スクラップボーイ

濱太郎

第一章 果てしない冒険を求める君に

プロローグ



 不安と恐怖に胸が押しつぶされそうになるのを必死に堪えながら、とにかく走る、走る。少女はあてもなく懸命に逃げ続ける。

 必死に逃げ惑う少女の後ろから迫り来るフードを深くかぶった男。なぜ、見たこともないフードの男に自分が追われているのか。


 「―――はあっ、はあっ……まさか、そんなこと」


 懸命に逃げながらも、少女は、自分が追われている理由をおぼろげに思いつく。だが、信じられない。そんなことを考えたくもない。でも、もしかしたら―――。頭の中で右往左往していると、危なく小石に躓きそうになるのをなんとか堪える。

 考えてもしょうがない。今はまず逃げなければ。すがるように優先順位を決めて足に力を込める。

 

 運が悪かったのか、何故か街の住人とすれ違うことはなく、助けを乞う相手は見つからない。街の自警団の駐屯所に向かおうにも方向は丁度真反対で、追っての横をすり抜けていかなければならない。そんな勇気や技術はあいにく少女には持ち合わせていなかった。

 走る速度が段々と落ちていることに気づく。だが、どうすれば良いのか打開策が思いつかない。追いつかれてしまうのも時間の問題だろう。

 そんな少女の状態に気づいたのか、フードの男はとどめと言わんばかりに速度を上げる。

 

 もうだめだ、と諦めかけたその時、そう離れていない所で、人の声が少女の耳に飛び込んでくる。声がする方向に行くと、それは〈下の街〉へと向かう連絡船から聞こえる声だった。いつのまにか、街の端にまで来ていた事に小さく驚きながらも、今にも飛びだちそうな連絡船に向かって、最後の力を振り絞る。

 陸地から離れようとする船に、飛び込むようにして地面を大きく蹴る。

 ―――届かない。諦めかけたその時、運良く吹いた強烈な追い風が、少女の身体を後押しする。ふわり、と風に乗る浮遊感を感じた。間一髪、少女は連絡船に着地する。


  いきなり飛び乗ってきた少女に気づいた船員は、慌てて勢いあまったその身体を抱きとめる。

 少女は必死に呼吸を整えてようとするが上手くいかない。そばにいた船員は一言、二言、心のこもらない声色で注意すると、特に少女に対して関心がなかったのか、すぐに自分の持ち場に去っていく。

 軽く周りを確認すると、先ほどまで追いかけていた男はいない。だが、周りに見知った人の顔は無く、柄の悪い形相の男たちが声を掛け合っている。本当にこの中に追っ手はいないのか、安心する事ができなかった。

 喧騒にも似た声を聞きながらも、時間が経つと呼吸は少しずつ収まっていき、冷静さを取り戻す。だがその分、不安や恐怖といった眼には見えない重りが、身体にずしりとのしかかる。

 

 この先、どうすれば良いのか。忙しなく動いている屈強そうな船員や、どれだけの利益を上げたなどの儲け話を延々と語っている、作り物の笑みを浮かべた商人風の男達。彼らに助けを乞う勇気が、少女には無かった。

 それでも、なんとか話しかけようとしては、声が詰まるのを何度か繰り返して、とうとう少女は諦める。誰の邪魔にもならない様に、船の端っこでうずくまっていると、キレの悪い鐘の音が聞こえてきた。錆びてしまっているのか、どうにも気分が悪くなる。

 それが、話しで聞いた事しかなかった〈下の街〉に到着した事を知らせる音だと知ったとき、心臓の鼓動が、鐘の音よりも速く、打ち鳴り始めていた。




 






 舗装されていない、デコボコな道。

 呼吸をすれば、何か得体のしれない腐臭、汚臭。

 路上で一日中無気力に寝転がる者。肩を落としながら歩く覇気を感じれない者。辺りを見渡せば見渡すほど、この街は絶望的な気持ちで溢れ、どこか大事な何かを諦めた雰囲気がまとわりつく。

 この街にどこにも希望はない。そんな事を思う住民達は少なくはない。そんな中でも、住民たちはふと空を見上げる。それは、空には微かな希望が浮かんでいたからである。


 空に浮かぶ巨大な島。そこには見上げる住民達にとって、間違いなく楽園があった。毎晩毎夜と舞踏会を開催し、極上の酒を飲みながら、腹が痛くなるまで食べる数々の美味い料理。〈浮島〉に住む住民はそんな毎日を送っている。

 誰が発端なのか、いつからか、この街にはそんな幻想にも似た噂が流れていた。だが、事実、浮島の住人たちは、下の街に住むものと比べて、それなりに裕福な暮らしをしていた。


 それは五十年程前、偶然なのか奇跡とでも呼べば良いのか、大地を揺らす大きな地震が街を襲ったことから始まる。

 地中深くに眠っていた巨大な〈浮遊魔石〉が、長い眠りから覚めたかのように魔力を一気に大放出させたのだ。突如として街中央の地面がホール型に抉れ、そのまま浮遊魔石は街の中央部ごとゆっくり空へと向かって浮かび上がった。

 一定の距離浮かんだ浮き島はそれ以上の上昇を止めて静止した。街の発達していた重要機関が諸々空に浮かび上がってしまったので、残された街の住民は混乱に塗れ、急激に困窮していった。


 一方、若者たちで賑わう唯一の繁華街や、生活には欠かせない魔力を伝達することのできる重要機関が浮島にはあった。また街をまとめていた商工会の主だったメンバー達は、街の中央に密集するようにして住居を構えて居た。その為、すぐに緊急的処置が施されたのもあり、浮島の住人達は壊滅的なパニックに陥るまで至らなかった。むしろ、あっという間にパニック状態に陥った、下の街の養分を吸うかのように、反比例の如く、空に浮かび上がった街の方は栄えていった。

 貧富の差は歴然。いつしか浮島に住む者は、自分たちの真下に住む人間達を自然と見下す様になった。


 まるで、天上人となった浮島の住人は、自分たちの立つ地面の、真下にできた大きな穴に、不要となったありとあらゆるものを捨てた。下の街に取り残された住民のことなど構わず捨て続けた。

 次第にその量は膨れ上がり、五十年経った現在は〈スクラップホール〉と呼ばれる程に、がらくたがクレーターを埋めていった。

 そんな絶望が付きまとう、この街の負の根源とも言えるスクラップホール。その中で、ガラクタの山の上に立ち、古びた本を片手に持った一人の少年は、他の皆が羨望のまなざしで見上げる浮島よりも更に遠く、見たことも無い壮大に広がる世界を夢見て、遥か上空の大空を見上げていた。







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