我は我、君は君、されど仲良き④

 波島伊織は、複数の携帯番号を所持していた。


 特定の相手や用途によって使い分けているそれを、彼は番号を振り分けて管理する。その中でも常に肌身離さず持ち、充電を絶やしたことのない一台は、スマホではない。ガラケーの中でもずいぶんと古いタイプの物だった。


 機種自体に愛着があるわけではない。単に最新のスマホの場合、ハッキング等の各種ツールの餌食になる可能性を鑑みて、「電話だけ出来れば済むもの」として、数年間、あえて同じ物を使い続けているというのが理由だった。


 その携帯のアドレス帳には、彼にとって、相応なる人間が名を連ねている。命の次に大事な物を挙げるとすれば、この中に含まれるアドレスと連絡網を第一候補として口にだすかもしれなかった。


 ある日の深夜、その携帯が鳴った。就寝前、自分の部屋でスケジュールの確認をしていた伊織は、いつもと同じように着信先を見つめた。


「――おや?」


 つい、そんな声が出てしまう。宛先を二度見した。


「珍しいな」


 深夜にこの携帯が鳴ることは、歓迎せざる自体が多い。先月に、彼の師である「紅坂朱音」が倒れた時も、陽がのぼろうかという早朝に、マルズの重役から連絡を受けたばかりだ。

 

 伊織も、あの時はさすがに肝が冷えた。しかし今は違う。コール音が3回鳴るかどうかといったところで、おおよその要件と、対応する言葉の羅列を巡らせる余裕があった。通話する。


「加藤さん。どうしたんだい」

『……こんばんは。夜遅くにごめんなさい』


 平坦な、他人行儀な声を聞く。けっして仲は良くない。


『波島くんに、お願いがあるの』

「いいよ。僕にできることなら話を聞こう」


 前置きもなく率直に、遠慮をせずに切り込んでくる。実にコワイ女の人だよなぁと、伊織は正直に思っている。


 彼氏である天然男は、この女子を「フラットだーフラットだー」と口にするが、それはつまり『めちゃくちゃ肝と覚悟がすわってる』というわけで。


 普段の稀薄な存在感が、彼女の本質を隠しているに過ぎない。と伊織は分析しているのだ。つまり、なにかの分野で頭角を現すようなことがあれば、ともすれば一気に『化ける』のだ。


 そもそも、安芸倫也というヘタレ男の周りには、なにかしらの原石がゴロゴロと寄って集まってくるのだ。その男から『メインヒロイン』の称号を与えられた彼女が『普通の人』であるわけがない。


 面白いことに。二人共、そうした事実に気づいてないのだった。


 霞ヶ丘詩羽や、澤村英梨々はとっくに気づいている。だが誰も言葉にしない。自覚から芽生え伸ばさねば、才能は意味もなく枯れていく。そのことを知っているからだ。


(まったく。彼氏も大概、人の機微が分からない難聴系主人公だけど、ヒロインもまた、自分の正体を知らない、生粋の天然系だ)


 薄明りの下でしのび笑う。 


「加藤さん、君は〝なにもの〟になりたいのかな?」

『…………』


 相手が押しだまる。会話を予測し主導権を握りたがるのは、もうすっかり手慣れた癖のようになってしまっている。


「サークルの中、これからの自分の立ち位置について、君は悩んでいるんだろう?」

『……そう。倫也くんからなにか聞いたり、した?』

「少しね。数時間前にファミレスで、彼からも進路相談を受けたところだよ。僕は進路相談にたずさわる教師じゃないんだけどな」

『……倫也くんは、将来どうするか、言ってた?』

「紅坂さんの下で働きたいと言っていたよ」

『…………そっか』


 隠すことでもなかった。どうせ明日になれば、二人はその話をして、また面倒くさいことになるだろうから。


「一応、言っておくけどね。僕が推薦したということは一切ないから、そこは誤解しないでほしいな」


 念のため、身の安全を確保しておいてから。次の返答を待った。


『じゃあ、わたしも率直にお願いするね。――波島くん、声優関連の学校とか事務所って、心当たりないかな』

「……声優?」


 さすがに予想外だった。声優、なんでだ?


