【007】「どうして行商人なんてしてるんだ?」
「でもファイちゃん、ドワーフなのにどうして行商人なんてしてるんだ?」
ガタゴトと揺れる御者台。その隣に座るファイにイーワンは気楽な様子で尋ねた。
天気は晴天。
澄み渡る青空がどこまでも続き、吹き抜ける風は心地いい。道はそれほど整備されているわけではない。踏み固められた土がむき出しになった、簡素な田舎道だ。
凹凸こそ少なくなるよう
しかしそれでもイーワンの気分は弾んでいた。
ゲーム時代では馬車での移動なんて久しくしていない。それにこんな振動のような過剰なリアリティはAWOには実装されておらず、イーワンにとっては新鮮な刺激だった。
元よりこの程度の疲労はイーワンにとっては何の意味も無い。
今までは過剰なリアリティなんて鬱陶しいだけだろうとイーワンは考えていたが、それはただの偏見だと知った。不便さもこれはこれで
何よりも。
「そりゃあ金を稼ぐ為に決まってンだろう。アタシは行商人なんだから。……というかいい加減ちゃん付けをやめろ」
女の子、それもとびっきりの美少女との二人旅だ。楽しくないはずがない。
隣にいるのは勝気な行商人、ファイ・タータマソ。
くりくりとクセのついた赤い猫っ毛と褐色の肌。そして幼い肢体とそれに不釣り合いな巨乳が特徴的なドワーフの少女だ。
イーワンはファイと共に御者台でくつろいでいた。
時刻は昼下がり。
昨晩はカルハ村に泊まり、朝早くに村を出た。ファイが白晶犀の肉を近くの街に
結局、白晶犀はあの場で村人たちの手によって全て解体され、肉と皮と角に分けられた。ほかにも灯りや薬に使う油や装飾品に使う骨など、無駄なく白晶犀は『死体』から『素材』へと変わっていた。
解体現場を生で見るのは初めてだったイーワンは血の匂いに何度か吐きそうになったのだが、終わってみればそこにあったのは見事な商品で感心するばかりであった。
そうやって出来た白晶犀の素材は村で使ういくらかを残し、残りのうち出来る限りをファイが買い取ったのだ。おかげで荷台にはこれでもかと白晶犀が積まれている。
一通りの下処理は済んでるとはいえ、さほど日持ちするわけではない。少しでも状態が良いうちにとファイは来て早々、とんぼ帰りする羽目になったというわけだ。解体が終わる頃にはすでに宴会が始まり、日が沈んでいたので、出発したのは呑み明かした翌朝早朝である。
どう見てもファイは樽単位で呑んでいたと思うのだが、二日酔いなど酒が残っている素振りも見せずケロリとしたものだった。
ビビはイーワンが村を去ると知って泣きに泣いたが、その日の夜は一緒に寝るということでなんとか許してもらうことになった。なおビビの添い寝は最高の役得であった。
至福の一時だったと断言できる。
翌朝、繰り返し礼を言う村人たちに別れを告げ、ファイとイーワンは帝都に向けて――ではなく、カルハ村から最も近い都市『クーメル』を目指して出発した。
手綱を握っているのはファイだ。
乗らせてもらってる身として御者を変わろうかともファイに提案したのだが、彼女曰く『大事な相棒をお前に預けるのは不安だ』とのこと。乗馬ならばともかく、御者の心得などない為、大人しく引き下がりイーワンは座席で揺られているばかりだった。
ちなみに荷台を引いているのは馬ではない。大きな猪である。
イーワンの知る猪よりも足が太く、短い。重心が下にあるからか、その歩みは力強く、さぞ重いであろう荷車を軽々と引いていく。もちろんただの猪ではなく、ドワーフが家畜として育てる
採鉱された膨大な鉱物を運ぶのは力自慢のドワーフでも重労働だ。その為に鉱山猪をしつけ、労働力としている。本来、猪は神経質で警戒心の強い動物であり、鉱山猪も例外ではない。その為、ドワーフは親の代から根気よく世話をする。
