キノコに翼は生えるのか

ミチル

第1話 キノコと翼


『21日未明、河川敷で地元の高校に通う美空翼さん(16)の遺体が発見されました。遺体には複数の殴打痕があり、警察は犯人を追うと共に、翼さんの交友関係についても調べています』


 キノコはキノコだ。

 それ以上でもそれ以下でもない。

 つまりキノコとは私のことであり、私とはキノコのことである。

「なにやってんだよ、キノコ。邪魔だろ」

 そら今も、男子生徒が私のお腹を蹴って転ばせた。地面にあっけなく尻餅をつく私を尻目に、彼は他の男子生徒と話をしながら、椅子に座る。

「あの、そこ、私の席……」

「あ? なんか言ったか? あいにくキノコ語は分かんねえんだわ」

「うっは。タケちゃんひでー」

「お前らだって分かんねえだろ? 分かる奴いる?」

「いるわけねえじゃん」

 いるわけない。

 私の言葉がわかる人間がいたら、私はこんな目にあっていないのだから。

 地べたに這いつくばる私はクラスメイトに見下されている。

 読書する生徒、談笑する生徒、学級委員長はため息混じりに、やっぱり私を見下している。みんなからプレゼントされるのは上から目線だけで、誰一人その手を私に差し出してなんてくれない。このままずっと座り続けていようかとも思う。それがキノコにはもっともふさわしい行動だろうから。教室の隅で小さくなって、誰からも無視をされて、埃やゴミと一緒になって生きていくのが、キノコである私の人生なのだ。

 いつからこうなったのかを考えると、胸の奥が鉛みたいに固く重くなっていくから、考えないようにしている。キノコは太陽のもとでは生きられないのだ。誰からも与えられることなく生きていく。

「なにやってんの。邪魔だよ」

「あ、ごめん」

 また通行のじゃまになっていたようだ。さらに縮こまろうとした私は、通行人の足が動かないのを不思議に感じて、見上げてしまった。

 それがいけなかった。

 短いスカートに、金色の髪の毛、つやつやと輝く唇の間からはチュッパチャプスの棒、そして、マニキュアで桃色に染まった爪。

「キノコ語だっけ? わかるよ。あたし、翼。よろしく」

 それが、わたしと翼の出会いだった。


「あんなところ、いる必要ないじゃん。なんでいたの?」

「なんでって……」

 私は翼に引っ張られ、非常階段の踊り場にいた。私みたいに教室から溢れ出た不必要な机が積み上がっており、それらを動かしてひとつの部屋のように仕立てあげていた。ここは翼の個室だという。ちょっとしゃがめば出入り可能だから、行き来が楽なんだって笑っている。

「いやー、面白かったなー。あいつらのあっけにとられた顔みた?」

「うん。見たよ……」

「面白かったろ?」

 ケラケラと翼が笑った。

 私の手首を掴んでむりやりに立ち上がらせた翼は、周囲をぐるりと見て、にかっと笑い、こういった。

「キノコ狩りだかんね、これは。キノコだってマシな場所に生えたいって思うだろ? だから、あたしは悪くないの」

 そんな言い分通じるかと突っ込みたくなったし、きっとそれは私だけじゃないはずだった。けれども私は、自分がなにか大事件の中心にいることは感じ取っていたので、顔を上げられず、ひたすらに翼の上靴を眺めていた。耳まで熱くなっていくのが分かった。このまま何事も無く過ぎ去っていくことを望んだけれど、もうすでに事件は起きてしまっている。突然やってきた暴風雨は、私というしょうもない存在を連れて、教室を飛び出した。

 教室のドアから出る一瞬だけ、背後を振り返ることができた。教室には、私を見つめるいくつかの瞳と、ぽかんを洞を開けた瞳の数の半分の口があった。中には、私を睨みつける目もあった。全く無視する人もいた。それらに見送られながら、私は翼によって連れ去られたのだ。

「マジ笑えた。なにあいつら、キノコがいなくなるわけないって顔してやがってんの。んなわけねーじゃんな」

「そ、そうだね……」

 苦笑いを浮かべる。

 途端、翼の表情が一変した。さっきまではクスリでもキメてるみたいに全てが楽しくてしょうがないって顔をしていたのに、いま私を見ている目には、全てに対する憤りが浮かんでいた。

 教室にいるときからずっと舐めていたチュッパチャプスが翼の歯によって砕かれる音が踊り場に響いた。ボリボリ、細かい粒子になるまで砕いて、それらすべてを飲み下して、残った紙の棒を私に突きつけて、舌打ち。

