第四章 バッドランドの子守唄
#16 ぞんびとこぞりて
危ない、と言う声に振り返ると、ナオミさんがふらりと上体を崩し、畳に手を突いていた。もともと青白かった顔は、紙のように白い。もはや、言った村長本人に匹敵する勢いだ。
「大丈夫ですか、ナオミさん」
「すみません、最近あまり体調が優れなくって……」
俯いたナオミさんは口元を抑え、震えている。
一昨日見たときからもずっと具合が悪そうだったのに、今日全ての罪を告白したことで緊張が一気に解けたのだろう。
ただ座っている事さえもおぼつかない彼女に、タンデンさんが慌てて座布団を枕代わりに差し出す。うん、分かっているねタンデンさん。畳で直寝には、座布団枕の一択だ。
「彼女は少し休んだ方が良いかも知れないですね。引き続き、この部屋をお使い下さい。自分は神殿に電話をしてきます」
神官長は、そう言って部屋を出る。その際、力強い視線で目配せされて、私も慌ててその後を追った。
村長さんの家にある黒電話(ダイヤルを回す奴だよ、懐かしい!)を借りて話をする神官長の後ろで、私はそわそわしながら待機する。
恐らく、先ほどの話で決まったことをキューザンさんなり他の神官さんなりに伝えているのだろう。
しかし淡々と冷静に話をしていた神官長の顔は、徐々に険しく顰められていく。なんだか酷く嫌な予感が脳裏を過った。
チンと可愛らしい音を立てて受話器を戻し、振り返った神官長に私は尋ねる。
「どうしたの、そんな恐い顔して。もしかして、キューザンさんの容態が急変したとか?」
「いや、彼については問題ない。その代わり――、急いでこの村を出立するぞ」
「へ? なんでさ」
私はきょとんとする。
村を出たら、後は神殿に帰るしかないじゃないか。
「神殿の方で、何かあったの?」
急いで神殿に戻らないといけないとなると、地震があったか、雷が落ちたか。さもなきゃ火事か親父かお袋さんか。
「そう言う訳じゃないが、恐らくこの村の疫病は我々だけでは手の施しようがないだろう、という事が判明したんだ」
「訳が分からないよ! もっとはっきり言ってよね」
私は、今にも身を翻して帰り支度をしそうな神官長の福の裾を掴む。
詳しく教えてくれるまで離さないぞと言わんばかりに顔を見上げて威嚇していると、彼は仕方がないと溜め息をついた。
「簡潔に言うぞ。先日、キューザンの開頭血腫除去術を行った時、奴の頭蓋骨内で異物が発見されたらしい」
「まさか、本当に宇宙人がマイクロチップを埋め込んでいた!?」
「違う」
宇宙から来訪する侵略者の脅威に愕然とする私を、神官長は一刀両断する。
なんだ違うのか。ケント君の大穴が来たかと思ったのに。
しかし神官長の出した答えは、それに匹敵する程に予想外のものだった。
「虫がいたんだ」
「虫って、……あの虫?」
いや、具体的にどの虫か特定できる訳じゃないが、私は手をうにょうにょと尺取り虫のように動かしてみる。神官長は無言でうなずいた。
「虫って、なんでそんなものが? どこから入ったのさ!?」
だって脳だよ、脳。口の中とか耳の穴の中とかじゃない。人間の体内の中枢部分だ。
「俺が知るか。虫と言っても、寄生虫の一種だろうというのが神殿の執刀医の意見だった。と、なればこの村の伝染病の正体も、その寄生虫の仕業であった可能性が高い」
一般的に脳に寄生虫が取り付くと、頭痛や癇癪発作が起こるらしい。脳の疾患に掛かった人は性格が変わったように怒りっぽくなることもあると聞くし、ほぼその判断で間違いはないだろう。
もしかすると事件の当日、キューザンさんがナオミさんに殴りかかったのだって、その寄生虫の所為で怒りが抑えられなかったのかもしれない。ナオミさんも以下同文だ。
しかし寄生虫、という言葉に私の意識の中で何かが引っかかる。今、何かを思い出しかけたんだけどな。
「何故、村人たちが寄生されたのかは分からないが、どちらにせよ今我々にできる治療法はないのが現状だ」
まあ、そうだろう。キューザンさんの開頭手術だって、この村じゃできないからって神殿に運んだんだし。
