2-12 間の悪さは天下一品
今にもコイツの頭を吹き飛ばしてしまいそうだ。
ウィルはロナスがリタに対して行った仕打ちを嬉々として語る間、常にそんな気持ちで指を忙しなく動かし、感覚としては既に百回近く銃を抜いていた。つまり、それ程に頭にキテる。怒りに頭の中の血管が脈打ち、今にもこめかみの皮膚を突き破ってマグマの様な血流が外に吹き出してしまいそうなほどだ。
それでもと、ウィルは耐える。
コイツを殺すのはリタだ。オレじゃない。オレがやるべきではない。
そう思い、必死にこの場に耐え忍んでいた。
「どうした新入り。顔色が良くないぞ」
浅黒い肌をほのかに赤く紅潮させながら、ロナスは手にしたグラスを揺らして中身の犬の小便ほどに生ぬるいであろうビールをだばだばとこぼして、木目の床でタップを躍らせた。
「酒が駄目って言ったろ。ここは酒のにおいが強すぎる」
酒ではなくお前に吐き気を催してるんだぜ、相棒。ウィルの内なる声がそう言うが、これにはウィルもその通りだと頷くしかない。
「そうか。そうだったな」
ロナスは片眉を奇妙に吊り上げて、ウィルの方に緩んだ表情を向けた。
その余裕そうな顔は、何処か怖いもの知らずと言った風に見え、どんな強敵にも俺は倒せないぜ、とでも誰も彼もに言いふらしている。ウィルはロナスの仕草をそんな風に受け取っていた。
ロナスの仕草にウィルは静かに頷いて返す。
そろそろ戻るか。適当に言い訳をして、ここを出よう。
そんなウィルの思惑とは裏腹に、ロナスが人差し指を立てていいアイディアがあると言った具合の表情でよろよろと近づき、ウィルの肩に肘を置いた。
「じゃあ、女はどうだ?」
酒臭い言葉が耳元でささやかれる。
「女?」
ウィルは鹿爪らしい表情で聞きなおした。
「女だよ。女を抱くのは良いだろう?」
ウィルは表情をそのままで肩を竦めて返した。
「了解って事だな」
もちろんそう言う訳ではないが、娼館なんかだと個室に移れるわけで、娼婦には適当に話を付けて部屋を後にすれば後は自由になれる。
それからリタと合流すればいい。そう考えたウィルはロナスの提案に乗ったのである。
二人と数人の強盗団──おそらく、ロナスの側近にして強盗団の中でも古参の連中だろう──は酒場を後にし、娼館に向かった。
その間もロナスは延々と酒と女と殺しの話題で騒ぎまくり、常に後ろを歩く無愛想な手下に同意を求めて楽しげに振舞っている。
コイツはコイツで同列の理解者というものがいないため会話に困っているんだろうな、と一瞬哀れに思ったが、この男にそんな感情は必要ないだろうとウィルは心を戒めて、前を向いて小さく誰にも聞こえない程度に溜め息を落とした。
「見つけたぞ、リタの手下どもめ!」
聞き覚えのある声が前方から聞こえた。
ウィルは落とした視線をゆっくりと上げる。もちろん、生きた心地などしない。
やはりというべきか、目の前には青い服を纏った戦乙女が盾を片手に剣幕を飛ばしているではないか。
ウィルの頬を冷や汗が伝う。
「ついに追いついたぞ、さあ、リタは何処だ!」
マリアの隣ではローエンがあたりを見回し、状況のまずさに戸惑っている。腰のベルトに挟んでいるナイフもこの状況では抜けないようだ。だが、それでも右手は柄を今にも握らんと腰のあたりでウロウロして見せていた。
なぜ、その狂犬の手綱を握っていない!
