【015】「あまりに身勝手だとは思いませんか」

「起きろ、イーワン! このボケッ!」

「いって!」


 激痛と共にイーワンは意識を取り戻した。視界に火花が散ったように感じる。イーワンのステータスを考えれば大したダメージではないはずだが、そういう問題ではない。

 さすがに抗議をしようと振り向けば、


「目は覚めたかい、この色ボケが……!」


 眩い朝日を背負い、キッとファイはイーワンを睨みつけていた。 イーワンの後頭部をカチ割らんばかりの勢いで振り下ろされたのはどうやらファイが脇の鉄書らしい。小さな体躯のファイに合わせ、それは小振りでこそあるがずっしりと重い金属の塊である。あんなものを頭に振り下ろされれば痛いに決まってる。

 朝日を受けてファイの赤毛が燃える炎のように輝いていた。朝日を見て、喉元まで上がっていた抗議の言葉をイーワンは呑み込んだ。自分がやらかした失敗に気付いたからだ。


 朝である。


 まだ日は上り切っておらず、息を吸い込めばひんやりとした静謐な空気が肺に満たされる。ステータスの高さが影響しているのか、寝起きだというのに身体にダルさ等は一切ない。

 そう、寝起きだ。寝ていたのである。

 魔刀ソローヤの流失にセリエラの関与がほぼ確定し、イーワンはそのままセリエラ絡みのトラブルの数々を思い返していた。あんな目に遭った、こんな目に遭ったと思い返すうちにうつらうつらとしてきたところまでは覚えている。そこまでしか覚えていない。思い返せど、ファイを起こし夜番を交代した記憶がない。


「やべ。寝落ちした」

「アンタに任せたアタシがバカだったよッ!」


 罵声と共にイーワンの脳天に再びファイの鉄書が落ちた。避けようと思えば避けられたが、さすがに避けたらファイの怒りに油を注ぐぐらいのことはイーワンにも分かったので甘んじて受ける。


「どうすんだい! アイツらに逃げられちまったじゃないか! 寝首をかかれてたらどうする気だい!」

「わ、悪かったって……」


 ビッと指差す先には引き千切られた縄が2人分、地面に投げ出されていた。ザガンとユーズの姿はどこにもない。

 イーワンはともかく、ファイを狙われていれば危うかっただろう。イーワンはかなり高位の回復魔術を修めているのでよっぽどでなければ回復できただろうが、ゲームだった頃と仕様が同じとは限らない。今のところスキルや魔術はイーワンの知るものと同一だが、蘇生魔術などでそれを確かめる気にはなれるはずもない。

 一方でザガンとユーズ以外の盗賊は縛られたまま地面に転がされている。だがその様子がおかしい。まるで陸に上がった魚のように口をパクパクとさせていた。


「あれ、コイツらどうしたんだ?」

「あァん? ……やけに静かだと思ったなんだい、こりゃ」


 怒りを逸らす為に咄嗟に指摘したのはどうやら上手くいったようだった。これ幸いとばかりにイーワンは立ち上がって、手近な盗賊を調べる。


「……これ、『沈黙』の状態異常だな」

「沈黙?」

「まあ、文字通り『声が出せなくなる』んだよ。あのザガンってヤツはこの手の魔術が得意そうだったし」


 ゲームではよくあるバッドステータスの一種ではあるがAWOでの『沈黙』はかなり効果の高いものだった。スキルの多くは『詠唱』やスキル名の宣言を行って発動することが多いAWOで『声が出せない』というのはなかなかに厄介だ。

 無論、ジェスチャーや無詠唱でも使えるスキルや魔術も少なくないが、手数が制限されるのは十分すぎる効果である。副次的にはHPが減っても味方の回復役ヒーラーに伝えられなかったりと声が出せないと連携に深刻な問題を起こす事もある。

 その為、ある程度のレベルに達したプレイヤーは沈黙対策は優先して行っている。イーワンも『沈黙』を含めたバッドステータス全般の耐性は可能な限り高くしていた。


「仲間の口を封じたってことかい? ……何のために?」


 魔術師は魔術に対する耐性が高く、状態異常などには比較的かかりにくい。ファイが『沈黙』を受けていないのもそれが理由だろう。抵抗レジストされれば、いくら眠っていても気付くはずだ。


「さぁ……? とりあえず聞いてみようか」


 イーワンは適当なウル級の回復魔術を発動する。イーワンの能力なら死亡を含むほぼ全ての状態異常は回復できるはずだ。状態異常の回復成功率はそれをかけた術師と回復する側の術者の能力で変わる。案の定、あっさりと『沈黙』は回復する。


