抗虐の

葦 英人

第1話 始まりは

 人は誰でも生きている限り他人を傷つけてしまう。それは仕方のないことだと思う。誰だって趣味の違いはあるし、そのことでつまらないながらも小さないさかいを起こしたりしてしまうだろうし、趣味というよりも方針の違いで争いを起こすこともある。性格の違いのせいで、「生理的に無理」レベルのすれ違いだってざらにある。そういう傷つけ方は誰かを意図して傷つけようとしているわけではないから、たちがいいと言えばいいのか、あるいは傷つけようとしていないからこそ分かり辛く、たちが悪いと言えばいいのか。どちらにせよ、その類の傷は、実際のところ大して痛くはないんだろうと思う。当人たちにとって重大なことは間違いないけど、それでも時が経てばそのすれ違いには悪意がなかったことが分かって、酒の肴になるような、そんな笑い話で済む。

 でも、最近世間を賑(にぎ)わしている「いじめ」は少し彼らとは属性が違うんだと思う。剥き出しの悪意、躊躇(ちゅうちょ)なく押し付けられる理不尽、いつ終わるか分からない恐怖。この世の中の悪を詰め込んだパンドラの箱のような迷惑な代物(しろもの)。悪と言えばヤクザなどもそれに該当するのかもしれないけど、子供が作り出す悪は当人があまり「悪」の意識がないという点で大人にはない独特の不条理さがあるのかもしれない。

 だから、大人はこのいじめに子供以上に立ち向かわなければならないんだと思う。だけど、悲しいことに私はまだこのいじめに立ち向かうための術(すべ)を身に着けていない気がした。もちろん個人的に最大限できる範囲で、極めて消極的な対応を行っていたけど、これが正しい対応だったのか正直自分には分からない。

 でも、そうやって私がいじめに対して消極的に立ち回っている間にも、他の人たちは各々の方法でいじめに立ち向かってくれていた。

 そうやって多くの人が苦心し、いじめに立ち向かう中、時が経つにつれそのいじめの裏に隠された思わぬ意図が浮かび上がってきた。

 これは私や、その周りの教員たちが経験した、中学校でのいじめ事件の顛末(てんまつ)を書き残した記録である。



*            *



 犬飼信司はどんな気持ちで学校に赴(おもむ)いていたんだろうか。犬飼が教室に入るとそれだけで何者とも言い難い静寂に教室が包まれる。地獄からすべての阿鼻叫喚を取り除き、残った不気味な無音が彼と共に部屋に入ってきたように。そして波を打ったように広がる囁き声。何を言っているかは聞こえない。犬飼は聞きたくもなかったろう。あるいは、聴く必要もないと感じていたかもしれない。悪意はいつだって、耳に届かないところからやってくる。いつも自分が知らないところで自分の知らない、根も葉もない噂が広がり、自分が気付かないうちに渦中の人になり、渦中でからかわれる訳でもなく、ただ渦中の人でなくなったとき自分の評価はさらに一段と下がっている。それだけだ。そしてそういう悪意が今もその囁き声に滲(にじ)み出ていた。

 ひそひそとした声が川の流れに押し流されるように消え去ると、今日はいつも通りの教室の喧騒(けんそう)が湧きあがった。犬飼の入室前よりは静かだが、それでもいつも通りの朝という雰囲気だった。そして犬飼にとっていつも通りの朝の始まりは自身の椅子の様子を確認し、丁寧に、いや、熱心にというべきか、白い跡が露骨に残る程度に糊(のり)を塗りたくられた椅子の上を水のついた雑巾で拭くことから始まる。最近では気を利かせてくれたのか、机の上に昨日の掃除に使った後そのままとっておいたと思われる黒々とした雑巾を置いてくれていることも多い。その雑巾が放つ異臭は控えめに言っても尋常なものではなく、犬飼の周りの席の生徒たちはホームルームが始まるまではせめてその異臭から逃れようと、違う人の席で話し込みながら時折犬飼の様子に目をやっていた。

