第壱幕

 

 何故だろう。

 

 心中で呟く声を聞いている者なんて居ないだろうが、螢はもう一度呟いた。

 

 何なんだ、この状況は。

 

 ほんの三十分前に螢と陽炎は帝との拝謁はいえつを許され、礼に則り挨拶を述べた後、帝は従者全員を下がらせた。

 不思議に思いながらも、声がかかるまで頭を上げてはいけないので、伏礼し続けていると、帝より直々に声がかかった。


「螢よ・・・此度の元服げんぷくまことに目出度きこと。面をあげよ」

「はい・・・」

「これから、朱天の一員として、民のために精進をしてくれ。期待している」

「・・・恐悦至極に存知ます」


 普段使わない言葉で言うため螢は何度か、言い間違えそうになったが、何とか噛まずに言うことが出来て安心していたところに、帝から再び声がかかる。


「大きくなったものだな・・・」


 くつくつと笑う声が御簾越しに聞こえるも、螢には何のことかわからない。


「覚えておらぬか、無理もないか。あのとき其方は五歳だったからな」


 内心首をひねっていると、先程まで不気味なほど喋らなかった陽炎が口を開いた。


「覚えてるわけないだろ。こいつはまだ右も左も分からないときだったんだからな」

「だが一年程逢瀬おうせを重ねていたのに覚えておらぬとは酷いではないか」

「逢瀬とか気持ち悪い言い方するなよ、螢が引いてるぞ」

「なに!?私に惹かれたか!? ふ・・・無理もないな」

「惹いたじゃねえよ、引いただよ!気持ち悪いな!」


 陽炎は呆れたように首を振ると螢に向き直った。


「螢、あン?なんだよ。しけたつらして」

「い、いや、帝だよ、陽炎。そんな」


 言葉使いでいいのかと問おうとした言葉は、陽炎の大笑いで呑み込んだ。


「こいつに畏まる必要は、今はねえよ。なあ、陛下」


 そう声をかけたのと同時に御簾が動く。


「螢、今はそんなに畏まる必要はないぞ、人払いもしてあるからな」


 そう言って御簾より出てき来たのは、髪をうなじで一つに結んだ美丈夫だった。


「うん? どうした、螢」


 不思議そうにこちらを見る帝に口も聞けなくなるほど、螢は驚いていた。帝が意外と美丈夫だったことに驚いているわけではない。ただ、その顔にもの凄く覚えがあったからだ。まだ、螢が都に来て間もない頃、五歳だったときだ。いろいろなことがありすぎて混乱し、流されるがまま、陽炎の家で暮らしていたときに、昼頃ひょっこり陽炎の家に来ては、螢にお菓子や読み物をくれたり、文字を教えてくれた人と、そっくりだったからだ。

 今から十一年前の事を思いだして、混乱している螢を見て、陽炎は分かったのか意地の悪い顔で此方を眺めている。


「も、もしかして、ハル兄ちゃん・・・?」


 確かめるため、無礼も忘れて聞くと、帝はにっこりと笑って肯定した。


「やっとで思いだしてくれたか!螢!」


 嬉しそうに抱きつく帝はもはや先程の、神々しく威厳に満ちた雰囲気ははじけ飛び、十一年前の、どこかほわほわとしたハル兄ちゃんに戻っていた。


「おい、帝。螢が窒息する、止めろ」

「おお、すまない螢。つい、嬉しくてな!わが息子よ!」

「違うだろ」

「弟よ!」

「勝手に弟にすんなよ」

「・・・・感動の再会に水を差すな! 陽炎!」

「・・・・本当にハル兄ちゃんなのか・・・」

「ああ、あのハルだ」


 確認するように陽炎を見ると、爽やかな笑顔で肯かれた。


「うえええ!?ハル兄ちゃん!?だってハル兄ちゃんだよ!?」


 朧気ながらもハル兄ちゃんといえば、陽炎に叱られてべそかいてた螢を抱っこして慰めてくれたり、博識でいろんなこと教えてくれてかっこいいのに、何故か蠅や蚊以外の全ての昆虫、は虫類が駄目で、体に付こうものなら半泣きで螢に捕ってくれと懇願するような、それで陽炎に呆られて叱られ、さらに半泣きになるようなひとのことだ。

