第1話《出会った日》

 ここはテトラス大陸の南部に位置するシュヴァリア王国。戦が絶えない世の中でも、この国は【平和の大国】として有名で、毎日笑顔の絶えない国である。


 セトはシュヴァリア王国の中心街でいつも通りずらりと並ぶ屋台の料理を食べ歩いていた。深緑の革服、黒の少し汚れたズボンを履き、茶色の地味なマントを羽織っている。中心街の様子を見ながら食べ歩きするのはセトの日課の1つであった。


「セト皇子! どうぞこちらも召し上がってください!」


「セト皇子! この間は内の息子が大変お世話になりました!」


 セトは街の人々から多くの信頼と好感を得ていた。権力を見せつけることなく、国民に優しくただ1人の人間として接することから信頼と好感を得たのだ。


「パン屋のおっちゃーん! 今度特大メロンパン作ってくれよ!」


「任せときな皇子! びっくりするくらいの特大メロンパン作ってやるよ!」


 シュヴァリア王国で人気のパン屋の中年男は両腕の力こぶを見せニカッと笑う。そうして街を歩き続けていると、先の方で人集りを見つけた。


 何か見世物でもやっているのかと思い、足早にそこへ向かったが違った。そこでは1人の少女が街の人々に取り押さえられていた。


「な、何だこれは!? 何でその子を取り押さえているんだ!?」


 人集りの後方で様子を見ていた青年に尋ねる。


「あ、セト皇子! ……聞いてくださいよ。最近この中心街で食い逃げやら万引きやらが起きててねぇ、それがこの娘だったってわけですよ」


「ちょっと通して! ……通してくれ!」


 人集りを掻き分け、その中心へと辿り着く。


 紅色の髪を後ろに束ね、桃色の綺麗な瞳をした少女。取り押さえられた衝撃で地面に顔を擦ったのか、頬に擦り傷が付いている。着ている布地の服もボロボロだった。少女はセトに気付き、鋭い目で睨み付けた。