 初めてこの手法を取っていじめられたのは十日ほど前だっただろうか。犬飼に明確に攻撃的ないじめを仕掛けている集団がそのクラスには一つあった。小杉若則(わかのり)を中心としたグループで、その日は珍しく教室への入室時から犬飼に何かちょっかいを掛けるようなことをしてこなかった。犬飼が寒々しい空気の中ほっと一息ついた後、席に何という気もなく着くと、腰の辺りに違和感を感じて立ち上がった。それと同時に椅子もお尻に釣られて持ち上がり、背中には不自然な力が加わるわ、後ろの席には椅子ががつんと当たってしまい、その机で何やら文字を書いていたらしい生徒に甚大な迷惑は掛けるわでは犬飼は酷い罪悪感と疲労感に囚(とら)われた。なんともしがたい椅子の様子を考えて、犬飼はとりあえず後ろの生徒に謝罪の言葉を述べながら、椅子と共に座り直してどうすべきかを考えた。そこへ小杉とその取り巻きたちがやってくる。そして思いつく限りの罵詈(ばり)雑言(ぞうごん)や、如何に犬飼が頓馬であるかを雄弁に声高に周りに語って聞かせ、周囲の人間も高尚な理念を静聴しているかのように耳を傾け、そして静かにくすくすとした笑い声をあげていた。今思い出すだけでも犬飼は舌を噛みたくなるような屈辱感を感じるような代物だった。

 そんな初めての思い出が苦々しくも鮮明に思い出され、犬飼は顔を歪めながら雑巾を手に取り、雑巾を洗うために背を丸めながら廊下に向かって教室を去っていった。後ろからくすくすという薄気味悪い笑い声が犬飼の耳に届くが、彼はそれを一向に気にしない。彼は猫背ではなかったのだが、いじめが始まって以来は背を丸めてあることが多くなったせいか、以前より猫背に近づいているように思われた。

 廊下を歩いている際も犬飼が持っている雑巾を見てなのか、それとも彼自身を見てなのか、ごみを見るような視線を投げかけてくる生徒たちや、あるいは雑巾を持っている彼などそこに存在していないかのように無視を決め込んでくる生徒もいた。それでも教室の中とは違い露骨に攻撃を仕掛けてくる人物はおらず、少なからぬ憐憫(れんびん)を含んだ瞳で見てくる生徒も中にはいた。もっともその瞳を持って犬飼を見つめていたところで、彼らは慈愛を持って犬飼を助けてくれたりはしないのだが。ただ可哀そうだと感じるだけで、何もしてくれないのはこんなにも辛く、黒い感情が湧き上がってくるものなのか、と犬飼は最近深く感じていた。彼らを不用意に見つめてしまうと、こちらまでヘドロのような感情に心が呑まれて気が滅入ってしまうので、犬飼はそういうような生徒からは極力目を背けるようにしていた。

 犬飼は洗い場に辿り着くとしずしずと雑巾の水洗いを済ませ、何日も食料を与えられず今にも飢餓で死んでしまいそうな奴隷のように弱々しい足取りで教室へと戻って行った。そして、皮肉にも黒々とした気持ちをたっぷりまとった、白い糊(のり)を塗りたくられた椅子を丁寧に、緩慢な動作で拭き始めた。その様子を見た人間の内、一体何人が彼から生気ややる気を感じることができるか分からない。

 いつも通りの過酷な労働に当然ながらやる気など出ず、のろのろと糊を拭き取っていると彼の教室の担任である、年老いて髪の毛だけでなく眉毛も少し白がかっている矢川清(せい)介(すけ)が部屋に入ってきた。

 矢川はちろりと犬飼の方を一瞥したと思ったら何事もなかったかのように朝のホームルームを始めてしまったので、犬飼はホームルーム中を空気椅子で過ごすことになってしまった。

 その様子を何を考えているのか分からない瞳で矢川は見つめ、そしてなんともなしに小杉のグループに目をやった。そしてまた小杉からあっさりと視線を逸らし、教室の後ろにある掃除道具入れの上に置いてある、無駄に出目になっている招き猫を見た。悪趣味ではあるが、矢川が毎年担任になったクラスに置いている物だった。その招き猫はどこか物寂しげに犬飼の席の方を見ているようにも見えた。

