ケーキ修行(後編)〜置き去り逃走これぞ青春〜
「では、切るわよ……」
「お、おう……」
おっさんがケーキに包丁を入れる。
「…………」
「…………」
二人して、真っ二つになったケーキを見張るが何も起きない。
「失敗……か?」
そう言った時だった。
「ちょっと待って。なんだか異常に温度が高くて不快だわ」
「そういえば、なんか暑いな。それになんというか……」
草のニオイがするような気もする。
「私の腕ね……。私の腕を見て考えたわね……」
「は?腕? いや、まあ、確かに見てたけどさ……何を考えたって?」
おっさんの毛深い腕を見て何を考えるって―――。
「木々の生い茂ったジャングルだと思ったんでしょう!それしかないわ!暑いし緑くさい!!」
「あ、ああ……そういうことか」
確かに思った……。それまではアリスのことを考えていたが、ほんの一瞬、ずっと目に入っていたおっさんの腕をみて思ってしまった。
『ジャングルみたいだな』と……。
「って、まじかよおい!! ほんの一瞬だぞ! 考えたといえるかわからんほんの数秒くらいなもんだ!」
「だから言ったでしょう! このパウダーはシビアだと! 一瞬でも駄目なのっ!!」
い、一瞬でも駄目って……。
「っまじかおいっ! もう失敗かいよっ!」
なんだくそおいっ! シビアシビアって、マジでシビア過ぎるだろ!
俺にアリスの格好してパウダー振りかけろとでもいうのかっ?!
「流石にこれは味見するまでも無いわ。というか食べたくないわ」
おっさんはそういいながら、さっさとゴミ箱へと捨てる。
「…………」
あぁ……駄目だな……。
気を引き締めないと、このままじゃもったいないお化けが無数に現れそうだ。
「よし、次よ次」
「おう、三度目の正直だ」
それから、俺とおっさんの長い戦いが続いた。
「これは……。好きなやつだ」
「ええ、牛丼の味がするわね。普通に旨いわ」
時に好みの味を堪能し。
「切るわよ」
「ああ……」
“アリスマンザァ、タメェ~ン”
「な、なにっ? なんなのこの声っ!!」
「すまん。『アリスの為に』と思いすぎて、浮かんだ言葉だ……」
時に未知なる味も堪能し。
「この家庭的な味は……なんなの?」
「ガキの頃にタカシ君の家でご馳走になった、タカシ君のかあちゃんの手料理だ……」
時に懐かしい味をも堪能する……。
「はぁ……はぁ……」
「ちょっと……こたえるわね……」
そして、いつしか日も暮れ、時計の針は21時を回ったところだった。
「はぁ……はぁ……。こんなにぶっ通しで作ったのは今日が始めてよ……」
「だ、だろうな……。すまないおっさん。俺もしたくて失敗してるわけではないんだ……」
肩で息をする俺たち、粉が入っていた紙袋、そして、おっさんの足が当たり大きな音を立てて転がった大小様々な銀のボールも作業台も何もかも粉にまみれ、作業部屋は兎に角凄い有様になっている。
「いいわ……。元々、すぐに上手くいくとは思ってなかったもの……」
「それでも……さ、こんなになるまでとは想像してなかったろ?」
そう聞くと「まあね」とおっさんはいい、生地をが入ったボールを差し出してくる。
「だから……。ここらでいっちょ決めて頂戴」
そう微笑むおっさんの笑顔は輝いていた。
“気持ち悪ぃ……”
店に入ったばかりの俺だったらそう切り捨てていたことだろうが、今はそんなことは思わない。
「ふふっ、さあ……」
結構な時間をこのコスプレオヤジと共にしてわかったのは、客の為に美味しいケーキを毎日精一杯頑張って作る、ただそのことだけに命を懸けている、人としても職人としても尊敬できる男だということだった。
「ふっ、そうだな……」
こちらからも笑顔を返す。
「いっちょ決めるかっ!」
おっさんと青春と笑われようが、くさい友情と馬鹿にされても構わない。
今俺の心にあるのは、疲れているのに、怒ることをせず励ましと笑顔を絶やさず、協力を惜しまないおっさんに報いたい気持ちだけだ。
「その勢よっ!」
「おう、任せろ!」
元気よく返事を返すと、4、5袋目になるキモチコメンダーを掴み上げ、優しくボールへ注いでいった。
「うん……。嬉しいわ」
ケーキを一口してから、おっさんは静かにそう言った。
「そうか?」
ケーキを口にせず聞き返す俺に「ええ」と、おっさんは目を閉じ、これまた静かに返す。
「まさかこんなこんなに再現されてるとは思わなかったわ」
おっさんは手に持ったケーキを再度じっくりと観察し、再び口を開いた。
「昨日寝るときに嗅いだときもこの臭いがしたもの。私の枕」
…………だろうな。
「枕って一番歳を感じるもんな……」