「止めろ! こんな少女に何て乱暴をするんだ!?」


「し、しかしセト皇子!この小娘はーー」


「とにかく離れろ!」


 少女から男を引き離す。普段温厚なセトが怒鳴ったことで、男は少々驚いた様子だ。


「……いくらだ?」


「……は?」


「この子が食べた物はいくらだと聞いている。……この子には俺の口から言って聞かせる。申し訳ないが、それで勘弁してやってくれ」


「いえ、セト皇子がそこまで仰るなら……」


 男は直ぐ様その場から離れ、自分の店へと戻って行った。それを見た傍観者達も次々と立ち去って行く。


「君、名前は?」


「……」


 セトが跼(かが)み名前を尋ねるが、少女は口を閉ざしたまま開こうとしない。


「とにかく、その頬の傷の手当てをしよう。……あ、今は手当てする物を何も持っていないから宮殿まで一緒に来てくれるかな?」


「……良い。要らぬ気遣いは無用じゃ」


 頑なに少女はセトとの接触を拒む。それを見かねたセトは少女の手を握り、無理矢理宮殿へと歩き出した。


「お、おい!何をする! 要らぬと言っておろう!」


「ダメだ! その綺麗な顔に傷なんか残したら勿体無いよ! さあ、行くよ!」


「お、おい!」


 セトは少女を引き連れ、宮殿へと走って行った。


◇◇◇


「痛っ!」


「ご、ごめん!でももうちょっとだから我慢しててね」


 宮殿に着いたセトは少女を自室に招き入れ、薬師の作った消毒液を綿に染み込ませ、少女の頬の傷へ塗った。


「……さ、これでもう大丈夫! 綺麗な顔は無事だよ!」


「……」


 相変わらず少女は口を開こうとしない、そう思っていた矢先、

「……フィリア」

 と少女がそう言った。


「え?」


「妾の名じゃ。フィリアという」


 少女、フィリアが口を開いてくれたことがセトには嬉しかった。


「フィリア……良い名前だね」


「うっ……」


 フィリアは名前を褒められたことでドギマギしている。彼女にはそのように言われた経験などなかったからである。


「僕はセト・シュヴァリア。ここシュヴァリア王国の第三皇子なんだ。君は……出身はシュヴァリアなの?」


「……分からぬ。何処で生まれ、何処にいるべきなのか」


「そ、そっか……」


 フィリアには複雑な事情があると察し、セトは追求を止めた。


 すると、フィリアがセトをジッと見つめていることに気付いた。


「ど、どうしたの?」


「……お主は笑わないのか?」


「何を?」


「妾の……妾の話し方じゃ!」


 すると、セトはキョトンとした表情を浮かべた。フィリアは他人と会話すると、必ず話し方が変だと笑われて来たのだ。


 (この男にも口を開けば笑われるのだろう)


 そう思っていた。


 しかし、

「なーんだ!だから口を開いてくれなかったんだね! ……そんなことで笑うもんか!話し方なんて人それぞれじゃないか! ……安心して。僕は君がどんな話し方をしていても、決して笑いなんかしない」


