第8話 『助けて』って言われたから『助ける』


 巨体をものとも言わさない速度で、今度はヴァンに詰め寄る。間合いに入ったと同時に再度振り下ろされる剣。それをまた、なんとか躱すも信じられないスピードで二度三度と刃が立て続けに襲いかかる。

 肌のすぐ横を通り過ぎる度にひんやりとした殺気が残る。一瞬でも油断をすればたちまち致命傷を負ってしまうことだろう。

 横に転がり込むようにして、なんとか距離を離したヴァンはどうすればいいのかと考える。


 あの剣が厄介だ。間合いが違いすぎる。あれさえなければ思い切りぶん殴ってやるのに。

 元より大人と子供の身体の違い、それに加えヴァンの体は同世代の中では低く、フードの男はその真逆だった。筋肉隆々と肩は左右に張り、赤く染まった長剣は圧倒的な間合いの違いを見せつける。

 悠長に考える暇を与えてはくれない。フードの男は容赦なく距離を詰めていく。


「―――スクラップボーイ! どうしてその背中の剣を使わないんだ? お前は馬鹿なのか!」


 すっかり気力を取り戻したアルガの憎まれ口にはっとする。

 そういえばこんなガラクタがあったか。でも、こんな赤茶色に錆び尽くした剣で受け止めてもすぐ砕かれちまうんじゃないか。

 無いよりか幾分マシだ、と自分に言い聞かせたヴァンは勢いよく剣を構える。色合いのせいか重厚感のある見た目と違って、不思議と手に馴染み軽くさえ感じる程だった。

 構えたと同時に重い一撃が振り下ろされる。


 ―――ガギィン!


 拮抗した力と力がぶつかり合う鈍い音が、だだっ広いこの空間を引き裂くかのような衝撃となり響き渡る。


「ぬぅ――!」


 フードの男は唸り声を漏らす。剣を取り出そうと所詮は子供、楽にひねりつぶせると思っていたが予想以上の膂力に驚く。体躯の小さい子供のおよそ引き出せる力を遥かに超えていた。

 力の競り合いが始まると、フードの男はそのまま押し潰さんと言わんばかりに力を込める。

 

「―――うおりゃあぁぁ!」


 だが、ヴァンは逆に振り下ろされたその剣を驚くべき膂力で打ち上げるようにして弾いた。

 フードの男は弾かれるのと同時に一歩後ろに下がり、再び剣を構え直す。その動きは冷静沈着そのもの。ただし、その胸中は穏やかではない。

 ―――……一体、何が起きた。

 これまで数々の戦闘経験を経て、磨かれていった技術と腕力。そこいらの冒険者や、屈強な騎士団にも負けたことがない。ましてや、自分の身体の二倍以上差がある子供に純粋な力で押し負けた。

 馬鹿な、ありえない。油断からか? いや、そんな事はない。むしろあの武器と呼ぶにはあまりに不十分な剣ごと叩き切るつもりだった。


「小僧……貴様は一体何なのだ?」

「俺か? 俺はヴァンだ!」


 的を得ない返事を返すヴァン。

 フードの男はまだ幼さの残る顔つきを改めて見る。こんな子供に打ち負けてしまったのか。ふつふつと湧き上がる怒りに心が昂る。

 力強く握り更に殺意を込めた斬撃を振るう。

 それに必死に合わせて、ヴァンも全力で剣を振るう。 

 何度も激しい斬撃音が工場内に反響する。


「おー痛てぇ……なんつー馬鹿力なんだよ」


 こんな強烈な一撃を受ければ、すぐに砕け散ってしまうと思っていた錆び付いた剣。予想以上の頑丈さにヴァンは心底驚かされながらも、必死に応対する。

 打ち合う度に振動が手のひらから肘まで達する。少しでも油断すれば手元から剣が消えてしまうのは間違いないだろう。


「休む暇を与えたつもりはないんだがな」


 充分な距離を空けていたつもりのヴァンに鋭い袈裟斬りが走る。咄嗟に右に跳ねた―――が、右脇腹に重い衝撃を受けて反対方向に吹っ飛んでいく。

 袈裟斬りと見せかけたフェイントに合わせた足蹴り。無論、防御する事も出来ずに丸太の如く太い足蹴りが脇腹に命中すると、今度は受身も取れないまま、地面に激しく打ち付けられ転がっていく。


