第2幕 ファイの決別

【018】「……最っ悪」

 階段都市クーメル。

 いつもと同じようにこの都市を守る門を守っていると時折、変わった者が訪れる。人間のみならず、さまざまな種族がそれぞれの目的のために訪れ、この街で商いをしていく。

 ドラグハイブ帝国の田舎に位置するこの都市、クーメルは日々多くの者が行き交う貿易の要所である。東西に伸びる山脈は険しく、故に山脈の抜け道に位置するクーメルは多くの人々が行き交うのだ。

 ドラグハイブ帝国の南部を繋ぐクーメルはこの特殊な立地から変わった来客が多い場所である。衛兵として多くの者を迎えているが、今日迎えたのはそんな中でもよく目立つの珍客だった。


「お疲れさん。行商人のファイ・タータマソだ。手続きをお願いできるかい」


 馬の代わりに大きなイノシシを繋いだ荷車を操る赤毛の少女。

 見た目からではその小さな背丈と幼い顔立ちからはとてもではないが、自立した行商人には見えない。まぁ、この少女に限って言えばその胸があまりに豊満で単に少女、と形容するにはあまりにアンバランスではあったのだが。

 単なる童顔ではなく、幼く見える容姿は彼女がドワーフだからだ。

 褐色の肌は炭鉱で暮らすドワーフたちに多く見られる特徴である。火と土に関してドワーフほど優れた感覚を持つ種族はいない。褐色の肌はその高い適性の証とも言われていた。

 ドワーフの多くが生まれ育った鉱山で一生を過ごす。稀に街で鍛冶師として生きる者もいるが、それだって稀だ。偏屈で閉鎖的なドワーフの中で行商人というはかなり珍しい。少なくても衛兵が知る限りではこのファイしか知らなかった。

『ドワーフの行商人』――それもまだ若い女性、という物珍しさから衛兵の記憶にもよく残っていた。

 

「あぁ、お疲れさん。……ん? アンタ、1人じゃなかったか?」


 数日前、行商のためにここ、クーメルを出立した時はこの変わり者の少女は確か1人だったはずだ。

 ファイが手綱を握る荷猪車にちょしゃには行きにはいなかった少年が1人乗り込んでいた。

 黒い頭巾と外套コートに身を包み、ひどく整った顔立ちをした美少年だ。

 これほどまでに顔が良ければ女に困ることはないのだろうな、と衛兵は少しだけ妬ましく思い、そんな次元で比べられるほど自分ができた顔かと自嘲する。

 頭巾から零れる髪は月光を糸にしたような銀色。その整った目鼻立ちは衛兵が見たことのあるどのような美丈夫よりも均一なバランスで収まっており、妬ましく思うなどバカバカしいとはこのことだ。

 吟遊詩人がサーガで語る女神を口説き落とした英雄がもし実在するとしたらこのような存在なのだろうかと、ふとそんな考えが脳内をよぎる。いずれにせよ、衛兵が今まで見たことがないほどの美男であった。あまりに出来のいいその顔立ちはまるで彫刻のように作り物めいていて少し気味が悪いほどだ。魔性――そう評するのが似合いの男だ。女に不自由することはないのだろうが、羨ましいとは不思議と思わなかった。

 黒い外套から覗く腕は白銀の腕甲に覆われており、武芸の心得があるのだろう。背には背負った長柄の武器を背負っている。おそらくは槍か何かだろう。


「ん……あぁ。出先で拾った妙なヤツだよ。悪い奴じゃないけどね」


 女だてらに1人で商いを回すファイはハッキリとした物言いを好む。初めて顔を合わせた時、幼女じみたその容姿をからかっては手痛いしっぺ返しを食らって面食らったのは今ではいい酒の肴である。