 セトが真剣な目でそう訴えると、フィリアは安心した様子でセトの前で初めて笑顔を見せた。


「あははははっ! お主は変わった奴じゃのぉ! こんなに面白い奴に出会ったのは初めてじゃ!」


「そ、そうかな〜?」


 褒められているのか、馬鹿にされているのかは分からなかったが、一先ずフィリアが笑ってくれたことにセトは安心した。


「とりあえず、その服じゃ可哀想だなぁ。……ミネルヴァ!」


「はい。セト様、お洋服ならば既にご用意致しました」


「さすがミネルヴァはやることが早くて助かるよ。 ありがとう」


 セト専属のメイドのミネルヴァは部屋に入るなり、何着もの少女服を運んで来た。フィリアは目を丸くしている。セトは服を物色し始める。


「お主、一体何をしているのじゃ? まさか、お主は普段こんな服も着ていると言うのか!?」


 フィリアが真剣にそう言うと、セトは転げてしまった。


「ち、違うよ! 僕はそんな趣味なんてして無い! ……これは君が着る服だよ」


「えっ? 妾の服?」


「うーん、これは派手すぎだしな〜。これは地味すぎる……。うーん」


 悩んだ末、セトは薄桃色のワンピースを選び抜いた。フィリアはセトからそのワンピースを渡される。


「僕は部屋の外に出ているから、フィリアはそのワンピースを着てみなよ!」


 そう言って部屋から出て行こうとするセト。


「し、しかし妾は……」


「良いから良いから! とにかく着替え終わったら呼んでね!」


 呼び止めようとしたフィリアだったが、セトはそそくさとミネルヴァと共に部屋から出て行った。


「……」


 迷いがあったが、フィリアは渡された薄桃色のワンピースを着てみることにした。


「……大丈夫じゃ……」


「うん。それじゃあ入るよ。……おおっ! なかなか似合ってるじゃないか! なあミネルヴァ?」


「はい。セト様がお選びになった割には良くお似合いかと」


 ミネルヴァはセトの地味な服装を眺め、そう冗談を言った。フィリアの髪や瞳の色と上手く噛み合っている。その様子はまるで、熟した桃の様に華やかである。


「ミネルヴァは厳しいな……。フィリア、さっき着ていた服を貸してくれない?」


「な、何!? お主まさか……妾の着ていた服を夜な夜な嗅ぐのではないだろうな!?」


 セトは再び転げてしまった。


「誰がそんなことするもんか! 君の服が汚れてしまっていたから、ミネルヴァに洗濯を頼むだけだ! 頼むよミネルヴァ」


「畏まりました」


 ミネルヴァは持って来た他の服とフィリアの着ていた服を持ち、セトに一礼をして部屋から出て行った。


「これは?」


「ん? その服は君にあげるよ。いつまでもボロボロの服じゃあ可哀想だからね」


 セトの厚意にフィリアは茫然とする他なかった……


◇◇◇


「フィリアー! こっちこっちー!」


 セトはフィリアが着替えを済ませた後、あることを思い付き、フィリアを連れ宮殿の西にある裏街へと足を運んだ。


「お、おい皇子殿。ここは何やら危ない雰囲気が漂ってはおらぬか? 先程から異様な邪気が溢れておる」


「大丈夫大丈夫!シュヴァリア人に悪い人はいないって! もうすぐ着くから頑張ろう!」


 裏街と呼ばれるシュヴァリア王国14区デトロは、立ち並ぶ棟の高い建物が多く、昼間でさえも日当たりが少ない。ギャンブルが盛んな街であり、噂では闇市も存在する様だ。


 しかし国民を愛するセトは御構い無しにフィリアの手を握り、その間を縫って走る。何事も無く2人が着いたのは、シュヴァリア王国の西南にある海岸だった。


「……ほら、着いたよフィリア! ここが僕の1番のお気に入りの場所なんだ!」


「うわぁ……とても綺麗じゃ……」


 海辺の向こうには、夕焼けで紅く染まる夕陽があった。海は波打つ度にキラキラと光っている。夕陽を見つめながら、セトはフィリアに尋ねる。


「フィリア、君は何処で生まれたか分からない、自分は何処にいるべきなのかって言ったよね?」


「……ああ」


「なら僕が住む宮殿でしばらく過ごしたら良い! 君さえ良ければだけど。……シュヴァリアにいる人々には、皆が笑顔であって欲しいんだ。もちろん君もね」


「……」


 考え込むフィリアを見て、セトは少し心配になった。


 (突然こんなことを言われて、気を悪くしちゃったかな……?)


 しかしフィリアはセトの気持ちとは裏腹に、ただただ嬉しかった。今まで誰からも愛されなかった自分に、セトは僕の家で住めと言う。


「……のか?」


「え? 今何て……?」


「……お主は迷惑じゃないのかと聞いておる! こんな見知らぬ小娘を自室に招き入れ、況してや住めだと言う奴がおるものか!?」


 正直に自分の言葉を吐けなかったことにフィリアは後悔した。今まで強がってしまうことで、常に見放されて来たからだ。


 (どうして……どうして妾はこんなことを? また見放されて……)


「迷惑なんかじゃない。僕は単純に君に笑顔でいて欲しいんだ」


「セ、セト……」


 しかし、フィリアがセトの名前を呼ぶ直前、何処からかセトの足元の砂浜にに一本の矢が突き刺さった。


「な……一体何処から!? 誰なんだ!?」


「外したか……野郎共! シュヴァリア王国の皇子を殺せー!!」


『おう!!』


 あっという間にセト達は、布地のマントを羽織った山賊達に囲まれてしまった。見渡す限り、数は8人。顔付きから見て、恐らくシュヴァリア人では無い。


 セトは腰に差しておいた剣を抜きフィリアを背方に回し、山賊達と対峙する。


「何だお前達は!?」


「へへへっ、お前の首を獲ってくれば、俺達の罪を全て見逃すとあのお方に言われてな」


「あのお方……?」


「……お前には何の恨みも無えが、ここで死んでもらうぜ!」


 セトを目掛けて襲い掛かる山賊達。セトは生まれて初めて死を覚悟した。その時、背方にいるフィリアが小声でこう言った。


「ありがとうセト。妾は嬉しかったぞ。しかし、お主の家で住むのはどうやら無理な様じゃ……」


 その言葉を聞きセトが振り返ると、フィリアは目を閉じた。そして、力を込める様に目を見開く。フィリアの瞳の真ん中に、黄色の鋭く細い亀裂が見えた。


『死ねー!!』


 山賊達がセトに襲い掛かる。目を閉じ顔を逸らし、無駄だと分かっているが両手で顔を守る。その瞬間、セトは背中に何か大きな衝撃を受け、弾き飛ばされた。すぐに起き上がり辺りを見渡すと、山賊達も弾き飛ばされている。

 

セトがいた場所に、聳え立つ巨大な黒い影。その瞬間夕陽が沈むとその正体が分かった。


 山賊達、そしてセトが目にしたものは……緋色の鱗と翼、頭部に2本の角、白く鋭い牙の身体をした……龍だった……

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