そして矢川とはまた別に、犬飼がふるふると足を震わせながら辛うじて耐えているのを泣きそうな目で見つめる生徒が二人ほどいた。



*            *



 生徒たちのホームルームが始まる前の職員室にて。そろそろ朝の伝達事項を教員全員に伝えるための簡素な集会が始まるので、その濃いめの眉毛をひくひくと動かしながら鉄(くろがね)熱人(あつと)はそわそわとし始めていた。細めだが、筋肉質な体に似合わない小さめな唇をわなわなさせながら静かに冷や汗を肌から噴き出させる。太陽の元でのランニングなどの運動を好んでいるせいか、その肌は年中浅黒くなっている。特に今は五月の上旬。これから徐々に熱くなっていくため、彼の肌もどんどんと黒く、そして太陽光に対抗して強靭に厚くなっていくだろうということを予想させるような肌の色をしている彼だった。季節を問わず半袖の開襟シャツをまとう彼は、今日も白地にごく小さな水色の水玉模様のあしらわれた開襟シャツを着ていた。

そんな彼だが、そうやってそわそわしている原因は何を隠そうもうすぐ集会が始まろうというのに空席になったままの隣の席の主についてである。国塚さん相変わらず遅すぎやしませんか? という想いを込めて隣の席と職員室の入り口とを交互に数十回程度見ているのだが、一向に当人は来る気配がない。当人曰く、「伝達事項なんて鉄(くろがね)君が聞いてくれているから大丈夫でしょう! あとで教えて!」とのことだが、絶対重要な話が出てくることなんかないから来る気がないだけだろ! と鉄は考えていた。

 そうこうしていると集会が始まりそうになり、教員たちが職員室の一角の空間にぞろぞろと集まり始める。そこで、「おはようございます!」と威勢のいい掛け声が職員室の入り口から飛んでくる。なんだこんな朝早くから優秀な生徒が課題を提出しに来たのだろうかと思った人間は、残念ながら教員陣の中には一人もいない。やってきた人物にまあいつも通りという呆れの目線を教員陣から投げかけられながら、「寝癖を直し損ねてしまいました……。でもこのアホ毛みたいなものは可愛いかもしれない」と言いつつ国塚海咲はへへんと少し自慢げに鼻を鳴らしながら自身の机に行く。肩まで伸びる髪はよく手入れされているようで、さらさらと風を受けてなびく。この時はたまたまチャームポイントのアホ毛のおまけつきだったが、それも国塚が柔らかい微笑を浮かべるたびにふよふよと楽しそうに漂っていた。瞳は丸みを帯びていながら切れ目な印象を与え、鼻筋がしっかり通った美女、という印象を与える彼女であるにもかかわらず、寝癖を直す際に一部だけ意図的に残したとしか思えないふわっとしたアホ毛が彼女の柔和な笑みと合わさって、見た目の美人さだけでなくそのほんわりとした性格的な雰囲気も伝わってくる。彼女は下の方がレース状になっている白ブラウスと紺のスキニージーンズを着ていた。シャツのレース部分には雪の結晶のようなマークが編み込まれていたので、まるで美女が雪化粧をまとっているかのようにも見える。

 そんな彼女の様子を見て職員室の一角に集まっていた職員たちが口を開く。

「国塚、遅刻寸前まで時間を使っていながら寝癖も直せないというのは女性としてどうなんだ」「国塚先生、アホ毛が素敵です……!」「お前はその暢気すぎるあほあほしい脳内をどうにかしてくれ」

 これである。モンスターペアレントなどの対応に追われ常日頃から疲れに疲れている教員たちを想い、国塚は毎回遅刻してこのホームルーム前のゆったりとした安らぎの時を提供している。という言い分はかつて国塚が四、五回遅刻の言い訳のために使ったフレーズである。後半だけ見れば一流ホテルのような殺し文句だが、いかんせん癒しの提供の仕方がぶっ飛んでいるので全然癒しにならないのが現状であった。ちなみに今日の国塚の言い訳は「いえ、昨晩夜遅くまで生徒たちと遊んでいたので」という事であったが、「生徒と遊んであげるなんて先生の鑑かもしれないが夜遊びである時点で国塚アウト」と指摘され、デデーンという効果音を周囲に漂わせながら国塚は玉砕された。