「ごほぉ、がは………き、効いたぁ」


 身がよじれる程の痛みに眼が周りそうになる。人間の蹴りとは思えない程の衝撃。改めて相手が強者であることを認識する。

 こんなに強いおっさん初めてだ。というか、こんだけ強いやつ今まで見た事がねぇ。―――わくわくしてくるじゃねーか。

 どこからか力が湧き上がってくるのを感じる。

 今まで感じたことのない高揚感に自然と笑みが溢れた。


「骨を砕くつもりで蹴ったが……その顔を見るとどうやら平気のようだな」


 骨を砕いた感触はなかった。砕くどころか、折れてさえいないだろうその驚異的な身体に驚きを隠せない。何故、今の蹴りを食らって立つことができる。何故、この状況で笑える。


「おっしゃ! 今のはさすがにびっくりしたけど、まだ負けねぇぞ!」

 

 ダメージがあるとは微塵も感じさせない風に、片手に剣を持ったヴァンは再び特攻する。

 人間離れした身体能力。ある意味で今まで経験したことのない相手。通常の者であればうろたえるのも無理はないが、歴戦の猛者であるフードの男は焦ることなく冷静に対処する。


 確かに反射神経に優れ、なおかつ並外れた感が働くのか、力を込めた一撃をギリギリのところで躱してくる。ならば、フェイントを織り交ぜた斬撃を細かく打ち放てば良い。

 先ほどよりも重みがなくなったが、鋭さの増した斬撃がヴァンを翻弄する。次第に避けることが難しくなり、何箇所かに刃先が擦り血が滲む。

 明らかに劣勢だが、戦闘経験の浅いヴァンにできることは馬鹿正直に、真っ向から剣をただ全力に振るうことしかできなかった。


「―――ごほぉっ……」


 剣を振り上げた隙にカウンター。槍の一突きの如く鋭い蹴りが腹部に突き刺さる。 かなりの距離後方に飛ばされたことが何よりも蹴りの威力を語る。  

 

「大した膂力があることは認めてやろう。剣を躱す反射神経もなかなかだ……だが、所詮は小僧よ」


 埋めようのない技術の差が露呈する。

 当たり前だ。今、この瞬間まで立っていられたことが尋常ではないのだ。並みの人間であれば大人だろうと今の一撃に耐える事はできないだろう。最低でも一日は痛みに気を失い眼を覚ますことはない。―――そう、並の人間であればな。

 

「……ふぅ……ふぅ、まだだ!」


 流石に先ほどの元気は無くなってしまったが、ふらつきながらもゆっくりとヴァンは立ち上がる。体中の傷から少しずつ血が垂れ始めたが、眼に宿る炎は一切消えていない。 

 ここまで明らかな力の差を見せつけて向かってくる者はそうはいない。不屈の精神で立ち上がる満身創痍の少年にふと疑問が浮かぶ。


「何故、そこまでする小僧。貴様とあの小娘とはどんな繋がりがある?」


 この街では、〈浮島に住む者〉と〈下に住む者〉で貴族と下民のような差別があると聞いた。依頼じゃなければこんな田舎町の情報など頭に入れる事もなかったがしょうがない。確か、この小娘は浮島の住人のはずだ。下の街の住人であろうこの小僧がここまで命を張る理由がわからない。


