第9話 「新しい物語も読ませて下さいね」

「例えばさ、ナルミちゃんがピアノを弾くことができなくなったらどうする?」

 キャンディーコートされたチョコレートをつまみながら、わたしは隣に座る親友のナルミちゃんこと『祁納成美けのうなるみ』にそう問いかける。

 今日はナルミちゃんとミサちゃんの三人で隣町まで遊びに行く約束をしていたのだ。

 約束の時間に遅れてくるというミサちゃんを待つために、ナルミちゃんと公園のベンチで日向ぼっこの真っ最中である。

「それは創作に関連したことですの?」

 隣に座るナルミちゃんは肩口まであるセミロングのストレートで、ピンク色のカチューシャを着けている。

 もちろん、カチューシャは女の子らしいシンプルなもの。ネコ耳なんか付いているわけがない。

「うん、そだよ。なんでわかったの?」

「小学校の時からの濃ゆいお付き合いですから、それくらいわかりますわ」

 ナルミちゃんの口調が、中学生らしくない優雅さを醸し出すのは家柄のせいもあるだろう。

 資産家の父親を持つ彼女は根っからのお嬢様だ。

 けど、大らかな両親の下で育てられたせいか、気高くて優雅な雰囲気なのに、とても庶民的な部分もあって親しみやすかったりもする。

「実はね。今構想中のお話に出てくる登場人物の一人なの。主人公じゃないけど、ナルミちゃんみたいにピアノを弾くのが大好きな子だから、ちょっとご意見を伺おうかなって」

 ナルミちゃんはミサちゃんと共に大親友である。どんな些細な悩み事も隠さずに話す間柄であり、同時に二人はわたしの作品の読者でもあった。

「そうですね。それは、身体的なものでしょうか? それとも心理的なものでしょうか?」

 ナルミちゃんに意見を求めることは何度かあった。その度に彼女は真剣に考え、適切な言葉を返してくれる。

「うーん、どっちかって言うと心理的かな。腕に怪我をして一時期ピアノが弾けなくなっちゃったんだけど、それはもう完治してるみたい。でも、強力なライバルが出てきて、自分の実力を思い知ってしまったの。自分にはそれだけの才能がない。どうやってもその人に追いつくことすらできないって。それが原因でその人はピアノを弾くことができなくなっちゃったの」

 わたしは創作ノートに書き記した人物設定を思い起こす。主人公とはひょんなことから知り合う女の子で、とても重要な役柄でもあるのだ。名前はまだ考えてないので『ゴスロリの子』とメモしてあるはずだ。

「そうですね。それはとても単純な事だとわたくしは考えますわ」

 ナルミちゃんは柔らかな笑みを浮かべながら、先ほどまでと同様に優雅な口調で語り出す。

「……っていうと?」

「たぶん、アリスさんと同じだと思います」

「え?」

 いきなり自分の名前が出てきたものだから驚いた。

「アリスさんは物語が大好きで、それを創ることが大好き。でも、アリスさんが創るより優れた物語なんていくらでもあるでしょう?」

 さすがに付き合いが長いだけあって、その言葉は的確であり容赦がない。

「うん、あたりまえだよ」

 わたしは物語が大好きなのであって、自分自身が大好きなわけではないのだから。

「でも、アリスさんが物語を大好きなことには変わりはないですわね。だったら、急いで追い抜かなければならない理由はあるのかしら?」

「焦る必要はないってこと?」

「その人の目的は何でしょうか? ライバルを追い抜くこと? いいえ、違いますわね。ピアノが大好きで、でも自分の思い通りに弾けなくて焦っているのでしょう? それがプレッシャーとなっているだけだと思いますわ。ですからその人に気づかせることが第一だと思います」

「気づかせる?」

「目的を取り違えてはいけません。勝負を意識する以前に、なぜ自分がピアノを弾きはじめたのかを再確認することが必要でしょう。そうすれば自然と己が進む道もわかるものですわ」

「なるほど……下手な特訓やるよりはその方が効率的なのかな。時間はかかるかもしれないけど、最終的にはその人の目指す理想的なピアニストになれるもんね」

「ですけど、コンクールでの入賞などはその分野では必要なことなのかもしれません。プロになるためには自分に商品価値があることをアピールしなければなりませんからね。そうなるとライバルに勝つ事が無意味とは言い切れないでしょう」

「うわぁ……それはそれで厳しいね。やっぱりきれい事だけでは芸術家は目指せないか」

「大昔ならパトロンさえ見つければ芸術にのめり込みながら生きていくことは可能でしたけど……んー……現代に置いてはパトロンの意味からして違ってきてますから、やはり商売として成り立たせることを考えなくてはいけませんね」

「それでもナルミちゃんはピアノを弾きたいんだよね?」

 わたしは再確認の意味も込めて、その瞳に問いかける。

「アリスさんが物語を作りたいのと一緒ですよ」

 やわらかだけど芯の通った彼女の表情に、わたしは憧れる。

「そうだね。勝つためにやってるわけでもないしね……でも勝たなきゃいけない時もあるのか……やっぱり厳しいね」

「わたくしたちは誰かから影響を受けて心を動かされます。それを自分なりに昇華させて、他の誰かの心に残していく。それを無意識に行おうとしてるだけなのかもしれませんね。子孫を残す事が本能的に組み込まれているのと同じで、人間の場合、さらに学問や芸術をも伝えていくんでしょう」

「ナルミちゃんと話してるとなんだか話が壮大になってくなぁ。でも、うん。なんかいろいろ参考になった。おかげで頭の隅っこで別の物語が動き出した感じ」

「アリスさんの役に立てて光栄ですわ。新しい物語も読ませて下さいね」

 そう微笑んだナルミちゃんは瞳は、とても優しくわたしを捉えていた。

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