Append.2 恋の一時間は、孤独の。

 七月に入ると、この駅はいっそう、湿気と人混みを呼んでくる。


 毎年テレビや新聞で取り上げられるのは、宵山の四条。けれども、京都駅も負けてはいない。BGMに鐘の音を響かせて、提灯を飾り、観光客をその気にさせようとする。あのむっとした、それでいて、伝統的な行事に触れているのだという気分に。


 0番ホームは、比較的空いている。群衆はつぎつぎに地下鉄に乗り換えるためにあちら側に行くからだ。

 がやがやとした雑音の中、僕がそわそわと、朝のまだ涼しいときに響く硬い足音とは違う、いつもと違う足下の、待ち人が近づいてくる。



 一歩ずつ縮まる距離。


 --去年の夏なんか、あの人のことなんか全く視界になかった。



 ねぇねぇ、と手を降る彼女は、振り返ったところの自販機で、アイスカフェオレを買おうか? というジェスチャーをした。いつもと違う袖がゆらりとゆれて、僕はこれまでにかじったことのない気持ちになって、もっと。いやいや、今はいいよ。ニコニコして首をふって応えた。



 一歩ずつ縮まる距離。


 --宵山に行くなんて何年ぶりだろう。


 学生時代に、ただの同級生たちと、わいわい言いながら行って食べて飲んで、帰ってきた京都駅ここの八条口の一階でも、遅くまでだべっていた記憶もある。--まだ近鉄の改札が1階にもあった頃だ。


 彼ら彼女らともたまに飲みに行くけど、もうはめをはずして騒ぐこともなくなった。なにより、もしかしたらこんな酔っぱらった姿を、いまそこにいる彼女、泉水さんに見られたら、嫌われてしまうんじゃないかと、小さな自制心が生まれていたから。……そんな気持ちも、いままで体験したことがなかったように思う。



 一歩ずつ縮まる距離。


 今日はパンプスじゃなく、カラコロと浴衣向けの下駄の足音を鳴らして近づいてくる彼女の、目元も……いつもよりキラキラしているのがわかった。


「お待たせしました。……あ、わかる? ずっと前になんとなく買ってたラメ入りのなんだけど、今日なら派手すぎないかなって」


 ううん、そんなことないよ、と言いたかったのに、僕の手はそっと、ふわりとセットした髪に触れてしまう。


「かわいいですよ、泉水さん」

「またまた、お世辞ですか?」



 そして僕の腕で抱き込める距離。……だけどまだそこまで近づく勇気は無い。いきなり踏み込んで、嫌われたくないから。




 冬の始め、寒くなりかけた頃、そう、いま泉水さんが通りすぎたあの自販機に、ホットのカフェオレを買おうとして、ロイヤルミルクティを買わされた時から。急激に僕の日々がはなやかに色づいた。


 <<「ロイヤルミルクティで!」「――はい?」>>



 誰かの歌に、”恋している一時間は、一人の時の無限に長い時間に匹敵する”、みたいなものがあった気がする。冬の終わり、ようよう暖かくなってきても、ふと、隣に誰もいなくて、ああこれが「寂しさ」なのかな? とわざと薄手のコートのえりを立てたこともあった。


 いま、僕にとって、ものすごくぜいたくな、あざやかな時間が始まっている。



「足痛くなったら言ってね? 慣れないの履いてるし」

「ありがとう。じゃあ、鼻緒が切れたらおぶってもらおうかな?」

「ええっ」

「冗談ですよー」


 。彼女に慌てさせられることも、増えてきた。


 僕らは久しぶりに手を繋いで……会社でそんなことできないから……、地下鉄の改札に向かった。

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