午前三時を過ぎて、おれは今見知らぬ少女と二人家にいる。一人暮らしのアパートだ。少女の目の前には、インスタント焼きそばとコンビニで買ったケーキが並べられている。

 家に来る前に、彼女の腹を満たすためコンビニに寄った。「好きなもん買っていいぞ」と言いはしたが、まさかケーキにまで手を出すとは思っていなかった。大人しそうに見えるが、先ほどのやり取りといい、かなり気の強い少女だと思った。

 道中、名前を聞いた。塚原心結つかはらしゆうという。それ以外の質問にはいっさい答えてくれなかった。

 よっぽど腹が減っていたのだろう。一気にケーキまで食べ終えてしまった。

 おれは風呂場を見に行き、少女が入れる様に支度をした。

「よし、風呂入っていいぞぉー」

 返事がない。

「おーい、風呂・・・」

 机に突っ伏して寝ていた。風呂の支度をしている瞬間に。

 長い髪の毛で顔はほとんど見えないが、かろうじて見える口は開いて寝てた。相当疲れていたのであろう。

 殺人事件の容疑者なのだから、今の内にパトカーに来てもらうか。せめて上司に報告を・・・と、思ったが、少女の真剣な訴えと安心し切って寝ている顔を見ると、とても警察に連れていこうとは思えなかった。

 警察官として、甘いしふさわしくない判断だとは、重々承知しつつも、一人の人間としてせめて事情だけでも聞いてあげたいと思った。

「ってかもしこの子が犯人だったら、おれ殺されるのかな・・・」

 言いながらもバカらしくなって、考えるのを止めた。

 少女に布団をかけ、自分はソファで横になった。


 ――朝、おれは飛び起きた。しまった、寝てしまった。

 少女の姿は・・・ない。逃げられた!

 ソファから飛び降りた。

 すると、背後から声がした。

「あら、おはよう」

 ベランダに少女はいた。外を眺めていたようだ。

 中に入ってきて、悪戯に笑う。

「私が逃げたと思った?」

「あぁ・・・昨日あれだけ逃げたがってたからな・・・」

「なら寝ないで見張ってりゃ良かったのに」

 なんて生意気な小娘だ。

「逃げようと思ったけど・・・」

 少女は外を見て、言葉を続けた。

「あなたが話聞いてくれるって言ったし、ご飯もケーキもご馳走になったし、あ、もうシャワーも借りたわよ。というわけで、さすがに黙って逃げるのは気が引けたのよ」

 なるほど。道理である。その道理を守る彼女が、七人もの人を殺すようには、やはり見えない。ひとまずおれの判断は正しかったというところか。

「逃げていいなら、逃げるけど、いいかしら?」

「君が人を殺すような人間じゃないというのは、なんとなくわかったよ。でもだったら逃げる必要はないよ。君の知ってることをすべて話して、犯人を捕まえるのが一番良いと思うけど」

 彼女はまた外を見て、少し言葉を探すかのように黙った。

「そうね、何から話せばいいかしら。まず結論から言えば、警察に行けば私は間違いなく捕まるわ」

 おれが予想していたことと、違う答えだ。

「どういうこと?」

「人は殺していない。母もよ。でも中学生四人をケガさせたのは、私なの」

「君が?悪いけど、女の子の君に男子中学生四人をケガさせられるようには見えないよ。たとえ刃物を持ったとしても」

「ここからの話は、あなたはたぶん信じられない。信じることなどできないわ。それでも聞く?言っとくけど、幽霊みたいな非現実的なものより恐いわよ」

 少女がニヤリと笑う。

 昨日、少女の姿を幽霊と見間違えてコケたことを覚えている。

「あ、あれはたまたまバランスを崩して・・・!」

「嘘ね。ヘタレ警察」

 うなだれた。小五にバカにされるとは我ながら情けない。

「とまぁ、冗談はこの辺りにして、この後の話を信じるか信じないかはあなた次第なの。全部話して、仮にあなたが信じることができたとしたら、きっと私のことを恐れて手放したくなるわ」

 彼女の表情からさっきまでの笑いは消えていた。

 この子は嘘はつかない。おれはにわかに緊張に包まれた。


 この数日に彼女の身に起こったこと、すべてを聞いた。

 正直に言って、信じることなどできない。

 喋るオオカミがいてそいつは人型になり、少女も同じく獣になれるという。そして、人間ではない何かが彼女達を襲い、彼女の目の前で母親とオオカミが殺されたと。

 どこの映画のストーリーだ?と思ったし、まともな感覚なら信じる信じないの話どころではない。あり得ない話だ。

 だがその様子を話す彼女の目からは涙が流れ、その表情や話し方からも嘘をついているようには思えない。

 女は嘘が上手いというが、これは演技なのだろうか。

「たしかに君の言う通りだとすると、中学生四人相手にケガを負わせてしまったという話も辻褄が合うけど・・・」

「信じられないでしょうね」

 彼女はおれの反応を予想していたように、さらりと言った。

「でもさっきも言った通り、私は人間じゃない何かに狙われてる。このまま私といれば、あなたも殺されるわよ」

 はっきりとおれの目を見て言い切る。これだ。彼女が人の死を口にする時、それは冗談に聞こえず予言に聞こえる。嫌な予感が全身を包むのだ。

「でも、じゃあ君はどうするんだ?その獣になって一人で戦うのか?」

「そのつもりよ」

「やっぱり警察に行こう。中学生の件は罪に問われるけど、君の話を聞く限りそれは過剰防衛だ。君の相手が人間でなかったとしても、警察なら武器もあるし君を守れる」

「あなた自身が警察だからそう言えるの?それとも願望かしら?私は人の言葉を話すオオカミとずっと一緒にいたからわかるけど、人は未知の物に対して攻撃的になるわ。獣になれる私は守られるどころか殺されるような気しかしてない」

 全くもって彼女の言う通りだった。おそらく日野の警察は、中学生の供述で彼女が獣になったという証言は得ているはずだ。もちろんそれは完璧に信じられたものでないだろうが、その後の連続殺人犯の容疑者として挙げられていることが、中学生の証言を信憑性の高い物と認めている証拠だろう。

 おれ個人では、この子の言うことはすべてとまでは言えないまでも信じようと思える。少なくとも人を殺すような子ではない。だが警察上層部がどう判断するかは、階級の低いのおれでは予想できないし、彼女の身の安全も保証できない。

「それに・・・」

 彼女の手が少し震えている。

「警察でもあいつらには勝てない。特にあの男には・・・」

 よっぽど恐ろしい奴らなんだろう。強気な彼女はどこかへ行ってしまった。

 彼女の発言の端々から、おれはその信じられないことが現実なのではないかと、思うようになっていた。

 警察に渡すのは、警察としてもこの子自身のこととしても危険そうだ。やはりこの子の言う通り逃がすしかないのか。

 おれの表情を探るように見た彼女は、笑顔で言った。

「と、いうことなの。だから私は警察に捕まるわけにもいかないし、ここにいることもできないわ。少し長居し過ぎちゃった。あいつらに見つかったら大変。だから、私行くね!」

 見た目はめちゃくちゃ暗いのに、飛び切り明るい声で言い放つ彼女におれは声が出ない。

 立ち上がって、玄関に向かいかけて彼女は止まった。

「あ!話聞いてくれてありがと!あなたヘタレだけど、いい人ね!」

「ちょっと待て!」

 いきなり大声を上げたので、彼女は怒られると思ったらしい。

「な、なに?」

 どうしていいかわからないが、このままではいけない気がした。

「もう一日泊まってけ!」

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