『今度のサークルのゲーム、ね』

「〝冴えない彼女の育て方〟だね」

『うん……ヒロインのモデル、っていうかあれ、そのまま、わたし、でしょ?」

「そうだね。そのまま君だね」


 次の冬コミで発表する予定。ありふれた恋愛アドベンチャーゲーム、もといギャルゲーは、現実の体験がそのまま描かれる予定だ。


 なにせ、リアルタイムなのだ。


 生放送実況よろしく、オタク男子の初めての恋やらゲーム制作に挑んだ様子を、ほとんど原液そのままに、加工や抽出をせず低次元にブチ込んでいる。


 黒歴史も大概だ。現在も記載している中二病のノートを、そっくりそのまま全国に向かって公開してるのに等しい。


 ただ、それが単なる生き恥になることもあれば。どこかにいる他の誰かに突き刺さり、ぬぐえぬ欠片として、死ぬまで記憶の一部として留まり続けることもある。


 世の中は、結局のところ。


 無茶で無謀で、人の気持ちを考えず、後先のことを省みず、切り立った崖の淵を思う様に歩く、凶器的な人間がなによりも強い。


 人は、覚悟を持って生きる人間に惹かれるからだ。


『ギャルゲーって普通、ボイスが入っているものなんでしょう?』

「……最近のは大体そうだね。それで?』

『わたし達の新しいゲーム、ヒロインがわたしだったら、わたしが声をあてたら面白いんじゃないかな、って』

「それは……」


 先にディレクターの倫也くんに話をした方がいいんじゃないかい。そう伝えそうになって、彼氏の頬が赤くなっていたのを思いだす。


「彼を叩いた手前、さすがの君も話しづらかったかな?」

『……それは、その……』


 めずらしく口ごもっていた。間違いなく、気に病んでいるのはあきらかだった。そもそも仲の良くない自分に電話をかけてくる時点で、相当に切羽詰まっているのも知れた。


(君は本当にバカだなぁ、倫也くん)


 彼女がフラットに見えるのは、好きな君の前では、いつも平然と取り澄ましていたい。君の心に惹かれたという要素を、彼氏の前では常に着飾っていたいという、ありふれた女心じゃないか。


 オタクの君は、確かにまだまだ学ぶことがある。だけどこれからもずっと、本心には気づかず、勘違を続けることで、理想のギャルゲーを作り上げることが叶うのかもしれない。


 黒幕は人知れず笑う。


 人生は喜劇だ。近くで見ると悲劇だが、河岸より見れば面白い。


 覚悟を持った刹那的な男女の物語。それでいて、勘違いとすれ違いの積み重ねによって巻き起こる過程と結果が、実に痛快なのだ。


(――売れるな。次のゲームも、きっと)


 冴えない彼女の育て方。


 オタクの男子高校生と、自然体で生きる女子高生の演目は、現在も絶賛リアルタイムで進行中だ。後はいかにして宣伝し、知名度を広げてセールスに繋げていくか。


(――僕たちは始まったばかりだ。これからだ)


 まずは業界という名の世界を、全力で支配する。

 やがて世界で生きる人々の耳目を『この場所』に集めてみせる。


(――待ってろよ。この僕が送り届けてやる)


 黒幕は笑った。

 実に愉快で、今を生きているんだという気になれた。


「わかった。声優の関係者にあたってみよう。演技指導をしてくれそうな親切な人を探してみるよ」

『……いいの? わたし、本当に素人だよ』

「加藤さんはもう少し、自分の欲求を素直にだした方がいいかもしれないな。どうせなら従妹の美智留さんにも聞いてごらんよ。人材の繋がりがあるかもしれないし、収録用のスタジオの手配も、僕が動くより効率がいいだろう」

『……そうだね、うん。明日聞いてみる』


 虚構と現実の垣間は、やがて薄れて消えていく。

 その時に人々は想い知るだろう。


(――この世界も捨てたものじゃない。まだ見ぬ先があるのだと。彼が集めた原石を、摩耗し輝かせたものを、僕が未来に送りだす)


 世界の彩りを変える。普遍的な価値観を一新させる。

 旧来の技術の角度を変え、まったく革新された創造性を、胸中深くにえぐり届けてやる。人間性を変えてやる。


(それが世界を影で操り、支配するということだ)


 安芸倫也。


 加藤恵。


 今はまだ、冴えない二人の物語。


 この二人の将来がどうなるか、どういう大人になっていくのか。


 まだ誰にもわからない。


 それでも過程の先に存在するのは、悲哀をもたっぷり含んだ喜劇のはずだ。作品を親しんだ人々の記憶に残り、一部の人間性を歪め、狂わせるほど、楔のように突き刺さるはずだ。


「それじゃあ、今日は僕も寝るよ、おやすみ、加藤さん」

『……ありがとう。――伊織くん』


 電話が途切れる。そのまま充電器へと差し込んで、パソコンの電源も休止モードに移行させた。明日もまた、忙しい一日がやってくるだろう。

 

 未来に夢をはせ、今はただ、誰もが静かな眠りに落ちていく。


(了)

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