「てめえ本気で思ってんのか?」

「うん、思ってるよ……」

「だったらなんであそこにいたんだよ。出ていこうと思えば出ていけただろうが。それをイジイジあいつらの慰み者になってるっつーのは本心ではあの教室にいたかったってことなんじゃねえのか」

「ち、違う、けど……」

「なにが違うんだよ」

「だから、あの教室に、いたくなかったよ」

「だったらさっさと出て行けば良かっただろ」

「む、ムリだよそんなの……」

「なんで」

「な、なんで?」

 思わず咳込んだ。あまりにも突拍子もない質問だ。だからかもしれない。私は、その質問を深く考えてしまった。なんで、あの教室から出て行かなかったんだろう。

「こ、怖かったから」

「なにが」

「え……あの人たちが」

「あの人?」

 クラスメイトのことをなんと言えば良いのか分からなくて、出てきたのがそれだった。

 翼の言葉が、硬い地面を悠々と打ち砕くクイのように、私の胸に刺さった。

 翼は私を見ている。大きな瞳だ。まつげが長い。瞳の色が青いことに気づいた。顔に垂れる金色な髪の毛と対比して、とても綺麗だと思った。それから、他人を綺麗だなんて思ってしまった自分を恥じた。私には他人を評価する権利は与えられていない。

 自分がうつむいていることに気づいたのは、翼が私の顎に添えた指で顔を持ち上げたからだった。

 翼は、笑った。にかっと、白い歯を見せて、目を細くして、満面の笑みを浮かべた。本当に、人が笑うと、光り輝くんだなと、私はそのとき初めて思った。

「あんなやつらのこと、気にする必要ねえよ。そうだろ?」

「そ、そうかな」

「お前は他人に従って生きるのか? 死ねって言われたら死ぬのか? 生きろって言われてるから生きてるのか? 違うだろ。お前はいま生きてるから、これからも生きるんだよ。な」

「そう、だね」

 それは詭弁だと思った。

 いま生きてるからこれからも生きるだなんて、死んでいった人間はきっと誰しもがそう思っていた。事故で死んだ人も事件で死んだ人も。自ら死を選んだ人だって、昨日までは生きていようと思っていたかもしれない。

 自ら死ぬ人間は、現実に耐えられなくて死ぬ。それは、生きているせいだ。現実世界に生きているから、苦痛を被る。だったら死ねばいい。死ねば、自分の生命を脅かすすべての苦痛から解放される。

 でも死ぬためには一歩踏み出す覚悟が必要で、その覚悟はまだ私にはなかった。

 いま生きてるってことは、そういうことだ。

「ねえ、もう、戻ろうよ」

 翼の制服の袖を引っ張る。

 もう不安になっていた。

「なんで?」

「授業だって始まってるし」

「だから、それがどうしたの?」

「怒られちゃうよ」

「なんだ、まだキノコは分かってないんだ。行くぞ」

 また強引に、翼は私の手を掴み、立ち上がらせて、彼女専用の城からなんの躊躇もなく外へ足を踏み出した。階段を降りているあいだ誰にも見つからなかったのは幸いなのか、それとも翼が意図したものなのかは、そのときの私にはまだ分からなかった。

 誰もいない静まり返った廊下に、授業をする先生の声がいくつも響く以外は、なんの音もしなかった。翼の靴は、まるで地面から数センチ浮いているみたいに、いっさいの足音を立てず、私は普段からそうしているように、足音は鳴らさずに歩いた。窓の外には春めいた景色が広がっていた。風にあおられた太い木々が、しなりながらも力強くそびえ立っていた。

 私達がたどり着いたのは、保健室だった。

「どうしたの?」

「え、あれ?」

 そこには、私と保健室の先生と、それだけだった。翼の姿は、煙となって消えてしまっていた。

 突如、不安が巨大な雲となって私の周囲を包み込んだ。うまく呼吸が出来ない。喉が消えてしまったみたいだった。冷や汗が全身を伝う。怒られる。どうしてかわからないけれど、そんな感情が浮かんだ。私は怒られるんだ。