 こんな風に言い淀むとはらしくない。


「へぇ……惚れたのか?」

「バカ言うな。顔だけ、とは言わないがお断りだね、こんなヤツ」


 ファイの反応は素気無いにもほどがあった。どうやら惚れた腫れたというようなものではないらしい。なんともからかい甲斐のないことだ。


「すげぇ……都市全体が坂道になってんのか」

「おう、兄ちゃん。クーメルは初めてか?」

「あぁ、こうやって見るのは初めてだ」


 まるで子供のように目を輝かせる少年に衛兵は気を良くする。


「神がまるで地面に線を引いたみたいなこれが蛇鱗山脈じゃりんさんみゃくだ。コイツはどこもかしこもその名の通り蛇の鱗が連なったような岩肌をしていてまともに登れやしない。迂回しようにもこの山脈は大陸屈指の長さだ。それに森には厄介な森林狼しんりんおおかみがうようよやがる。そこでこの――」


 衛兵は自慢の街を見せびらかすように両手を広げる。少年の瞳は純粋無垢なもので、こちらの期待通りに息を呑んで言葉を待つ。


「『階段都市クーメル』が出来た。ここは蛇鱗山脈じゃりんさんみゃくの中では唯一谷になっている。傾斜もなだらかで、魔物の生息圏内からも適度に距離があって、安全だ。この街を登り、下る。一度じゃ疲れるんで、適当なところで旅人たちが休む。そうやって出来たのがこの街さ」

「へぇ……!」


 クーメルの街はその全体が傾斜しているが、その多くが滑らかな石畳に覆われている。重い荷物を積んだ荷車が引っかからないようにする為だ。

 特にこの南門から続く大通りは街を真っ直ぐに貫き、反対側の北門まで続いている。

 馬車が同時に3台もすれ違えって余裕があるほど、広い道がきっちりと舗装されているのはこの国でもそうはない。

 それが山向こうにまで続いているのだ。初めて来る旅人は皆、驚く。その顔を見るのが衛兵にとっては密かな楽しみだった。そして少年の反応はそんな衛兵を十分に満足させるものだった。


「無駄話ばかりしてるんじゃない、エルトン」

「た、隊長! ち、違いますよ、俺はただこの旅人さんにこの街のいい所を紹介してやってただけでですね」


 厳つい顔をした隊長が小突かれ、衛兵は渋々話を打ち切る。どうやら自分が話し込んでいる間に、隊長は手続きと荷物改めを終えてしまったらしい。これは後でドヤされるに違いなかった。

 商人の中には自分が儲ける為なら手段を選ばない悪質な者もいる。禁輸品――麻薬の類や禁書など――を持ち込もうとする者もいるし、中には国内外の罪人を運んだりする者もいる。荷物を改めるのはそういった者を安易に街に入れないようにするために必要な手続きのひとつだ。


「手続きは問題ない。荷も確認した。それで? 頼みごとってのはなんだ?」

「道中で邪教盗賊団に襲われた。返り討ちにしたけどね。頭領のザガンと右腕には逃げられけど、団員のほとんどは捕まえたよ。地図を書くからしょっいとくれ」


 ファイの思わぬ言葉に衛兵たちは顔を見合わせた。邪教盗賊団といえば、ここ最近この辺りで度々被害が報告されていた悪賊である。

 それが全滅とまでは言わずとも半壊となれば、吉報だ。隊長はすぐに背筋を正して力強く頷いた。


「分かった。エルトン、詰所に行って、頭数を揃えてこい。大急ぎでだ」

「は、はい!」


 どうやら今日は忙しい一日になりそうだった。


――◆――


「すげーな……本当に街が傾いてる」


 門に詰めていた衛兵たちに盗賊団の始末を引き継いでもらった後、イーワンとファイはクーメルの街をゆっくりと上っていた。

 衛兵の観光ガイド通り、街の中心をキレイに舗装された大通りが貫いている。それはそのまま真っ直ぐと山頂まで伸びており、見上げて実際に上るだけでも気分が高揚するものだ。坂道は延々と続くわけではなく50メートルほどの感覚で平らな広場が設けられており、馬や人が休めるように工夫されていた。