ウィルはローエンに対してそんな事を思うが、それどころではない。周りの連中に素早く目を向ける。
予想通り、彼ら──とりわけロナスの眼がぎらりと疑惑の輝きを放ち、ウィルをその灰色の瞳でその場に磔にした。
ロナスは睨みつけていた視線を剥がすようにゆっくりとウィルから動かし、マリアの方を向いた。
鼓動が高鳴り、息がまともに喉を通らない。張りつめた空気に身体が凍る。
顎先から落ちた汗が乾いた大地に弾けた。
その音すら聞こえるほどの緊迫した空間は、さながら世界から人間が消えたようだと錯覚するほど。
「リタだと?」
静寂を引き裂き、ようやく口を開いたのはロナスだ。
「お前は何者だ?」
マリアが返す。物怖じしていない様子。
ウィルは叫べるものならば今すぐ逃げろとマリアに対して叫びたかった。
この男はオレやリタみたいな人間じゃない。もっと底の知れない欲望に満ちた邪悪な男なのだ。
そんな焦燥をする傍らで、目にも止まらぬ速さでロナスが銃を抜いた。
もっとも、それは常人の目にとまらぬ速さとういう事。異常な視力を持ったウィルにしてみれば少し速い程度。それでも、自分より早いし、どうかすればリタよりも早いかもしれない。
ヤツの銃は間違いない。リタのそれと同じ。コルトのダブルアクション。だが、ヤツの腰に巻いているガンベルトに金に並ぶ薬きょうはリタの持つ38ロングコルト弾ではない。そう、もっと大きい……と、すれば必然的にヤツの持つダブルアクションの名が浮かぶ。
ヤツの銃はコルトのサンダラー。41口径のダブルアクションだ。
銃身はリタの銀色と違い、漆黒に輝き、銃握はリタのライトニングの白檀と対になる形で、黒檀で作られている。その中心部分には白色に輝くスペードのエース。リタの銃握がハートとダイアのエースであることから察するに、残るヤツの一丁には、クローバーのエースが嵌められているのだろう。
ウルフは二人の子供にそれぞれ銃を渡したってわけか。
リタが稲妻とすればこいつは雷鳴のロナスと言ったところだろう。
ふと、ウィルは疑問に思う。リタはともかく、こいつの二つ名は聞いたことも無い。そうウィルは思ったが、すぐさま考え直す。自分の知らないことなんてゴマンとある。それに、裏の界隈の事情なんてのには疎いのなんの。知らなくても当然だ。
銃の分析を終え、ウィルは銃口がマリアに向けられているのを見た。
「俺の質問に答えろ。リタと言ったか?」
「ああ、そう言った」
「ありえねえな」
ロナスは「ハッ」と笑い声なのか、怒りの啖呵なのか、いずれにせよそう声を発してみせた。
「ヤツは死んだ。あるいは、捕まったかだ」
マリアの顔が変わったのをウィルは見逃さなかった。
自分がしでかした過ちに気がついたのだろう。この男達はリタの敵であり、ウィルはそれに忍び込んでいたにすぎないと察したのか。が、遅い。遅すぎた。
一斉に複数の弾倉で弾丸が揺れて音が鳴った。気がつけば、マリアやローランをも取り囲んで、灰色軍服の兵隊がライフルを構えている。
「まあ、捕まったアイツが、逃げ出したってんなら話は別だがな……」
そう言ってウィルの方に向けられたのは二丁の銃口。
驚きに目が自ずと見開いていた。
こいつはいつ抜いたんだ!?
理解の出来なさに、一瞬自分が妖術や魔術の類にかけられているのかさえ疑った。
だが、どうにもここに魔術師や妖術師はいない。と、すれば残るのは現実だけ。
認めざるを得ない。ロナスは明らかにリタよりも銃を抜くのが速い。
「リタの居場所を吐け」
ウィルは一瞬とぼけようかとも思った。
いいやだが、最早遅い。ロナスは確信しているし、今さらおどけたところでどうにもならないだろう。
腹をくくり、ロナスの目を睨む。
「良いだろう」
ウィルの言葉にロナスは少し驚いたようで眉根が一瞬上がった。
「認めるんだな」
「おどけても無駄だろ?」
「やっぱりお前はおもしれえ……お前、リタの男か?」
一瞬ウィルは考えた。
違う。はっきりと事実を伝える方がいいか。あるいは、そうだと答え、時間でも稼ぐか。
答えは後者だ。
「そうだ」
ロナスは「ハッ」と再び喉に小麦粉でも詰め込まれて吐きだしたかのような音を発してから、笑った。
「なかなか、面白いチョイスだぜ。アイツにしてはセンスが良い」
「だろう。アイツは見る目があるんだ」
「まあいい。お前から話を聞くのは後だ」
ロナスが銃口を下ろすと、ウィルの後ろにいた手下がウィルの腰からガンベルトを取り外して腕を後ろ手で縛りあげた。
その縄があまりにきつく締められたため、ウィルの口は痛みに歪んだ。
そんなウィルには目もくれず、ロナスはマリアとローエンの方に歩みを進める。
「さあて、どっちから味見をするかな?」
そのロナスの声に、歓声が飛び交う。
