第8話 防衛戦に備えて

 暗い通路を抜けて城塞の奥に入ると広場があり、さらにもう一枚の城壁が姿を顕した。

 表の巨大な壁が突破された場合、この広場で敵を止めるのだ。敵が侵入するルートは、通用口を通るか、壁を乗り越えるしかない。壁を登り切ったとしても、ただ飛び降りれば高さだけで人間なら容易に死ぬる。

 この城塞に攻め寄せた敵は、はじめの壁を越えたとしても、広間では戦闘が待っている。広場での抵抗がなくなければ、次に二枚目の壁を攻略しなければならない。

 玉ねぎの皮、というほどやさしくはない。表の壁を攻略するだけで、多くの犠牲を産むだろう。その先に同じような壁が立ちふさがっているのを見れば、戦意を失うかもしれない。

 ただし、それはあくまでも兵力差と敵の執念によって決まる。


 広間には騎士たちが集っていた。兵士ではない民衆は、通用口の周辺で荷物の整理をしているか、広間の戦士たちを迂回するように奥の壁に向かっていた。その壁にも、やはり通用口と思われる小さな入口が設置されている。

 騎士たち兵士の中央にいたのは、父王だった。

 母が私を抱いたまま近づくと、兵士たちが輪を解いた。魔物を討伐した一件以来、母は大切な戦力として数えられるようになっている。

 旅の途中で多くの脱落者が出ていた。

 人間の数は4500人に減じ、騎士とそれ以外の兵士を合わせて、戦力は500人ほどらしい。

「ブロウも、よくここまで皆を率いてくれた。この城には1000人ほどしかたどり着けないと、軍師は予想していた。皆、口々にお前に救われたと言っている」

 父王は母を招き、その力を称賛した。

「この子が力を与えてくれたのよ」

 母は私を抱き上げ、父が私に口づけする。最近では恒例の儀式になっていた。

「ああ。母は強いものだ。これから、状況の確認と戦の方針を決める。どうやら、魔物たちは人間をどこまでも追いつめるつもりのようだ。近いうちに戦いになるだろう。この要塞であれば落ちることはないと思うが、これから方針を決める。戦う者は聞いていたほうがいいと思うが、ブロウはどうする?」

『方針は本職の兵士に任せた方がいいでしょう。私は、城の中を見たいです』

 私が口を挟んだのは、母が私に問いかける視線を向けたからだ。

「そうね……任せるわ。私はそれに従う。戦いの状況なら、後で説明してくれるだけの時間ぐらいはあるのでしょう。ギネス王は、私の夫でもあるのだから」

「わかった。では、食事の時にでも」

 父は母の頬に口づけした。

 私の目は、母が背後に背負ったあまりにも巨大な、一枚目の城壁に釘づけになっていた。


 母は私を抱いて、要塞のさらに奥に進もうとしていた。

 先に奥に入った人々もいる。4500人すべての行動を制するのは不可能だ。

 広間に集まっていた兵士も、実際には100人ほどだった。残りの400人は、適当に休んでいるのだろう。

 強行軍だったのだ。目的地に着いてばかりで、油断するなとも言い難い。

 ただ、私は人々の動きとは全く関係なく、一枚目の巨大な城壁を裏側から見て、母に呼びかけた。

『母上、以前召喚術師のお話をしていただきましたが、この中にいるのでしょうか?』

「そんな話したかしら……ああ、そういう術者もいるという話はしたかもしれないわ。でも、生き残った人たちの中に、私以外の魔法使いがいるとは聞いていないわね。魔法使いというのは、魔術師、治療術師、召喚術師すべてを指す総称のことよ」

『そうですか。残念です。召喚術を記した、書物のようなものはないでしょうか』

「本は重いからあまり持ってこなかったけど……そう言えば、軍師ちゃんが知識は力だと言って、持ち出すよう指示していたわね」

『賢い判断だと思います』

「でも、この長旅で捨ててしまったかもしれない。まず、生きることを優先しなければいけなかったから」

 私はとても残念だった。召喚術が使える人間がいれば、あるいはこの城壁は大変な武器となったかもしれないのだ。

「でも、急にどうしたの? 召喚術は、三系統の中では一番人気がない魔法よ。死体や、ゴーレムとか呼ぶ人形を動かすだけで……ああ、さすがはキールね。この戦力が少ない場面では、命を持たない兵士は役に立つでしょうね」

