1-6 夢と希望と一枚銀貨
重い。
頭が死ぬほど重い。
いや、むしろ死んでるのかもしれない。
……なんでだ?
ウィルは榛の板を敷き詰めた天井をうつろに眺めていた。
どうにも、ベッドの上のようだ。
それは間違いないのだが……こと、ここに至るまでの事柄が不明瞭だ。霞がかかったように何にも見えない、思い出せない。
「おーい。そっちに服ないか?」
リタの声だ。
ウィルはやおら上体を起こし、あたりを確認する。
カーテンで隠されている四角い窓からは明るい朝の日差しが防ぎきれずに漏れており、それが部屋を照らしだしていた。
相も変わらず甘ったるい匂いは漂っているが、昨日この宿──娼館なのだが──に入った時と比べれば幾分煙は消えてすごしやすい。
ベッドから見たちょうど真正面に木板の仕切りがあり、その向こう側で水の音がする。
唐人の男の言っていた通り風呂だろう。
ウィルはおぼつかない思考で目の前に見える状況からそう判断した。
ふと、手に何かが当たっている。
見れば、彼女の服が一式ぐしゃぐしゃに脱ぎすてられているではないか。
これのことを言っていたのか。
ウィルがそれを掴んだ時、バンッと勢いよく木の板が一枚倒された。
「だから、服取れって言ってんだろうがよ!」
身体に雫を纏わせて、リタがずかずかと飛び出してベッドの方にやって来た。当然、服は着ていない。
「これだろ」
ウィルは手にしていた服を投げてリタに渡した。
朝から風呂なんか入りやがって……いや、まて、どういう事だ。
何でオレはベッドで寝てるんだ!?
そもそも何でこいつの服がベッドの上に!?
ウィルの背中に嫌な汗が伝った。
「あれ~」
リタはぎいと軋むベッドに片手をついて、ウィルの顔を覗き込んだ。
しつこいようだが彼女は何も着ていない。
こちらを見ているリタを認識はしているのだが、顔をそらすウィル。
たわわに実る小麦色の二房が……有体に言ってヤバイ!
なんでみずみずしく濡れてるんだよ。
なんで髪の毛結んでねえんだよ。
なんでそんないい匂いするんだよ。
なんで、なんだって……。
こんなにエロいんだよぉ!
オレ見た事あるんだぜ。
こいつの体モップで洗ったんだぜ。
悶々とする現状と、靄つく昨夜の記憶にウィルの頭はこんがらがってどうしようもなくなっていた。
とりあえず、そむけた顔から視線だけをリタに向ける。
「お、お前なんで……」
「なんでって、汗かいたからだろ?」
「違う、そういうことじゃなくて──」
突然、リタはウィルの状態を突き飛ばし、仰向けのウィルの上に四つん這いになってみせた。
濡れた毛先から滴り落ちる水のしずくがウィルの頬に落ちる。
「おい、冗談じゃないんだぞ」
「冗談じゃねーとしたら?」
その笑みにはどこか色気の様なものも含まれているようで、ウィルの体をびくりとふるわせた。
リタの顔がゆっくりと近づく。
その吐息がウィルの前髪を揺らす。
「な、なにやってんだよ」
「ほら、昨日みたいにお願いしてみろよ……」
リタはウィルの鼻先でそう言うと、うっすらと笑みを浮かべる。その笑みの何とも妖艶なこと、そして、この言葉の孕む意味合いがウィルのあやふやであった脳細胞を活性化させた。
昨日何があった!?
思い出せ、オレ!
ふと、そんな状況とは裏腹に、何やら色気も何もない昨日の記憶の断片がウィルの脳裏によぎった。
『飲み代無くなっちまったんで、賭けで勝てくるぜ』
酔ってふらつく視界の中で、よく分からない自信にあふれたリタの後ろ姿を見た……気がした。
「──お前、金どうしたんだよ」
リタの潤んだ瞳が突然泳いだ。
「さ、さーなんのことだよ」
リタの肩を掴むとぐんと押し戻して、ウィルは上体を起こした。
ベッドの上に座った状態の二人。方や硬い表情で、方や視線をそらして目を泳がせている。
「お前、賭けごと行くとか言ってたよな……」
「よ、酔ってたんじゃねーか?」
「思い出したんだよ」
リタは「チッ」と舌打ちをしてベッドから飛び降りた。
そうして、ベストを乱雑に掴み取ると、ぎゅっと胸を引き締めてボタンをとめた。その流れで、ベストの胸ポケットから袋を取り出した。
ウィルはその袋に見覚えがあった。それは明らかに軍から支給されたあの二百ガルを納めていた袋だ。
「ほらよ」
投げ渡されたそれをウィルは受け取るや否や開けて見る。
銀色の一ガル銀貨が、袋の中で「やあ」と声をあげた。
もちろん、声なんて上げるわけはないが、銀貨を除いて袋の中には誰もいないのだ。さみしさのあまり喋り出したとしても何の不思議もない。
喉を引き裂かれたような衝撃に、ウィルは声を失った。
「ほ……おま……これ」
リタは服をすばやく身につけ、ふてくされた表情で腕を組んだ。
「……勝てると思ったんだよ」
ぼそっとつぶやいた言葉はもしかしたら彼女なりの反省の言葉なのかもしれない。
先ほどの行為だって彼女なりの謝罪なのかも。
とはいえ、そんなことは問題じゃない。
金がなくなったのだ。
たった一ガルでは、いくら安かろうと宿代すら払えるわけがない。
「どーするんだよ、これ!」
「うるせえよ、怒鳴るなよ! 勝てたら三倍だぞ三倍!」
「負けたんだろうが! 孤高の一ガル銀貨しか残ってねえじゃねーか!」
今にも泣き出しそうな声色で、ウィルは喚いてみせた。
「そ、それも賭けごとの宿命だしなー仕方ないよなー」
「開き直るな! だからオレは賭けごとが嫌いなんだよ」
「何で嫌いなんだよ。夢があるじゃねーか」
「負けの確立が高いのに楽しんで金なんて賭けられるかよ」
「夢も希望もねーな」
「誰のせいだと思ってんだ」
その時、部屋の扉が緩やかに蝶番を鳴らしながら開いて見せた。
「……お客さんどうしたネ?」
突然部屋に入って来たのはあの唐人の男だ。
相も変わらずに、手でゴマをすりながら、にこにこと信用ならない怪しい表情をうかがわせている。
「そろそろ時間。お金貰うネ」
一番聞きたくない言葉だった。
「あ……分かった。出る準備が出来たら下に行くから」
「あいわかったネ」
すたすたと部屋を後にする男。
「ど、どうするんだよ。本当に金なんてないんだぞ!」
そう言ったウィルの顔を見て、リタがにやりと頬を緩めて見せた。
「なんだよ、その笑顔」
「アタシにいい考えがある」
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