いい感じで終わったと思ったのに、どうやらおっさんへの尊敬の念が勝ってしまったらしい。
ケーキはおっさんを忠実に再現してしまった……。
「いや、嬉しいのよ……? この数時間でこんなに思ってくれたことは。ただ、こんなの食べたくなかったわ」
「だろうな。俺も口に含むものでおっさんを表現したくなかったよ」
おっさんが山盛りになっているゴミ箱の空いているスペースに、器用におっさんケーキを詰めていく様をぼーっと見届ける。
「…………」
今日一日でわかったことは、自分が思っている以上に天邪鬼だったんだということだ。
『難しいことといえば難しいことだけど、こんなにも時間が掛かったのは私以上よ』とおっさんにも言われたから、まず間違いねえと思う。
「はぁ……」
というか、相当苦労したおっさんがそういうもんだから、俺としてはもう無理なんじゃないかとすら思う。反抗期の絶頂期である自分をどうにも止めれる気がしないんだ。
「無理なことなんて一つもないわよ」
考えていたことを言い当てられ、はっとしておっさんに目を向けると笑顔で親指を立てていた。
「失敗は失敗だけど貴方は馬鹿ではないわ」
「そうかな……?学園では馬鹿で有名なんだけど……」
「百太郎?ああ、馬鹿なやつね」とか「ああ、あの変なやつな」みたいな認識で大概の生徒が俺のことを知っているんだ。でも、こっちからすりゃ「お前誰?なんで俺のこと知ってるの?」みたいな感じなわけで、こっちは全く誰だか知らねえのにあっちは俺のこと知っているという、なんだか怖い状況だったりする。まあ、それは1年の頃から何かとやらかしていたわけで自業自得といえばそこまでなんだがな……。
「まあ、そうねぇ。アリスちゃんにも馬鹿だと聞かされていたわ。大馬鹿野郎だと、ね」
やっぱりか……。アリスとどういう繋がりがあるのかは未だに教えてもらってないわけだが、繋がっていることは知っていた。名前もおっさんの口から何回か出てきたしな。
「でもね、数時間共にしてわかったのよ」
おっさんの顔つきが真剣に変わる。
「貴方はただ、想像の引き出しが多いのよ」
「想像の引き出し?」
聞き返す俺におっさんは「そう」と答え……。
「羨ましいことだわ。結果だけ見たら失敗と一括りすることになるけど、中身を見たら普通じゃ考えられない味ばかりよ」
「そう……かな……?」
まあ、おっさんが一緒になって驚いたり、一緒になって味を確かめていたところを思い返すと、失敗は失敗でも、それほどまでに珍しかったのかも知れない。
「だから、自分を責めることはないわ! 次よ、次!」
そう笑顔で励ましてくれるおっさんはやっぱりいい人なんだな、と思う。
今まで使った材料だって馬鹿にならんだろうに……。
でも……。
「そうだな。ありがとう、おっさん」
次が駄目ならその次。
その次が駄目ならその次の次。
おっさんと出会う前からしてきたことだったはずだ。何を弱気になってんだかな。
「よっしゃ、やるか!」
「ええ! その意気よ!」
こうしてまた、おっさんとケーキ作りに励み……。
「ふぁ~……ぁ……ん、では……切るわよ」
「ふぁぁぁ……あ……頼む……」
もう、時計は日を跨ぎ、深夜の2時半といったところだった。
「ふわぁ……ふ……。あ、あらやだ……滲んで前が見えないわ」
「ふぁぁ……んみゅん。……俺もだよ……おっさん。ケーキがどこかわからん……」
やる気は依然衰えないが、眠さには流石に勝てない。
「よし、よし、よしっ。今度こそ、よしっ……」
おっさんは気合いと共に何度も目も擦り、ケーキに包丁を入れた。
その時だった。
「きゃあっ! やだぁーん!」
「うおおっ! やだぁーん!」
包丁が作った、ケーキの切れ目から目映い光が漏れ始め作業部屋は光に包まれる。
因みに一緒に居すぎたのか、俺までオカマっぽい驚き方をしてしまったのはショックだ。
「これ光ってるよな!? 月みたいに光ってるよな!」
「ええ! 光ってるわっ! 私が作ったときの5倍ぐらい!」
二人して手で光を遮りながら大声で言葉を交わす。
「成功だよなっ!? つうか成功って言ってくれ!!」
「わからないわ!! こんなにも光り輝くのは初めてだもの!!」
こんなにも光ってるんだ。成功だろうという気持ちが昂ってしょうがない。
「あれっ……お、治まった……?」
「大丈夫よ……。光ってたのは間違いのだから……多分」
おっさんが半分になったケーキに二切れ分包丁を入れ、何を言うでもなくただ頷き合い、互いに一つずつケーキを手に取る。
「では……」
「いただき……」
同時に一口かじる。
「こ、これはっ……」
「これはっ……」
触感はあるのに、舌で触ろうと思った頃には口の中で蒸発してしまうっ……!