『それだけではありません。母上、城壁の内側をご覧ください』

 私も、産れて半年である。さすがに指でさすぐらいのことはできる。

 母がずっと私を抱いているだけで、一人でもほふく前進ぐらいはできるのだ。後退もできる。

「何かあるの?」

 母は城壁を見上げた。高層ビルのような高さがある。何メートルあるのか、魔法を使えば知る方法もあるかもしれないが、そうまでして高さを知りたいわけではない。私が意図したのは、城壁の内側の意匠である。

『城壁に、人型のきれこみが入っているのに気づきませんか?』

「そういえば、そんな風にも見えるわね」

『あれは、人型のゴーレムではないかと思うのです。召喚術師が居れば、万が一のとき、心強い味方になるのではないでしょうか』

「……そうね。誰か心得がないか、探してみましょう」

『ありがとうございます』

 私は意図が伝わって嬉しかったが、母はそれ以上に真剣だった。生き延びる。その点について、男より女性の方が貪欲であるというのは事実らしい。


 城塞の二枚目の壁の奥は、兵士の待機所になっていた。待機所は広く、現在の戦力500人全員が入れそうだった。外の広場で会議をするより、こちらのほうがいいのではないかと思ったが、父王や軍師も、中の様子をすべては把握していないのだろう。

 わざわざ戻って、恥をかかすこともない。私は母に抱かれたままその場所を素通りした。もっとも、母はすぐには移動しなかった。詰め所として石造りの椅子やテーブルがあり、何人かの兵士はくつろいでいた。その兵士たちに、誰か魔術に関する本を持っていないか聴きながら歩いたのである。

 何人かは本を持っていたが、男の性欲を吐き出すための色本だったりして、母を赤面させた。王妃である母に対して、よく見せられたものだと、私は兵士の豪胆さに感心した。

 兵士詰め所に隣接する形で、武器庫があった。

 話では、何百年と使用されていない要塞である。武器庫に武器があっても、使用できるものはほとんどなかった。戦力が現在のまま増えないのであれば、新しい武器も必要ない。

 武器庫には大量の剣や鉾、盾や鎧があったが、すでに錆びて使用には耐えないだろうと思われた。


 兵士詰め所と武器庫のさらに奥は、生活スペースとなっていた。石窟式の住居空間で、壁に張りつけたアパートのような形をしている。

 中央に共有空間があり、壁に無数の穴が空いているという外見である。

 入ってみないとわからないが、中はかなり広いだろう。

「お城として使われたこともあるみたいだから、奥に行けば玉座とかもあるのかしらね」

『こだわる部分ではないと思います』

「あるにこしたことはないわ」

『そうですね』

 他愛の無い会話だが、母は私に、たいした用件でなくとも話しかけた。私は『知覚魔法―念話』を他の誰に対しても使えるとわかっているが、母にしか話しかけなかった。

 母であれば許容できることも、他の人間は許容できないことが多々あることを知っているからである。特に父はよくない。同性の子供に対して、当たり前にライバル心を持つのが人間で、特に男性はその傾向が強いのだ。

 私が生後0歳で魔法を使え、しかも現在失われた魔法なのだとわかれば、母に対して不貞の疑いを持ちかねない。


 城塞の奥に入り、母は一番立派で、王と王妃に相応しい部屋を自分のものと決めた。

 欲がないとは言わない。

 だが、民衆のことをないがしろにするわけではない。

 母は、聖女と呼ばれ出しているのだ。


 ようやく室内で眠れることになったこの日、いつもより母乳が少しだけ美味しく感じた。

 私もやはり疲れているのだ。ただ、母に抱かれているだけではあるが。

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