ドワーフにとって炭鉱猪は兄弟姉妹と同等か、それ以上の存在だ――とファイから説明されている。
イーワンはあまりNPCには興味のない
「でもさ、ドワーフってあんまり自分たちの山から離れないんじゃないの?」
「……まぁ、そうだね」
ドワーフ。
ファンタジー系のゲームや小説、漫画ではお馴染みの種族である。
エルフやホビットと並び、定番の異種族の1つであり、オーソドックスな中世ファンタジー的世界観をベースにしているAWOでも実装されていた種族だ。
AWOにおいても、ドワーフと聞いてイメージされる姿とその容姿はそう大差はない。
背は低く、人間の子供と同程度。しかし、その
ドワーフが背は低いのはその骨格のせいだ。ドワーフの骨は短くともどれもが太く、堅牢。この骨格がドワーフの体幹を支え、力強い筋肉を支えている。
筋肉の成長も早く、ドワーフのほとんどは筋骨隆々とした丸太のように太い手足とその立派な
しかしそれは男のドワーフの話である。
ドワーフは男女でその見た目に大きな差異がある種族だ。
おおよそドワーフと聞いてイメージされるのはそういった要素を持つ男性が多い。
そんな中でドワーフの女性のイメージは作品ごとに大きく異なる。
AWOにおいて、女性のドワーフは背が低く、童顔だが力は男性にも負けずとも劣らない。人間の幼女に似た姿――いわゆる『ロリドワーフ』として設定されている。
これはAWOの運営会社がロリドワーフの発祥の地である日本に拠点を構えていたこと。そして開発スタッフの1人がかなりアレな熱意と執念で、プロデューサーを説き伏せたからである。
なにが彼をそこまで駆り立てたのかは分からないが、結果としてAWOにはロリドワーフが実装され、その可愛らしいデザインから女性ユーザーと少数の変態紳士たちを大いに喜ばせた。イーワンもその1人だ。
「ドワーフはみんな『坑道で生まれ、金床を抱いて死ぬ』――そう言われている。だから生まれた山を離れたがるドワーフは少ない」
ファイの幼い身体も童顔もそういったドワーフの種族的な特性によるものである。
だからこそ、じっと前を見据えるファイはその見た目よりも大人びて見える。
「聞いたことあるな」
閉鎖的、というわけではないがドワーフの郷土愛は強い。人間と交流を持ち、街で暮らすドワーフは変わり者だ。少なくともそういう設定だったことはイーワンも覚えていた。
――少なくてもAWOだった頃は、だけど。
ゲーム上のドワーフは火と土の属性に対する高い耐性と適性、そして
またドワーフのイメージ通り、種族適性として装備の重量制限がほかの種族に比べて緩く、大型武器や重鎧をメインで使うプレイヤーからはドワーフは人気の種族だった。
デメリットとしては風と水の属性の適性が低く、手足が短い為にリーチが短いという欠点を持っている。
この『手足が短い』というのが曲者で武器や防具の幅が少ないのはもちろん、地味に移動手段にも制限がかかる。単純に歩幅が短いのに加えて、足が
力強く、鈍重。
それがドワーフの特徴であり、欠点であり、魅力なのだ
「強い鉄を打って、強い酒を飲んで。土と火に抱かれて生まれて、生きて、死ぬ。ドワーフはそういう一族なんだよ」
だからこそイーワンはドワーフがあまり旅に出るイメージというのがない。
もちろんゲームならばそういうプレイヤーもいただろうが、ファイがプレイヤーではないことはすでに確認済みだった。
「でも、それじゃあダメなんだ」
ふんと鼻を鳴らし、ファイは前を見据える。
景色は未だにのどかな田舎道が延々と続いているだけだ。
しかしファイが景色を見ているのではないはイーワンにも分かった。
ファイの赤銅色の髪が風に揺れる。少し強い風だったがファイはまばたきすらしない。熱に浮かされたような瞳は真っ直ぐに先を見据えている。
