十九 夢の終わり
騎馬民族説――五十年後には完膚なきまでに解体されていそうな説だが、なるほど
自分は今、繁華街から少し外れた路地をとぼとぼと歩いている。
行きかう人々の姿を遠目に見ていると何故だかなんとなく物寂しい気持ちがしたので、自分も繁華街に出て安酒でもあおりながら平和と繁栄に酔う人々の一人になろうか――という気持ちにもなったが、連合に参加するならば少しでもプランを練っておかねばと思い直した。踵を返し薄暗い道を行く。
ほんの少し繁華街を離れるだけで、この国にはまだあちこちに戦時中の傷跡が残されている。空襲で焼けたであろう焦げた石塀、崩れ落ちたまま捨て置かれたままになっている家屋。街燈もまばらでとにかく暗かった。
戦後から取り残されたような薄暗い路地を一人で歩いていると、まるで反響してるかのように妙に響くなと思っていた足音がいつの間にか増えている事に気が付いた。どうも後ろを誰かが歩いているらしい。同じように帰路についている人だろうか。
足音の主は自分よりやや速足で後ろを歩いているのが分かった。そして同時に、知らぬ間に皮膚が粟立ち寒気を覚えている事に気が付いた。
足音は相変わらずコツコツと後をついてきていて何となく気になってたまらない。一体どこの誰が後ろを歩いているのか。嫌な感じがして振り返る事もできない。いたたまれなくなってきて速足で歩く。
すると足音も早まったのである。
――この足音の主は自分を追ってきている。
ゾッとした。途端に自分は駆け出した。恐怖に駆られての事であったが、すぐに後悔した。足音も走り出したからである。もう、立ち止まる事は出来ない。
暗い夜道を声も出さずに走り続ける。足音は変わらず追い縋る。
自分のすぐ後ろにソレがいるのが分かった。背中や腕に、追ってくる者の手らしきものがヒラッヒラッと一瞬だけ触れる。自分を捕まえようとしているらしい。
息が詰まりそうになりながら走っていると久方ぶりに点灯している街燈が見えた。
そしてそのぼんやりとした明るさの中で自分は思わず振り返ってしまった。もう悲鳴も出なかった。
自分を追ってきたのは――骸骨だった。
骸骨が自分を追いかけてきている。昔噺か、でなければ神話か。
暗闇の中を走って逃げ続ける。自分のすぐ後ろだ。少しでも躊躇したり足をとられたらもうその手に掠め取られるのが分かった。
……時に
――『日本書紀』神代巻――
無我夢中で息を切らせながら走っていると、顔に何かが当たった。一瞬気をとられたそれは――教授から貰い、結局吸わなかった煙草であった。とりあえず胸ポケットにしまっておいた物が腕を振り上げ走っているうちに飛び出したようだった。煙草はそのまま地面に落ちていき、視界から消えた。
そしてその瞬間、骸骨の両腕が両脇下から滑り込むように手を回し、しがみついてきたのである。
途端にものすごい力で寄りかかられたようになり、さながら自分は骸骨に抱きつかれたような恰好のまま倒れこんだのだが――地面には打ち付けられなかった。
冷たい地面に打ちつけられる事もなく、丁度一歩先に大穴でもあったかのように(そんな事がある筈もないのは言うまでもなく)そのまま、自分は真っ暗な闇の中へと落ちていった。
遠目に見えていたイルミネイションも音楽も遠くに消え去り、自分と自分を抱きしめる骸骨だけがそこに在った。
他の物はすべて幻であり最初から存在しなかった。俺とこの骸骨だけが宇宙のすべてだった。そんな気がした。
◆
――波の音が聞こえた。明るく、暖かな、光に満ちたようなあの海岸だ。
それに柑橘の芳醇な香りがした。香りの元はすぐに分かった。シークワーサで洗濯した自分の軍服の匂いである。
自分はあぐらを組んだまま眠っていた。そうして座っている自分の手を握る小さな手からも、同じ香りが漂っていた。
顔を上げると布団に横になったままのマヤが自分の手を握り、こちらを見ていた。
自分が目を醒ました事に気づいたマヤは薄く微笑み、「ザクロは召上りませんでしたか」とだけ言った。
その時自分はなんとなく感じ取った。
自分は――いや自分も――とうに夢とうつつの境界を踏み越えていた。
彼方と此方は入れ替わり、彼方はもはや幻視に過ぎなくなっていた。いや、境界などはじめから無かったのかも知れない。
「……どうにも帰りそびれたようだ。一本くらい吸えばよかったかな」
自分がニヤリと笑いながらそう言うと、マヤは笑い返して「だけど、嬉しいです」と答えた。
可愛らしい表情だったが、それは作られたもので苦痛を押し殺しているのが分かった。握っている手も微かにだが震えていた。
嶋子、すなはち
また神女、遥に
子らに恋ひ朝戸を開き吾が居れば常世の浜の波の音聞ゆ
――『丹後国風土記・逸文』――
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