「医療設備をこの村に持ってくるか、あるいは村人全員を入院させるかは分からないが、一度帰って対策を練る必要があるだろう。ならばこれ以上感染の危険を押してこの村にいる必要は――、」
その声に被さるように、木綿を引き裂くような悲鳴が聞こえてきた。
※ ※ ※ ※
「だ、誰か! 助けてくれぇ!」
その声は、先ほどまで私たちがいた和室から聞こえてきた。私は思わず掛け戻る。
「おい、待て!」
後ろから神官長の声が聞こえるが、ここは敢えて聞こえなかった事にする。
勢い良くふすまを開けた私の眼に飛び込んできたものは、タンデンさんに圧し掛かるナオミさんの姿だった。一瞬お邪魔だったかと思うが、それにしては明らかに様子がおかしい。
ナオミさんは清楚で儚げだった様子をかなぐり捨てて、まるで獣のように歯を剥き出し、タンデンさんに噛み付こうとしている。
何よりそのぎょろぎょろとした目は血走り、今にも眼下から零れ落ちそうなほど異様に浮き上がっていた。
その少し離れた所では、もはや死人と言ってもおかしくはない様子の村長さんが、尻餅をついたままわなわなと身を震わせていた。そして私たちに気付くと、叫ぶ。
「助けて下さい! 意識を失ったと思ったら、急にナオミさんがこちらに襲いかかってきて……!」
「いいから、早く逃げろ!」
村長さんの声に被せるように、タンデンさんが怒鳴る。彼は力任せにナオミさんを引っぺがすと、体重を掛けて腕を畳みに押し付ける。タンデンさん、ハードボイルドは伊達じゃなかった!
「ナオミの様子は普通じゃない! ここはオレに任せて、お前らは早く逃げろっ」
「いや、そういう訳には――、」
しかし、タンデンさんはさらに村長の言葉を否定する。
「まともな人間の力じゃないんだ! ぐちゃぐちゃ言ってないで、とっとと行け!」
「大丈夫、すぐに神官長が追いつくからっ」
私は思わず口を挟む。
そうしたら、増援は二人になる。非力な老人と女神の二人と若者一人という組み合わせだけれど、三人集まればいくらナオミさんが人間離れした力で暴れていたとしても、なんとかなるはずだ。
けれど、私は続けられた怒鳴り声に言葉を失う。
「優先すべきなのは、女神様を守ることだろうが! いいから、今のうちに助けを呼んで――うぶっ!?」
ほんの僅かに、タンデンさんの意識が逸れた瞬間、形勢が逆転した。
転がるように体勢を入れ替え、タンデンさんに圧し掛かったナオミさんが、そのままタンデンさんの口を自分の口で塞いだのだ。
形だけはキスシーンでも、異様な状況のお陰でそれは捕食場面としか見えない。もっとも、一瞬タンデンさんが嬉しそうに見えたのも、気のせいではない気がするが。
口を塞がれたタンデンさんは直後びくっと痙攣すると、ぐるりと白目を剥く。
そしてその目に、再び黒目が戻って来た時には彼の目もナオミさんと同じように血走り、眼球が浮き上がっていた。
「何をしている! 逃げるぞっ」
呆然とその様子を見ていた私の腕が、背後から強く引っ張られる。
焦燥の表情を浮かべた神官長が転びそうなほどの勢いで、私の腕を取って走り出したのだ。後ろから、村長さんも慌てたように付いて来る。
「神官長、来るの遅いよ! タンデンさんが!!」
「どちらにせよ間に合わなかった。それよりも、急に電話が繋がらなくなった。家の外でも、何か起こっているのかも知れない」
確かに悲鳴が上がっているのに、私たち以外の誰も駆けつけてこないと言うのはおかしい。
私たちは、そのまま玄関から外に飛び出した。
外にはまるで村中の人が集まったかのように、たくさんの人で溢れていた。しかしやはりと言うべきか、彼らの様子もまた尋常ではなく、まるで幽鬼のようにふらふらと彷徨い歩いている。私たちは慌てて塀の影に隠れた。
バイオハザードだ! いや、違う。霊幻道士だ! だからそれも違う。
だけゾンビパニック映画としか言いようがないほど、眼前の光景は明らかに異常だった。
「いったい、どうして急にこんなことに……」
呆然と、村長さんが呟く。村長さんがゾンビっぽいのは元からだから、大丈夫だ。
