第2話

見慣れた木製のドアを開くと、すぐにある六畳の和室。

西日があたるこの僕の城は、地味な独身男性特有ともいうべき殺風景な部屋だ。


そのまるで色味のない部屋の中央に、あるはずの、いや、いるはずのない美女が、まるで人形のように静かに座っていた。

僕はすぐにこの世のものではないと思った。なぜなら、僕の部屋に美女なんているはずもないし、しかも彼女は現代にそぐわない格好をしていたからだ。


落ち着いた紫の縞模様の着物に、花柄のついた真っ赤な帯をしめている。ツヤツヤとした黒髪は無造作にひとつにまとめられ、象牙色のくしをさしてあった。

そう、その姿は、教科書の中でしか知らない大正時代の女性のようで、僕の部屋に大正時代の美女の写真を切り取ってコラージュしたかのような空間だった。

溶けた蜂蜜みたいな西日を背に座している彼女は、陶器のように滑らかで白い肌に憂いを帯びた大きな瞳、そこだけ色をつけた薄紅色の上品なくちびるを小さく動かして、かすれるような声で言った。


「あなたはだあれ?」


「はっ?僕は松山優だけど…君こそ誰?ここで、僕の部屋で何してるの?」


「まあ、ごめんなさい。ここはあなたの部屋だったのね。でも私…気がついたらここにいたの。」


気がついたらここにいたなんてことあり得るだろうか?彼女の存在、というより返答に、僕は訝しんだ。


「気がついたらって…。そこの窓から入ってきたんだろ?」


そう言って僕は、彼女の後ろにある、春の西日でいっぱいの窓を指差した。


「いいえ、違うわ。お母様とお花見をしてたのよ。突然強風が吹いたかと思ったら、見事な桜吹雪でね、ほおっと一瞬見とれたら…ここに座っていたのよ。

それに、窓から他所様の部屋に入ったなんてまるで私…泥棒みたいに言わないで。」


彼女はそう言うと、くちびるをキュッと噛んで俯いた。


泣いてしまう!大半の男が誰でもそうなように、女性の涙に僕も弱い。僕は慌てて彼女のそばにかけより、


「変な言い方してごめん!」


と、小さな肩に手をかけた。


「信じてくれるならいいわ…。」


ゆっくり顔をあげ、上目遣いで僕を見る彼女の絹のように美しい黒髪から、桜の花びらがハラリと落ちた。


その花びらを指先でつまみ僕は言った。

「それにしても、いまどき着物で花見なんて風流だね。」


「あら、最近は洋装の方も増えてらっしゃるけれど、まだまだ私の周りは着物を召してる方のほうが多いわ。

あなたは随分風変わりな格好をしてらっしゃるのね。」


彼女は僕から少し体を離して、上から下までくるくる動く大きな黒目で見ながら言った。

その日の僕は、水色のタンガリーシャツにベージュの麻のパンツ、お気に入りのパナマ帽をかぶっていた。


鮮やかで古風な彼女と僕は、まるで対極の格好をしている。


「風変わりって・・君のほうがよっぽど風変わりだよ。まるで明治か大正時代だよ。」


その時、彼女が大きな目をさらに大きくして

「まるでもなにも今は大正15年でしょ?」

といった。

僕はいよいよ、少し頭のおかしな女の子が、部屋に侵入したのかと思った。


「いやいや、ちょっと待って。今は平成22年。君、ほんと大丈夫?」


「へいせい?そんなの聞いたこともありません。あなたこそどうかしてらっしゃるんじゃないの?」


僕は黙って携帯電話の待ち受け画面に表示された「2010年4月15日」という日付を見せた。

すると彼女は、一瞬目を見張り携帯電話を見たかと思うと、なにかわからないシミのついた天井を見上げ


「どういうことかしら?」

と首をかしげた。


よくよく話を聞いてみると、彼女は明治41年生まれの19歳の「杉本華」。


商家の生まれで最近は外国のものも輸入販売しているお嬢様。

その日は桜が見ごろだったので、母親と二人午後の花見に出たらしい。

桜が立ち並ぶ川沿いの道を歩いていたら、突然一陣の風が吹いて、気がついたらこの部屋にいたらしい。

はっきりいって、最初は僕も半信半疑だった。ただ、話を続けるうちに彼女の物言いや仕草、その雰囲気が現代の女性とは全く違い、彼女のその真黒で透き通った瞳も、どう疑ってみても、嘘をついてるようには見えず、気が違ってるふうでもない。

