第54話 「どうしてこんなことになるの?」

 喋りすぎだった。

 沈黙は守るべきだった。それはわかっていたはず。けど、それに気付くにはもう手遅れである。

「どうしてみんなが好きなんだろうね。そんなのどうでもいいじゃない……うふふふふ……あはははははは」

 羽瑠奈ちゃんは嗤っていた。愚かなわたしを嗤っていた。愚かな世界を嗤っていた。

「それよりもありすちゃん。あなたの魔法とやらで、あの男の死体をなんとかしてくれない? さすがにちょっとまずいよねぇ。今度ばかりはさすがに私ケーサツに捕まっちゃうよ」

 彼女の瞳孔は開ききったかのようで、どこを見つめているのかもわからない。たぶん彼女は自分が何を言っているのかも理解していないのだろう。

「ちょっと待……」

「あなたなら簡単でしょ? それとも私の願いなんか叶えられない?」

「待って! そうじゃなくて……そんな魔法使ったことないし」

 彼女の言動は普通じゃない。けど、今は話を合わせるしかないのだろう。でなければ今度はわたしが殺される。

「ねぇ、だったらそのウサギのぬいぐるみを私にくれない? ありすちゃんができないのなら私が代わりにやるからさ。私だって魔法使いの資質はあるんでしょ?」

 このままラビを渡して、わたしは逃げた方がいいのかもしれない。けど、パートナーであるラビを渡してしまっていいのだろうか?

「ねえラビ? 言う通りにした方がいいの? 羽瑠奈ちゃんの方が魔法使いの資質があるんだっけ?」

 とっさにラビに相談する。ラビならこの状態をなんとかしてくれるかもしれないと、期待を込めて。

「ありす。汝は確かに魔法使いとしては未熟だ。だが、誰にも負けない真っ直ぐな心を持っておる。汝は許せるのか? 魔法をそんな事に使おうとするやからを。目先の利益を優先するというのなら我を渡すがいい。そんな心の持ち主に我は用はない」

 自分が助かる為に、一番の理解者であるラビを渡すなんて……そんな事できるわけがない。後で必ず後悔するのはわかりきっている。


 逃げてもいい。けど、大切なものだけは捨ててはいけない。


「ごめん。ラビは渡せない」

 羽瑠奈ちゃんに向き直ってそう告げた。

「いかん! ありす、逃げるのじゃ!」

 それは、ラビの叫び。そして、本能が告げる危険信号。羽瑠奈ちゃんのナイフを握る手に力が入る。

 わたしは、彼女に背を向けると全力で駆け出した。


 もしかして羽瑠奈ちゃんは、よこしまなるモノに取り憑かれてしまったのだろうか。そんな可能性を考えてしまう。

「待ちなさい! さあ、そのぬいぐるみをよこしなさい!」」

 その叫び声は正気ではなかった。何かが壊れてしまった。何かを超えてしまった。その上、何かを失ってしまったようだ。

 追いかけられるうちに、だんだんと恐怖が身体を蝕んでいく。頼みの綱であるラビは先ほどから反応が鈍い。「逃げろ」としか喋らなくなっている。

 わたしは混乱して手足がうまく動かなくなっていた。しまったと思った時には、足がもつれて転んでしまう。なんとかラビだけは放さずにいたが、左肩に下げていたトートバッグを落としてしまう。

「やば!」

 バッグの中身が路面に散らばる。だが、それを全部拾っている余裕はない。背後には羽瑠奈ちゃんが迫ってくる。

 咄嗟に一番大切な物を一つだけ掴んでそのまま駆け出す。この時、わたしが左手に握ったのは一冊のノート。後に魔法のアイテムであるカチューシャを取らなかった事をわたしは後悔する。


 転んだ事で距離が縮まったのか、振り返ると、既に羽瑠奈ちゃんは追いついていた。

「待ちなさいっていってるでしょ。これじゃまるで鬼ごっこみたいね。そうね、あなたを殺せばいいのかしら?」

 彼女の手に握られたナイフが迫る。

「落ち着いて羽瑠奈ちゃん!」

 その言葉は聞き入れられなかった。突き出されたナイフが左肩をかすめて切り裂いていく。避けていなかったら、今頃背中を刺されていたかもしれない。

「痛……」

 切られた肩からじんわりと血が滲み出してくる。


「どうして? どうしてこんなことになるの? ねぇラビ」

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