#2 二百年と半世紀前から愛してる
ありがたいことに、ショック死も免れた。
そう時間が経たないうちに、ぞろぞろと、先ほどの何倍もの人数の医者が部屋に戻ってきたのだ。
数人が震えながら手首に包帯を巻く間、残りの面々は綺麗に並んで一斉に土下座した。
(な、なにか重大な医療ミスが見つかったとか……っ!?)
青褪めていると、一番手前に陣取っていた立派な髭のお爺さんが、私に向かって頭を下げたままこう言った。
「女神様、お目覚めになられるとは驚きました。もしや何か、我々に対して急なお告げでもございますのでしょうか?」
「いや、そんなもんはないけど……。ここどこ? てか、誰かと勘違いしてない?」
私は一介のプログラマーで、そんな恭しい態度を取ってもらう謂れはない。
なんかちょっとこう、聞き捨てならない単語が聞こえた気もするが、それはきっと幻聴だ! そうに違いない。
しかしそんな私の思いとは裏腹に、爺さんはさらに深々と頭を下げ、取り返しの付かない台詞を重ねて言いやがった。
「勘違いなど、とんでもない! ここは疫病の神殿。そして貴女様は疫病の女神様と存じてございます!」
『
白服以下一同が声を揃えて唱和する。
私は上を見て、下を見て、左右を見回した。
どうやらベッドだと思っていたのは立派な祭壇であり、見舞い品だと思っていた諸々の品はお供え物らしい。
「あー、とりあえず……場所変えて最初から話さない?」
できれば全て夢オチであって欲しいが、どうやらそれは望み薄。
ならば一度気持ちを切り替えて、頭を整理したい。
それが無理ならどうにでもなれだ。
私はじくじく痛む右手首を撫でながら、宙に向かってため息を漏らした。
※ ※ ※ ※
案内されたのは、素晴らしく豪勢な応接室だった。
革張りのソファに腰を下ろすと、皆一様に床に平伏しなおす。正面に椅子あるんだから誰か座ってよ。てか、そんなに人いらないから。
「ええっと、まず……なんで私がここにいるのか説明してもらえる?」
私が尋ねると髭のお爺さんは、ははぁっと畏まって答えてくれた。
かつて、この世界は謎の病気が蔓延し、滅亡の危機に陥っていたらしい。
青い斑点が全身に浮かび、体温が低下し、痙攣の後に呼吸困難で死亡するというその病気は『死神の愛撫』と呼ばれ恐れられた。
生まれたばかりの赤ん坊から、今にも死にそうな老人まで。老若男女の区別無く、どんな薬も療法も効かず、病人は増える一方だった。
そうして世界が滅びる瀬戸際となった時、彼らが最後の希望を託したのは当時すでに廃れかけていた『魔術』と呼ばれる技術。その中の、『召喚魔法』と呼ばれる、異世界の存在を呼び寄せる呪法だった。
彼らは、異世界から自分たちの世界には存在しない、この病気の特効薬を召喚しようとしたのだ。
そして、様々な生贄を捧げて呼び出した結果、現れたのが『私』だったらしい。
全身に蛍光ピンクの斑点を浮かべた瀕死の女が現れて、度肝を抜かしたのは恐らく彼らのほうだったに違いない。
大慌てで延命措置を施して、どうにか仮死状態で現状維持させることには成功したものの、これでは単に重病人が一人増えただけのことだ。
一体どうするべきか、再度召喚を行うべきか、などと連日会議が行われる最中、ついに一人がぶちギレた。
そいつもつい先日奇病を発症しており、助かると思っていた目論見が外れて精神の箍が外れたらしい。
彼は私が寝かされている所へ押しかけて、思いっきり足首に喰らい付いたのだ。
……うん、確かに見たらしっかり歯型が付いてるわ。ちょっと前衛的なボディアートかと思ったよ。
しかし、それが結果として事態の打開させた。
なんと蛍光ピンクの胞子に冒された私の血液が、彼らの病気の特効薬となったのだ。
そんな訳で、意識のない私の血液は死なない程度に採取され、この世界の人々に供された。
この世界は滅亡の危機から救われたのであります。
めでたしめでたし。
――と、これが今から200年前の話らしい。
二百年!? と、私は盛大に驚いたがまぁ、彼らがそんな嘘を付いても何の意味もないから恐らくは事実だろう。
彼らを病から救った私は、それ以降『疫病の女神』とされ信仰の対象および特効薬として、現在まで神殿の中で祀られていたのだという。
なお、今はその病で死ぬ人はほとんどいないものの、時折発症および再発する人が現れるので、それ以降も定期的に採血は行われているとのこと。その最中に、私は目を覚ましたということらしい。
「あー、なんで今になって私は目を覚ましたんすかねぇ」
「それはわたくしどもとしても分かりかねます。ただ、仮死状態の間に女神様のお身体と病との折り合いが付いた、という可能性はあります」
つまり私は二百年掛けて、あの蛍光ピンク胞子と同化したわけかい。
思わず自分の腕を見たけれど、あの斑は見当たらなくなっていることにホッとする。あとは寝ている間に胞子を撒き散らすことがなければいいんだけど。
「じゃあ、私はこの世界で何をすればいいんですか?」
「女神様には引き続き、この神殿で我々に御慈悲をお与え下さいますればと……」
ようするに、これからも血を提供し続けてくれという話か。
折り目正しく迂遠に言われた言葉を、最短距離のショートカットで理解した私はふぅむと考える。
通勤中の暇つぶしに読んでたネット小説では、異世界に召喚された人間は総じて、勇者になってハーレム築いたり魔王になってハーレム築いたりダンジョン構築してハーレム築いたりと、なにやら面倒臭そうで自分ならゴメンだとつくづく思ったものである。