道の先――まだ見えない丘の向こう。
「ドワーフは元々、少数民族だ」
「へぇ、そうなのか?」
意外な事実だ。
プレイヤーのドワーフ人口は決して少なくない。
重武装を愛用する戦士系のプレイヤーは多く、そういったプレイヤーにとってドワーフはもってこいの種族である。
ウォーハンマーやグレートアックスのような
ロリドワーフの容姿も人気であり、可愛らしい容姿とパワフルなプレイスタイルを両立させたいプレイヤーなど、AWOではかなりの人気種族である。攻略サイトで毎年行われるプレイヤー人口アンケートでも常にトップ5を誇っていたのは伊達ではない。
種族の適性が
「確かに鍛冶仕事や採鉱はドワーフの得意分野だ。でも、それじゃあ腹は膨れないんだよ。ドワーフの住処は山が多くて農業に向かない。アタシらの足じゃ狩りも苦手でね。食い扶持をなかなか増やせないんだよ」
「なるほど……そりゃ人口も増えないな」
食料自給率は人口の増加に密接な影響を与える。人が増えれば、必要な食べ物の量も増えるのは当然だ。何を食べ、それをどう増やすかは人口を増やす上でとても重要な問題になる。これを見誤れば人に対して食べ物が足りず、最悪の場合だと餓死者も出るのだから。
ゲームの頃は意識した事もなかったそんな『当たり前』をファイに語られ、イーワンは何度目になるだろうか現実とゲームの違いを痛感する。
AWOだったならプレイヤーは単純にゲームとして有利か不利かさえ考えていれば良かった。過剰なリアリティを実装していないのは、そういった余計なことを考えずに済むようにであり、ゲームに集中できる環境作りの一環だ。
しかし、ゲームでなくなった以上はそんな今までの常識は通用しない。
生きていれば腹は空くし、腹が空けばご飯を食べなくてはならないのだ。
そう考えるとドワーフは戦いでこそ有利だがそういった『生きる為に必要な能力』は強くない。種族としての数が少ないのは道理だ。
「そのクセ、大飯食らいぐらいだからねェ……人間の倍はいる」
「あぁ、昨日の宴会もすごかったもんな。よくあれだけ食べられるよ」
ファイとイーワンの出立が決まって、カルハ村の住人が次に取りかかったのは宴会の準備だった。
イーワンは村の危機を救った英雄であり、ファイは村で足りないが必要な物を運んでくれる貴重な行商人である。ファイが村を訪れた時はいつもささやかな宴で歓迎するのは村の恒例行事ではあるが、今回は特別だ。
何せ大量の白晶犀の素材がたっぷりと手に入り、しかもそれをこれ以上無い絶好のタイミングで買い取ってくれる存在だ。不意に訪れた命の危機から助かったこともあり、村の熱気は最高潮まで上がっていた。
結局、村人総出の大宴会となったわけである。
「これでもアタシはドワーフの中じゃ小食だよ」
「よく言うよ」
心外だと言わんばかりに鼻を鳴らすファイの様子がおかしくて、イーワンは笑いを噛み殺す。しかしそんな努力は通じなかったようでギロリと恐ろしい視線が投げられる。
大宴会でファイはよくもまあ、この小さな身体の一体どこにあれだけの肉と酒が入るのかというぐらい大いに呑みに呑んで、食べに食べた。その食べっぷりと言ったらまさに見ているこっちが呆れるほどだった。カルハ村の面々は慣れたもので宴会芸の1つのような感じだったが。
「話を戻すけど、ドワーフの人口が増えたのはなんでだと思う?」
ドワーフの食糧事情が良くない。農業も狩猟も向いておらず、個人が消費する量も多い。得意な分野は採鉱と冶金。
「人間が増えたからだよ」
「人間が? なんでそれがドワーフが増える理由に……あ」
人間が増えて、ドワーフが増える理由。イーワンはふとそれに思い当たった。ヒントは目の前にいるファイ自身。
