ヌガーとともに去りぬ(8)
センとエリアマネージャーは、船の操縦席にいた。操縦パネルを操っているのはエリアマネージャーで、センはその様子を後ろからぼうっと眺めているだけだった。
先ほどまでとは違い、船はあきらかに目的を持ってその推進力をフルに使っている。
「あの、どうして急に」
「そこにある宇宙服を着ておきなさい」
有無を断じて言わせないという口調だったので、センは大人しく指示に従った。
「えっと、着ました。それで」
「じゃあ隅で大人しくしていなさい」
「はい。でも、何をしようとしてるんですか?」
エリアマネージャーは忙しくあちらのボタンを押したりこちらのモニターを見たりしていたが、センにはパンフレットを放り投げてきた。センはふよふよと漂いやってきたパンフレットを掴み、それをめくった。
『時空遡行システム・SHAKE』と題されたそのパンフレットをめくると、一枚目からこのように書かれていた。
『このシステムでは、以下の原理によって時空遡行を実現する。まず当システムの固有時間をτとし、四元速度を用いてプランク長をLと表すと』
ここでセンはそのページを閉じ、もっと図が載っているページはないかと探し始めた。かわいいイラストや漫画だとなおいい。
どんどんめくっていって最後あたりのページに、やっと少し文字が詰まっていなくて記号だの数字だのが無い箇所を見つけた。
『こどもむけのせつめい
このしすてむでは じくうをさかのぼることができるよ
とてもべんりだよ
でもつかうのには うちゅうをはじめられるくらい たくさんのえねるぎーがいるよ
くわしくは ちかくのせいじんしたひとにきいてみてね』
バカにされているような気がしたが、センにはここしか理解できる箇所がなかった。つまりはこのシステムを使えば、時を遡ることができるということらしい。
確かに時を戻って、事件の起こる前に出れば、破壊を防ぐことはできるだろう。しかしそれには『たくさんのえねるぎー』が必要と書いてある。それをエリアマネージャーがどのように調達する気なのか、センには検討がつかなかった。
「あのう」
エリアマネージャーの動きが落ち着いたところを見計らって、センは声をかけた。
「何です」
「これからの行動プランを聞かせてほしいんですが」
「一、時間を遡る。二、テロリストを爆殺する。三、銀河はもとに戻る。以上です」
「はあ……その、一について詳しくお伺いしたいんですが」
「二はいいんですか? たぶんこちらのほうが楽しいと思いますよ」
「いや、一でお願いします。一の実行には、かなり大量のエネルギーが必要みたいなんですが、それはどうやって調達するんですか」
「ああ、それはあなたを使います」
「は?」
センは口をぽかんと開けた。もしかしたら自分の中には秘めたパワーが眠っていて、この銀河の危機にあたって初めて目を覚ましたのだろうか。もうちょっと前に目覚めてほしかった気もするが、それでもいい気分だった。
「いや、別にあなた自身に力があるというわけではありません。あなたの存在の力を利用します」
「ん? んんー?」
いい気分をくじかれ、センは疑問の声を上げた。
「端的に言えば、あなたは平行世界からこの世界にやってきた存在のようです。それほど遠い世界ではなさそうですがね。ちなみに、私が知っているあなたは、ライムタルト製造プロジェクトで成果を上げられなかったため最低レベルまで減俸され、また心的外傷のためしょっちゅうカウンセリングルームに通っていたはずです。それでどこかのタイミングで『公平・中立な徴税委員会』に合流したというところでしょうね。ああいう団体は心の弱った人間を取り込むのがうまいですし。どうです? あなたの記憶に合ってますか?」
「え、いえ、ライムタルトプロジェクトのことは覚えてますが……それはうまくいったはずです。それで引き続き第四書類室で勤務を、続けていたはず……」
「なるほど。やはり違う世界の存在ですね、あなたは。どうやって平行世界からやってきたのか、あなたの脳をさいの目にスライスして解析したいところですが、時間がないのでやめておきましょう。それにしても、そのことに自分で気づかなかったんですか? 普通の人間なら、生活のありとあらゆるところで違和感を覚えますよ? それに『時空事故研修』で平行世界に入り込んでしまったときのロールプレイはしているはずじゃないですか。研修は受けっぱなしでは意味がありません、きちんと復習なさい」
「はい」
センはこの状況で勤務態度について怒られる理不尽さを感じてはいたが、素直に答える以外の選択肢がなかった。
「で……平行世界の話はわかりましたが……エネルギーについてはどうなるんですか」