 緊張と不安のせいだろう、お腹の奥がキリリと痛み出した。お腹を抱えてその場にしゃがみ込む。

「あらあら、お腹痛いの? おいで、ベッドに横になってなさい」

 返事をしたけれどきっと先生には聞こえなかっただろう。うつむいたまま、私の体はベッドへと運ばれた。

「良くなったら言ってね」

 頷くと、先生は微笑んで、カーテンをしめた。

 小さく息をつく。

 目を瞑ると、廊下で私に向かって小さな声で話す翼の顔が思い出せた。

『いいか。ひたすら腹痛のフリをしてろ。お腹がいたいです。それ以外は分からないって突っぱねろ。とにかく腹が痛いふりをし続けてればいいから。分かったか?』

 目を開けると真っ白な天井が見える。

 フリなんてする必要もなかった。実際に極度の緊張と不安でお腹は痛くなり、こうして難なくベッドに横になることができた。毛布をかぶってそのまま寝ていることにした。ときおり先生が顔を見ては、まだお腹が痛いことを確認すると少し困り顔になって戻っていく。

 ようやく先生から早退の提案が出されたのは、昼休みを挟んで5時間目のことだった。そのころには、私の腹痛も治りかけていたし、いっぽうで先生は困り顔で固まったみたいになっていた。

「大丈夫? 一人で帰れる?」

 無言でうなずいた。お腹をかばうようにして、ベッドからおりた。

「生理じゃないのよね? 何か変なものでも食べた?」

 そのどれもに首を横に振る。分かりません。それだけを繰り返した。

「気をつけて帰るのよ」

 ありがとうございます。

 そんなたぐいのことをつぶやいて、私は学校から抜けだした。


 校門のすぐ近くで待っていてくれた翼の顔を見ると、途端に腹痛は消え、気分が明るくなった。

「よっ! うまくいったろ?」

「うん、ありがとう」

「お前の為じゃねえよ。食うか?」

 翼がポケットからチュッパチャプスを取り出し私の手に握らせた。包装紙をはいで、現れた桃色の飴を咥える。甘い味がした。

「これ、好きなの?」

「まあな」

 それからしばらく、私達は並んで歩いた。小さな通りを進んで、何度か角を曲がった。

「明日は、どうなるの?」

「滅びる予報は聞いてないけどな」

「そうじゃなくて……」

 こんなことを確認したって、どうにもならないことは分かっているけれど、翼という頼れるものを見つけてしまった私は問わずにはいられなかった。

「明日は、翼ちゃん、来るの?」

 翼は、飴をなめたまま、私をじぃっと見ていた。しばらくそうしているから、また私の中に不安だとか恐怖だとか、土の下に押し込んで忘れていたはずの感情が浮かび上がってきた。それらを眺めるように、私の目線は自然と地面に向かっていく。薄汚れたスニーカーのつま先。ひび割れたコンクリートの舗装。転がる小石。そして、翼の顔。

 覗き込むように、私の視界に強引にねじこまれた翼の顔は、白い歯を見せた笑みが浮かんでいた。

「分かんねえよ。まだ」

「まだ?」

 翼が歩き出す。私もあとをついていく。ときおり飴を舐めた。飴はずっと変わらず甘い。翼の舐めている飴も甘いのだろうか。

「そうだな。今日中に連絡するから、万橋に来い。携帯持ってるか?」

「うん、あるよ」

 私達は互いの電話番号を交換した。家族以外ではじめて私の連絡帳に電話番号が刻まれた。

「じゃあな。ちゃんと帰れよ」

「分かった。翼ちゃんは、帰るとこあるの?」

「面白いこと聞くな、お前。あるに決まってんだろ」

「そ、そうだよね。ごめん」

「じゃあな。バイバイ」

 背中を見せたまま一度も振り返ることなく、翼は手を振ってどこかへと去っていった。

 翼が消えた路地を私はいつまでも眺めていた。ひょっこりと翼があの輝いた笑みを浮かべて戻ってくるような気がした。

 けれど10分待っても20分待っても、当然ながら、翼は戻ってこなかった。誰もいない路地は、少し傾いた太陽の日差しが強くさして、家々の影を長く伸ばしていた。カラスの鳴き声に促されるようにして、ようやく私は家に帰る決心がついた。

 帰り道を歩いていると、自然、思考は翼へと行き当たった。

 何者なんだろう、彼女は。

 突然現れて、目的も分からず私を教室からさらって、しまいにはどこかへ行ってしまった。

 本当だったら、怒るべきなんだろうか。それとも

 けれど私の中に浮かぶ感情は、そのどれでもなかった。

 自分でも判別がつかないのは、いままで浮かんだことのない感情だからだろうか。どんなものに近いだろう。そう、例えば太陽の光を真正面から浴びているときとか、自転車で坂を下って風を浴びているときとか、雨上がりに地面から香る匂いを嗅いでいるときとか、そんな感じ。

 なんだろうこれは。

 どうして、翼のことを考えているんだろう。どうして、翼のことを考えると、胸の内側からほんのりとした暖かさが芽生えてくるんだろう。

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