 あの、情けないハル兄ちゃんが帝だったのか!と驚き慄ている螢の肩を叩き陽炎が現実に戻す。


「螢、螢。全部口から出てる」

「え?」


 ふと前を向けば、結構心にきたらしい帝もとい、ハル兄ちゃんが畳みに突っ伏していた。


「あ、ハルにいちゃ・・・」


 なんだろう、この罪悪感。

 畳と仲良くなっているハル兄ちゃんの傍は、茸でも生えそうなほど湿っている。


 何故こんなことになった。

 ただ、昔を思いだしていただけじゃないかと思うも、本人が思い出してほしかったのは別のことだったらしい。


「他に・・・・思い出すことは?」

「え?えーと、ハル兄ちゃんと遊んでたら、草むらから飛蝗が出てきて、兄ちゃんが俺おいて先に家帰ったこととか・・・?」

「最っ低だよな。先に帰ってきたお前を私が外に追い出したら、螢も半泣きで帰ってきてたっけ」

「あれ?そうだった?」

「迷子になったか、捨てられたとでも思ったんじゃねえ?」

「・・・他にはないの、螢」


 ハル兄ちゃんはまだ畳みと仲が良いままだ。


「えっと・・・字を教えて貰ってたら」

「うんうん。字教えてたもんね」

「天井から亀虫が文机に落ちてきて、ハル兄ちゃんが失神したとか?」

「・・・・・・」

「・・・・・なっさっけねえな、ハル」

「・・・あれは、未だに夢に出る」

「はっ・・・」

「・・・ハル兄ちゃん? た、大したことないよ。誰だって虫は苦手だと思うよ」


 どういえば、この暗く沈んだ空気を打開できるのだろうか、昔はどうやって慰めていただろうかと、必死に思い出そうとしていると、陽炎がふらりと立ち上がった。


「おい、春光しゅんこう、何か肩についてるぞ」

「え・・・? なんだ?」


 さめざめと思ひ出を畳みに語らっていた帝が、緩慢な動作で首を動かす。螢も何が付いているのかと肩を見ると、蝶の幼虫だろうか、青い幼虫が帝の肩で小さくひっそり・・・体を大きくうねらせて肩から胸へと移動しようとしていた。しかし、よくよく見るとこれが幻影だと螢は直ぐに気づいた。螢は幻影を使っていない、とするとこの中で幻影を扱うことの出来る者なんて限られてくる。ちらりと陽炎を見ると、思いっきり睨まれた。鋭い視線に、螢の心は瞬時に凍り付いたが、同じように、虫に凍り付いた者がいた。


「あ、あ、あ、ああああああぁああぁああぁぁぁぁぁぁ」

「あ、ハルにちゃん」


 幻影だから大丈夫だよと言おうとしたのも矢先、素晴らしいほど引きつり裏返った悲鳴が室内に響いた。これと同時に陽炎が、外に音を漏れさせないためか結界まで張っていた。作業の早さに驚くも、螢は帝をみると、大の男が泣きながら服の上をはい回る幼虫をどうにかたたき落とそうと必死になって暴れている。終いには、腰に帯びてあった、美しい装飾の施された漆黒の鞘から、輝く刀身を抜き出し、自分の体をはいずり回る青虫に振り下ろす、つまり自分自身に向けて刀を突き刺そうとした。

 流石にこれには陽炎も驚いたように目を見張ったが、螢は直ぐに飛び出し、帝の手をたたいて刀を落とし、幻影の術を解除する。


「お、おおお・・・すごいな螢」


 帝は暫く何が起こったのか理解できなかったようだが、すぐにありがとうと半泣き笑顔で抱きついてきた。


「はああああ」


 螢は本日何度目になるかわからない溜息を吐いた。





「おい螢、そっちはどうだった」

「何もないよ」


人々が寝静まった夜更けに歩き回る者たちがいる。

闇に乗じてうごめ魑魅魍魎ちみもうりょうたぐいを、制す者達がいる。


倭国の都、暁都ぎょうとは大きく五つの地区に別れている。一つは城を中心とする区域、通称、中央区があり、その周りを囲むように、東西南北に別れて、北区・別称玄武、西区・白虎、南区・朱雀、東区・青龍で分かれている。

各区には、それぞれに不正を取り締まる組織がある。

腰には各々の武器を持って、悪事をはたらく者を取り締まる役割を持ったのが、四天してんと呼ばれる組織だ。

四天は、五区を守る。北区は玄天げんてん、西区は白天びゃくてん、南区が朱天しゅてん、東区が青天せいてんが守り、中央区は四天が交代で守護する。

四天は、毎日朝昼晩区内を見回る。その際に、失せ物探索から殺人まで幅広く取り扱い、町の治安を維持する役目を担う。

今日、螢は昼に帝との顔合わせを済ませた後、家(といっても集合住宅の長屋なのだが)に帰った後、夕方の六時まで睡眠をとった。螢はこの日、夜番の担当者だったのだ。

螢は心持ち早足で、先輩の元へ行った。


「日野さん、そっちはどうでしたか」

「特にないな」


にかっと笑う日野の額には大きな傷跡がある。傷跡のせいで自分の子どもに怖がられる始末だと幼かった螢に話してくれた日野はもう五十代。朱天のなかでは一番の古株だ。


「おーい、日野さん、螢」


 日野達のすぐ後ろから二人、商店の集まる大通りから出てくる。駆けてくるのは、着物を着崩し、かろうじて朱色の羽織をひっかけた小柄な男と、愛想のいい笑顔で、背の高い男が後ろから歩いてきた。