「おっさんこそ、ユウナとどんな関係があるんだよ。というかユウナを攫って何をするつもりなんだ?」

「関係など一切存在しない。依頼人から受けた仕事を全うするだけだ。依頼内容を貴様に話す義理はない」


 依頼人から金で雇われ、報酬を得るため依頼をこなす。フードの男にとってそれ以上でも、それ以下でもない。


「ふーんそうか。なら一緒だなおっさん。俺もユウナから依頼を受けた」

「依頼だと――はっ、所詮小娘の提示する額などはした金に過ぎないだろう。まあ、それでもゴミ溜めのような街の住人であるお前にとっては、命を賭けるに値するのかもしれないがな」


 さきほど、切り捨てたゴロツキとなんら変わらない。この奇妙な小僧も金に執着した亡者に過ぎないということか。

 つまらない事を聞いてしまった、と剣を再び握りなおす。すると、目の前の少年は大きく首を嗅げていた。


「んん? なんでそこで金の話になるんだ?」


 何を言っているのか心底わからないといった表情を浮かべたヴァンは、平然と答える。その答えに一片の迷いもなく。

  

「『助けて』って言われたから『助ける』――ただそれだけだ」


 その眼には驕りはなく、嘘偽りとはかけ離れた澄んだ色をした光りを放つ。

 

「……ふん、話にならん。所詮この世界を何も知らない小僧の戯言か」


 この腐臭が混じる狭い街の中で、何も知らずに何も感じずにただ生きているだけの小僧じゃなければ、そんな愚かな言葉は吐けんだろう。

 その言葉にヴァンは大きく頷く。


「ああ、今はまだ何にも知らねえ。だからこそいつかこの街を出て、この世界の果てまで行って全部を見てやる。俺はギルバート・ガルメリオンのような〈最高の冒険者〉になるんだ。助けたい奴を助けられなくてなれるわけないだろ!」

「―――最高の冒険者、ギルバート・ガルメリオン……か」

「ん? おっさん知ってんのか」


 一瞬だけ、その名前に声色を変えたフードの男。少し間を空けてから、せせら笑う。


「ああ。―――夢や希望など妄言を吐く下らない物語の主人公だろう……反吐がでる」


 どこかであの物語を読んで単純に感化して冒険者になるなどとほざいているに違いない。果たして字が読めるのかどうかも知らないがな。全く思慮の浅い小僧め、無駄に時間が過ぎてしまった。さっさと殺すとしよう。


 フードの男は、黙って俯くヴァンにゆっくりと、ただし微塵の隙も見せずに、止めの一撃で確実に殺す為に近づいてく。

 すると、圧倒的な力に意気消沈してしまったのかと思われたヴァンは急に立ち上がり、赤茶に染まる剣を片手に加速する。

 フードの男は歩む速度を変えることなくヴァンを迎え撃つ。死にたがりの愚かな小僧にせめてもの手向けとして、確実に息の根を止めるつもりだが、あの眼がやはり気に食わない。

 絶対絶望の瞬間であるのにも変わらず、眼は生気に満ち溢れた光りを放つ。まだ勝利する事を信じて止まないと言わんばかりに。


 ヴァンは意気消沈したわけではなかった。憧れの冒険者であるギルバートの事を悪く言われ腹が煮えくり返る思いだったが、それよりもこの圧倒的な強者に強く勝ちたいという思いが頭を回転させる。どうすれば勝てるのか。


 最初に剣を打ち合わせた時と違って、細かく振るようになった。それから餌に食いつかされるように躱す事が難しくなって、しまいには蹴りの直撃食らっちまった。あんなのを何発も食らってたら流石に持たないし、剣がまともに入れば一発で終了だ。そうか、フェイント……よし、やってみるか。

 更に加速するヴァンに対して、居合の構えを取る。間合いに入った者の命を刈り取る死神の鎌の如く殺気を発して。

 

「とりゃっ!」


 間合いに入る直前でヴァンは勢いよくジャンプした。三メートル以上高く飛び上がり、それはフードの男の頭上近くにまで上がる。そして大きく肩を振り上げてから、思い切り剣を投げつけた。

