SF小品集
阪本 菊花
タイム・マシーン
彼はいつも機嫌のよい男だった。なにを見ても、まずよいところを探すことから始めるような男だった。彼がそうして誉めそやすのは、もちろん面白さとか、機能性とか、そういうこともままあったけれど、心底という顔なのは、大抵が趣深さだった。そういうわけで、彼は最初、私の作ったあれへの感想を、ただひとり提出しそこねた学生として、私の目を引いたのだった。
タイム・マシーンがやってきたことを、彼はSF文庫の終焉だと言った。そう、タイム・マシーンだ。そう呼ぶのも彼ひとりだった。普通はタイムマシンと呼ぶところを、彼はかたくなに、私の説明を聞いてもなお、その発音を守りつづけていた。そこで、このタイム・マシーンの、どこが気に入らないのかと彼に問うたとき、彼はばつの悪そうにこう答えたものだ。「僕の気に入るところです、先生」
彼は物理学専攻の学生だった。まあ、その手の学生にはたまにいる、千年前のヨーロッパに生まれていれば、とこちらに考えさせるような男だった。「タイム・マシーンは、僕が作りたかった」彼は私が彼の大学にいた一ヶ月間、うわごとを繰り返していた。「私もだよ」
タイム・マシーンという発明を、本当のところ、人類がいつ手にしたのかは、タイム・マシーン自身のせいで、もう誰にもわからなくなっている。たとえその時代にまだそれがなくとも、タイム・マシーンのほうからやってきてしまうからだ。私が乗ってきたのは、確かに私の作ったものだが、あくまでそれも、やってきたタイム・マシーンを分析して、ようやく作れたものである。過去から学ぶことを良しとしてきた自分には、未来へは教えるものだと思われた。未来に教わる不快感の、腹のほうでぐるぐるとまわる心地は、生涯私や彼から消えはしないのだろう。
「だが先生、先生のタイム・マシーンはいい。美しいですから」彼は機嫌よくこう言うのを忘れなかった。
彼は結局、彼にとっての未来のことをたいそう機嫌よく聞いていた。そしてまた機嫌よく、私の時代への留学を受け入れたのだった。
私のほうが過去へ……少なくとも、まだ私の他にはタイム・マシーンのやってきていなかった時代へ行って感じたことには、技術やなにかが進歩したところで、人間がどうこうなるわけではなく、生活様式もさほどの変化はない。もちろん、新たな技術や機械に置き換わっているところはあるけれど、少なくとも、生きるためにやらなくてはならないことは、実際なにも変化していないのだ。
彼もそのことは感じたようだった。「先生、未来というのは、言うほど未来ではないですね」一ヶ月ちょうどで、彼は正式に、この時間を現在と呼ぶようになった。
彼はなおも機嫌のよい男だった。与えられたものはすべて誉めたし、それを見て、学友たちはさらにさまざまなものを彼に与えては、その反応を楽しみにしていた。教授たちはこぞって自分の知識を与えようとした。彼はこの時代の何もこばまず、機嫌よく学んでいった。
「先生」だからこそ、冬に現れた、悲壮な顔でタイム・マシーンを撫でる彼の機嫌のわるさは、肌まで突き刺すものに感じられた。「先生、僕は、現在は素晴らしいと思ってきたつもりだ。だが、先生、違った、違ったんだ。やはりあれこそが現在だった。僕は、こんな時代には、もう冬を越せる気がしない」小さく丸まった背中を、私はそっと叩いた。「どうしたんだい、急に。これからじゃないか。冬をまだまだ何度も越さないと、君は本当の意味でここには来れないんだから」「もう、それでもいいです。とにかく僕は帰りたい」「いったい、どうしたんだ」彼は投げやりに言った。「どうせわからないでしょうけど、」「いいよ、とにかく聞かせてくれ」
「炬燵です」
「……は?」
「ほら、やっぱりわからないんじゃないか」
「いやいや、まあとにかく、一度、きちんと論理を立てて、話してみなさい」
しかし、炬燵、とはなんだろうか。
「……僕は炬燵と冬を共にするのを、心から楽しみにしているんです、いつも」
人の名前?もしかして、と私は思った。いないとは言っていたはずだが、恋人なのだろうか。それにしては、奇妙な名だが。
「それで、学友たちに聞いたんです。この時代、暖房もずいぶん発展していると思われるけれど、君たち、炬燵は使っているかと」
「……ああ、暖房器具なのか」
「冬にって言ったでしょう。……それで、そしたら、なんだそれは、と。そしたら、そのうちのひとりが言ったんですよ。『教科書で見たおぼえがある』」
彼は深く息を吐いた。
「僕は諦めませんでしたよ。僕の時代にもあった電化製品メーカーなら、もしかしたら、と思って、その場で電話をかけました。まあ、もしかしませんでしたよ。とにかくね、先生、僕は、炬燵がなければ冬は越せません。だから、帰ります」
強い意志を持って、彼は演説を括った。
だが私のほうもまた、彼を引き留める意志が燃えていた。
「ほう、それで、君は諦めるんだね」
「研究なら、向こうでも」
「そこじゃない、こたつ…だったかな」
「炬燵です」
「とにかくそれだ。たとえ戻ったところで、君はいいだろうさ、それと冬を越せるんだからな。だがこの時代の、君の学友たちは、私はどうなる?それを知らないまま、かわいそうに、君にとっての一番の幸福なしに冬を過ごすのを、君は静観するのか?」
私は言った。
「こちらで作ってしまうというのはどうだね」
彼があれほど機嫌のよい顔をしたのは、私の言葉を聞いた、その一度きりだったかもしれない。
彼はそれから、ずいぶんと根気強く、炬燵づくりに励んだ。これまでと違い、自分のいた時代を誉めそやす彼の姿に、学友たちは次第に離れていった。教授たちは腫れ物扱いだった。だが彼は、いつも機嫌よく、自分の研究をしていた。
彼の言う炬燵がどんなものなのか、まだ私には、はっきりとはわからない。もちろん、タイム・マシーンで、確認しに行くことも考えたが、それは違うと思った。
私はタイム・マシーンの調整をしながら、その横に、彼の言う炬燵が並ぶのを、いつも空想している。すると、炬燵がなんなのか、私にはまだ分かりかねているというのに、暖かな心地がするのだ。
彼がいつも機嫌のよい男だったわけが、少しわかったような気がした。
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