そして濃厚なチョコレートの風味と味が口いっぱいに広がるっ……!
でも、後味は全くドロっとした不快感がないっ!!
「ううっ……何故か涙が……」
「俺も……なんだろう……本当に苦労したからかな……」
二人して拭うことをせず、涙を流したままケーキを味わう。
「こんな出来がいいのは初めてよ……。ありがとう」
「いや、9割はおっさんの戦果だ。ありがとう」
依然、涙を流したまま、がっちりと握手を交わす。
「もう、遅いから泊まっていきなさい」
「ありがとう。断るよ」
手に物凄い力を込められる。
「保存とかできないでしょ。少しでも寝ていきなさい」
「い゛い゛い゛っ……!あ、ありが……とうっ……! こ、断るよぉっ……」
更に力を込められる。
「何もしないわ。それに学園もすぐ近くなんだからっ」
「あ゛あ゛あ゛あ゛っ!! わかった!! わかりましたぁっ!!!」
こうして、ケーキを完成できた俺はおっさんの家に泊まることになったのだった。
「よっ……と」
シャルルン・デブの入り口扉をなるべく音を出さないよう慎重に閉める。
「ふぁ……ふぅ……」
片付けやらんやらをしていて結局、眠りについたのは4時頃だったわけで、そっから二時間ほど寝て今だ。
「ふぁっ……はぁふぅ……」
超眠いし、なんか中途半端に寝たから逆にしんどいし、さっきから欠伸ばっかりしていて顎が痛い。
「まあ、これ以上世話になるのはな……」
シャルルン・デブの店内に目を向ける。
「ありがとな、おっさん……」
今日はよく休んでくれ。俺でも結構疲労があるんだ。おっさんなんかもっとだろう。
「さてぇ……」
駅の後ろに建っている学園の更に後ろ……俺が今から行く場所だ。
「6時15分か……」
丁度いいくらいだろう。いや、まあ、よくなくても知るか。早く寝たいんだ俺は。
「よっしゃ!」
気合を入れると、心地よい朝の散歩の始まりだ。
『お嬢様ぁ。お嬢様ぁ~』
ん……?ノック……?
『お嬢様ぁ~。お嬢様ぁ~』
あぁ……うるさい。
『ありすぅ~おじょうさまぁ~。ありすぅ~おじょうたぁまぁぁん』
あぁぁぁぁっ……。本当にうるさい……。
「ちっ……」
そもそも、朝起こしに来るような使用人は家には居ない筈だ。
自分でできることは自分でするというのが家の決まりになっているのだから。
「…………」
そりゃ、まあ……朝が弱い私としては、ちょっと不安な時は頼むこともあるが……今日は頼んでない。
「あぁ……奴かぁ……」
両手で顔を覆う。
「勘弁してくれ……」
朝一だろうが、ハイテンションで人が嫌がることをする人物はこの家に一人しかいない。
『ありぃすぅぅぅん、おじょうたぁまぁぁんっ』
あぁあああああああああああああーーー!!