だが、神殿に引き篭もってごろごろしつつ、時折血を差し出してまたごろごろするくらいなら、私にもできそうだ。
元の世界に帰る事も一瞬ちらりと考えたが、二百年も経てば親兄弟もとっくに墓の下だろうし、またIT土方として働くのも面倒くさい。心の友と書いてマジで殺すと読む幼馴染を一発ぶん殴れなかったことが、心残りとしてあるくらいだ。
「分かった。じゃあ、それでいいよ」
私は頷く。思い立ったら吉日。流されるままに生きるのは相変わらず得意である。
私の言葉に、お爺さん以下一同は感極まったように歓声を上げた。
「おお、ありがとうございます! 女神様、万歳!」
『
彼らは滂沱の涙を流しながら、感極まったように平伏を繰り返すけれど、それが自分に向けられたものだとは思えない私は、まるで現実味を覚えない。まるでドラマの一シーンを見ている気分だ。
大騒ぎする面々を他人事のようにぼんやりと眺めながら、私は思った。
とりあえず、寝やすい布団と痛くない採血方法だけは用意してもらおうと。
※ ※ ※ ※
そんなこんなで、私が自他公認女神として祀られるようになってから、早くも65年である。
人間、その気になれば60年以上引き篭もれるとはびっくりだ。
もっとも、年もとらず、水さえあれば食事をせずとも生きていける存在を果たして人間と呼んでいいものかは分からないが。
途中あまりに暇すぎて、娯楽本を読める程度には文字を習ったり、何やかんやの儀式があると言われれば、女神特権を使ってサボったり、祭りの日にはこっそり抜け出して安い屋台の菓子を頬張ったり(金は落ちているのを拾うのだよ。)もしたが、基本的にはグダグダごろごろとしながら日々を過ごしている。
「
「どこの不良だ、あんた」
そして今日も気楽にゴロゴロしている私を睨みつけているのは、今代の神官長である。
銀髪碧眼色黒のちょっとびっくりするくらいの美形だが、口煩いのと、常に眉間によっている皺が玉に瑕。
あと、最初私が目を覚ましたときにいた、あの髭お爺さんのひ孫だか玄孫だからしい。こいつもそのうち髭もじゃになるかと思うと胸熱である。
「少しくらいは日光を浴びないと黴が生えるぞ」
「いやあ、260年黴が生えなきゃ、もう大丈夫でしょ」
キノコは生えてくるかもしれないがな。
やれやれとため息をつく神官長を眺めながら、私はゴロゴロと寝台の上を転がる。
ちなみに、この寝台は、無駄に権力を駆使した結果、最高級品をお布施してもらった。最初、この寝台が来たとき、テンション上がりすぎて転がり落ちて、5メートルくらい顔面スライディングする羽目になったのは、もはや過去の話である。
「冗談を言っている場合ではない。いいか、よく聞け。最近、この神殿の権威が下落している」
「下落」
嘆かわしそうに語り出す彼の話に、ふむふむ、と私は相槌を打つ。
「恐ろしい伝染病が蔓延したのも、もはや二世紀半以上昔の話だ。果たして、いまだ疫病の女神を崇め奉る必要があるのかという話さえ出てきている」
「うわー、マジっすかー」
「それもこれも、お前がとんでもない出不精な所為だろうがっ!」
近くで思いっきり怒鳴られた。耳がキーンとなる。
疫病予防のための採血も、20年位前に人工血清が作れるようになって以来行われていない。
そして、各種儀礼儀式等は相変わらず欠席届を提出中。
つまり、私は何の仕事も行っていないニート女神なのである。
「大体、拝んでいても病気は治らない、伝説の『死神の愛撫』程ではないが伝染病だって流行る」
そりゃそうだ。女神と崇められようが私自身はただの元・プログラマーだ。病気を治すことも、伝染病を抑えることもできるはずがない。
「高いお布施や寄付金を払っても、意味がないと不満の声も高い」
「でも、私自身はお金とか貰ったことないんだけど……」
日ごろ、ごろごろグダグダしているだけの私は、お金を使うことはほとんどない。
贅沢しているのは寄付されたこの寝台くらいだし、食事も取らないのでほとんどお金は掛からないはずだ。
神官長はゴホンゴホンとわざとらしく咳をして、話題を変える。さては、お前ら横領とかしてるんだろ。
「いいか。もし神殿が解体されて、お前が女神じゃなくなったらどうなると思う?」
「んー、元の世界に帰される……ってことはないよね」
つうか、250年経ってから元の世界に帰されるとか、どんな罰ゲームだ。浦島太郎か。
そうじゃなければ、市井に降りて普通の人間と同じように働くことになると思うが、果たして二世紀半、体感時間で半世紀以上引き篭もりをしていた人間が今更働けるかどうか不安である。
前職のことも視野に入れつつ、なにか自分でもできる職業はないかと考えていると神官長は低い声で私に言った。
「なんの後ろ盾もない不老不死の女なんて、あっという間に研究機関に送られてモルモットだ!」
つまり切り刻まれたり、電流を流されたり、毒餌を食べさせられたり、採血されたりする羽目になるのか。ぞっとしないな、おい。
実は、すでに色々な研究機関から、私を調べさせて欲しいという依頼は来ているという。そのたびに神殿の威光でそれを却下しているらしいが。
てか、神様
「そんなのは嫌だろう?」
神官長は私に尋ねる。私は否もなくこくこくと首を振った。
「そこでだ。お前には一つ仕事をしてもらう」
彼は偉そうに胸を張ると、私にびしっと指を突きつける。
なにやらすごく嫌な予感がするが、零した水はコップには戻らない。
こうして、私の二世紀半にも及ぶ引き篭もりニート生活は終了を迎えたのだった。
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