が高いかもしれない。お世辞にも綺麗な格好とはいえない薄汚れた服装。ただ、少年の瞳にはみなぎる生命力を感じさせるような光りが見えた。

 

ただ、年の頃は少女と変らない程度だろう。先ほどの凶悪そうな二人組を倒してしまった事が未だに信じられなかった。それに瞬きをする位にあっという間に。

 そんな少女の思惑に気づいてなのか、少年の訝しげな視線にはっとする。


「えっと、あの……あ、私はユウナ……ユウナって言います!」


 視線に耐え切れず、かといってなんと喋れば良かったのか思い浮かばず、なんとか振り絞った結果、なぜか名乗ってしまったことに、ユウナの顔は再び真っ赤になる。

 

「そうかユウナっていうのか……よし、飯奢ってくれ」


 少年は頷きながら、唐突に要求する。


「へ、あの、ご飯をですか……えっとその――はい。ぜひ、お礼をさせてください」

 

 どうしてそのような流れになるのか、状況に全く追いつけていないユウナだったが、自分を助けてくれた恩人に対して断る理由も思いつかなかった。なぜと聞けないまま、了承する他なかった。


 半ば強引的ではあるが、その答えを聞いた途端、少年は並びの良い真っ白な歯を見せて笑顔になる。それこそ、どこにでもいる純真無垢な少年、少女のように。

 じゃあ行こう、と歩き出す少年の後ろ姿をあわてて追いかける。今にも走り出しそうな少年の背中に向かってユウナは呼び止める。


「ま、待ってください、あの、あなたの名前は……?」


 少年は立ち止まり、振り返る。これから食べる料理を想像してなのか、口元には既にてらてらとヨダレが見え隠れしている。


「……んん、ああそっか―――俺はヴァン。よろしくな、ユウナ!」



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