夕日が落ちる頃には、彼女の話に引き込まれ、時を越えてやってきたお客様として扱うようになっていた。

気がつくと、あれほど眩しい光をさしていた夕日も、新たな場面に沈み込み、ぼくら二人のいる部屋に真黒な闇が忍びこんできていた。


僕は、彼女を驚かせないようにそっと立ち上がり、(何しろ彼女は僕のいうこと全てに驚くものだからだ)しみだらけの天井にぶらさがる古めかしいデザインの四角いかさのついた蛍光灯の紐をひっぱった。


たちまち真っ白に浮かび上がる僕のいつもの殺風景な部屋で、鮮やかな彼女がなんだか恥ずかしそうに

何かを言いたげにしている。


「どうしたの?」


「あの、、、私、朝から何も食べていなくて・・・。」


「ははっ、僕も腹ペコだよ。ろくなものないけど食べよう。」


そういって久しぶりに誰かと食事をとった。

スーパーのライン生産されている大味な弁当を前にきちんと手を合わせて「いただきます」という、彼女のふせた目の周りにびっしりと生えたまつ毛にみとれて僕は食事の挨拶をいうのを忘れてしまった。

そんな僕を、いましめるような目で見てから、いたずらな笑顔を見せる彼女。

いつもの弁当も、カップ麺も、なんだかいやに美味しく感じられ、僕が灯したのは部屋の蛍光灯だけれど、彼女は僕の真っ暗だった心に温かい灯をともしてくれたようだった。

食後、僕たちは彼女の細い腰に結んだ帯のような真っ赤なイチゴを、始終笑いながら食べた。

彼女の話は、平成生まれの僕にすれば、時代錯誤なことばかりだったけれど、それもまた新鮮で可笑しくて楽しい。

彼女からすれば僕の話は、例えば僕らが異星人と初めて遭遇したような驚愕の内容だったらしい。

大きな目をさらに皿のように丸くして、聞きいっていた。

それでも若い二人は砂浜に潮水が吸い込まれるように自然にお互いの話を受けとめていった。


「あなたはご家族はいないの?」


「家族とは離れて暮らしてるんだ。」


「御兄弟は?」


「あ、姉がひとりいたけど死んだんだ。」


「まあ、お気の毒に・・。」


彼女の思いやりの一言が僕の心に小さな疑問を抱かせた。


はたして僕は気の毒なんだろうか?


体が弱く少し精神薄弱な姉を、両親、特に母親は猫かわいがりしていた。


6つ下の僕は、小さいころから我慢させられることが多く、いつからか小さな体に大きな嫉妬の炎を燃やしていた。

姉はというと、何の心配もせずに自由に出歩け、遊びにいける僕に、わずかながらの嫉妬の炎を燃やしていたに違いない。

でかけようとする僕を、真っ白いシーツのかかった布団に横になってうらめしそうに見る姿に、僕はいつも優越感を感じていた。

逆に母親が、僕の宿題をみるのもそっちのけにし、甲斐甲斐しく姉の面倒をみているときは、姉はいつもうすら笑いを浮かべて、僕を見ていた。

そんな冷たい関係だったから、姉が死んで、はたして僕は気の毒だったのだろうか?

「君は?兄弟はいないの?」


「私は一人娘なの。だから兄妹のいる方がうらやましかったわ・・・


そうだ、私があなたのお姉さんになってあげるわ!」


突然ひらめいたように無邪気に言うと彼女は、最後に残ったイチゴを僕の唇にちかづけた。

「いや、君のほうが年下だから、僕が兄だよ。」


そういって僕は、唇の前にさしだされた最後のイチゴをとり、彼女の薄紅色の小さな口元に近付けた。

「ほんとうね!」


彼女は無邪気に笑い、筆ですっとひいたような上品な唇でイチゴをくわえた。























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