確かに理由が分からない。今朝までは、みんな普通にしていたのに。
理由として考えられるのは、この村で流行っていた奇病――恐らく寄生虫が原因だと思われるそれだ。
だけど、そこまで重症ではなかったナオミさんや他の村の人までもがあのように変貌してしまったのだ。明らかにただの感染症状じゃない。
それに感染源が分からなければ、いつ、誰が同様の症状を発症するか分からないのだ。
だから同じように不安げな顔つきで通りを眺めている村長さんからすらも距離を取り、神官長は警戒を解かないでいる。
「とりあえず、迂闊に逃げることもできそうにないな」
もし見つかって掴まってしまったら、タンデンさんのように彼らの仲間にされてしまうかもしれない。
しかしここでいつまでも縮こまっている訳にも行かないだろう。
「少し離れた場所に、トラックを停めてある。それに乗ったら、奴らが少ない道を選んで強行突破だ」
確かにそれしか方法はあるまい。
いささか乱暴な方法ではあるものの、それが一番危険が少ないだろう。
私たちは、物陰に隠れながら車を停めてあるところまで移動を始める。しかし、私はそこではたと足を止めた。
「ねえ、泣いている声が聞こえない?」
私はきょろきょろとあたりを見回すが、目に見える範囲にいるのはよろよろと歩き回るゾンビもどきの集団だけだ。
「私の耳には聞こえませんが……」
「何を寝ぼけたことを言っているんだ」
村長さんと神官長には、聞こえないようで戸惑った、あるいはしかめっ面で否定される。やはり気のせいかと思ったが、やはりどこからか泣き声が聞こえている気がするのだ。
辺りをはばからず泣きじゃくる声。もしこの声が本物だとして、一体何処から聞こえているのか。そして、果たして誰の声なのか。
そして、私は唐突に思い至った。
「ケント君だ……!」
神官長の策略で大叔父さんを迎えに行ったはずのケント少年が、どこかで泣いて救助を求めているのだ。
「助けにいかないとっ」
「無理だ。方法がない」
声を上げた私の意見を、神官長は即決却下する。
「神官長の冷血ドS! 低血圧! 低血糖! そんな冷たいこと、なんで言うのさ!」
「声が大きいし、後ろ二つは関係ない。場所も分からないまま、奴らの中に突っ込むのは自殺行為だと言うんだ」
「場所なら分かるよ! 商店街の街路樹の上だ」
突然、私の脳裏に映像が浮かぶ。
私には、ケント君のいる場所がまるで見えているかのように分かった。それがどうしてなのかは分からないけれど、理由を考えている場合ではない。
「彼のまわりに、正気でない村人たちはいないのか?」
「それは……」
私は口ごもる。私には、ケント君が確かにそこにいるのを知ったのと同じように、その周囲を餌を前にしたハイエナのようにうろつく幽鬼のような村人たちが大挙しているのが分かっていた。
「ならば、理解しろ。今、彼を助けるのは無理だ」
「……駄目、見捨てるなんてできない」
もし彼が無事かどうか分からなければ、私だって自分の安全の方を優先しただろう。だけど、私は彼が助けを求めていることを知っている。
そしてなによりケント少年は、私のことを助けてくれたのだ。
なのにいま彼のピンチを知りながら、それを見て見ぬ振りはできない。そんなのもはや少年探偵団の助手の名折れだ。
だから私は、はっきり断言する。
「彼を助けられないなら、私はこの村から出ないからね」
「……このっ、馬鹿女神がっ!」
神官長が私を睨みつける。しかし、私は神官長から視線を逸らさなかった。そして、そのまま懇願する。
「お願いだよ。いま、私が頼れるのは神官長だけなんだ」
賢くもなく、何の力も持ち合わせていない私にできることは、それができる誰かに縋ることだけ。
そして私は、ドSで暴力的でツンドメで猫かぶりであっても、神官長にならこの状況を打開できるはずだと信じていた。
「助けて、神官長」
やがて――険しく刻まれた眉間の皺をそのままに、ぎりりと彼の歯ぎしりが聞こえたのだった。
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