 大きな広間では屋台なども出ており、香ばしい臭いが胃袋を刺激し、威勢のいい呼び込みが耳にも楽しい。

 大通りは石畳はよく手入れされているのか、ひび割れているような物はほとんど見当たらず、赤や白の石材を使って模様が描かれていた。

 街全体が坂にあり、大通りから外れると無数の階段がそれぞれの家屋に繋がっている。頬の赤い丁稚でっちたちは慣れているのか、大荷物を抱えて足元も見ずにひょいひょいと軽やかな足取りでその階段を上っていく。

 街が活気に溢れているのがよく分かる風景だ。先ほどからひっきりなしに荷物を積んだ馬車とすれ違う。


「ここは交易の中心だしね。年中こんな感じだよ。収穫祭にはこの大通りで若い娘たちが一晩中踊り明かすんだ」

「へぇ、そりゃ見てみたいな」

「鼻の下伸ばしてんじゃないよ、このスケベ」


 慌ててイーワンは手で口元を隠した。

 イーワンは女好きである。しかしそれは性欲に由来するものではない。それはイーワンが『ネナベ』だったからだ。

『ネナベ』とはオンラインゲームで女性が男性だと偽ってプレイするプレイヤーを指す。イーワンは元々『女』だったはずだのだが。

 しかし気が付けば記憶の大半を喪い、VRMMO『エンシェントAncientワードWordオンラインOnline』――通称『AWO』。それがゲームとしてイーワンが存在していた世界に気が付けば、生きていたのだ。無論、イーワンとして――つまりは男として、である。

 イーワンの容姿を始め、サーバーランク第十位『銀』の称号を持つその高い戦闘能力はゲームの頃と同じようにイーワンの身に備わっている。

 しかし、全てが全てゲームのままというわけでもなかった。


「まったくなんでそうだらしないかね……それで神官だなんて今でもアタシは信じられないよ」


 その代表格が隣で手綱を握る褐色の幼女、ファイ・タータマソだ。赤毛とその幼い容姿に不釣り合いなほど豊かな胸が特徴のこの少女はドワーフである。

 ゲームでは高い筋力から両手斧など重量武器を愛するプレイヤーに人気のあった種族だ。ドワーフの多くは気に入った仕事しかしないという職人気質を持っており、その多くは生まれ育った炭鉱で一生を終えるのだが、ファイは商売を学び、種族の発展の為に行商人をしている変わり者だった。

 イーワンは奇妙な縁もあり、ファイと共に旅をしている。道中、盗賊に襲われたりとハプニングこそあったが、イーワンの活躍によって事なきを得た。

 もっともその後、とんだポカをやらかして肝心の首謀者には逃げられてしまったのだが。


「で、ファイちゃん、ちなみにこれはどこに向かっているんだ?」

「ちゃん付けすんな。商会だよ。まずは荷を卸すんだ。アタシら行商人は物を売らなきゃ商売になりゃしない。押しかける形にはなるが、これだけの値打ちモンだ。どうとでもなるよ」


 ファイは街の活気にあてられたのか上機嫌に手綱を操っている。

 荷車を引く鉱山猪こうざんイノシシも心得た様子で、危なげなく人が多く行き交うクーメルの大通りを上る。

 ファイの上機嫌の理由は荷台にこれでもかと詰み込まれたモンスターの素材だ。白晶犀はくしょうさいというその名の通り白い巨躯きょくと水晶の如き透き通った角が特徴的な魔物のものだ。

 ファイと出会った村を襲った白晶犀はくしょうさいの群れをイーワンが返り討ちにし、ファイが村人たちから買い取ったものだった。


「ふふん、白晶犀はくしょうさいの素材なんて滅多に手に入るモンじゃないからね。こりゃあ高く売れるよ」

「そういうもんかね。オレにはピンと来ないなぁ」


 イーワンにとって白晶犀はくしょうさいの素材は大した価値はない代物だ。それもそのはず、イーワンのゲームだった時のイーワンのレベルは6794。

 AWOのプレイ人口は約6000万人のうち、レベル5000を超えるプレイヤーが100人以下であることを考えれば、せいぜいちょっと質のいい程度の中級者用装備の素材である白晶犀はくしょうさいの素材など、嵩張かさばるだけの邪魔な代物である。串焼きにした肉はウマかったが、それ以上の魅力はなかった。