「――ソ、声が出ねェ……ってアレ?」

「もう喋れるだろ。さて、なんでそんな事になってるのか説明してもらおうか」

「……アンタ、マジで神官だったんだね」


 せっかくいい所を見せたというのにファイの視線が冷たい。というかまだ信じられていなかったというのか。


「チッ! しゃーねぇな、このままじゃオレも腹が収まら――「ひでー、まだ信じてくれてなかったのかよ。回復系の魔術はこれでも一通り使えるよ。どっか痛いトコとかない? オレ張り切ってちゃうよ?」

「そういう所だよ、女好きな神官なんてらしくないったらありゃしない。あとちゃん付けをいい加減やめな」

「おォい! 話聞けよ、テメーら! 何のために回復したんだよ!」


 つい女優先で歓談をしていたら、盗賊に正論で突っ込みを入れられてしまった。昨日あれだけボコボコにされたのに元気そうで何よりだ。


「はいはい、それで? なにがあったんだよ? ザガンはともかく、ユーズはどこに行ったんだ。美人だったのに」

「ザガンの方が頭領なんだけどねェ……」

「どうもこうもねェよ……頭領、いや。ザガン、あのゾンビ野郎、俺たちを見捨てて自分たちだけで逃げやがったんだ! オレたちは捨て石にされたんだよッ! クソッ!」


 忌々しそうにペッと唾を吐き捨て、盗賊は身体を起こし、盗賊はイーワンたちが眠っていた間に起きたことを語り始めた。


――◆――


 時は二刻半にこくはんほど遡る。

 月が沈み始めた頃合いで、焚き火の傍で夜番をしていた少年――イーワンが船をこぎ始めたのだ。

 ユーズの持つ魔刀ソローヤに対していくつか質問をザガンたちにした後、それを打った鍛冶師への愚痴らしき言葉をぶつぶつと呟いていたが、それもやがて小さくなり眠気に耐えかねたように抱えた銀棍にもたれるようにして寝息を立て始めた。


「……眠ったのか?」

「そうみたいねぇ……」


 ユーズとザガンは慎重に、イーワンを起こさないように声を潜める。この手の感覚はやはり前衛であるユーズの方が鋭い。

 イーワンの圧倒的な力量差を見せつけられた後であること考えると、演技である可能性がない、とは言い切れないが今までの言動を顧みればその線は薄い。

 イーワンの言動はひどく幼い。その技量こそ目を見張るものがあるが戦いに対する精神がひどく脆く感じられた。まるで初陣に出た兵士のように驚き、戸惑い、怖気づいていた。

 その一方でユーズの太刀筋を見切り、ザガンの奇襲を完璧に読み切るなど歴戦の戦士を思わせる勘の鋭さも併せ持つ。戦場に慣れた者は大なり小なり、その潜り抜けた修羅場に相応しい風格を持つ。たった1人でザガン率いる『邪教盗賊団』壊滅させた目の前の少年には、それが感じられない。

 イーワンは今も『間抜け面』と形容してもいい呑気な顔で居眠りをしている。実に歪な存在だ。もっとも顔の出来がいいため、緋色に染まる銀髪と端正な顔立ちは観劇の一幕のように絵になっているのだが。

 戦いにおける技は一朝一夕で習得できるものではない。型をなぞり、身体を操り、思考を染み付かせる。そうして技は身体へと馴染んでいくものだ。当然相応の年月がかかるのが道理である。戦うイーワンの姿には確かな戦闘経験があった、なのに目の前の少年の姿からはその気配が微塵も感じ取れない。

 あまりに、ちぐはぐだ。

 この違和感がザガンの危機感を鈍らせた。


「そろそろ年貢の納め時……ってことなのかしらねぇ……」


 ユーズは少しばかりの寂寥感と共に弱音を吐く。ザガンが知る限りユーズが弱音を吐くことはほとんど無かった。刹那的で、京楽主義者。ユーズは失うということを愛する女だ。惜しむような発言は珍しい。


「そんなにアレとの戦いは楽しかったか」


 ザガンがそう問いかけるとユーズはきょとんと目を丸くする。


「……そうね。楽しかったのねぇ、私」


 まるで、他人事のようにユーズは力なく笑った。

 ザガンとユーズが組んだ時期は長い。そしてザガンはそれなりにユーズという女の人なりを知っている。美少年に目が無く、面倒だと感じればすぐに切り捨てる、好色家で面倒くさがりな女だ。手間のかかる女だが、愛刀の手入れは毎日欠かさず、仕事のない時でも腕を錆びつかせぬよう鍛錬を怠らない武人だ。

