トラッシュ 箱の中
せらひかり
序章
序章
薄暗がりの中で、物音がしていた。蔵の二階部分は閑散として、一階ほど古い木製の農機具などが置かれていない。虫が這い回るのを、めざとく「毒じゃない」「噛まない」と見分けながら、スニーカーでゆっくりと歩き進める。ここで悲鳴なんかあげたら、台無しだった。
由良の家は、屋敷というほど立派でもないがやたらと広い。山があって、広々とした盆地があって、水田が広がっていて、その付近一帯を「持っている」らしいが、だからといってブランドものが買えるわけでもなく、自然物が言うことを聞くわけでもないので稲作ではなかなか経営もなりたたず、ただ山があるだけ、だった。
そんな家の、囲いすらない、植え込みがあるため辛うじて家の周りだ、と分かるところに、何棟かの蔵が建っている。
宝物があるようなところではなくて、味噌や醤油を作って保存するための穴蔵みたいなものだったり、いらなくなった古い道具を押し込めて眠らせる場所だったりするが、幼い由良には、隠れ場所がたくさんある、絶好の遊び場だった。
同級生の友人は、家の距離があるので、なかなか遊びに来てくれない。家の中の探検は、主に由良一人の遊びだった。
長持ちが、いくつか、ひっそりと寝そべっている。長方形の角には、打ちつけた傷跡もあるが、どれも白く埃をかぶっていた。
虫以外の、ざわつきを感じて、由良は息を潜めて闇を見つめる。何だろう。
ふと、長持ちの一つの、蓋が開いていることに気づいた。空っぽなのか、長持ちの中は真っ暗で、ものの影は一つも見えない。
ただ、長持ちの外側に、何かがもぞもぞとうごめいていた。
「いぬ?」
耳と尾がある、むくむくとした子犬――昨夜テレビで見た、動物番組のことを思い出して、由良の心臓がばくばくと動悸をうつ。可愛らしくて、さわりたくて仕方なかった。これが、犬なら――。
「おいで、怖くないよ」
食べ物を持ってきていないから、何もあげられない。仕方ないので、敵意のない証拠とばかりにしゃがみこみ、視線を同じくらいの高さにした。手を広げて、怖くないよと繰り返す。
「ねえ、わんちゃん。こっちにきて」
もぞりと、塊がこちらを向く。
由良は小さく息を飲んだ。何となく見える程度だが――薄茶色の、子犬だった。由良でも両手で抱えあげられるくらいの、まだ幼い犬である。腹の辺りの白い毛が、柔らかそうにふわふわしていた。
「こっちにおいで。そっちは暗いよ」
子犬は意味が分からないようで、由良に背を向けて奥へと進む。待って、と、由良は、後を追いかけた。怖がったのか、子犬はほかの長持ちの後ろに隠れてしまう。
「待って、待って、いかないで。由良と遊ぼう?」
根気強く、由良は長持ちの隙間を見つめ続けた。
どれくらい待っただろう。子犬は、おそるおそる、短くて太い前足を、長持ちのかげから差し出してきた。
掴みたいのを我慢して、じっと待つ。
子犬はようやく自分からでてきて、由良の周りを回ってから、手をなめてくれた。
「だっこしてもいい?」
もう逃げないと思って、由良は声を出す。
「可愛いね、お前。ねえ、名前何て言うの?」
子犬は舌を出して小首を傾げる。
由良は構わず、頭を撫で回した。
暗がりにいたくせに、子犬は日向のにおいがする。
「そうかぁ。そうだなぁ。えぇとね、あずさ」
母親が好きだった花は桃。その近くにあった木も、母の口に何度かのぼっていた。
桃というよりは、もう少し凛々しげな、柴犬に似た子犬だから、梓とつけた。
「いい? あずさ」
うべなうように、子犬が吠える。
「あずさ。あずさ。覚えた?」
子犬の賛同を得て、由良はうれしくて仕方ない。家人に自慢したい。友達に見せびらかしたい。散歩紐だって可愛いのを使いたいし、河原を一緒にかけっこするんだ。
そういえば、大事なことを忘れていた。
「犬、飼ってもいいのかな」
――その犬が、何者であるのか、その瞬間には分かっていなかったのだ。
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