マリアは盾を構えて、身構えているが、その顔に浮かんでいるのは恐怖ではなく怒りだ。
この状況でも、まだ戦おうとするのか。
ウィルは、その心意気には、感心こそするが、勇気と無謀は別物だ。これには流石に無謀であったという評価をするしかない。
結果的に見逃してやったというのに、付いてくるからこんなことになるのだ。自業自得とはこの事である。痛い目を見ても仕方ない。
ウィルは心の中でそう呟き、現実で深くため息を落とす。
まったく、殺しにかかってきた相手の面倒まで見切れるかってんだよ。
「その子に手を出してみろ。オレは絶対にリタの居場所を吐かないぞ!」
ウィルはあらん限りの声をあげて叫んだ。
彼女は確かにでたらめな事をやってるかもしれないが、疑われるようなことを最初にしたのはオレとリタだし、なにより、彼女がロナスの手にかかるのをただ黙って見てるなんて出来るわけがない。
いろいろとあれやこれや考え込んだが、結局のところ、ここで見捨てては本当の悪人になってしまうと、そんな考えのために、ウィルは声を出した次第だ。
結局のところ、彼は困っている人間を見捨てられない。
それに驚いたのは、ロナスではなく、マリアの方だ。赤い瞳をきょとんとさせて、ウィルの方を見つめる。
ウィルが見つめ返すと、視線をそらし、少しだけだが頬を赤らめた。
「お前の、敵なんだろうが、こいつはぁ!」
ロナスは笑いながらそう言って両手を広げてウィルの方に踵を返した。その仕草が、そこはかとなく──ウィルは本物を観た事は無いので、オペラを演じる旅芸人なんかのイメージだが──オペラの演者のようで、ロナスの無教養さとあまりにかけ離れているイメージなため、ウィルは思わず笑いそうになった。
「こいつはけっさくだ。大そうな聖人様だことで」
ロナスがマリアの前に立ちはだかったその時であった。
「手を出さないほうがいいのは同意です」
ローエンが横から声を出した。それも、ライフルを向けられているとは思えないほど、余裕の表情で、だ。
「お前はなんだ。この女の御付きかなんかか?」
「保護者ということならば、あながち間違いじゃありませんね」
ローエンの歯に衣着せぬ余裕なものいいがロナスを苛立たせるのか、気付けばサンダラーの銃口はローエンの方に向けられている。
「儲け話に興味はありませんか?」
ローエンはそう言った。
ウィルは、彼女が突然何を言い出したのか理解できなかったが、それはローエンの隣にいるマリアも同じだったようで、声を出さずに『何言ってる』と口を動かしている。
「どういうことだ」
ロナスは少し興味がありげなそぶりで銃口をおろしてローエンの方に上体を寄せた。
「そこのお嬢様は、大陸鉄道会社の社長の娘です。この子を人質に、金をむしればかなりの額を稼げるんじゃないでしょうか?」
「そいつは……」
ロナスは完全に銃口をおろし、頷く。
「どうして悪くない! なるほど確かに、その娘にゃ手を出せねえな」
嬉しそうに、ロナスはローエンに頬笑みかける。
「だが、そうなりゃ、お前は関係ねえよな?」
そう言うや指を鳴らし、ローエンもまたウィルと同様に後ろ手を縛りあげられる。表情は一切変わらずの無表情であり、こうなることは分かっていた様子。
その折に、ローエンが何かを口走ったように思う。おそらく、抵抗するな、といったようだ。
それを聞いたマリアは盾を地面におろし、両手を挙げた。
「金はいるからな。おら、その嬢ちゃんをとっととおっさんのとこに連れてけ。そう言うのはあいつの仕事だ」
「ローエンに手を出したら、貴様ら許さんからな!」
マリアがロナス達に怒号を飛ばすが、それは逆効果だ、お嬢さん。
そんなウィルの心情をなぞる様に、ロナスはにやりと微笑み、ローエンの服の胸元を引っ掴むと、勢いよく引き千切って見せる。
ぼろんと豊満な彼女の胸が外灯の光に曝け出される。形の良い乳房は、大きさに反して垂れておらず、丁度良い張りを保っており、その様に歓声が上がるほどだ。
「手を出したらなんだ?」
マリアは今にも一暴れしそうな表情であったが、ローエンが声を出さずに口を動かし、落ち着くように指示をする。
その指示を受け入れたのか、マリアは──それでもかなり不服そうに──背を向けた。
「おら、行け!」
ロナスの声に、数人の手下がマリアをライフルの先で小突きながら移動させる。
一瞬、マリアの目がウィルの方に向けられたため、自ずとウィルも視線を合わせて黙って頷いてみせると、マリアもまた静かにうなずいて返した。
「俺たちの仕事はリタの完全なる始末だ。なあ、新入り?」
次に現れたのはロナスの笑み。
嫌な笑みだぜ。
ウィルはそう思い、その頬には強烈な痛みが走った。
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