【016】「どういたしまして」

「やられたね……」

「悪い、オレが寝ちゃったばっかりに……」


 恨み言を喚き散らす盗賊からザガンたちが逃げた経緯を聞き、イーワンは肩を落とす。ザガンは、正確にはユーズはアジトに手勢を残していた。正確には愛玩奴隷だったわけだが。

 何にせよその奴隷が戦闘力を持たないのが結果として逃走に繋がってしまった。召喚師の存在は分かってはいたが、ユーズに完全に気を取られてしまっていた。

 加えてゲームだった頃の先入観が『忌獣きじゅうを救援に使う』という発想がなかった。

 忌獣きじゅうはAWOでは主に奇襲と妨害に使われる召喚獣だった。同レベル帯の召喚師が召喚できるものの中では耐久や扱いやすさに劣り、その分バッドステータス付与や妨害に特化させた性能だったからだ。

 イーワン自身、ザガンの横入りは警戒していても救援はまったく警戒していなかった。新しく召喚された忌獣きじゅうは当然、それまで存在していないのだから『殿しんがり栄誉えいよ』の対象外。だからイーワンから逃亡ができたのだろう。


「はぁ~、ったく仕方がないね。元より一筋縄で行くような相手じゃなかったわけだし、積荷も命も無事だ。さっさと先を急ごうじゃあないか」

「あれ、怒らないの?」


 清々とした笑みを浮かべ、昨夜の失態を水に流したファイにイーワンは思わず問いかけた。するとファイはキョトンとした表情を浮かべた。


「なんでアンタを怒るんだい。……あぁ。そういえば礼がまだだったね」

「礼?」


 ファイはそう言うといきなりどかりとその場にあぐらをかき、両膝に手を乗せ、深々と頭を下げた。ファイの赤銅しゃくどう色の髪が垂れ、地面を撫でる。


「ありがとう、イーワン。アンタがいなきゃアタシはきっとここで死んでた。ここでアタシの旅は終わってた。恩に着る」


 その声音はひどく落ち着いていて、冗談の類でないことはイーワンにも伝わった。慌てたのはイーワンである。不意に、ファイの謝意を突き付けられてみっともなく狼狽えた。


「い、いや! 別に気にしないでくれよ、オレが勝手にやったことだしさ!? だ、だから頭を上げてくれ」

「あぁ、アンタが勝手にやったことだ。でもその勝手にアタシは命を救われた。礼はちゃんと言わないといけない。ドワーフは恩を忘れない」


 顔は上げてくれたものの、イーワンの目を真っ直ぐに見つめるファイの瞳に曇りは無い。上質な紅玉ルビーのようなその瞳は陽光を受け、きらきらと輝いて見えた。


「う、あぅ……」


 昨夜、ユーズの殺意と覚悟はなんとか向き合った。

 けれども『好意』はこれが初めてだ。幼いビビとも、マーシュの恩義とも違う敬意と感謝がそこにあった。色々と理屈を並べたところで結局のところ、単純に『感謝され慣れてない』というだけだ。

 イーワンはゲーム廃人だ。引きこもりのゲーマー中毒者で、筋金根入りのギーグである。

 面と向かって堂々と感謝されたことなどなかったのだ。

 だから、その。なんだ、照れる。


「そっか……ええと、こういう時なんて答えたらいいんだ?」

「バカだね。わかんないのかい?」


 照れるイーワンの様子の何が面白いのか、ファイはくすりと笑い、小首を傾げる。


「単純だよ。『どういたしまして』そう言って笑えばいいのさ」


 思わず、率直な気持ちが口をついて出る。その子供のような疑問にファイは面白がるように口の端を吊り上げ、答えてみせた。

 あまりにも単純な答え。思えばその言葉は今まで言ったことがあっただろうか。

 ゲームではなく、こうして顔を合わせて相手の目を見て、向けられた好意にちゃんと答えたことがあっただろうか。

 分からないし、思い出せない。

 けれど、どうすればいいかはファイが教えてくれた。


「どういたしまして」


 うまく笑えたかは分からなかったけれど、それでも気分は悪くなかった。

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