 人並み外れた膂力に、またもや信じられない跳躍力を見せられたフードの男。驚きはしたものの、自分に目がけて飛んでくる剣を冷静に対処しようとする。


「……下らんな」


 無駄に大きく跳躍して油断した所に剣を投げる、という浅はかな作戦だったとでも言うのか。

 錆びた剣は当たることさえもなく、フードの男が立つ地面の近くに無残にも突き刺さった。

 優れた身体能力を持とうとも、所詮はやはり愚かな小僧か。

 改めて、上空から落下してくるヴァンを斬りつけようと視線を向けると、フードの男は自分の顔面めがけて何か小さな塊が高速で飛んでくることに気づく。それを難なく剣脊で防御する。


「ただの石……!」


 それは、先ほどまで弾としてイルガとウルガが利用していた、投げるには丁度いい大きさの石。蹴り飛ばされた先で偶然拾った石ころを、剣を投げた後に間髪入れずに投げていたのだ。

 着地音が聞こえたと同時に、その音のする方へと剣を振る。

 ヴァンは着地と同時にそばに刺さった剣を抜いて斬りかかる―――

 

「―――なっ!」

 

 ―――なのかと男は予測して剣を振るったが、打ち合った瞬間、剣に圧力がない事に気づく。ヴァンは突き刺さった剣の近くで着地し、至近距離でその剣を振ったのではなく、投げたのだ。

 フードの男は躱すのではなく弾いた。そのわずかな隙を小さな獣は見逃さない。


「くっ……らえっ!」


 最大限に引き出せる瞬発力で飛び上がる。放たれた矢の如くそのままの勢いで強烈な頭突きが顔面を直撃する。


「ぐっ―――!」


 いくら子供といえど全体重を乗せた頭突きが顔面に直撃したのだ、フードの男は地面に背中から勢いよく倒れこむ。


「……うおっしゃあ! やっと一発ぶん殴ってやったぜ。まあ、頭突きだけどな」


 初めてまともな攻撃が入ったことに歓喜の声を上げる。それに合わせるようにして、遠くで見守っていたアルガも喜びに拳を握り締める。


「というか―――ユウナ、おいユウナ! 一体いつまでそこで寝てるつもりなんだっつの、いい加減に起きろ!」


 自分の活躍を見ずに、眠り続けていると思っているヴァンは大きな声で呼びかける。もちろんそんな事はなくユウナの反応はない。


「……たくよ、こんな所で昼寝なんてよくできるよなぁ。痛てて……おいユウナ起きろって!」


 呆れた声で的外れなことをつぶやきながら再度呼びかける。それでも反応のないユウナに近づこうと身体を動かすが、あちこちに残るダメージのせいで上手く動けない。顔をしかめながらもゆっくりと歩き出すが―――背後で膨れ上がる殺気に怖気が走る。


「んげっ、もう起き上がれんのかよおっさん」


 振り返ると、今まで深く被っていたフードが外れ幾つもの古傷が残る顔があらわになっていた。頭髪は無く頭部にまで広がるその傷は幾つもの死線をくぐり抜けてきた証のようにも見え、一層凶悪さを増している。

 鼻からは血が垂れ、明らかな怒りの表情でヴァンを睨みつける。


「こんな小僧に俺が血を流し、地面に腰をつけられただと………許さん、許さんぞ!」


 この無駄に広い空間に何か得体の知れない圧力をヴァンは感じた。今まで感じたことのないそれは、傷だらけの顔をした男を中心としてどんどんと膨れ上がる。

 何だよこれ。なんかやばいことは分かるんだけど、それがなんだか分からない。いや、ちょっと待てよ。とにかく馬鹿でかいから気付かなかったけど、この感覚って……

 次第に気温が上昇する。それに気づかないヴァンの頬に汗が伝う。



「小僧……魔法は見た事があるか?」

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