「さて、週刊国塚の言い訳シリーズはもういいからさっさと来い」

「分かりました、遅れかけてすみません」

「よろしい」

 こうして美女の面倒くさい登場が終わり、朝の教員集会は特に明確な伝達事項もなく、職員室に掲げられた教員のあるべき姿五ヶ条的な物に全員が雑に目を通しお開きとなった。

「国塚先生、相変わらず遅すぎやしませんかね……」

「国塚先生アホ毛が素敵です嗅がせてくれませんかお願いします」

「鉄(くろがね)君、すがりついてくる日向先生をどうにかしてくれない?」

「女性に迂闊に触ったら今時コンプライアンスの都合上セクハラになっちゃうんで国塚先生が自分でやってくださいよ……」

 その言葉を受けて国塚は仕方ないと日向(ひなた)を自身の手で引きはがそうとする。

 日向はねずみ色のカーディガンとガウチョパンツを着ながら吸い付くように国塚に張り付いていた。黒縁の眼鏡をかけており、その眼鏡から覗く円らな瞳は幼子のような純粋さを感じさせるものがあった。胸部はそれはそれはまあまあかなり大きく、国塚の四つ回りぐらい大きいだろうか。と言っても、国塚はとても慎ましやかで物憂げな感じの平面が胸に装備されているだけなので、日向も普通の人よりは大きい、という程度の物だったが。

 日向はおかっぱ頭を精一杯国塚にこすりつけて謎の抵抗を行っていたが、国塚の手が近寄ってくると日向はいつもの感じでその引きはがそうとする手をすんすんと嗅ぎ漁り、かけた眼鏡でぎらりと怪しい光を放ちながら「今日は仄かなブドウの香りがしますね!」と男性がやっても女性がやっても変態扱いされる所業を行った後引き剥がされ、鉄によって補導されながら自身の席に帰っていった。

 自身の席に戻ってきた鉄はすでにほぼ一日中睡眠なしで働き通し、次の日に備えて中途半端に二時間ほど睡眠しかとれなかった後の出勤のようなげっそりした様子であり、国塚も「いつも悪いね、ありがとう」と困った顔をして感謝を伝えた。鉄はそれに対して机に顔を預けながらこくこくと船を漕ぐような不安定さで頷き返した。

「日向先生は相変わらず国塚先生が好きすぎますね……」

「そうだね。好いてくれるのはありがたいんだけど、あの調子だと『国塚先生の髪を梳かせてくださいハァハァ』とかいうベクトルの梳くになりそうな勢いだから怖いね……」

「怖いですね……。戦慄ですね……」

 こうして集会や日向の相手も含めた朝の業務を終えたところで、鉄や日向は自身の担当の教室に向かう。鉄と日向はそうこういってもごく普通に仲はよく、受け持つクラスも隣であるため職員室からタイミングが合えば一緒に歩いていことも多かった。今回は鉄が心底疲れていたので、日向と並ばないよう普段の筋トレの成果を全力で発揮する豪速の走りを見せて教室を出て行った。国塚はクラスの受け持ちがなく、生徒指導教員であるため、次に生徒たちが参加するイベントに必要な備品の購入手続き書類など、一晩で溜まったとは信じたくないような山積みになった事務書類に緩慢に目を通し始める。

 国塚の職員室での席は職員室の入り口のすぐそばであり、その理由は単純明快で、「大体もっとも遅くに来るから入り口の最寄であるのが一番良い」という全職員一致の見解によるものだった。そして隣を通っていく先生たちに今日も一日よろしくお願いしますやらおはようございますやらという声を掛けながら教員陣を見守っていく。そして相変わらずのろのろとした動作で最後に部屋を出ようとしている教員に呆れながら国塚は目をやった。矢川という教員が彼女の言うそれであり、その顔にはいつも柔らかい笑みが湛えられていた。矢川の髪は右側に分け目のある七三分けで髪はまとめられているが、中央に撫でつけられた髪はすでにその薄さが目立ち、四割ほどは肌が見えている状態だった。常にぱりっとしたシャツとスラックスを着ているせいか、年の割にはやる気に溢(あふ)れている教師に見える。横に長い瞳をしているが、その細さはまるでひじきのようでもある。初老の男性でありながら案外背筋はぴんとしていて、何となく滲み出る生命力みたいなものに国塚は苦々しい物を感じていた。元から年が離れているせいか交流の機会はあまりあるとは言えず、国塚が最初は気にしていなかった人物なのだが、新学級となり、山火事の様に突発的に発生した彼のクラスでの犬飼へのいじめに対し、何か対処と言える行為を行っている様子が一切見えないので苦手になってしまった相手だ。決して冷酷な人間ではないことは普段の態度や所作からよく分かるのだが、どうしても国塚はその他人事のような振る舞いがいただけなかった。