 

「みんながみんな、アンタみたいに規格外なわけじゃないんだよ。『いい道具』ってのは性能さえ高ければいいってモンじゃない。『誰にでも使いやすい』ってのが質より優先されることもある」


 そんな風に穏やかに雑談をしながら、イーワンたちはクーメルの街をゆるゆると上って行く。やがて目的地が見えてきた。坂の頂上が近くなった辺りで、一際目を引く大きな建物が胸を張るようにしてそびえ立っている。

 パッと見た感じでは5、6階はありそうなそれは明らかに街の外観から浮いていた。建物の壁や門、屋根に至るまでキラキラとした鉱石や水晶で作られたいかにも高そうな彫刻が飾られている。

 その彫刻たちを見て、イーワンは戸惑うよりも先に、背筋を虫が走ったような悪寒を覚える。


「な、なぁ。ファイちゃん、まさか商会ってアレのことじゃないよな? 違うよね?」


――あぁ、嘘だと言ってくれ。


 そう願望半分、確認半分にファイに聞いて見るが、期待した答えは無慈悲にも小さく振られた首に打ち砕かれる。


「ちゃん付けすんな。アレだよ。デカい建物だから驚くのは分かるが……ってなんだい。その顔。苦虫を噛み潰したような顔して」 

「い、いやぁ……はは、ハハハ……」


 よっぽど苦々しい顔をしていたのだろう。ファイが珍しく面食らったように驚いて見せるが、その表情を楽しむ余裕は生憎となかった。

 商会を飾りたてる彫刻はそのどれもが野菜を象ったものであり、白菜やネギなどお世辞にも見栄えのするモチーフとは言えない。それらが豪華絢爛にも日差しを浴びてキラキラしているのだ。

 何の冗談かと問いたくなる様な趣味の悪さである。


「商会の名前って聞いてもいい?」

「別にいいけど……『シラタキ商会』だよ」

「……最っ悪」


 予想通りの答えにイーワンは先ほどまでの高揚感はどこへやら。

 テンションはドン底まで落ちていた。


――『シラタキ商会』


 落胆するイーワンを嘲笑うかのようにかの商会の象徴シンボルである鉄鍋が門には掲げられていた。

 AWOのプレイヤーなら知らぬ者はまずいない。関わらない者は引退した者か、チュートリアルも終えていない者だけだ、とまで称されるAWO最大手の商業ギルドである。

 ありとあらゆる物品の生産から流通までを支配する貨幣の運河。金が水のように湧き、物が水のように流れるそれは一種の化け物と言って差し支えない。

 戦闘の際に常用するポーションの類から身の丈にあった装備品まで何でも揃う、何でも揃えるシラタキ商会はプレイヤーにとってはなくてはならない存在なのだが、如何せん評判は『最悪』だ。

 正確にはこのシラタキ商会を束ねるギルドマスターが最悪なのだ。シラタキ商会の悪評の九割九分がギルドマスターの悪評と言っても過言ではない。


 シラタキ商会は武器、防具、消耗品類など取り扱う商品によって部門が分かれており、それぞれ分業されていてその分野の専門家が取り仕切っているのだが。

 シラタキ商会のギルドマスター『鍋太郎なべたろう』が直々に取り仕切っている部門がひとつだけある――『』だ。

 鍋太郎はあまりに。鍋太郎に引退に追い込まれたプレイヤーは数知れず。

『成金趣味』『守銭奴』『死ね』『5年連続BANされて欲しいプレイヤー1位獲得』『金で出来たエルダーリッチ』『国堕とし』『AWO不人気プレイヤー全部門殿堂入り』『クソ野郎』などなど数多の異名を持つAWOきっての嫌われ者。

 それが、


サーバーランク第五位『ざい』――『守銭奴の鍋太郎』というプレイヤーである。

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