 ザガンの采配で行う『仕事』は楽で、身入りがいい。

 危険も少なく、奇襲夜襲の類を旨として、予定外のことが起きれば部下を切り捨てすぐさま逃げに転じる。盗賊としては満足できる仕事ではあるが格下としか、あるいは不意打ちでしか戦えないのは剣士としては不満だったであろうことはザガンも察していた。

 だからユーズの男買いも大目に見てきたのだ。さすがに妊娠されると困るので、買う男は子を得難い異種族クエンに限定させたが。

 全力を出して、なお届かぬ武の極み。それを実感できたあの戦いはユーズにとって、渇きにも似た剣士としての欲を大いに満たしたのだろう。


「ねぇ、ザガン。意外と長い付き合いよね、私たち」


 まるで今際の際のようなユーズの言葉にザガンは応えない。

 盗賊家業は捕まれば程度にも依るが多くは縛り首だ。ザガンの顔は広まってはいないものの目立つ風貌であり、『邪教盗賊団』の悪名は広く伝わっている。そして、その中でも筆頭剣士であるユーズもまた『魔刀賊』の名でその悪名は轟いていた。

 器量のいいユーズは娼館などに売られれば生き延びれるかもしれないがザガンは無理だ。仮に売られるとしても手足の腱は切られるだろう。どっちにしろ捕まれば、ロクな運命は残っていない。今生の別れとなる、そうユーズが思うのも無理はなかった。


「そう、悲観するな」

「あら、ザガンが慰めを言うなんて珍しい」

「お前を慰める趣味などない」


 そろそろのはずだ、そう告げたザガンの言葉にユーズは首を傾げる。程なくして近くの茂みからカサリと、音が聞こえた。

 その音に反射的にユーズは身を起こした。もしも魔物ならば絞首台を待つまでなく、死ぬかもしれない。そんなユーズの懸念をよそにザガンはゆるりとしたまま、茂みに声をかける。


「来たか」

「……ユーズさん」

「クエン?」


 茂みからそっと顔を覗かせたのは黒髪の少年。顔立ちは少女と見間違うように幼い。ユーズの情夫であり、肉奴隷であるクエンだった。

 ユーズの趣味で買い与えた質のいい鹿の毛皮で出来た外套は泥と木葉で見る影もない。額には汗が浮かび、肩で息をしている事からここまで野を駆けてきたのだろう。


痺兎ひとをアジトに走らせた。……お前があの小僧とじゃれ合っている間にな」


 ザガンの魔力で呼び出せる歪涎猿わいぜんましらは『4匹』が限界だ。保険の為に1匹分の魔力を残していたのが功を奏した。

 歪涎猿わいぜんましらの奇襲が防がれ、ユーズの斬り込みも失敗した。それだけを見れば、勝ち目を勘定するのは難しくない。落ち着いて状況を観察すれば、イーワンが歪涎猿わいぜんましら以外の、『人間』を殺していないことはすぐにわかった。

 イーワンに限って言えば、相手取ったとしても生き延びる可能性は少なくない。そうザガンは踏んだ。それから行動は早かった。

 残った魔力を行使し、足の速い忌獣きじゅうである痺兎ひとを召喚、アジトにひとり残したクエンを呼びにやらせたのだ。


「ザガンさんの召喚獣がボクを起こしに来たから……よくないことがあったんだって思って……」


 クエンは聡い。少なくてもザガンはそう思っていた。

 ユーズの情夫として、ユーズを抱くクエンの立場は男所帯である盗賊団においてはかなり危うい立場だ。無論、ユーズを怒らせれば首が物理的に飛ぶことは誰もが承知しているが、だからといってクエンに羨望や嫉妬が集まらないわけではない。

 クエンはユーズに抱かれている間以外はまるでメイドのように団員たちの世話を甲斐甲斐しく行っている。炊事から始まり、洗濯や掃除、便所掃除までを進んでやる。よく笑い、団員たちとの会話も多い。クエンは決して敵を作らないように立ち回る。

 卑屈そうに笑いながらクエンは常に相手を窺っている。ザガンにはそれがよく分かった。そして、それが自分が生き残るためであることも。


「まぁ、まさか居眠りするとは思っていなかったがな」


 最初の読みでは、ザガンとユーズが会話を引き伸ばし注意をこちらに向けさせているうちにクエンに首を取らせるつもりだった。

 しかし、それもユーズとの戦いを見るかぎり無理だと悟った。ユーズを相手にあれだけの余裕を残して戦う相手の不意をクエンが打てるわけがない。どうしたものか、そう思っていた矢先にイーワンが居眠りを始めたのだから、世の中わからないものだ。