それは。
「人間との貿易さ。人間たちが育てた穀物や家畜が手に入るようになって、ドワーフの食糧事情は大幅に改善されたのさ」
確かに、ゲームだった頃のこの世界では農夫や羊飼いといったキャラクターは例外なく人間だったことを思い出す。ドワーフがそういった事を行っている場面は見たことが無かった。
「まぁ……代価は大きかったけどね」
沈んだ声でファイはそう呟く。
その声には苛立ちと後悔と自嘲が入り混じっている。しかしファイは自分でも気づいていないのか、言葉を続ける。
「ドワーフは職人気質が多い。一緒に酒を呑んで、気に入った人間ならどんなにいい物や金銀をタダで渡す事も少なくない。逆に気に入らない人間には、どんな大金を積まれようが聞く耳すら持ちやしない」
「言われてみれば……」
思い当たる節はある。
中級者向けのクエスト『グラジャッケン親方の無理難題』――多くのプレイヤーが初めて
隠居したドワーフの鍛冶師『グラジャッケン親方』というNPCに
最初は簡単なお使いに始まり、肉、酒と続いて最後はグラジャッケンの大好物を持ってこいというモノだ。ちなみにグラジャッケンの大好物とはハチミツの入った焼き饅頭である。大抵のプレイヤーはこのクエストで初めて
このグラジャッケン親方、かなりの頑固者で最初はプレイヤーのことを『おい』としか呼ばない。しかしクエストをクリアする頃にはプレイヤーを名前で呼び、
「ドワーフは確かに商売下手だよ。細かい事を気にしないし、腹芸だってできやしない。……でも、それじゃあダメなんだ」
ゲームだった頃は確かに気にもしなかったが、ドワーフのNPCは多かれ少なかれそういう傾向があったことを思い出す。ドワーフの職人たちは『客を選ぶ』のだ。ドワーフから購入できる金属製品はどれも上質で格安だが、ほとんどのドワーフはクエストやアイテムを贈ったりして一定の好感度を得なければ取引そのものをしてくれなかった。
それを面倒臭がってドワーフとのクエストをほとんどクリアしないプレイヤーは実は結構多い。直接、ドワーフから買わなくても、ドワーフとすでに取引できる他のプレイヤーから買う事が出来るからだ。
当たり前だが、それではドワーフの儲けにはならない。
ゲームだったら何の問題も無いが、この世界は違う。
ドワーフは生きていて、生きているという事は食事が必要だ。そして食べ物を手に入れる為には金が必要になる。
「ドワーフは変わらないといけない。人間はドワーフがいなくても生きていけるけれど、ドワーフは人間がいないと生きていけなくなった。このままじゃあダメなんだ。商売を覚えないといけない。金の使い道と稼ぎ方を覚えないといけない」
きゅっと口元を引き絞り、真っ直ぐに道の先を見据えてファイは言う。
「アタシが変える。変えてみせる。その為にアタシは山を離れて、行商人になったんだよ。金を稼ぐために、その方法を山に持ち帰る為にね」
ただの可愛いロリドワーフではない。
ファイは一族の故郷を離れた。それが必要だと思ったから。変わらないといけないと感じたから。
だからファイは行商人になったのだ。
「……そっか」
イーワンはふと思い出す。
「『もっとも強い者が生き残るのではなく、最も賢い者が生き残るのでもない。生き残れるのは変われる者だけだ』……か」
無意識にそんな事を呟く。 誰の言葉だったかは思い出せない。単純に忘れただけか、これも『私の記憶』なんだろう。
ファイはそんなイーワンをきょとんとした表情で見つめ、意外そうに笑った。
「……良いこと言うね、アンタにしては」
「あれ、オレってそんな扱い?」
ガックリと肩を落とし、イーワンも笑った。
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