第22話 捕らわれた少女をさらったドラゴン
しばらく走ってみると、すぐに民家や看板を掲げた店らしき建物が見つかる。どこもかしこも綺麗な街並みに感心する。人通りも多くなってきたこともあり、丁度良く目の前を歩く中年の女性に声をかける。
「あのさ、ちょっと聞きたいんだけどよ、よよ?」
ヴァンを一瞥したと思えば、一言も返事なくすたすたと歩き去っていく。
「なんだぁ、あのおばさん耳にクソでも詰まってんのか?」
それから道行く人に何度も話かけようと試みるが、全員が最初の中年と同じように無視して歩きさってしまう。少し離れた所でこそこそ見ていた二人組は、視線を向けると逃げるように立ち去っていく。
「なんだよこいつら。言いたい事があんならはっきり言えばいいのによ」
もやもやとして気分が晴れなかったが、それどころではない。このままではユウナに関しての情報が全く得られない。どうしようかと思っていると、どこからか甘い香ばしい匂いが漂ってきた。
自然とよだれが溢れだし、身体が自動的に匂いの元へと動きだす。
「ねえ、お兄ちゃんここで何してるの?」
「んあ、お前誰だ?」
匂いに誘われて歩いていると、小奇麗な格好をした少年に呼び止められる。丁度エレインと同じくらいの歳に見えたが、一切の汚れがない服を着た少年にヴァンはちょっとした違和感を感じた。
「僕は、そこのパン屋さんの子供だよ」
「ああ、すげえ良い匂いがすると思ったらパンかぁ! いいなあ美味いんだろうなぁ……―――ってちげえよ。なあ、お前ユウナって知ってるか?」
その名前を聞いて、今まで訝し気だった顔がぱっと明るくなる。
「ユウナ、お姉ちゃん? うん、知ってるよ」
「今、どこにいるか知ってるか?」
「うーん、あんまり話してないからわからない。最近、ママとパパが変なんだ。『お姉ちゃんと遊んじゃいけません』って怖い顔で言うんだ。なんでって聞いても教えてくれないし……あ、でも一昨日、通ったのを見たよ」
あっちの方、と小さな人差し指を向ける。
「たぶん、おうちに帰ったんだと思うよ。おじさんたちと一緒に歩いてたけど、なんだったのかな?」
おそらくそれはビンスら自警団だろう。そこにいるのかどうかわからないが、とりあえずの目的地はできた。早速、向かおうとするヴァンの服が不意に掴まれる。
「ねえお兄ちゃんって、ユウナお姉ちゃんのお友達? そうだったらお姉ちゃん元気がないみたいだから遊んであげてね。僕も遊びたいんだけど、遊べないから……」
沈んだ表情で俯く少年。ヴァンはエレインにしてやるようにぐしゃぐしゃっと無造作に頭を撫でてやる。
「なあ、ユウナって良いやつだよな?」
一瞬眼を丸くした少年だったが、小さく頷いた。
「そう思うんだったら親の言うことなんか聞かないで遊んじまえよ。いつだって自分の行動を決めるのは自分自身なんだ」
もう一度小さく頷くところを確認してから、再びヴァンは走りだした。
「よし、こっちの方向ってことは……とりあえずあのでかい建物に向かってみるか! つーか腹減ったな。こんなことならテレスの所でなんか食いもんもらってくればよかったぁ」
つい力の抜けそうな足に気合を込めて走る。腹の虫は今にも暴動が起きそうなほど重低音を打ち鳴らしている。しかし、どこかに寄り道をしている暇はない。
「くそぉ、ま、待ってろよぉユウナぁ」
気合を入れようとしたみたものの、どこか力の抜けた声を出してふらふらと走っていく。うっそうと茂る林の先に見えた屋敷に向かって。
無音にも思える小さな部屋で、ユウナは本棚に置かれていた一つの物語を読んでいた。泣くことにも疲れ、憂鬱な気分が少しでもまぎれるかと開いたその本は、ありふれた物語だった。
――――ある国の立派なお城に住むお姫様は流行り病により亡くなってしまった。
城下町に絶大な人気を誇っていたお姫様が亡くなったとなれば多くの民が、嘆き苦しむだろう。
そんな時、街はずれに住む少女が、お姫様に容姿が似ているという情報を聞きつけ、王様はすぐにお城に呼び寄せました。
王様は眼を疑いました。まさに亡くなったお姫様の生き写しであるかのように、そっくりだったのです。
王様は、少女の思いとは関係なく塔の中に閉じ込めてしまいました。
時折、窓から見えるその姿を民衆に見せる為にです。姫は健在であると。
無理矢理に連れてこられてしまった少女は、じめじめとした暗い塔の部屋で毎日毎日泣きました。
誰でも良い。この牢屋にも似た場所から私を救ってくれるのであれば
そう願い続けたある日のこと、少女の願いは叶ったのです。
ただ、それは人間ではなく凶悪なドラゴンでした。
長年、国と敵対し続けたドラゴンは民衆の希望の光でもあった、塔に幽閉された少女を姫と勘違いし人質として奪いさってしまったのです。
ドラゴンのねぐらへと連れて行かれてしまった少女はまずお礼をしました――――
―――こんこん、とノックする音が部屋に響く。
何故か反射的に慌てて本を毛布の下に隠す。呼吸を整えてから、返事をする。
「……どうぞ」
ドアが開くと見知らぬ無精ひげを生やした男が入る。無言で鉄格子の下の隙間から、湯気の立つ料理が乗ったトレーを滑りこませる。そのまま何も喋ることもなく部屋から出ていった。
野菜や肉など具の沢山入ったシチューにパンとサラダ。美味しそうな匂いが部屋に充満していくが、とても食べられる気分ではない。