「クエン。俺とユーズの縄を解け」

「は、はい」


 クエンは音も立てずにユーズたちの傍に四つん這いになって歩み寄る。クエンの手は泥にまみれている事から四足となって地を駆けたのだろう。人狼であるクエンだからこの短時間でここまで来れたのだ。

 クエンは失礼します、と前置きをし、ザガンの縄を噛み千切った。クエンの牙は鋭い。クエンの場合、固く縛られた縄なら解くよりも、噛み千切った方が早い。

 手足が自由になったザガンが最初に行ったことは素早く空中に円陣を描くことだった。ユーズの縄が噛み千切られる前に、ザガンの魔術が完成する。


暗澹あんたんへその声を捧げよ。言葉は帳に沈みて、静寂はここに為る。<ウル=シャマ=ワ>」


 静かに闇夜を魔術の光が奔り、盗賊団の喉へと刺さる。

 かけた相手の声を奪う魔術だ。これで3日は喋れないだろう。今、ほかの団員たちと共に逃げ出せば、イーワンたちに気付かれる可能性は大きい。

 逃げる人員は少なければ少ないほど逃げやすい。

 魔術を受け、幾人かが目を覚まし、解き放たれた頭領とユーズを見て歓声を上げようとするがその口からはかすかな空気の漏れる音しかしない。


「悪いが、お前たちは置いていく。恨み言なら死んでから存分にあの世で言うといい」


 ザガンの言葉を聞き、その意味を理解したザガンの部下たち――いや『元』部下たちは顔色を変え、一斉に言葉にならない呪詛を吐き散らすがその言葉は欠片ほどもザガンたちには届かない。


「行くぞ。あの小僧が起きたら今度こそ詰みだ。俺の魔力も底をついた」

「……あの、いいんですか?」


 クエンが控えめに疑問を呈するが、その問いをわざと曲解し、ザガンは否定する。

 盗賊たちを置いていくのは、時間を稼ぐためだ。先ほどの会話から2人の目的地が『クーメル』であることは分かっている。クーメルの兵の数はそう、多くはない。

 この盗賊たちを野放しにできない以上は、しばらく手を塞ぐことができるだろう。仮に追手を放たれても戦力をいくらか分散できるのは現状ではありがたい。もとよりユーズとザガン以外は有象無象だ。


「アレは厄ネタだ。触れば触っただけ損をする。……逃げるぞ。出来るだけ遠くに」

「……ソローヤは諦めるしかなさそうねぇ」


 ユーズがわずかに名残惜しそうにイーワンの方に目線をやる。ソローヤはイーワンが膝の上に置いたままだ。アレに手を出すのはわざわざ獅子の尾を踏むようなものだ。

 静かに、されど素早く3人はその場を離れた。その足運びはさすが専門職、といったところだろうか。魔術師であるザガンでさえ、そう時間もかからずイーワンたちの視界から逃れることができた。


「ねぇ、クエン?」

「なんですか、ユーズさん?」


 かなり距離を取れた頃合いで、ユーズは思い出したかのようにクエンに声をかける。

 クエンはこの長距離を往復で疾駆してもペースが落ちない。息こそ乱れてはいるが、それでも疲れは見せない。魔術師であるザガンには少々辛いが、これが人狼のポテンシャルということだろう。


「なんで助けに来てくれたのぉ? 私を見捨てればアナタは自由になれたのに。私の身体が忘れなくなった?」

「……ボクは」


 クエンは足を止め、静かに応える。


「ユーズさんに買われました。命も、生きる意味も、未来も。あなたがボクの全てを買ったんです。ボクのものはもう何も残っていない。里も、父上も、妹も、もう失ってしまった」


 クエンの静かな瞳に映るのはただ絶望だ。絶望を受け入れたものの目だ。ザガンの嫌いな目だ。

 何もクエンには残されていない。


「ユーズさん。あなたがボクの全てだ。ボクの全てを買ったんだ。勝手に死ぬなんて、あまりに身勝手だとは思いませんか」

「……そうね。その通りだわぁ。……クエン、ついてきなさい」

「はい。……クエンさん、ボクを捨てないでくださいね」


 その言葉はジゴロのように甘い響きで、それでいてまるで呪詛のようにザガンには聞こえた。


「……話が済んだなら行くぞ」


 答えも無く、2人は手をどちらともなく繋ぎ、ザガンの後を追う。

 そうして、3人の姿は闇へと消えていった。

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