「それはもう簡単な話です。ここにあなたがいる。そして、もうひとりのあなたという存在がいる。これは矛盾です。そこで、あなたともうひとりのあなたを衝突させます。すると矛盾が発生し、矛盾が発生したときにそれを解消しようとする世界の復元力が働きます。その復元力をエネルギーとして利用し、時空遡行システムを作動させます」
センは少し考えた。復元力云々についてはよく理解できていなかったが、まあエリアマネージャーができると言っているならできるのだろう。それで悲劇が防がれるのであれば万々歳である。
しかし、この話には一つ欠けているところがある気がした。
「あの、エリアマネージャー」
「何でしょう」
「お話はよくわかりました。そこで、矛盾が発生した原因である私は、矛盾が解消された後どうなるんでしょうか?」
「そうですね」エリアマネージャーは少し黙った。「元の世界に戻るんではないでしょうか。……運が良ければ」
「良くなければ?」
「……よかったですね、あなたはこの現象に対する第一人者になれますよ」
「ならなくていいんですが」
「大丈夫です、理論的には隕石衝突に耐えうる剛性があれば元の世界に戻れると言われています」
「タンパク質にそんな剛性はありません」
「じゃあ今から頑張って身体を鍛えなさい。あ、いたいた、あそこの船にもう一人のあなたが乗っているはずです。射出口に自分自身をセットなさい」
目の前に、たしかに航宙船の姿が見えた。奥にある恒星の光が、緑色のボディを美しく照らしている。
「いやだ、そんなに簡単に身体が鍛えられるならあんなに深夜の通販番組が続いてるはずがない」
センの抵抗はそこまでだった。上から伸びてきたロボットアームに全身を拘束され、センは一人用カプセルに詰め込まれた。カプセルは船の外に出され、流れるようにスムーズな動きで射出口にセットされた。
遠くの星々のきらめき。恒星の強くあたたかな光。ガス状惑星の幻想的な模様。宇宙の美しさが、壁一枚を隔てた外にあった。
しかし、その美しさがセンの目にうつったのはほんの一瞬だった。かちり、というロックの外れる音。そして、衝撃が走った。
カプセルは船に向かってまっすぐ飛んでいった。衝突の一瞬前、センは壁の向こうに人の姿を見た。その驚いた表情は、他の誰よりよく知った顔だった。
「……う……」
「センー、どうしたの。急に空中から現れて。人間の考えることってよくわからないね」
頭が遠心分離機にかけられたようにぐらぐらした。どうも足がロッカーの上、頭がコピー機の中、右手がゴミ箱の中に突っ込まれているらしい。
目だけを動かすと、そばにシュレッダーロボットがいるのがわかった。いつもの第四書類室だ。そして開けっ放しの扉の外を、TY-ROUがころころ転がっていた。
「TY-ROU……ライムタルト……委員会……」
「何言ってるんだろ」
「知ってる、これダイイングメッセージっていうんだよ」
「じゃあぼく探偵役やるね」
「そしたらぼくは意味深な発言して夜中に探偵と待ち合わせてその場で死んでる役ね」
シュレッダーロボットたちの言葉を聞き流しながら、センは唯一自由に動く左手を持ち上げた。固く握りしめていた指を一本ずつ外していく。中にあった社章は、蛍光灯の光を受けてささやかにきらめいた。
「結局、転職はやめたんですか」
会社近くのカフェで、センはコノシメイとテーブルを囲んでいた。ランチの時間で、コノシメイは日替わりプレートを身体にせっせとおさめていたが、センは飲み物だけだった。平行世界に行って帰ってきたからだろうか、このところなんだかふらふらとして食欲が無いのだった。
「社章が……」
「社章?」
「退職するとき、社章を返さなきゃいけないらしくて……」
「社章好きなんですか?」
あの出来事のトラウマで、センは社章を脇に置いておかないと眠れなくなっていた。また平行世界に入り込んだら、と思うと、何か頼るものがないと不安でしょうがないのだ。
「好きというわけではないんですが……あ、社章といえば、私一つ気づいたことがあるんです」
「なんですか」
センは胸につけているバッヂを見ながら言った。
「これをつけていると、外で料理をつくれって言われることが少ないんですよ」
「あー、なるほど。怖がられるわけですね」
「なんですかね。まあ……一つの利点ではありますよね」
センは椅子の背もたれによりかかり、空を見上げた。社章と同じマークがついた、高いビルが目に入ってきた。背景には青い空。その空の向こうに広がる宇宙を、センは頭のなかに思い浮かべた。
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