「おう、永太と喜之介かい。そっちは大事ないか」

「何事もないっすよ」


駆けてきた方が永太、初めに声をかけた笑顔の青年が喜之介だ。


「何事もないのなら上々だな」

「そうですね・・・このまま何事もなく夜が明けるといいですね」


 おっとりと微笑む喜之介の言葉に三人とも肯き、空を見上げた。


「今夜は新月・・・」


ぽつりと呟いたのは誰だったか。煌々と闇を照らす月が雲に隠れるのを見ていた一同は、瞬時に東側に走り出した。


「妖気・・・」


螢は、先を行く先輩達の後ろを走りながら、徐徐に濃くなる妖気を探りながら腰に下げている刀に手を添える。


「・・・大物だな」


永太に肯き日野は十字になった路地で止まる。


「二手に分かれる。永太と喜之介は右から行って奴の後ろに回れ」

「了解」


了承して去っていく二人の後ろを見送る螢の背中を日野が押す。


「俺たちはこのままつっこむぞ」

「はい」



 ◇◇◇


 狭い小径こみちを駆け抜け、一気に妖気の濃い東へと進む。

 雲に隠れた月が再び、顔を出したとき、螢たちは目的地に着いていた。


「こいつぁ、でけえな」


 日野はふっと笑うと懐から出してあった得物を上空で羽ばたく、大きな妖鳥に向けて投げる。

 螢は、日野が小刀を投げたのと同時に地を蹴った。螢は、日野の投げた小刀を払い落とそうとする妖鳥の脇をすり抜け、奥にいる大蛇の方へ駆けた。


「日野さん!」


 大蛇の横から永太が飛び出て、懐から鎖の先におもりの着いた得物を取り出し妖鳥の翼を絡め取るのを確認しつつ、螢は大蛇に腰に差した刀を向けた。

 大蛇は巨体をくねらせ螢に向かい大きな口をあける。口からはよだれがしたたり落ちて、新月に照らされた巨躯きょくは、十尺を越える。


「螢」

「喜之介さん」

「私が、動きを封じるから・・・よろしくね」

「はい」


 喜之介は螢より一歩下がったところで、親指と人差し指で輪を作り、口元まで持っていき、ふう、と息を吹いた。すると、輪から炎が吹き出し、地を舐めるように大蛇を囲った。大蛇は炎の輪から抜け出そうとするも、熱くて身動きの取れぬまま、大きく唸り声をあげた。


「螢、頼んだよ」


 炎で温い風が頬を伝う。螢は呼吸を整え、大蛇まで一気に走った。


「今、楽にしてやる」


 刀を両手で持ち、螢は大きく横に斬り、胴体を切り離した。大蛇は傾いだかと思うと、そのまま地に伏したのを、炎が焼き尽くす。


「よし、みんなご苦労さん」


 声に振り向くと、日野と永太が立っていた。二人とも怪我無く、少し衣服が乱れているだけだ。二人の後ろには妖鳥が喜之介の出した炎で灰も遺らず燃やしている所だった。


「螢にも、怪我はないようだな」

「大丈夫ですよ」

「・・・螢、別に俺にはお頭みてえに砕けた態度でいいんだぜ」

「なっ!陽炎と日野さんは全然違います!」

「・・・俺にはお頭の方が怖いけどなあ。なあ、喜の」

「そうですねえ・・・私にはどっちもどっちのような気がしますけど・・・」

「全然違うじゃないか!日野さんの方がよっぽど・・・」

「よっぽど?」

「よっぽど・・・なんか変じゃねえ?」

「うーん?」

「なんか、まだ妖気が消えてない・・」

「はあ? もう妖気なんてねえよ、なあ、日野さん。ないっすよね?」

「ああ、俺もないように思うが・・・どうだ喜之介」

「私も感じませんね・・・」

「・・・・気のせいかな」


 もう一度、辺りを探ってみるけれど、先程まで感じていた妖気は、何処にもなかった。

 気のせいかと頭をひねる螢を他所に、日野たちはもう一度見回りをしようと話あっている。


「螢ーいくぞぉー」

「あ、ちょっと待ってよ、永太」


 先へ行く永太の後を追いかけて、螢は大蛇のいた場所を振り返る。

 新月に照らされ、うっすらと見えるのは、焦げた地の跡のみで、別段かわった様子はない。


「気のせい・・・か」

「螢ー」

「今行くって!」


 朱色の衣をはためかせ、巡回に戻る螢の姿を闇夜に紛れてひっそりと見る者ががいた。

 ぽっかりど闇夜に浮かぶ白い面。生者ではとうていあり得ないほど、青白い面は、巡回に戻る螢の背を見送った後、すうっと闇に消えた。

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