毛布に隠した本を取り出す。十五歳のユウナが読むにしては幼稚な内容だったが、偶然にも似たシチュエーションの少女に同情せざるを得ない。
「民衆に絶大な人気を誇って……というのは正反対ですけどね」
奇妙な銀色の片翼が現れた事が町に広まってから、誰もが眼を合わさなくなった。たまにあるとすれば冷たい視線だけ。民に好かれているというだけ、変な話だがこのお姫様を少しだけ羨ましく思ってしまう。
それに、人間ではなかったけれど、塔から抜け出すことが出来たのだから。
ドラゴンに助けられたのは良いけれど、この後お姫様に似た少女は一体どうなってしまうのでしょうか。
こんな状況であるのにも関わらず楽しく本を読もうとするのは不謹慎なのか。いや、こんな時だからこそ、本を読んで心を落ち着かせるしかない。
そう、自分に言い聞かせるようにして、ページを開いた。
「なあ、これ食わないなら食っていいか?」
「ええ、どうぞ………―――――――――――きゃあぁぁぁあああ!」
ドアの向こうから足音が聞こえてくる。勢いよく開け放たれると先ほどの無精ひげの男が出てきた。部屋の中を見渡してみるが特に変化はない。ひとしきり確認してからユウナに顔を向ける。
「悲鳴を上げていたが、どうした?」
「え、あ、その、な、なんでもないです。虫が窓から入って来たみたいで……」
開いた窓を見る。大きな舌打ちをしてから「閉めておけ」と、どすのきいた低い声で言うと、大きな音を立ててドアを閉めていった。
足音が離れていくのを確認してから、ほっと胸を撫で下ろした。
「……もぐもぐ、ごくん、ぷはあ。急に大声出すからびっくりしたぞ」
ドアの真上に位置する天井に片手、両足で器用に張り付きながらパンを頬張るヴァン。天井に隠れる前に瞬時にトレイからパンをくすねていた。
「ヴァンさん。どうしてここに?」
また無精ひげの男が見回りにやってくることも考えて、声を潜めてユウナは聞く。
パンをあっという間に食べ終えたヴァンは、猫のように音もなく着地する。
「んーと、屋敷にはなんとか忍び込めたんだけどよ、なんかむちゃくちゃ良い匂いがするなぁって思って、その匂い辿ってたらひげ生やしたおっちゃんがどっか持っていっちまうからさ。後つけてたらここまでたどり着いた。……つーかそれも食っていいか?」
よだれをだらだら垂らしながら視線はシチューにくぎ付けだった。
今にも手を伸ばしそうなヴァンだったが、一応ユウナの頷く姿を確認してから勢いよく口にかきこんでいく。
「あの……でも、どうして浮島に。それにどうやって?」
下の町から浮島に上がる為には、高額のチケットが必要であることはユウナも知っていた。前回、無料で乗せてもらったのはトールが書いた手紙のおかげであり、不正に乗ろうとするものは大きな罪になると聞いたことがある。
しばらく食事に夢中になっていたが、やはりあっという間に食べ終わってしまった皿を舐め終えたところで、ようやく返事をする。
「ごっそさん……んん、全然足らねえ。ユウナもこんなんじゃ足らねえよな」
「えっと、その話は……すみません、また今度に」
「んあ? ああ、浮島にはロックっていう冒険者の兄ちゃんが助けてくれて連絡船に乗ることが出来たんだ。元空賊だって言ってた。きっと楽しい話をいっぱい聞けると思うんだけどさ、あっという間に着いちまったから全然聞けなかったんだよ」
少し残念そうな顔をしてから、ポケットからごそごそと黒くそまった紙を取り出した。
「そうそう、あとはこれ」
「……それは、まさか」
しわくちゃになった紙は、ヘドロにでも浸かってしまったのはほとんどが読めなくなっていたが、最後の一文でユウナの名前を確認し、確かにこれは数刻前にそこの窓から投げたものだった。
紙を見せながら得意げな顔のヴァン。
スクラップホールに毎日のようにガラクタを集めているという事は聞いていた。それは、下の町の住人から通り名として呼ばれるほどに。
「気付いてくれたんですね……本当に、本当にありがとうございます」
奇跡を運んでくれた小さな少年に心からの感謝を述べる。ただ、一つだけ気になることがあった。黒く染まったこの手紙、これじゃ全く内容がわからない。
その様子にいち早く気付いたヴァンは胸を張って応える。
「ユウナの名前と『助けて』って文字だけで充分だ。助けてって言われたら助ける。なんたって俺は最高の冒険者になる男だからな」
「……ふふ、私にとってのドラゴンはあなただったんですね」
何のことだかわからないヴァンは首を傾げたが、ユウナは小さい声でくすくす笑うばかりで何も応えない。
「そんじゃなんかよくわかんねぇけど、飯も全然足りないことだし早くここから出ようぜ。……うーん、この鉄の棒って剣でぶっ叩いたら折れるかあ?」
背中の愛剣に手を伸ばそうとすると「待ってください」と急に立ち上がったユウナは、深く頭を下げ始める。そのまま待っていても一向に頭を上げようとしない。
「どうしたんだよユウナ。早く飯食いにいこうぜ」
もう既に頭が飯のことでいっぱいなヴァンはうずうずする身体をなんとか抑えて、ユウナの返事を待つ。すると、思いがけない返事が返ってきた。
「ごめんなさい……―――私は、ここに残ります」
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