 矢川は国塚の隣を通るとき、毎回積極的に「国塚先生、おはようございます」と首を深々と下げて通り過ぎていく。なので国塚も「おはようございます、矢川先生」と苦笑いなのか作り笑いなのか分からない笑顔を浮かべて返すというやり取りをいつもしていた。

 そして今日もその挨拶を済ませ、矢川は自身のクラスへと向かっていった。国塚自身も気づいていないが、クラスへ向かう前の矢川が職員室で見せる瞳は、ひじき二本分ほど余分に見開かれていた。



*            *



 市立蔵添(くらぞえ)中学校。どこにでもあるようなごく普通の中学校であり、他の中学校と比べて突出してどこか凄いというところもない中学校である。部活動も県大会に出ることがある部活がある程度で、県大会に出場できた年も一回戦で消えて行ってしまうような部活ばかりだった。市立であることもあり、特別優秀な進学成績がある訳でもなく、近くの公立高校に普通に進学できる程度の教育を施しているだけの場所だった。

 そんな中学校の新年度。新たな学級生活の始まりに胸躍らせる生徒も多かったことだろう。実際に蔵添中学校で新学年を迎えて、新しいクラスで楽しく談笑できる相手を見つけることができた学生は多いに違いない。廊下を歩いていても明るい笑い声や気が置けない友達の間で交わされる軽口などが聞こえてくる辺り、新生活に慣れている学生たちはごく普通にいた。

 そんな撫でるような春風が多くの生徒たちを包み込んでいた中、矢川が担任になったクラスで事件は起こった。と言っても、最初は些細な物だった。からかいの一種みたいなものだろう、小杉のような少し騒がしめのグループに所属している人間が静かめだったグループに所属していた犬飼にデコピンをした。まあその程度の事でしかなかったのだ。そのデコピンを犬飼が面白おかしく痛がる様子がクラスの笑いを誘い、犬飼は割とクラスでも人気の人物になった。それが小杉の目に留まったのかもしれない。そこから小杉はいたずら程度で、笑い話で済ませられるような行為を仕掛けていった。消しゴムやシャーペンを知らぬ間に取ってみたりしたのだ。そうすると犬飼はシャーペンをなくしただけで大げさに悲しんで見せ、周りの人を笑わせたりした。

 そこからだ。小杉が本格的に犬飼を攻撃し始めたのは。小杉は小柄であったが、小杉のグループは彼を除いて身長が高かったり肩幅が広かったりとがたいがいいやつが多く、また若干「ワル」という物に興味を抱いている人間も多かったせいか、小杉の悪意が彼ら全体に伝播するのにそう時間はかからなかった。

 それ以降の事の顛末(てんまつ)は語る必要もなく、今現在のような状況に至っていた。いつの間にか犬飼の周りにいた友達も距離を取っていくようになり、その中には犬飼が特に親友として慕っていた柊玄という生徒もいた。前までは学校では常に一緒にいて、二年生で同じクラスに進級することになった時も、ネタとして女々しいくらい互いに喜び合い、周囲から気持ち悪いとからかわれるように仕向けるくらいに仲が良かったにもかかわらず、最近は犬飼と目を合わせるようなこともしなくなってしまったのだ。廊下ですれ違ったりしそうになると、柊の方がバツの悪さを感じているのか引き返し、無理やりにでも挨拶を交わす必要がない状況を作り出していた。この親友の裏切りもやはり犬飼を傷つけるには十分すぎるいじめの余波だった。

 ごく普通の中学校に起きた異常事態。流星群の様に降り注ぐ数多の攻撃が犬飼を襲う。それが今の犬飼が置かれた状況だった。

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