「っもうっ! うるさいぞ姉さん! 鍵は開いてるだろう!!」
ドアに向ってそう怒鳴ると、勢いよくドアが開きシア姉さんが入ってくる。
「おはよう。アリスちゃん」
「あぁ……おはよう……」
何故、同じ姉妹なのにこんなにも違うんだ……。
「聞こえなぁーーいっ。アリスちゃんおはようっ、セイっ!」
というか、この人は何故こうもいつでも元気なのだ……。
朝が弱い私としては羨ましくもあり、腹が立つ。
「昨日は夜更かししたのかぁ~? いけない子だぁ~。パンツ何色ぉ~~」
「止めろ姉さん! 朝から妹にセクハラするんじゃない!!」
布団にもぐりこんできた姉の頭に容赦なく手刀をくらわす。
「いったいなぁ。ちょっと更に力強くなったのぉ? 頼むからルイ並にはならないでよぉ~」
「ルイ姉さん並には、なろうと思ってもなれんさ」
私より細くて身長も低いというのに物凄い怪力なのがルイ姉さんだ。
あれはもう、生まれ持ったものだとしか思えん。
「確かにぃ、それもそうかぁ~」
一度、脱輪したワゴン車を一人、片手で助け出したこともあったくらいだからな……。しかも軽々と……。
あの人が本気を出せば一体何ができるのか、知りたいが知りたくないといった複雑な気持ちだったりする。
「シ、シア姉ちゃん……」
考えていたらご本人の登場か。戸口から申し訳なさそうに顔を出している。
「あぁ~ルイ~。可愛いねぇ~今日もぉ」
シア姉さんもルイ姉さんに気づいたようで、歩み寄ると抱きしめ攻撃を開始した。
「ありがとう。って、違うっ。違うよ」
怪力なわりに恥ずかしがりやで控えめな性格だからな。突き飛ばすことはせず抱きつかれている。
「違うことはなにもないぞぉ」
まあ、シア姉さんはのんびりしてるわりに豪快な性格で怒ったら一番怖いからな……。
それもあるのだろう。
「ち、違うよ。そういうことじゃなくてっ」
「そういうことじゃなくもないぞぉ~」
そんな様子を見ていていつも思うのが、恐らく、あの二人だけだと何もかもが前に進まないから、私が生を授かったんだと思う。
「姉さん。ルイ姉さんなんか言いたそうだから離れて」
「えぇ~。もう、しょうがないなぁ~。わかったよ~~う」
渋々といった感じでシア姉さんが離れたので、ルイ姉さんに何事か訊ねてみると……。
「アリスちゃんにお客さんが来てることを伝えに来たんだよ。シア姉さんと……」
ルイ姉さんが泣きそうな顔をするので、シア姉さんを睨む。
「そうだよぉ。言ったよね~?言ったことにしようね~。これ、姉権限発動ね~」
「なんでもかんでも姉権限使うんじゃない! 程度の問題抜いたらそれ不正だぞ姉さん!」
まったくこの姉は……。目的忘れて自由気ままなところは百太郎やどらさんや恋にそっくりだ!―――って、似た奴多いな! 私の周りはこんなんばっかりか!!
「で、姉さん。誰が来たって?」
「ふっふっふ~。名前は言わな~い。でも、ヒントは……私も気に入ってる子だよぉ」
「うえっくしゃいっ!!」
あぁ……風邪かな……。
「寒くはねえんだよなぁ……」
でも、体温はすっげえ高いんだよな~……。
「やっぱ人間て眠くなると体温高くなるのかねぇ……」
つうか、さっさと出てこいアリスめ。もう30分は経ってるぞ馬鹿もんが。下半身の疲労はんぱねえんだよ、くそったれめい。
「ま、待たせたな」
「ああんっ!なんだっ……て、あ、ああ。……おはよう」
あ、危ねぇ……。後ろを向いていたからアリスがこっちに向って来てることに気づかなかった。
それに眠気でテンション上がりやすいみたいだし、これは長居は無用ってやつだ。
「んっ……」
「なんだ、くれるのか? できたってことか?」
そう問うてくるアリスだが、ケーキの箱が入った袋を受け取れと言わんばかりに差し出すことしかしない。
「んんっ!」
「ちゃんと喋れ! できたのかって聞いてる!!」
「んっ!」
「だから、ちゃんと喋れといってるだろう!」
あぁ……もうっ! 受け取らないならこれしかねえ!
ということで、アリスの足元にケーキの箱が入った袋を置き、その場から一目散に逃走する。
「ちょっ、なんだ!? おい! ちょっと!」
背後で何か言っていただろうが、俺は気にせず俯きがちにダッシュして去る。
「おーーーい!! かんたーーーーーっ!!」
ハクチョウ台から去る時、最後に俺を呼ぶ声が聞こえたが、立ち止まることをせず家まで走って帰ったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます